春の眠りは永遠に続く 3
「ところで風見君、彼らが被害者の関係者と言うことは無いのかね?」
「か、彼らが?」
「ああ。同じ大学の学生だろう? 学部、学科、部活、サークル、アルバイト先、どこかしらで彼らと接点があるとは考えなかったのかね?」
戸田捜査一課長が風見警部補に指摘したことは最もだった。大学は人が多いようでいて、戸田捜査一課長が挙げたように学生が交流する場は多いので誰でも知り合う可能性がある。青海大学も学生数が1万は優に超えているが、結構学生同士の交流はあるはずだ。
「被害者は何という方なのですか?」
僕が聞くと、風見警部補が話し出した。
「やはり知らないようです。ならば被害者の個人情報ということで」
「いえ、私たちがあの状況下でわかるとしたら、青海大学の学生であること、女性であること、経済学部の方であろうということだけです。うつ伏せで血を流して倒れている方の顔を見るというのは、私はともかく、普通の大学生である久仁さんには精神的なハードルが高すぎます」
杏奈さんはきっぱりと説明した。
「どうして経済学部だと分かるんですか?」
僕は恐る恐る杏奈さんに聞いた。パッと見ても服装や肌から女性であることや学生であることは僕でも推測できたけれども、学部までは学生証をみなければ分からない。
「窓が開いていたところは経済学部の研究室だったと記憶しています。そこから落下したとなると、経済学部である可能性が高いです」
「そうなんですか」
「ええ。私は普段20号館には行かないので確信は持てませんが」
「その通り、被害者は経済学部だよ」
僕たちの会話に、戸田捜査一課長は頷く。風見警部補は被害者と思われる顔写真を僕たちに見えるように机に置き、苦い顔をして手帳の情報を読み上げた。
「被害者の名前は
何か彼女について知っていることは?」
杏奈さんは「特にありません」と答える。
「そういえば……生協で働いているのを見たことがあります。明るい感じの人でした」
いつもニコニコしながらレジを打っている人だ。僕はよく生協を利用するからアルバイトをしている人の顔も何となく覚えてくる。
「そういえば、この方、お菓子を陳列した山にぶつかって崩してしまった人かもしれません」
杏奈さんが写真を引き寄せる。
「そんなことあったんですか?」
「ええ。たしか昨日生協に行ったら、新商品のお菓子のタワーができていたんです。1つ取ろうとしたら、店員さんが山にぶつかってしまい、全部崩れてしまって。タワーは何とか元通りになりましたが、その店員さん、お菓子を積み上げてこちらに来た時も別の棚にぶつかってよろけたんです」
「その店員というのが彼女だっていうことですか」
「ええ」
改めて写真を見てみる。よく僕が買い物をしに行く時間にいる人だ。レジ打ちはかなり手さばきがよかった。
「それじゃあ生協でアルバイトしていると言うんだね? 裏はもちろんとるが、情報としては感謝する。
事情聴取としては以上だ。ご苦労様でした。後は大学に戻ってしっかり勉強したまえ」
「もう終わりかね?」
「学生から勉強時間を奪ってはいけないでしょう」
風見警部補がこう言うと、「君の言う通りだね」と戸田捜査一課長は少し残念そうに肩をすくめる。
「では、またの機会に。小宮山さんはお父さんによろしく」
それだけ言うと、戸田捜査一課長は部屋を出ていく。僕たちも即座に事務室から追い出された。
人生初の事情聴取。テレビドラマに映る人たちはどうしてあんなにすらすらと臆することなく有益な情報だけを伝えられるのだろう。
そして、僕の隣にいる人も。
「それでは久仁さん、謝礼の方ですが――」
「とんでもないです! そんなもの」
僕は彼女から飛びのいて一生懸命腕でバツ印を作る。杏奈さんだって探偵を名乗ってはいても何ももらったりはしていない。謝礼を受け取るなんてもってのほかだ。
「そうですか。では……」
そう言って杏奈さんはケースから小さな紙きれを取り出す。
「今後何かあれば、よろしくお願いします」
杏奈さんが取り出したのは名刺だった。きちんと『小宮山探偵事務所』と書いてあって、小さいながら電話番号とメールアドレスが載っている。
きちんと名刺入れを添えて名刺を差し出す杏奈さんの指の細さと滑らかさをじっと見つめ、感心し、内心慄きながらも、僕は杏奈さんから名刺を受けとった。
「あ、ありがとうございます。ええと、僕は何も……」
「大学生でも名刺を持っていると何かと便利とは聞きますが、なくても非常識だとは思いませんよ。きちんと名乗っていただければ、対応いたします」
「は、はあ……」
ここまでのことが1日で起こるのはどれほどの確立なのだろう。死後間もない遺体を見ることも、警察から事情聴取されることも、探偵を名乗る大学生と知り合いになることも……。
もう一生こんなことにはめぐり合わないだろう、と思った。できれば事件は起きてほしくないし、関わるのもごめんだと思った。でも……。
「それでは、また会うことがあれば」
警察署を出ていく彼女の顔を見ていると、不思議と彼女とまた会うことが嫌とは思わない自分がいた。
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