第15話 逢瀬

 病院に開拓使に役人が駆け込んできた。

「こちらに綾部真純さんという方はいますか。」

 病院の事務室にいた真純が顔を出すと、

「阿部が腹の具合悪いと訴えていて、ぜひ綾部さんに来てほしいと言ってます。」

「阿部さんはどんな様子でしたか。」

「この間手術したところが痛むと…。あ、綾部さん1人で来てくれと言われました。」

 真純は阿部が宿泊している旅籠の名前を聞き、必要な荷物をそろえて病院を飛び出した。虫垂炎の手術がうまくいかなかったのか、傷口がふさがっていなかったのか…と不安がよぎる。

 目抜き通り沿いにある旅籠はすぐに見つかり、真純は主人に事情を説明して阿部の部屋を探した。

「阿部さん!」

 真純は声もかけずに障子の戸を開いた。そこには腕を組んで胡坐をかいて座っている阿部がいた。

「阿部さん…もう大丈夫なんですか。」

 真純が阿部の傍で顔色を見るが、変わった様子はない。

「こうでもしないと、あんたと2人になれん。」

 真純は阿部が嘘をついて自分を呼び出したことを悟った。

「ひどいですよ!この前の治療がうまくいってなかったんじゃないかと―」

 真純が心配しても阿部は表情を変えない。

「私、帰ります。」

 阿部が立ち上がろうとする真純の腕を引っ張った。

「放してください。」

「あんたと落ち着いて話したいことがある。」

 阿部の強い腕力に嘘ではないと感じ、真純は応じた。

「俺は札幌に行くことになった。あんたも一緒に行かないか。」

 照れ隠しなのか、真純の目を見ず棒読みで言った。

「札幌・・・ですか。」

 と言いつつ、行き先よりも阿部の好意をどう受け取ればいいかわからなかった。

 斎藤と別れて失意の底にいた真純に、阿部は励ましてくれた。しかしこれからは自分の力で生きていこうと決めていた矢先、阿部についていくのは甘えのような気もした。

「あんたが将来不安なら、俺が力になってやってもいい。」

 斎藤にどことなく似ている阿部と知り合ったのも、縁なのか。

「少し考えさせてください。」

「わかった。」 

 しばらく沈黙が続いた。 

「阿部さん、お願いがあるんです。」

 真純は思い切ってきりだした。

「阿部さんは、北海道の開拓使の方ですよね。五稜郭に入ることもできるんですか。」

「まぁ…。それがどうかしたのか。」

「五稜郭にその・・・身内同然の人が眠っているんです。遺体を捜すのは無理でもお参りだけでもさせていただけないでしょうか。阿部さんにこんなこと・・・言うべきじゃないんですけど。」

「五稜郭にあった賊軍の遺体は、この町の人間がどこかに埋葬したと聞いたがな。」

「でも確かに新選ぐ―」

 と言いかけて真純は口をつぐむが、阿部の表情が急に変わる。

「・・・あんたのいう身内同然のやつというのは、土方歳三か。」

「・・・そうです。」

 阿部は一瞬考え込み、すべてが納得した。目の前にいるのは土方歳三の小姓をしていた綾部真純だ。

 阿部も新選組に籍を置いていたが2度脱走した上、大坂にいることが多かったため、当時は真純との接点はほとんどなかった。阿部が新選組に復帰した時は、隊士の数が大幅に増え、隊士の名前や顔など覚えていなかった。やがて阿部は御陵衛士となって伊東甲子太郎らと共に新選組から分離した。しかし、新選組は伊東を七条油小路で暗殺し、仇討ちに近藤勇を襲撃した。その時の怨念は今も体に染み付いている。

 新選組は憎いが真純のことは――。阿部は自分自身がわからなくなった。

「綾部・・・真純。」

「阿部さん…」

 阿部は急に真純を見据え、すばやく真純の左腕を取り、引き寄せる。真純の細くて荒れた手を自分の頬に当て、目を閉じた。

「阿部・・・さん。あなたは一体―…」

 真純が左手を引こうとするが阿部は放さず、次の瞬間無理やり真純の唇を吸った。真純は抵抗するが阿部は真純の頭を抑え、なおも吸い続ける。真純は耐えかねて、拳で阿部の股間を叩き、逃げようとする。

「ま、待て・・・。」

 股間を押さえ、痛みをこらえながら阿部が声を振り絞る。

「そんなに土方の墓参りがしたいのなら、俺が連れて行ってやる。3の日没に五稜郭の裏門に来い。」

 それだけ聞いて真純は、足早に去った。

 真純は旅籠を出て歩きながら服で唇を拭いた。阿部の衝動的な行動を受け入れられなかった。阿部にどう応えていいかわからない自分がいまいましかった。



 真純はこのまま病院に戻る気になれず、港の方へと歩いていった。箱館戦争当時、旧幕軍兵士とともに新撰組が籠城した弁天台場が見える。真純は新撰組が最後まで抗戦した台場の跡地に足を向けた。

 「札幌か…。」

真純は阿部にどう返事すればいいか迷った。斎藤の未来…歴史を変えてしまう恐れがあったから、真純は斎藤のもとを去ったのだ。阿部ともかかわらない方がいい…彼のもためにも。

「でも、なんて阿部さんに言えば―」

 その時、遠くから真純の名を呼ぶ声が聞こえた。忘れもしないこの声は―。急に真純の心臓が激しく鼓動していた。

「斎藤さん!」

 阿部とあんなことがあった後なので、真純は斎藤に背を向けて自分の顔や髪を整えた。

「どうしたのだ、こんな所で。」

「それはこっちのせりふですよ!」

 斎藤は真純に言うべき言葉を探した。真純は斎藤がそばに立つと緊張のあまり顔をそらした。

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