5 現実を示す女子アナ

「……はっ!」


 気が付いた時、人気俳優の葉月レンの体は、自宅のベッドの中にありました。

 体中がたくさんの汗で濡れ、掛け布団や毛布も近くの床に吹っ飛ばされ、どんな夢を見続けていたのかを示すような様相を見せていました。そして、頭がまだ完全に目覚めずに呆然としたままの彼は、最愛の妻である葉月アンナが、普段通りのパジャマ姿でベッドの傍に寄り添っていた事に気づきました。


「良かった、目覚めたんだね……!」

「ん……目覚めた……あっ……」


 その言葉と共に、レンは少しづつ、先程までずっと見ていた極楽とも地獄ともつかない、今までで一番奇妙な夢の中身を思い出し始めました。普段なら夢の内容は少しづつ忘れるものですが、不思議な事に、容赦なく大量に現れ続ける女子アナ姿の自分の妻やあらゆる場所を埋め尽くしながら容赦なく押し寄せるインタビューの嵐を、彼は鮮明に覚えていました。それほどまで、あの『夢』は強烈だったのかもしれないと彼は思い、同時に現実の妻が安堵の表情を見せる理由も理解できた気がしました。


「……あちゃー、俺様としたことが、寝てる間に暴れちまったか……」

「ううん、大丈夫。でも心配になっちゃって……」


 落ち着きと余裕を少しづつ取り戻したレンは、心配するな、といつもの自身に満ちた笑顔をアンナに見せました。碌でもない夢のせいで夜の間ずっとうなされ続けたかもしれないが、もう目覚めたからにはそのような心配は無い、と。


 そして、むしろ謝るのは自分の方かもしれない、と彼は言いました。『夢』の中で、アンナはとても嬉しそうに大量に増えながら、アナウンサーやカメラマン、スタッフ、さらにはヘアメイクなどマスコミや芸能界を彩る様々な仕事に就いて自分をサポートしたり取材をしたりしていました。きっとそれは、自身が選択した事とは言え彼女をそれらの世界から追放させてしまった事への罰なのかもしれない、と彼は考えたのです。


「昨日も言ったけどよぉ、別に無理しないでもいいんだぜ」

「え、で、でも……」

「あまり抱え込んじまうと、大変な事になる。爆発しちまったら、何もかもおしまいだからな」

「う、うん……」


 ですが、ありがとう、と返すアンナの口調から、普段の元気な声は戻りきっていませんでした。

 きっとまだどこか心配事が残っているのだろう、と考えたレンは、今度こそ彼女を立ち直らせようと、今度はぼかさずはっきりと自分の意図を伝えました。今の世の中、芸能人と結婚したからと言って女子アナを軽蔑する奴なんて声のでかい僅かな連中しかいない、と。確かに仕事と家を両立する事は大変になるかもしれなが、それらもしっかり自分がサポートするから、安心して職場復帰をして欲しい、元気な姿をテレビの外から見たい――レンの口調は、アンナにプロポーズした時と同じく、真剣な目つきを伴うものでした。


「復帰……そうだよね、私、ずっと……」

「……ま、いきなりなのは無理だからさ、ゆっくり体を慣れさせようぜ。な?」


 レンの見せた明るい笑顔に合わせるかのように、アンナの顔にも、『夢』の中で見せたような笑顔が現れ始めていました。


 そして、そんな彼女を見て嬉しくなった彼は、ついこんな事を口に漏らしてしまいました。改めて思い返してみると、あの『夢』は本当に凄まじかった、と。

 その内容を尋ねられた彼は、覚えている限り自分が寝ている間に頭の中で再生された摩訶不思議な出来事を伝えました。町の中が全て全く同じ姿形の女子アナ・葉月アンナに埋め尽くされ、どこへ行っても自分に対してインタビューの嵐が飛び、カメラマンなどスタッフも皆アンナに変貌し、そして終いには、地上どころか空一面まで葉月アンナで覆い尽くされてしまった、と。


「いやー、確かに俺様ああいうの大好きだけどよぉ、実際は大変だなって……」

「『夢』、か……」

「そーそー。人によっちゃ悪夢かもしれねえけどさ、今の俺にとっちゃ楽園で……」






「「……『夢』なら良かったんだけどね」」



「……へ?」


 その瞬間、突然部屋の中にカット、と言う大きな声が響きました。ドラマの1シーンを撮り終わった後に響く声です。それが何故ここで聞こえたのか、と考える暇はレンに与えられませんでした。気づいた時彼がいたのは、自宅にある自分自身の部屋を模した『セット』の中。スポットライトを浴び、テレビカメラが向けられた、ドラマの撮影真っ最中のようなスタジオ内部だったのです。

 そして、ベッドの右にいるはずのパジャマ姿の葉月アンナとは別に、彼のベッドの横に、まるでテレビ局のスタッフが着るようなラフなジーンズやシャツを身につけたもう1人の葉月アンナが姿を現し、彼に向けて全く同じ言葉を言い始めました。


「……い、いや、これって……夢なんだろ?俺様の……」


 あの時と全く同じ構図が現れるこの状況、レンがきっとこれも『夢』だと解釈するのは当然かもしれません。ですがその言葉を述べた瞬間、レンの両方の頬に鈍くもはっきりとした痛みが走りました。彼の両隣に立った服装の異なる葉月アンナが、一斉にこれが『現実』であると言う証拠を見せ付けたのです。

 そして、次第にレンの表情からは笑顔が消え、夢――いえ、『夢』だとずっと考え続けていた空間で見せたものと同じ、愕然としたものに変わり始めてしまいました。


「……な、なんだよそれ……」


 そんな彼にスポットライトを向けたスタッフもまた、全員とも葉月アンナでした。

 自分の妻が何人も現れ、家かと思っていた場所が突然ドラマのセットに変わり、果てはそんな空間が夢でも何でもなく現実だと言う事態に、レンは完全に固まってしまいました。そんな彼の元に、監督が座る椅子から立ち上がった、メガホンを持ったアンナが近づきました。


「……こんなはずじゃなかった。大事な貴方を私のワガママに巻き込んじゃうなんて……」

「ま、巻き込む……?」


 彼女の言葉をオウム返しするしか、今のレンに出来る事はありませんでした。ですが、そんな彼女の表情もまた、先程までとは全く異なる、真剣ながらも悲しみに満ちた、一言で言い表すと『哀れ』なものになっていました。


「ずっと隠せるって思っていたけど」「やっぱり私が甘かった……」


「……ちょ、ちょっとタンマ……」


 レンが呆然としている間に、レンとアンナの部屋を模したセットの周りは哀れな表情のアンナに満ち溢れていました。まるで今までの不可思議な状況が自分たちのせいだと後悔しているように、彼には見え始めました。そして次第に彼の心に、そんな彼女を放置して自分だけ驚きっぱなしでいるにはいかない、と言う思いが湧き上がり始めました。ここではっきりと悲しんでいる理由を言ってくれなければ、彼女は勿論、自分自身も後々まで大きな遺恨が残ってしまう事となる、全ての真実をここで知らなければならない、と考えたのです。

 レンは静かに決意の頷きをした後、周りを取り囲んだ彼女たちに伝えました。全ての秘密を、ここで洗いざらい白状してもらいたい、と。


「「「「……分かった。これから私、本当の事しか言わない。信じてくれる?」」」」

「……信じるぜ。アンナの言葉だからな」

「「「「ありがとう……」」」」


 そして、葉月アンナは語り始めました。何故あのような不可思議な現象が起こったのか、何故自分たちが『セット』の中にいるのか、そして何故、彼女がかつて『嵐を呼ぶ女子・アンナ』と呼ばれるほど、様々な事件に遭遇し続けたのかを……。





「「「「……『時空改変』って、聞いたことある?」」」」

「え、じくう……かいへん……?なんじゃそりゃ?」

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