冬の墓標 4

 青海大学付近の老人の集まりは1つ、小平こだいら地区老人会という老人会があるだけだった。掲示板によると、毎月第3週目の水曜日に老人会のすべてのクラブの会員が集まるお楽しみ会が小平自治会館であるようだ。青海大学にも老人と触れ合うサークルがあり、こちらは主に老人ホームにいるお年寄りとお話ししたりレクリエーションを行ったりするサークルであった。杏奈さんにそのことをメールで伝えると、老人会のお楽しみ会の方に行きましょうか、と返信が来た。

 そしてお楽しみ会が開かれる今日、杏奈さんと2人で小平自治会館に出向いた。自治会館の前では1人の小柄な男性が立っていた。事前に老人会に伺ってもよろしいでしょうか、と電話をすると、いいですよ、と山崎さんという方から快く返事がもらえたので、彼が山崎さんなのかもしれない。

「おや、こんなにも若い方が。どうも山崎です。立ち話も何ですからさあさあ中に入って」

 僕たちは案内されるままに自治会館に上がった。中からは人の話し声が聞こえてくる。

「今日は老人会の総会を兼ねたお楽しみ会なので、人数が多いです。聞きたいことがあるというならちょうどよいと思いますよ」

「そうなんですか」と杏奈さんが相槌を打つ。

「老人会の皆さんが揃ったら戻ってきますので、それまでごゆっくりと」

 そう言って山崎さんはふすまを開ける。

「あらまあ」

「どうしたの、お嬢ちゃん達」

 広い座敷の部屋に入ると僕たちは好奇の目にさらされた。老人会にこんなに若い人は普通は来ない。特に杏奈さんは見た目が若いので高校生くらいに間違われるかもしれない。僕たちは多くのおばあさんたちに囲まれた。

「まあこんなきれいな手」

「ほらほらもっとこっちに来て」

「ねえ、どこから来たの?」

「年はいくつ?」

「20歳? まあ若い」

 おばあさんたちは自分たちの興味だけに喜んでいる。僕は杏奈さんをちらりと見た。一体どのタイミングで質問をするのか。

「そうだおいしいお菓子もあるから食べて」

 誰かがそう言うと、おばあさんたちはこぞって僕たちをちゃぶ台に招いた。目の前にはお茶の入った湯呑が置かれ、せんべいやクッキーが入った菓子盆が鎮座している。どうしたらいいものか。

「お気遣いはうれしいのですが、少々お話を伺ってもよろしいでしょうか」

 杏奈さんは菓子盆のせんべいに手を付けるとおばあさんたちにそう話しかけた。僕も居住まいを正す。

「何でも聞いていいわよ」とおばあさんたちが微笑んでいる。

「高田トキさんをご存知でしょうか」

 杏奈さんがそういうと、集会場がしんと静まった。

「高田さんって、つい最近事故で亡くなられた?」

「ええ」

 1人のお年寄りがそう聞くと、また静まり返った。

「お前さんたち、帰りなさい」

 1人の痩せたおじいさんがそう言う。

「話だけでも――」

「いいから帰れ!」

 おじいさんは杏奈さんに向かってそう怒鳴りつけた。周りの人たちはすっかり怯えている。

安原やすはらさん……」

 山崎さんがそのおじいさんをなだめている。安原さんと呼ばれたおじいさんは山崎さんの言葉に耳を貸そうとはしない。

「最近の若いもんはロクなのがいやしねえ。何だか知らねえがお前たちに話す用はねんだよコンニャロー」

「そうも言っていられませんよ、今日は高田さんの事故もあっての議題ですから」

 山崎さんが周りを見渡す。

「今日の議題は老人会で行う巡回パトロールです。最近は子どもたちだけではなくお年寄りの事故や事件も多いですから、パトロールの強化について話し合いをします。その前に、と言っては何でしょうが、この子たちの質問に答えてくれませんか」

 さっきのおじいさんは完全にへそを曲げてしまったようで、立ち上がってどこかへ行ってしまった。

「確か高田さんのお孫さんも事故に遭って死んじゃったのよねえ」

「本当に怖いわあ」

 おばあさんたちがそう話しているのを杏奈さんは聞き逃さなかった。

「それっていつの話ですか?」

「あれから10年は経つわねえ……。大学の近くの交差点で高田さんのお孫さんが車に轢かれたの。まだこんなだったからかわいくてかわいくて仕方なかったでしょうにねえ。それから高田さん随分陰気になっちゃって、何度誘っても自治会にも老人会にも顔を出さなくなって」

「旦那さんもその少し後に死んじゃったから」

「なかなか会えない娘夫婦とも折り合いが悪くて、孫と会えるだけが楽しいって言ってねえ」

「ほんとかわいい子だったわよねえ。いっつもお気に入りのぬいぐるみ持って『こんにちは』って」

 おばあさんはちゃぶ台と同じくらいの高さで頭をなでるしぐさをしている。きっとまだ幼かったのだろう。

 そしておばあさんは僕たちのことを見つめた。

「……どうかしましたか?」

「いや、ね、ちょうどその高田さんのお孫さん、生きていればあなたたちと同じくらいかもしれないわね」

 おばあさんの目にはうっすら涙が浮かんでいる。

「ありがとうございました。私からは以上です。

 久仁さん、もう行きましょうか」

 杏奈さんがそう言いだした。まだ何か聞かなくてもいいのか、と言いかけたが、杏奈さんはもう立ち上がっている。

「もうお話はよろしいですかね」

「ええ」

 山崎さんもそう思っていたようで、杏奈さんにそう尋ねた。

「そちらの方は?」

 今度は僕に聞く。杏奈さんが言うのならもうこれ以上居座る理由もなさそうだ。

「僕も、もう充分です」

「では、私が送っていきます。橋田さん、ここをお願いします」

 奥の方に座っていた快活そうなおじいさんが「はい」と立ち上がる。

 山崎さんは自治会館の出入り口までついてきてくれた。

「まあ、本日のことはお気になさらず」

「いえ、こちらこそ迷惑をかけてしまって。ありがとうございました」

 僕たち2人は揃ってお辞儀をする。

「これは私個人の話になりますが――」

 僕たちは顔を上げて、続きを待った。

「――高田さんにも、入っていただきたかったのです。事故でお孫さんを亡くされたのは、心痛む話でしょう。私にもかわいい孫がいますから、それは分かる話です。しかし、それなら私たちに加わって、パトロール運動などに参加してもらいたかった。高田さんはお孫さんの事故以来塞ぎこんでしまって、誰とも連絡を取らないまま、ずっと独りぼっちでいたようです。それで今回の事故です。もうこんな犠牲は出したくありませんから」

 山崎さんはうつむいていた。僕たちはもう一度お礼を言うと、逃げるように自治会館を後にした。

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