秋の空は高すぎる
秋の空は高すぎる 1
今日はすがすがしい晴れ空が広がった。
青海大学文化祭1日目。僕が所属する「ワンダーフォーリッジ」は普段はボーイスカウトなどの活動に参加し子どもたちの補助をするサークルである。大学祭では資金集めもあってワッフルの屋台を出すことになった。
ワッフルが焼ける甘い匂いが立ち込める中、「ワンダーフォーリッジ」のメンバーたちが笑いながら生地を作っている。
「
同じシフトとなった
「そ、そうですね……」
右隣のタピオカジュースはもう3人ほどに買われていったし、左隣のフランクフルトに屋台にも人だかりができている。僕も声をかけたいのはやまやまなのだが。
人がいない。
ワンダーフォーリッジが屋台を出す工学部の通りは、メインストリートではない。だから文学部や経済学部などがある通りの方が人が多い。それに、まだ午前10時に差し掛かるところ。木曜日ということもあって来場者の絶対数が少ないのである。
「ねえ、隣は来てるじゃん」
三橋さんが鬱憤交じりで言うので、僕も「ワッフルいかがですかー」と形だけは宣伝してみる。しかし閑古鳥なのは変わらない。
「そもそもひっさーとみっちゃんは接客に向いていなそうじゃん。やっぱ俺らと代わる?」
ミックスをこねていた
「あのねえ、私たちは検便受けてないから作れないっていうの分かって言ってる?」
多田君は「あ、そう」と逃げるように調理メンバーの方を向く。調理は検便を受けた人しか行うことができないという規定になっているので、文化祭直前までサークルに参加できなかった僕は調理班には入れなかったのだ。一方の三橋さんは海外留学で体調を崩したため調理班からは外されたという。
シフト交代まであと2時間。それまでに1個でも売れなければ何を言われるか分かったものではない。
「いらっしゃいませー」
「おいしいワッフルいかがですかー」
2人で呼びかけても人っ子一人現れない。諦めようとしたその時だった。
「あら? 久仁さんですよね」
その声に驚いて顔を上げた。前には小柄で童顔な女性が1人。
「
「お久しぶりです」
杏奈さんが会釈をしたので僕も頭を下げる。
「知り合い?」
三橋さんに聞かれて「はい」と答えた。
「お、佐伯のカノジョじゃん」
「本当だ、
調理班の多田君と
「ふーん、彼女なんていたんだ」
三橋さんは若干蔑むような目でこちらを見た。
「あれ、三橋さん知らないの? 小宮山ちゃんのこと」
寿哉が聞く。
「彼女がいたなんて知るわけないでしょ」
「いやいや、佐伯のカノジョっていうの抜きでこの子有名人だよ。青海大学に通いながらもかなりの名探偵」
「ふーん」
今度は杏奈さんの方を見て三橋さんは吐息をつく。
「そんなに知られているわけではありませんよ」と杏奈さんが言う。
「ねえねえ、ミスコンとか参加しちゃうの?」
多田君が身を乗り出して聞く。
「いえ。そういったイベントには無縁で」
「えー、もったいない。こんなにかわいい子が」
「あと佐伯のカノジョとしても」
そう言って多田君と寿哉が笑いあう。僕は「失礼な」と言ってむくれた。
「無駄話してないで仕事しなさいよ。お客さんに迷惑でしょ」
三橋さんが仏頂面で会話を遮る。
「で、あなたも買うの? 買わないの?」
三橋さんが聞くと、「せっかくなので頂いて行きましょう」と杏奈さんは財布を出した。
「いいんですか?」
杏奈さんには「おやつは1日1つまで」というルールがある。何のためのルールかは知らないが、とにかくずっと守り続けている。この場合、ワッフルを食べてしまえば他のスイーツ系の食べ物は食べられない。もしも他のサークルのものを食べたいと思っても明日以降になってしまうのだ。
「これは朝ごはんです」
「朝ごはん」
「ええ」
どうやらかなり遅めの朝ごはんという位置づけらしい。杏奈さんが納得してくれたのならワッフルを1つでも多く売りたい僕としてもありがたかった。
「トッピングはメープル、イチゴ、スイートポテトがありますが、どれにしますか?」
杏奈さんはメニューの写真をまじまじと見つめると、「ではスイートポテトで」と注文した。
「うおー!」と調理場が盛り上がる。
「単純ね」と三橋さんが言い捨てる。
僕は彼らをよそに、杏奈さんからワッフル代として200円を受け取った。
「でも佐伯、今回たまたまおすすめを頼んでもらえたからよかったものの、次からはちゃんと宣伝しなさいよ」
僕はびくっとして三橋さんの方を向いた。そうか、ワンダーフォーリッジのメンバーで考えたオリジナルの味がスイートポテトだったのか。僕はうっかり見落としていた。
「焼き上がりまでしばらくお待ちください」
三橋さんは杏奈さんにそう呼びかけた。ワッフルは焼くのに時間がかかる。今回は焼き立てを提供することにしたので、最初のお客さんには焼き上がりを待ってもらうしかなく、ある程度来てくれないと焼く時間を計算できない。三橋さんがお客さんに来てもらいたかったのもこういう理由なのだ。
「みっちゃん、ちょっと来て!」
多田君が呼ぶので、三橋さんが調理班の方へ向かった。
「どうしたの?」
僕も調理場の方へ入っていった。一応型にはワッフルの生地が流し込んであるが、焼けているような感じはしない。
「なんかスイッチが入らないんだよ」
「全く、電源は入っている?」
三橋さんが電気コードを確認しに奥に入る。
「もう一回やってみるか?」
そう言って寿哉が電源を入れた時だった。
プシュウ!
「みなさん調理器から離れてください!」
突然杏奈さんの声が聞こえた。その場にいた全員がサッと調理器具やコードから離れる。
ワッフルメーカーのプラグを差し込んだ延長コードから煙が出てきた。
「クソッ! ショートしあがった!」
多田君が地団太を踏む。
「大丈夫ですか!」
杏奈さんがいつの間にか僕たちの輪に入ってきていた。
「あ、こら久仁! お前は表にいなきゃ!」
寿哉の言葉で杏奈さんをほったらかしてきたことを思い出した。でも、緊急事態でここに入ってきてくれたことが今はありがたかった。
「今はどうですか?」
何であんたが、と言いたげな三橋さんを差し置いて僕は杏奈さんに道を通す。多田君も寿哉も異論はなさそうだった。
杏奈さんはウエストポーチからビニール手袋を取り出して嵌めた。杏奈さんは延長コードの様子を確認し、コードを指さした。
「ここを見てください。焼ききれています。どうやら元から傷ついていたみたいですね」
「そんな危ないものをオレたち使っていたんですか」
寿哉が聞く。杏奈さんは「あなた方が傷をつけたわけでなければそうですね」と答えた。
「文化祭実行委員はどうしようもないわね。そんなに危ない延長コードを貸すなんて」
三橋さんがカリカリしながら言った。ワッフルメーカーはワンダーフォーリッジが外部から借りたものだと聞いているが、延長コードは大学にあるものを文化祭実行委員が貸し出している。
「とにかく報告しなきゃ。多田と柳原は待機。佐伯は返金」
三橋さんはスマホを手にすると、電話を掛けた。多田君と寿哉は手つかずの生地をどうするか話しあっている。僕はお釣り用の小銭が入った缶から200円を取り出した。
「杏奈さん」
僕は杏奈さんに200円を差し出した。杏奈さんはくるりと僕の方を向くと、「ありがとうございます」と言って200円を受け取る。
「ワッフル焼けなくてすみません」
「いいんですよ。お金を返してもらいましたし。それよりも、これはこのサークルのものでしょうか?」
杏奈さんが1枚のカードを差し出した。
「これは?」
「延長コードに巻き込んでありました。久仁さんはご存知ないということですね」
「はい」
僕はカードを受け取る。杏奈さんが最初に見せてくれた面には、『求人広告』と書かれている。
「なんだそれ?」
「『求人広告』?」
興味が湧いたのか多田君と寿哉がカードを覗き込む。
「裏にも数字が書いてあります」
裏を返してみると、『6』『ポ』と書かれている。
「印刷された文字だな」
「何でこんなものが」
2人が首をかしげる。
「何してんの?」
連絡を終えたのか三橋さんもこちらに来た。僕は三橋さんにカードを手渡す。
「何? これ」
「延長コードに巻き込まれていたものです」
杏奈さんが再び説明する。3人とも心当たりはないようだ。
「なあ」
寿哉が呼びかける。
「何?」
「これ、調べてもらった方がよくない?」
僕たちは顔を見合わせた。
「何でよ」
三橋さんが呆れたような顔をする。
「カードが延長コードに巻き込まれていたってさ、どう考えたって誰かがわざとやったってことだよな? もしかしたらコードも誰かがあらかじめ傷をつけておいたのかもしれない。とすると、ここは探偵の小宮山ちゃんの出番ってことだ」
こう言って寿哉は杏奈さんの方を見た。
「オレも賛成! ショートするなんておかしいし、どうせ調べてもらうんなら小宮山ちゃんに調べてもらう方がワクワクするし」
多田君は浮足立っている。
「ちょっと待ってよ。大学の所有物が壊れたのよ? そんな気軽にこの人に頼めるわけないでしょ。何より会長たちに相談しなきゃ」
三橋さんが異議を唱える。
「久仁なら小宮山ちゃんに頼むよな?」
寿哉がこう聞くと、多田君と三橋さんがじっとこちらを見る。
「え、ええと、ちょっと待って」
「早く言いなさいよ」
「そうだそうだ」
2人に急かされる。僕は何とか言葉をつないだ。
「確かに大学のものだから大学、そして会長たちに相談しなきゃならないって言うのも分かるし、杏奈さんが頼りになるのも事実だよ。
でもさ、杏奈さんはどうなの?」
そう言って僕は杏奈さんの方を見た。
「私、ですか?」
「杏奈さんはこういったこともやるんですか?」
全員の視線が杏奈さんに集まる。
「確かにこうしたケースはまれです。そうですね。まずはその会長さんを待ちましょう。そのうえで、もしも調査をして欲しいというのであれば調査はします」
「本当!?」
多田君の顔がぱあっと明るくなる。
「ただし」
杏奈さんは付け加えた。
「私が行う調査は延長コードがショートした原因を突き止めることではありません。行うとしても誰がコードに傷をつけたのかを探すだけ。私の目的は、このカードが挟まれていた理由を突き止めることです」
その場にいた全員が予想外の答えに言葉を失っていた。
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