息もできない夏祭り
息もできない夏祭り 1
テストも終わり、大学も夏休みに入った。多くの学生たちはサークルやアルバイトに明け暮れる日々が始まる。
今日、僕はやっと追試が終わり、今は電車で祖母の家に向かっている。今日から帰省するというので、僕だけは大学から直接来るよう言われたのだ。だから1人で祖母の家に向かう予定だった。
「楽しみです、
僕のすぐ隣に座る
「は、はい」
まさか杏奈さんと一緒に行くことになるとは。僕は半ば夢のような心地でいた。
それは、彼女は大学生でありながら私立探偵でもあるからだ。彼女の元には時々依頼が舞い込んで、いともあっさりと解決してしまうらしい。
追試が終わった後僕はばったり杏奈さんに出くわした。彼女の方は今日がレポートの提出日だったらしい。「これからご予定はありますか」と世間話のように聞かれて「祖母の家がある
そんなこんなで今は電車に乗って僕の祖母の家の最寄り駅、
「あ、杏奈さん」
「はい」
「杏奈さんの食べてみたいかき氷とは、どんなものなんですか?」
杏奈さんは「ああ、そうですね」と自分のカバンからスマートフォンを取り出して画面を見せた。そこには『Ville natales』と書いてある。店の名前なのだろうけれど、なんと読むのか分からない。
「この”ヴィル・ナタル”というお店の梨のかき氷です。ふわふわの氷と旬の梨を使った濃厚な梨シロップに梨ジャム、そして梨の果実そのものをトッピングした、今話題のかき氷です」
杏奈さんは頬を紅潮させてかき氷のことを説明してくれた。杏奈さんは甘いものが好きなのだ。
「そんなお店があるんですか」
「2年前にオープンしたばかりだそうです」
ここ2年は受験と夏休みの集中講義のせいで帰省はできなかった。道理で知らないわけだ。
知っていたら杏奈さんに店を案内できるのに。そう思った瞬間、杏奈さんはスマートフォンをしまってこう言った。
「久仁さんも一緒に行きませんか?」
なんと杏奈さんからお誘いが来た。
「いいんですか?」
「もちろん。2人で行った方が楽しいですし、かき氷だけでなくアイス、パウンドケーキ、クッキーなど様々なものが売られているようですから、お気に召すものがあるのではないかと思いまして」
杏奈さんと2人で喫茶店に行く。こんなことがあってもいいのか、と僕は浮かれた気分で杏奈さんが座っている隣の席を見た。杏奈さんはいない。周りを見渡してみると、杏奈さんは席を立って男の腕を掴んでいた。
「何をしているのですか」
杏奈さんの腕の先には女性の腰に手を伸ばした男がいる。その女性は恐怖の色を浮かべて杏奈さんを見ていた。男は逃げようとする。
「待て――」
僕が言いかけた先に、逃げた男はキャップをかぶった男に腕を掴まれた。と思うと、キャップの男は逃げた男の体を投げて電車の床に打ち付けた。その衝撃で電車が大きく揺れる。
「駅員を呼んできてください」
杏奈さんにそう言われて僕は一番前の車両に移動する。駅員を連れて来ると、痴漢と被害者の女性は次の駅で降ろされた。
「よく見つけたな。流石杏奈」
キャップの男がこちらに近づいてきた。彼はキャップの鍔を軽く持ち上げて挨拶する。
「
杏奈さんは翼さん、と呼んだその男に近づいていく。
「怪我はありませんか?」
「大丈夫だ。それより杏奈が無事でよかった。ああいう奴らは何をしてくるかわからないからな」
翼さんという人はどうやら杏奈さんと仲がいいらしい。ムッとしながら僕は2人のやり取りを眺めていた。
「あ、そうそう、久仁さん。こちらは
杏奈さんは取り残されたのに気づいたように楠原に紹介された。杏奈さんは楠原にも僕のことを紹介している。
「初めまして。佐伯です」
「どうも。杏奈には世話になったからな。
しかし、この人信用に足るのか? 先ほども何もできなかったが」
楠原は初対面の僕に失礼ともとれる言葉を投げかけた。しかも先輩とは言え杏奈さんに馴れ馴れしいのではないか?
「日頃から注意して見ること、発見して対応ができること、少し難しい面はあると思います。私は、もう見たくありませんから……」
そう言う杏奈さんの顔が曇る。と同時に楠原の顔も曇っていく。そう言えば、さっきも2人はあんな暗い顔をしていた。
「楠原さんはどこへ行く途中なのですか?」
僕は思い切って聞いてみた。重い空気はいたたまれない。
「ん? 家に帰る途中だ」
僕はふうん、と面白みのない答えに何となく返事をした。
「そう言えば、翼さんの家は日稲市ですよね。久仁さんは祖母の実家へ帰省、私は日稲市にあるお店のかき氷をいただきに。ちょうど久仁さんのご実家とお店が近いようなので」
気まずい雰囲気を察したのか、杏奈さんがすかさず話題を提供する。今のはちょっと愛想がなさ過ぎたか。しかし楠原の方は杏奈さんの話に食いついてきた。
「まさかヴィル・ナタルか?」
「はい」
杏奈さんがこう答えると、「バイト先じゃないか」と楠原は言った。
「そうなんですか!」
杏奈さんは僕にかき氷のことを教えてくれた時以上に目を輝かせた。
「何なら案内する。かわいい後輩が店に来てくれることだし。ついでに家も近いから杏奈、遊びに来るか?」
「いいんですか!」
これはいいのだろうか、年は僕より上、だとしてもあどけない顔をした少女が男子大学生の家に遊びに行くなんてことがあっても。止めようとも思ったがあんなに嬉しそうな杏奈さんのことを見ているとそれも申し訳なくなってきた。
「僕も行きます」
「ダメだ」
楠原にぴしゃりと言われた。
「ではヴィル・ナタルまで一緒に行くのはどうでしょうか? 2人よりも3人の方が楽しいですし。それに久仁さんを長い時間拘束するわけにはいきません。ご実家の方に心配をおかけしてしまいます」
杏奈さんがこう提案する。楠原は少し考えた末、「店までな」と僕にきっぱり言った。
3人を乗せた電車はもうすぐ埠名駅に到着する。
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