第9話 旅立ち

 数日後、真純が庭で子供達に授業をしていると、やそがやってきた。やその弟たちも真純の話を聞きに来ていた。

「真純先生の話は、わくわくするって弟が言ってました。」

 授業を終えた真純にやそが話しかけた。子供達は、地面に枝で字を書いたり、駆け回ったりしている。

「子供たちが明るく元気な様子を見ると、ここの暮らしにも希望が持てますね。」

 真純はやその顔を見られず、はしゃいでいる子供達に目をやっていた。

「実は、真純さんに聞きたいことがあって。」

 いつか、やそと「その」話をしなければいけないと思っていた。

「縁談のことでしたら、その…やそさんと藤田さんならお似合いですよ。」

 真純は明るく振舞う。

「真純さんは以前、新選組にいた時に原直徹様との縁談があった聞いたのだけど、本当ですか?」

 思いがけない質問だった。

「えぇ、まぁ…。」

「原様が縁談を断ったそうだけど、本当は真純さんが断ったのではないかしら。」

「ど、どうしてですか?」

「真純さんのような魅力的な方だったら、原様がお断りするはずはないもの。」

「そんなことないですよ。私は家事も、礼儀作法もできてないし。」

 やそは首を振って否定する。

「真純さんはその頃から、藤田様を慕っていたのではないですか。だから原様との縁談を―」

 やそは、真純の気持ちに気づいている。暗に自分が斎藤と縁組していいか、真純に確かめている。だがらあえてこんな話をするのだ。

「あの時私は新選組のために働きたいと言って断りました。藤田さんは剣術の先生であり、新選組の頃からの同志、それだけです。」

 真純はきっぱり答えた。

(やそさんは、清楚で気品がある武家の娘。斎藤さんにふさわしいのはあなたです。)

 真純は夏の青空を見上げた。


 子供たちを見送ってから、真純は用事があり代官所へ行った。藩庁は田名部に移ったが、藩庁に勤務していた旧会津藩士がここで事務を執り行っている。その藩士達3~4人が議論していた。

「藩がなくなり、斗南県となるらしい。」

「藩が県になると、どうなるんだ?」

「何も変わらないだろう。」

「この斗南は七戸や黒石、弘前藩と1つになるって。」

「会津藩(斗南藩)の再興どころではない話だな。」

 などと話し込んでいる。

 真純ははっとした。これが昔習った「廃藩置県」だ。斗南藩というのはいつか青森県になるのだ。真純は時代の動きを感じた。これから先、少しずつ何かが変わっていく。自分も変わっていかなくてはならない気がした。

(できるだけ早くここからいなくなろう。斎藤さんの運命が変わらないうちに。)

 家路を歩きながら真純は決めていた。自分がいたら、斎藤とやその縁談は進展しない気がした。五戸の田んぼや川、遠くに見える山、みすぼらしい農家、目に見えるものが愛おしく感じた。

「真純さぁん!」

 後ろから走ってくる時尾の姿があった。

「今日は魚を食べられますよ。仕立てのお礼にと言ってわけていただいたの。」

 時尾が嬉しそうに魚が入った包みを真純に見せるが、真純は口を結んだままだ。

「何かあったの?いつも元気な真純さんの背中が、寂しそうでしたわ。」

 真純は声を発したら泣いてしまいそうだったので、ひと呼吸してから答えた。

「私・・・好きな人をあきらめなければいけなくて。時尾さんは今までそういう経験したこと、ありますか?・・・あ、私ったらそんな立ち入ったことを・・・すみません。」

 時尾は少し考え込んでから話し始めた。

「これは誰にも言ってないのだけど・・・私が以前、照姫様(容保の義姉)の祐筆をしていた時、とある身分の方と恋仲になりましたの。その方を私も心からお慕いしていましたが、その方には奥方様がおられました。側室にとも言われましたが、お断りしました。私、こう見えても嫉妬深くて、その方と奥方様が並んでいる姿を見る勇気がありませんでしたのよ。」

 いつも品行方正にしている時尾が恋する乙女の顔になっていた。側室というからには、相手はよほどの地位のある人物であることが想像できた。

「そのお方が江戸へ行くことになり、それきりとなりました。遠くからそのお方の息災をお祈りしているのがいいと、言い聞かせていました。」

「遠くから・・・。そうですよね。」

「でも、時々思うの。側室になっていたらとか、私も江戸に行けばよかったとか。」

「だから今もお独りなのですか。」

「そうねぇ・・・そうかもしれません。真純さんの思い人はいつも身近にいる方…ですよね。一緒に住んでいるのに思いがむくわれないなんて…さぞおつらいでしょう。」

 真純は時尾の優しい言葉に泣きたくなるのをこらえた。

「真純さん、思いがかなわなくても、遠くに行かないでくださいね。」

「時尾さん・・・そのことなんですが―」


 次の日の明け方、真純は斎藤よりも早起きしてそっと家を出て、五戸から東に進んだ。この先にあるのは海である。

 昨晩、真純は倉沢に五戸を出て行くと告げた。倉沢は真純の心情に理解を示しつつも、五戸に留まるように言ったが真純の心は決まっていた。倉沢はあきらめて、

「あんたはもともと会津の人間ではないから、脱走の罪に問われることもなかろう。今まで我々のためによく尽くしてくれた。」

 とねぎらい、金を握らせてくれた。

 時尾にだけは事情を話し、自分が時々見舞っていた患者のことを頼んだ。

「真純さんがいてくれた方がどんなに心強いか。」

「わがまま言って、ごめんなさい。」

 時尾には返す言葉がみつからなかった。

 真純は五戸の町を一望できる丘に登った。空がうっすら明るくなってきた。不毛の地と言われた斗南を、真純は嫌いではなかった。寒くて死にそうな時もあったけど、地元の人たちや会津から来た人達は暖かくてたくましくて助けられた。

 倉沢家と高木家の家族にはお礼の手紙を残してきたが、町で知り合った人たちにちゃんと挨拶もできず出てきてしまった。斎藤ともしばらく最小限の会話しかしなかった。斎藤とはこれが本当の別れになるだろう。

 背後にゆっくりとこちらに向かってくる人の気配があった。まぎれもなく、斎藤だった。

「そこで何をしている。」

「五戸の町を見ていました。見納めです。」

 真純はゆっくり丘を降りてきた。

「ここを出て行くというのか。何故だ。まさか、俺とやそ殿の縁談のためか。」

「はい。どうか、お幸せに。」

「俺は、あんたと共に生きると決めた。そのためなら、会津藩士の身分も刀も捨ててもいい。」

「何言ってるんですか!藤田五郎、そんな甘っちょろい考えは捨てなさい!」

 斎藤は一瞬、誰の声かわからず耳を疑った。真純が藤田五郎と呼んだのは初めててだった。

目の前の真純は、今まで自分を「斎藤さん」と呼んで慕っていた女子ではなく、同等の立場で意見する同志だった。

 京にいて真純の監視をするのが任務だった頃は、いつも彼女の背中を見ていた。不器用だが明るく前向きな彼女が鬱陶しかったこともあるが、いつの間にか斎藤の中に入り込んでいた。そして、戦場が江戸から会津に移った時、真純は危険を乗り超え、新選組を追いかけてきた。会津で別れた後も、真純は箱館から高田、江戸へ渡り斎藤を探し歩いた。

 斎藤が真純に惚れるのは、彼女と激動の時代を共にすごした歴史があるからではない。真純が誠を貫いているからだ。同志以上の感情を消すことは、斎藤にはできなかった。

「さようなら。」 

 真純は斎藤に背を向けて丘を駆け下りた。涙がとめどなくあふれてきた。斎藤はその場に立ち尽くしていた。

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