宝満山

ふじもとこういち

宝満山


   ***


その山には大きな磐が積み重なる。

磐は陽の光を浴び、瀟雨を受け、

風に吹かれ、月に照らされ、

磐には永遠の精霊が宿る。


大地は、塵が集まり重力で生み出した熱で少しずつ、しかし途方もない力で、着実に動く。

大気は、太陽に促され大地と宇宙の間を廻り、水を運び、熱を運ぶ。

生命が生まれ、生まれては消え、生まれては消え、生まれては消えていく。


   ***


山の麓に、小さな集落ができた。

その家には壁もなく、土を掘り、屋根をかけただけの小屋が、身を寄せあって佇んでいる。


そこには、夜なのに赤い小さな耀きがあった。山を焼き尽くすこともなく、小さく長く、その炎は燃えている。

山のものたちはそれを驚きをもって見守る。


「今日もありがとうございます」

炎を囲む家族は、山に向かって手を合わせる。パチパチと炎の奏でる声だけが、山の暗闇に昇る。


   ***


茜や藍や紫の鮮やかな一団が村に現れた。

冬のさなかなのに、そこだけが春の野と秋の紅葉が凝結したかのような人たち。

遠い国の貴人だと言う者もあれば、

異界の魔物だと言う者もある。

戦になる、といううわさもあった。


戦にはならなかった。

でもなにかあったらしい。

村の寄り合いが開かれる。

「みかさ山は、今日から竈門山になった」

長は厳粛な顔で言い渡す。

「みかさの神は、竈門の神に山をお譲りになった」

山を譲った?みかさの神に仕えていた長はどうするのだろう。

「今日からわたしも竈門の神に仕える」

そうか。

みかさ山が竈門山になっても、村の暮らしは何も変わらない。

みかさ山、いや、竈門山も、昨日と何も変わらず村を見守ってくれている。


   ***


一人の山伏が、ぶつぶつと小さく真言を唱えながら、宝満山を駆けていく。

大きな岩の脇を、飛ぶように駆けていく。

そのとき。

ぐらり。岩が大きく揺れ、ごろり。山伏の前に転がり出た。

おっ。

山伏は危うく立ち止まると、その大岩を見上げた。

岩が、声を上げた。おまえ、なぜ走る。

「自然の力を会得し、人々を救わんがため」

山伏はよどみなく答える。

岩はもう黙ったまま、ただそこに、あまりにも大きな存在感をもってそこに在る。

山伏は大岩を抱き、その力を受けようとするかの如くに抱き、そして走り去る。


   ***


むごいこと。どうしてもするのかしら。

女は亭主の言葉に納得できないまま、亭主の後から石段を登る。

神様は大切で仏様がダメなんて。

わからない。


「さあ、やるぞ」

二人は仏様を岩から谷に投げ落とす。

岩に打ち付け、首を落とす。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

亭主の目を盗んで岩陰に隠す。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

大丈夫だよ、という声が聞こえた気がした。いや、そう聴きたいと思っただけかもしれない。


   ***


若者は宝満山の頂上にたどりついた。

今日はトレイルランニングのトレーニング。自宅から四王寺山、宝満山から三郡山、若杉山、そして自宅へというコース。

行程の半分は舗装道路を走ることになるが、元来車が嫌いなたちなので、こんな練習になってしまうのだ。

「いい天気」

宝満山への急な登りは歩いて登り、さてここから、いよいよ気持ちよい縦走路だ。

「宝満の山の神様、今日もお邪魔します」

大きな岩の上の神社に手を合わせ、そして走り出す。

ゆっくり歩いている人がいれば歩いてすれ違い、こんにちは。いい天気ですね。と声を交わしながら。


仏頂山を越え、三郡山をめざす。

岩の間を登り、下る。岩には、超越した何かを感じる。

おまえ、なぜ走る。

若者は驚いて立ち止まる。周りを見渡す。誰もいない。

おまえ、なぜ走る。

岩の中からその声が響く。

若者は岩に歩み寄り、岩に触れると一歩下がり、そして岩の前に手を合わせる。

「大地の力をもらいながら、自分を鍛えたいと思っています」

一瞬、完全な静寂が天地を支配する。

若者は走り出す。


   ***


「ふー。ついた」

男は銀色の義手を輝かせて、ごま塩の頭をかしげる。

いくら最新の建設資材だと言っても、

一人で運ぶのはバカだったかな。

男は20フィートのスマート山小屋キットを肩からおろし、骨組みをはめ込み、壁をはる。

クモの糸から作った最新樹脂製。防災用に開発されたが、その携帯性と堅牢性、ITによる無人管理機能が評判を呼び、全国の山に設置され、登山者たちの命を守っている。

宝満山のような人里に近く泊まり需要の少ない山でも、このシステムならペイできる。

よし。

これでもっと自由に遊べる。

ここから、遭難者探索ドローンと緊急食料運搬ドローンを飛ばすのが次のミッション。

山はもっともっと豊かになる。


それは何。

誰かに訪ねられた気がして振り向いた。

大きな岩が静かにただそこにある。

山をもっと愛せるように、

ちょっとモノをおかせてください。

もっとたくさんの人があなたに抱かれに来るようになるけれど。よろしくお願いします。

男は無言でつぶやく。


   ***


ぽん。

それは、真っ黒い海の上で生まれた。

ぽん、ぽぽん。

まわりで次々生まれる音を聴きながら、それは南に向かう。

後ろには巨大な陸地。

東の空がうっすらと白んでくる。

前方の街は湾を抱き、小さな灯りがせわしなく動く。

いそげ、いそげ。


それは街を飛び越えて

頂に大きな磐をのせた山に。

小さな社をいただく山に。

それは冬枯れの木々を包み込み、

キラキラと輝きに凝結する。


やがて朝の光に耀きは溶け、磐の上にぽたりと落ちる。

磐と大地の熱に包まれ、宇宙との間に環る。


今日もまた、新しい一日が生まれる。


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