春の眠りは永遠に続く 2

 僕たちは詳しい話を署で聞くと言われたので、青海おうみ警察署の事務室で事情聴取されていた。

「で、何で君はこいつに見張りを頼んだんだね?」

 小宮山さんははきはきと答えた。

「彼に見張りを頼んだのは、彼が引き受けてくれたからです。本人は不本意だったのかもしれませんが、とにかく引き受けてくれました。なぜ見張りを頼んだのかと言いますと、犯人が裏から逃げてしまう、そう考えたからです」

「犯人が逃げるだと?」

「ええ。おそらく被害者は20号館の5階から転落したものと思われます。20号館の出入り口は被害者が倒れていた正面口と19号館をつなぐ裏口のみ。犯人が逃走すると考えればその2か所を見張っていれば目撃できるはずです」

 確かに、彼女の言う通り20号館には出入り口は2か所しかないし、渡り廊下もない。

「――なぜ5階から転落したと?」

「正面口側の窓で、開いているのは5階のみでした。また、被害者の様子から見て、そのくらいの高さから落ちたのだろう、と言うことは容易に想像ができます。あの建物には5階までしかありませんから」

 僕は素直に頷いた。あれだけの状況でよく見ていたものだ。

「犯人は既に逃げてしまったかもしれないじゃないか」

「いえ、私が脈を診た時はまだ体に熱がありましたし、死体硬直も起こっていませんでした」

「まさか君、死体に触ったのか?」

「はい。しかし、死亡が確認されるまでは一般市民も救護処置を行うべきでしょう? ただし、今回は息もなく、ほぼ即死だったようですが」

 風見警部補は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。一体警察の前でこれだけはっきりものが言えるとは、いったい彼女は何者なのだろう。僕は彼らを交互に見ていた。

「それで、何分くらいの間見張りをしていたのかね?」

「僕が彼女に見張りを頼まれてから警察が来るまでの間ずっとです。多分警察が来る5分くらい前に見張りを頼まれました。ですよね、小宮山さん?」

 小宮山さんはただ聞いている。

「ええと、小宮山さん?」

 僕はもう1回彼女に話しかけた。

「……ええ! そうでしたね。割合すぐに警察の方が来てくれたと思います」

 彼女は今頃自分が呼ばれていることに気付いたようだ。

「ああ、すみません。高校の時に海外にいたのでずっと名前の方で呼ばれておりまして……それ以前もあまり苗字で呼ばれることもなく……」

 小宮山さんは申し訳なさそうに僕の方を見つめる。僕は「いえいえ」と何となく否定した。

「では下の名前でお呼びしましょうか?」

 一瞬で空気が固まる。少しして僕は何てことを言っているんだ、と後悔した。初対面の女性に気軽にそんなことを聞いてしまって。

「ありがとうございます」

 彼女はニコニコと微笑んでいる。ああ、どうしよう。絶対に小宮山さん、とまた呼んでしまいそうだ。

「不躾ではありますが、私もファーストネームでお呼びしてよろしいでしょうか?」

 ファーストネーム。つまり下の名前だ。

「え、ええ」

 僕はまたから返事をしてしまった。

「では久仁さん、見張りの結果はどうでしたか?」

 彼女はすぐに僕の名前を呼んでいる。僕も適応できるようにしよう。僕は一旦息を整えた。

「はい。僕が見張っていたほうの正面口から出てくる人はいませんでした。見物人の方は、よく分からなくて……すみません……」

 僕は正面口の方は監視できたのだが、見物人の方までは気が回らなかった。もしかしたら完全に怪しい奴がいたのかもしれないけれど、今は何とも答えられない。僕は恐縮のあまり、うつむいてしまった。

「いえいえ、それだけの情報が得られれば充分です。当然のことながら警察はその場にいたすべての人、つまり久仁さんの言う見物人全員に事情聴取を行っているはずです。彼らからもその場から立ち去った人物などの情報が得られるわけですし、彼らの中に犯人と思しき人物がいれば、警察は彼または彼女をマークします。1人でできることは限られています。むしろこんな無理な頼みを引き受けてこなしてくれていただき、大変助かりました」

「あ、ありがとうございます、あ、杏奈さん……」

 漏れがあったのにこの人は僕に感謝してくれている。僕は彼女に目を合わせられなかった。

「おやおや、探偵の方が刑事よりもよっぽど職務を果たしているようですがね」

 気付くと事務室のドアは開かれた状態になっており、背の高い、がっちりした刑事が立っていた。

戸田とだ捜査一課長!」

 風見警部補は立ち上がる。戸田捜査一課長と呼ばれた人物は、こちらに歩み寄ってくる。杏奈さんが立ち上がったので、僕もそれにつられて立ち上がる。

「こんにちは」

「どうも、捜査一課の戸田です。お話はお父さんからよく聞いてるよ」

「ありがとうございます」

 そう言って杏奈さんは軽くお辞儀をした。

「どうだね、君なりの意見はあるかね?」

「戸田捜査一課長」と風見警部補は声をかけたが、戸田捜査一課長は全く気にしていないようだった。

「そうですね、私は裏口、そこにいる彼は正面口を見張っていて出入りした人物を見ていません。犯人がエレベーターを使ったとしても、私が見張りの位置に着くまでに5階から1階まで降りてこられるほどの時間はなかったと思われます。犯人がいるとしたら、警察が到着した時点でまだ20号館の中にいたはずです」

 杏奈さんはきっぱりそう言った。

「3,4階から転落したのならそうとも言えないんじゃないのかね?」

 風見警部補が腕を組んだ。

「それなら確かに逃げられた可能性もあります。しかし、そうなると確実に殺人事件ですね。あるいは証拠隠滅罪。飛び降りた人間は窓を閉めることはできませんから」

 風見警部補は「ぐぬぬ……」とうなった。戸田捜査一課長はふむふむと興味深そうにやり取りを眺めている。

 僕はぽかんと口を開けて見ていることしかできなかった。

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