冬の墓標 3

 メールで指定された時間に事故のあった交差点に行くと、既に杏奈さんが待っていた。今日はさすがに雪は降ってはいなかったものの、霜が降りたせいか道路は凍っていて車の動きも鈍く、人の流れも事故当時とあまり変わらなかった。ただ、事故が起きたせいか皆ピリピリとした緊張感が漂い、声を上げて歩く小学生はおろか、登校班の列を乱すように歩く児童もいなかった。

「お待たせしてすみません」

「いえ、久仁さんは電車通学とのことなので私もそれに合わせてきただけです。

 忘れないうちに依頼書をお渡ししますね」

 そう言って杏奈さんはカバンから封筒を取り出し、両手で封筒を差し出した。

「拝見します」

 封筒の中身を確認する。中にはワープロ打ちされた正式な依頼書が入っていた。

 依頼人は佐伯久仁。調査内容は、1月○日に青海大学正門前の交差点で起きた交通事故の原因解明。

「ありがとうございます」

 そう言って僕は依頼書をカバンにしまった。

「では、現場検証を始めましょうか」

 杏奈さんが言い出す。僕はこくりと頷いた。

「事故当日、久仁さんは駅の方から大学の方に、左側の道を歩いていた」

 杏奈さんが指をさしながら言う。

「はい」

「おばあちゃんを見かけて声をかけようとしたら、右側から車が目の前に突っ込んできた。これは、車が交差点を左折しようとしたら、交差点よりも手前で曲がってしまった、ということでしょうか」

「そう、いうことでしょうね」

 杏奈さんは首を傾げていた。

「久仁さんは、事故直前の車の様子は見ていないということでしょうか?」

「はい、その時は全く……」

 僕はあの時おばあちゃんのことに気をとられていたので車の方はよく見ていなかったのだ。

「猛スピードで突っ込んできたのなら、直前にエンジン音をたてて走る車があったということにもなりますが、エンジン音等は聞いていませんか?」

「なかったと思います。というより、あの日は道路が凍結していて、エンジン音を立てるほどスピードを上げて走る車はなかったと思います」

「ということは、相当エンジン音の静かな車だったのでしょうね」

「いえ、結構古い車でした」

 事故を起こしたのは白いワゴン車だった。後から聞いた話によれば、結構古い車だったから整備不良も原因の1つではないか、とも言われている。

「では、久仁さんが音楽等を聞いて歩いていたということは?」

「いえ」

 ネックウォーマーで耳はある程度隠れていたものの、音は聞こえていた。僕の耳はエンジン音を聞き漏らすほど悪くはない。

「直前まではスピードを落として運転していたということでしょうか。となると、交差点に差し掛かる直前に速度を上げたということでしょうか」

「でもおかしいですね。僕が曲がろうとした信号が青になったばかりだったというのに。ワゴン車が走ってくる信号はとっくに赤になっていたはずです」

 それを聞いた杏奈さんは首を傾げた。

「それは確かなのでしょうか」

「はい」

 おばあちゃんがはねられる前の記憶は確かだ。それに、青信号でなければ渡ろうとも思わなかっただろう。

「久仁さんの言うことが事実なら疑問が湧いてきますね。赤信号だったのに交差点で速度を上げていたこと。そもそもこんな人通りの多いところで急加速したこと。

 ところで、事故に遭う直前、おばあちゃんはどこにいたのでしょうか?」

 とっさに聞かれて、「そこです」と僕はゴミ置き場を指さした。

「ちょうど今ゴミがある場所、ということですね」

「はい」

「どのような恰好を?」

「車道を正面にしてかがみこんでいました」

「事故当時、ゴミはありましたか?」

「いいえ、ありませんでした」

 僕の返答を待って杏奈さんはゴミ置き場に近寄る。僕もそばに寄ってみると、杏奈さんはゴミ置き場の看板を見ていた。

「確かに事故があった日はゴミ収集の日ではなかったようですね」

「そうなんですよね」

 そもそもおばあちゃんはゴミを出す気だったのかも怪しい、と言う話はしていたが、杏奈さんは一応、とゴミ置き場の看板をカメラで撮っていた。

「何してんの?」

「わあ!」

 いきなり声をかけられ、体がよろける。歩道から車道に転げそうになった僕をすぐさま杏奈さんが引っ張って起こしてくれた。

「大丈夫ですか、久仁さん」

「え、ええ」

 杏奈さんが引っ張ってくれなければ、今頃体が車道に投げ出されていたかもしれない。

「あんたたち危ないわねー」と声をかけたおばさんはため息をついた。

「で、何やってるの、あんたたち?」

 おばさんは明らかに疑いの目で僕たちを見ている。ゴミを漁っているとでも思ったのだろうか。

「すみません、ゴミ出しのルールをよく覚えていなかったもので」

 杏奈さんがそういうと、ちらっと僕の方を見た。合わせてくれ、と言っているのだ。僕も「すみません」と平謝りした。

「チラシ、配られていないの?」

 おばさんが言っているのはゴミ分別に関するチラシのことだろう。その地域に住むなら確かに町内会から配られているはずだ。

「間違って資源ごみとして出してしまって……教えていただけますか?」

 おばさんは「しょうがないねえ」と言って手に持ったゴミの袋を看板付近に置くと、ゴミ出しのルールを教えてくれた。

「燃えるゴミは月・水・金、資源ゴミは木、燃えないゴミは火、粗大ゴミは第2火曜、金属ゴミは第3木曜。資源ごみって言ったって結構分別しなけりゃならないし、そこは自分で調べてよ」

「分かりました」

 杏奈さんはポケットからメモ帳を取り出してメモをする。

「そして、1つ聞きたいことが――」

「何だね?」

「ぬいぐるみはどのように捨てるのですか?」

 杏奈さんがこう聞くと、おばさんは「ぬいぐるみ?」と聞き返した。

「大きさにもよるけど、燃えるごみの袋に入ればみんな燃えるゴミだよ。それともあれかい? お嬢さんの背くらいある――」

「いえ」

 そう言って杏奈さんはちらりと僕を見た。

「このくらいです」と、僕は手で直径30cmくらいの円を描いた。事故現場に転がっていたぬいぐるみがちょうどそのくらいの大きさなのだ。

「だったら燃えるゴミの袋に入れればいいだろう?

 そういえば毎年毎年この時期になると袋に入れられていないぬいぐるみがこのゴミ置き場に置いてあるって町内会の人たちが不気味がっているよ」

 僕たちはその一言を聞き逃さなかった。

「どんなぬいぐるみですか?」

「真っ白なウサギのぬいぐるみだよ。それで毎年毎年ここに置かれているのさ。しかもずーっとウサギ。熊でもなく犬でもなく人形でもなく、ウサギ。しかも白いの。袋に入れてなければゴミとして回収できないから持って帰ってくれって毎年言触れ回っているらしいけれど、この日が来てみるとどの年も置いてある。でも、誰が出したのかわからずじまい。要らないんだろうってことで空きのありそうな袋に詰めさせてもらっているらしいけどさ。そういや今年はまだ見たって聞かないね」

 僕たちは顔を見合わせた。

「何年くらい前からウサギのぬいぐるみがゴミとして出されるようになったのですか?」

 おばさんは一瞬黙った。

「んー、私が越してきて10年は経つけどその前から言われているみたいだね。

……あんたたち、何者?」

 再び疑いの目が向けられる。それには杏奈さんが答えた。

「先日、ここで交通事故が遭ったのをご存知ですか?」

「ああ。お年寄りが1人亡くなったんだろう?」

「ええ。実は目撃者の話では、事故の現場でそのお年寄りがぬいぐるみを持っていた、とのことですから、ちょっと気になってしまって」

「その話は初耳だねえ」

 おばさんはまだ疑わし気な目をしている。

「で、そのぬいぐるみを出していたのはそのお年寄りかもしれないってわけだ」

「はい」

「気になるんなら老人会で聞いてみなよ。年寄りのことは年寄りに聞くのが一番だよ。顔を出しているかもしれないし。私は行きたくないけどね。あそこの人たち口うるさくてかなわないから。場所と日時はどっか掲示板に貼ってあるはずだから自分たちで探して」

 そこまで言い切ると、おばさんはすたすたと歩いて行ってしまった。怪しい連中だと思われたかもしれないが、興味深い情報を得ることができた。

「杏奈さん、老人会に行ってみますか?」

「ええ」と杏奈さんは頷いた。

「では、老人会のある日時と場所が分かったらメールを下さい。後、お年寄りの方々と触れ合うサークルやボランティアも調べてメールに書いてください」

「僕、1人でですか?」

「申し訳ないのですが、それまでに私はやっておきたいことがあるので。とりあえず、2人での現場検証は終わりということでよろしいでしょうか?」

「え、まあ、はい……」

 おばあちゃんがどのように車にぶつかったのかとかは聞かなくていいのだろうか、とも思ったが、これは僕が知りたいことを調べるための調査だ。杏奈さんは僕が知りたいと思うこと――おばあちゃんがなぜ事故に遭ったのか――だけを調べている。警察が調べることは警察に任せるし、僕が知らなくてもいいと思うことは調べない。杏奈さんは探偵なのだ。

「お忙しい中、調査のご協力ありがとうございました」

 杏奈さんはペコリと頭を下げた。僕も慌てて「こちらこそありがとうございます」と頭を下げ返す。僕は助手であって、依頼人でもあるのだ。

「では、授業に遅れないように。頑張ってくださいね」

 杏奈さんはそのまますたすたと校門の方に向かう。時計を確認すると、1限の開始15分前になっていた。

「ありがとうございました!」と叫びながら、僕は教室へ走っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る