【I-006】変貌した城内

 シーマはひとり、殺伐とした城内を突き進んでいた。権力を落としかけた老人を脅していても意味がないと感じたため、その世話は帝国軍に任せてマリプレーシュ城の内部へ直接手がかりを探しに来たのだ。

 歴史の浅いこの国では、おそらく初めて迎える規模であろう混乱の中で、警備は手薄どころか無いに等しい。それに乗じて、この日を機に賊と化した者どもが内部に侵入し金品を漁るので、かつて華麗だったと思われる城内は乱れに乱れ、目も当てられぬ状態になっていた。

 (グランフェルテ七世か。『グロワール・ド・ディジョン』を狙う者同士……この機会に姿を確認しておくか)

 シーマは先程爆音のした方向へと向かう。広間へと続く通路に出ると、そこに立ち並んでいたであろう神話の登場人物を模した石像は無惨に崩し倒され、豪奢な照明器具が落ちて割れ散乱していた。既に貴族たちは何処かへ避難しているのであろうが、慌ただしく駆け回るこの城の兵士や召使たちを横目に、像の残骸にうまく身を隠しながら進んでゆくと、聞き覚えのある声が自分を呼んだ。

 「シーマ……!」

 彼は驚いて、台座の脇の壁を振り返る。夕刻の差し込む光を頼りに見ると、そこに設けられた物置用らしき、腰までの高さの扉が僅かに開いていて、そこから意外な顔がこちらを覗いていた。

 「エマ、リュック……!何故来た!?」

 危険だから家にいろと言ったはずである……いや、それ以前に何の心得もないはずの彼女らが一体、どうやってここまで辿り着いたのか。ともかく攻撃の中心部に戦う力の無い彼女達がのそのそやって来るなど、死ぬつもり以外にその意図への予測をつけようがない。

 エマ自身は、もはやそのように客観的に自分達の立場を考える余裕さえないといった様子で、煤に化粧された頬を紅潮させた。

 「兄さんが!アルテュール兄さんが、抗議隊に加わってここへ来たっていうから……!!」

 「アルテュールが?あの足でか……!?」

 シーマは更に詳しく事情を聞き出そうとしたが、しかし……続きを言うことを妨げられた。

 ……背後に押し付けられた鋭い気配。エマとリュックが短い悲鳴を上げ、その場で凍り付いたように硬直する。

 「……この城の兵士ではなさそうね」

 凛々しい女性の声に促され、シーマは自らの迂闊に下唇を噛みながらゆっくりと振り返る。

 装飾の施された軽鎧に身を包む、すらりと背の高い人物が、配下らしき兵士達を何人か引き連れてそこに立ち、彼に長剣を突きつけていた。このマリプレーシュ城の兵たちには持ち合わせのない崇高な空気と、思わず見とれてしまいそうなほどの美貌を纏った女性兵士だ。

 「……帝国兵か」

 「立ち去りなさい」彼女は兜の下から隠れ見える銀色の瞳でシーマを射ると、厳しい口調で続ける。「ここは、もはや市民が足を踏み入れられる場所ではありません。ましてや女子供連れなど」

 女性兵士に彼らを傷つけようという意図はないようだ。ここであからさまに敵意を見せつけるのは得策ではないだろう……シーマは手に握っていた剣を鞘に収め始めた。その様子を確認し、女性の方も剣を下ろし踵を返す……しかし、すぐに、立ち止まった。

 「……わざわざ逆らおうと言うの?」

 鞘に納まりきることのないシーマの刃……その次に彼が取った一瞬の行動を、女性兵士は見逃さなかった。

 「シーマ、やめて!!」

 響くエマの声。その中で振り上げられるシーマの鋭く光る長剣を、女性は華麗に身を翻して一分の隙もなく薙ぎ払う。カキインという金属のぶつかる音。剣は予想を超えた力で跳ね返され、シーマは足元をふらつかせて危うく倒れそうになる。

 「何だと……」

 「単なる市民抗議隊ではないようね。けれど、帝国騎士に楯突くほどの力があるわけでもないと」

 女性は再び彼の眼前に刃を突き付けて、そう言いながらシーマの正体を探るように眺める。……が、その後ろで生きた心地がしないというようにすっかり怯え切っているエマとリュックの方にちらりと視線を投げると、彼女の方から武器を鞘に仕舞った。

 「……馬鹿な遊びはやめなさい。彼女たちを守るのがあなたの役目でしょう」

 その時、通路の先……城の中心部である広間から、男の悲鳴が響き渡る。

 「グ、グランフェルテごときの手にかかるなど!!誰か、誰かおらんのか!!」

 シーマからは女性の麗姿の向こう、崩されてその役割を為さなくなっている扉の所に、悲鳴の主の姿が見え始める。先ほどまで裏門にいたはずのカプールが帝国兵に引き摺られ、その大広間らしき部屋まで移動させられて来たようだった。その様子を女性騎士の配下のひとりが確認すると、彼女に告げる。

 「大将、あれがマリプレーシュ候です。まずは奴を」

 女性騎士は頷くと、もはやシーマ達を無視するかのように彼らに背を向けて、配下たちと共に足早にその広間へ向かって行った。シーマは体勢を立て直すとその後を追おうとするので、エマは必死でその腕を掴んだ。

 「もうやめてシーマ、これ以上は……もう帰りましょう!」

 「お前達は先にそうしろ」

 そう言ってシーマは、彼女の手を振り払って広間に進もうとする。怒りと悲しみのあまり、エマはもう止めるのをやめて彼の好きにさせようかとも思ったが……彼女達が何とか忍び込んできた時よりも更に事態の進んでしまったこの状況で、姉弟が自ら動く事は余計に危険である。

 エマは仕方なく深呼吸し自らを落ち着かせると、口をぽかんと開けて呆然としている弟を引っ張り寄せ、シーマの背後からなるべく離れないようにぴたりと寄り添った。それなのにシーマはこちらを気遣ってくれるどころか、どんどん、奥へ進んでゆく。

 「やめろおおお!」

 再びカプールの決死の叫びが響く。城内は物々しい混乱の山場に差し掛かろうとしていた。シーマは通路の終わりまで来ると、ようやくエマとリュックの姿を隠すようにして端へ寄り、僅かに残って斜めに倒れかけている扉の裏から大広間の中を覗き見た。

 「やめて……やめてくれえ……」

 マリプレーシュ候は普段、街の視察で見かける横柄な態度とは打って変わった、ぼろぼろの醜態をその場に晒していた。艶のある顎までの栗毛の鬘はずれ落ちて肩の辺りに引っ掛かり、どうやら失禁までしているようだ。護衛も全てはぎ取られ、代わりに何人もの長剣を構えた帝国兵が彼を囲んでいる。

 「た……助けて……」

  すると、彼の悲壮な言葉に反応したように……シーマたちのいる方と反対側の間仕切りが不意にガサッと動いたようだった。

 「侯爵閣下、ご安心くださいませ――」

 そこから現れる、巨大な黒い影。

 「民の多い西門を守っておりましたがゆえ、迂闊にも遅れてしまい申し訳ございませぬ。しかし近衛隊長タイタスが参りましたからには……このようなネズミども、瞬時に一掃して見せましょうぞ」

 ……さすがの帝国兵たちも、これには動揺せざるを得ない。タイタスと名乗ったその男は、それは本名ではなく誰がその姿を形容して新たに命名したのであろうか……その通りの、天井を突かんとばかりの圧倒的な巨体を重そうに揺らして進み出ると、マリプレーシュ候の前に立ちその盾となった。そして躊躇する帝国兵たちを、その落ち窪んだ眼孔の奥から覗く獣の光で嘗めるように睨んで回す。

 「マリプレーシュ侯爵閣下に、エクラヴワ大王陛下に逆らう者は……この斧の餌食となるのみ!!」

 ブンッ!!

 その恐ろしく大きな体躯に対してはあまりに小さく見える、が、鋭い光を放つ斧を……周囲を囲んだ帝国兵たちに向けひと回し、振りかざした。

 

 ガシイン!!

 何かが激しくぶつかる音が響く。

 シーマの背から広間の様子を伺っていたエマとリュックは、タイタスという大男が懐から斧を取り出した瞬間にはもう顔を伏せていたのだが……その衝撃音に思わず目を上げ、そしてその目を疑った。

 背が高くすらりと肢体の伸びた、凛々しくも極めて美しい女性……先ほどシーマ達の目の前に現れた、あの女性騎士。彼女が、たったひとりで咄嗟に踊り出て、巨人の斧をその両手に握った長剣で支えているのである。

 「この女……っ!」

 タイタスは一度斧を後ろへ引くと、別の方向から再び彼女を狙う。

 「うおおお!」

 「何度来ても同じ!」

 強き彼女はその手の剣を横へ払いつつ、白いマントを翻らせて身を一回転させると、次の攻撃も華麗に受け止めた。

 「貴様っ……!!」

 タイタスには自分が捻り潰してしまえそうなひとりの女性に、絶対の自信を以て繰り出した攻撃が受け止められているのが屈辱的であったようだ。その傷だらけの顔の中に埋もれている三角形の目に激しい怒りを露にすると、三たび……今度は頭上から渾身の力を込め、辺りの空気さえ切り裂いてしまいそうな勢いで斧を振り下ろす。

 かつてなく強く鳴り響く金属音。

 「……!」

 ……今回の攻撃の方向には、女性騎士は少し計算を誤ったようだ。右に捻った無理な体勢で何とか相手の武器を受け止めた。もちろん、普通の女性であれば支えている事すら難しいであろうが……その剣を握る腕が限界に近づき、震え始めていた。

 (く……保たない……!)

 「ウィンバーグ大将……!」

 帝国兵たちが彼女のものらしき名を呼び、助けに駆け寄ろうとするが、タイタスの親衛隊も負けてはいない。しばし帝国軍の強さに圧倒されて手が出せずにいたマリプレーシュの兵たちも応戦し始め、騎士の配下たちを彼女のもとへ寄らせまいとした。

 グランフェルテ帝国兵たちは確かに、長く奴隷として飾りのように扱われていた事実からは、誰しも想像も出来ぬほどの強さを持っていた……だがその数は、混乱や逃走により元よりは大分減っているであろうマリプレーシュ兵たちのそれよりも、かなり下回っていたのだ。例え彼ら個々が長けた戦闘能力を持っていたとしても、束になってかかってくる相手に勝つのはやはり容易い事ではない。その、再び喧騒を極めだした場の中央で再び。

 カン!!

 ウィンバーグと呼ばれた女将軍の剣が、とうとうタイタスの刃こぼれした斧に弾き飛ばされた。

 「……!!」

 武器であり、同時にその身を守る防具でもあった長剣を失った彼女は、その巨体から逃れる術もなく立ち尽くす。

 「終わったな……!」

 タイタスはにやりと笑い、その斧を大きく掲げて勢いづけると……そのまま容赦なく、振り下ろした。

 肉を斬り裂く、身の毛もよだつような音が……その場にいた者たちの耳を貫く。

 またもシーマを盾に顔を伏せていたエマとリュック……そして女将軍の周囲にいた帝国兵たちまでもが、衝撃的な光景を見るまいと思わずそこから目を背けた。

 ……そして、たった今、自らがまっ二つに切り裂かれたと思い込んでいたのに、何ら痛みなどを憶えないことを不思議に感じたウィンバーグ大将自身は……ようやくうっすらとその眼を開き、顔の前に翳した腕をゆっくりと外す。

 そこには……これまた不思議な事に、彼女が眼を瞑る前と同じ体勢のタイタスの姿があった。彼女の兜のすぐ上にまで迫っていた斧には、一滴の血液さえついていないどころか、兜を僅かにも傷つけた形跡はない。

 タイタスはそこで時間を止められたかのように、ぴたりと制止しているのだ。

 一瞬の後……巨大な壁は轟音と振動を立てて、大理石の床に崩折れた。

 暫しの時が経ち……土煙が収まった、その向こう側。

 そこに現れた姿に、大将はほっと胸を撫で下ろし、その他の帝国兵たちは彼女と同じ思いを抱くと同時に……強い緊張を憶える。

 タイタスの巨体、その攻撃を受け止めた女性騎士、あまりにも現実離れした戦いの光景……その全てに対して呆気に取られていたシーマとエマ達であったが、次に見たものには今までのどれをも凌ぐほどの驚愕を感じたのである。

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