秋の空は高すぎる 9
僕はそのまま近くにあったベンチに座らされると、ひやりとした杏奈さんの手がおでこに当てられる。そのままふらりとどこかへ消えると、すぐにペットボトルを持って戻ってきた。
杏奈さんは目の前でふたを開けると、僕にペットボトルを握らせて、そのまま僕は中身を飲み干していく。
「久仁さん、気分はいかがですか」
「特に、大丈夫ですが」
「では、日陰ですし、休憩にしましょう」
杏奈さんはそれきり僕の隣にぴったりとくっついてカードとにらめっこを始めた。僕はもう一口ペットボトルの中身を飲んだ。
隣の杏奈さんはメモ帳に何か書き記していて、僕が声をかける隙も与えなかった。
杏奈さんには無駄な時間を過ごさせてしまったことに気付いたのは、杏奈さんが昼の買い出しに行ってしまった後だった。「食欲はありますか?」と聞かれて、「まあ、はい」と適当な返事をしたところ、「動かないでくださいよ」と彼女に睨まれてしまったので、ベンチに座ったまま、何もできなかったのだ。おそらく僕が軽度の熱中症か何かになって動けなくなったのを察知して、ベンチに留まらざるを得ないと判断したのだ。
くそう、なんてことに……。僕はしばらく頭を抱えていた。
「もうやってられんわ!」
怒鳴り声がして僕は上体を起こした。目の前で男同士が胸倉のつかみ合いをしている。
「それでコントやってるつもりかいな。もっと真面目にやれえ!」
周囲の人が彼らからスッと離れ始める。残ったのは止めに入った数人の男女だった。「上演中止になりますから」とのっぽの人がなだめている。文化祭実行委員会の人が来るころには、男はパッとつかむ手を放してどかどかと大股で行ってしまった。
「久仁さんっ」
杏奈さんがこちらにかけてくる。僕は紙皿を持った彼女が転びそうで心配だった。
「僕は大丈夫です。……傍観者でしたし」
杏奈さんに聞かれたので軽く先ほどの喧騒を説明しておいた。
「へえ、探偵さんも呑気なものですなあ」
声をかけられたことに気付き、上体を起こす。目の前には血色の悪い若い男性2人組の姿があった。彼らは僕の隣にちゃっかり腰を下ろす。
「カードがあったんでしょ。それ、SNSでばっちり流れてますよ」
彼らはスマートフォンの画面を突き出して見せた。カードに書かれた文字情報がインターネット上で行き渡っていることをまざまざと見せつけられた。しかも一文字の間違いもない。
「探偵ともあろう方がこんなものに気付けないなんて全く」
僕が怪訝な目で見ていたからだろうか、彼らはスッと一冊の本を差し出してきた。『蜃気楼』というタイトルが目に入る。青海大学ミステリー研究会と下部に書いてあるので、おそらく部誌だろう。このサークルのメンバーということか。
「どういったご用件で?」
彼らは不気味な笑みを浮かべた。
「素人の考えたトリックなんて所詮その程度ということですよ」
彼らは噴き出すのをこらえるように片方がしゃべりだす。
「まずですね、小説の中で暗号カードが出てくるなら、まあほぼ犯人への手掛かりになるわけですよ。なぜかって読者はそれを期待して読んでいるわけですから。でもですよ、現実はそう律儀な人たちばかりとは限らないじゃないですか。捜査のかく乱、いたずら、むしゃくしゃしてやった、とにかくいろいろな可能性が考えられるわけですよ。それで僕らもこれを解いてみた。少数精鋭部隊でね。
結論から言って、これは暗号にすらなっていない」
勝手に向こうからペラペラ話しているのだから無視しても構わないはずだった。でも、思わず聞いてしまう。
「まずこの単語と数字を整理していきます」
もう1人の男性がノートをぐいと見せつける。
求人広告 6 ポ (ワンダーフォーリッジ)
金融 3 コ (SOUND LIFE)
ステルスマーケティング 5 オ (コンパス)
法人税 1 ポ (オーシャン)
エンゲル係数 7 ア (ポケット)
カードの内容だけでなく、どのサークルが被害に遭ったのかまで出回っているらしい。
「それでまずはこの数字の通りに並べ替えてみた」
ノートのページをめくって、また押し付けるように見せてくる。
ポ ほうじんぜい
?
コ きんゆう
?
オ すてるすまーけてぃんぐ
ポ きゅうじんこうこく
ア えんげるけいすう
「まったくもって意味不明」
そこは彼らの言う通りだ。
「今度は数字が単語の頭からの数と仮定して並べてみる」
ポ ほうじんぜい
? ?
コ きんゆう
? ?
オ すてるすまーけてぃんぐ
ポ きゅうじんこうこく
ア えんげるけいすう
「『ほ』『ゆ』『ま』『こ』『す』って2文字目と4文字目を入れても全く意味が通らない単語になるだけ。しかも数字の後から出てくるカタカナは全く意味をなしていない。ゆえに我々の結論としては、文化祭の日にバカ騒ぎをしたい連中が暇つぶしに作った、としか言いようがない。まったく時間を無駄にしたよ」
「ということで現実の探偵さん、まあせいぜい頑張ってくださいね」
不気味な笑い声とともに、2人組は去っていた。
「杏奈さん……」
僕が呼びかけると、杏奈さんは堂々と言った。
「まず、お昼にしましょう」
杏奈さんは買ってきたらしい品々を広げ始めた。
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