第8話 同志
「エングリッシュは、このAからZまでのアルファベットを使って表すのよ。例えばりんごはー」
真純が盛之輔や近所の子供達に英語を教えていた。簡単な挨拶を教えたり、外国の風習や文化についても話して聞かせた。
「倉沢さん、藤田さん、お帰りなさい。」
盛之輔が二人に気づき、皆で出迎えた。
「ほぉ、皆で勉強しているのか。」
倉沢が地面に書かれている文字を眺めていると、家の中から時尾や克子、民たちも出てきた。斎藤と倉沢が帰宅しただけで、真純は家の中が明るくなった気がした。
子供たちが帰っていくのを見送った真純は、倉沢に呼び止められた。
「エングリッシュとは、あの者たちにはちょいと難しいかもしれないなぁ。だがこの斗南から異国に渡って学問を修める者がいてもいい。そのために、いつかここで塾を開きたいものだ。田名部では日新館を再開しておった。あんたにもぜひ協力してほしい。」
「はい、その時はぜひ。」
倉沢は周囲に誰もいないことを確認してから、
「ところで、あんたは五郎の許嫁かね?」
真純は唐突の質問になんと答えていいかわからなかった。斎藤とは深い絆があると感じていたが、それは自分の一方的な思い込みかもしれなかった。しかも、斗南に来てから斎藤はそれらしい素振りを見せていない。もちろん、結婚の約束もしていない。
「許嫁では、ありません。」
「そうか…。実はな、五郎に縁談があってな。相手はあんたも知っているやそだ。」
真純は目の前が真っ暗になった。
(やそさんが、斎藤さんと結婚―)
「容保公も二人の縁談は申し分ないと仰せだ。」
「容保公も…。」
斎藤が忠誠を誓った松平容保の名を出されれば、真純になすすべはなかった。
「わしは、あんたらが新撰組の頃からの同志以上の間柄であることは承知しておる。だが、名家の篠田家の娘との縁談は、五郎にとってはいい話だ。」
この世はまだまだ古き時代。結婚には、自分たちの意思より家同士のつながりが第一なのだ。
「倉沢さん…縁談を進めてくださって私はかまいません。」
真純は目を閉じて、決意表明のように言った。
「五郎は、容保公に決めた女子がいるとあんたの名を言っておった。」
真純にはふと不安がよぎる。自分は所詮150年先の未来からタイムスリップしてきたよそ者。歴史上ではおそらく斎藤とやそは結婚しているのかもしれない。自分が現れたことでそれを変えてしまうことになる。そうすれば、150年先も変わってしまうのではないか。
(斎藤さんとやそさんがお似合いだったのは、やっぱり二人がそうなる運命だからなんだ・・・)
「斎…藤田さんはやそさんと一緒になるべきだと思います。」
「あんたも複雑だろうが、受け入れてくれ。あんたのことは悪いようにはせん。」
「・・・大丈夫です。私、山菜を採りに行ってきますね。」
しかし、真純は何も持たず飛び出していった。
(これが自然の成り行きなんだ。)
何もする気になれず、五戸川の土手に座り込み川の流れを見つめていた。
(そういえば、沖田さんもあの時、悩んでいたっけ…。)
昔、沖田総司は町医者の娘と付き合おうとしたが、武士ならば武家の娘と所帯を持つべきだと近藤に言われ、あきらめたのだ。斎藤も武家の娘と結婚した方がいい。
しばらく川の流れを見つめていると、
「真純!」
橋の上から名を呼んだのは斎藤だった。斎藤がゆっくりこちらに歩いてくる間、真純の心臓は激しく鼓動した。斎藤は何も言わず、真純の隣に座った。斎藤が自分の居場所であるかのように隣に来てくれるのが心地よかった。
「久しぶりだな、こうして二人でいるのは。」
「は、はい…。」
真純はちらっと斎藤の横顔を見る。
「倉沢殿か上田殿に、何か言われたか。」
真純はうなずき、
「そのことなんですが・・・やそさんと幸せになってください。」
「あんたは何を言っている。」
「その方が斎藤さんのためです。私は武士になろうと決意した身。あなたは私の剣術指南であり、新撰組の同志。それを忘れていました。私はこれからもあなたと同志でありたい。あなたはやそさんと一緒になって、立派な会津藩士になるべきです。」
「あんたは俺を見くびっているのか。俺が、倉沢さんや容保公の意向だからといって、あんたをあきらめると。俺は自分の信念であんたを守ると誓った。」
斎藤がまっすぐに真純を見つめる。できることなら、斎藤のそばにいたい、しかし…。
「斎藤さんはやそさんと縁組する運命なんです。でも、私が現れてしまったばかりに、斎藤さんは…。」
「だからどうだというのだ。」
「斎藤さんの未来が変わってしまいます。生まれてくるであろうお子さんが生まれなくなるかもしれません。」
「俺とやそ殿の子?なぜそのような話になる。」
「それは・・・。」
「俺は、あんたと生きることが運命だと思っている。俺はあんたを斗南に連れてきた。ここでの暮らしが耐えられぬのなら考える。あんたが俺を拒むのなら…諦める。だが、縁談を受けるつもりはない。」
「斎藤さんはあの時…仙台へ行かないで最後まで会津で戦いました。会津の人たちとのつながりを大事にされ、忠義を果たす決意をされた。それなら容保公も勧めているお相手と一緒になるべきです。それが武士にふさわしい行動じゃありませんか。」
「あんたを見捨て、会津藩士と認められるために、縁談を受けるのが武士らしいというのか?」
真純はだまってうなずく。斎藤はそれきり話をしなかった。
これでいい。真純はそう自分に言い聞かせた。斎藤がいつかわかってくれる日が来るだろうと。
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