4 埋め尽くす女子アナ

「何だよ、何なんだよ……今日の俺様の夢はよぉ……」


 テレビ局の駐車場に車を停めた葉月レンは、辺りをもう一度見回し、改めて自分が投げ込まれた今の状況のおかしさに愕然としていました。


 彼は、自分が現在立っているのは夢の中だとずっと考え、信じ続けていました。家の中も街の中も、テレビもラジオも新聞も、至る所に自分の愛する妻が、女子アナ・葉月アンナの格好で埋め尽くし、夫に対して強烈な積極姿勢で取材を試み大量のマイクやカメラを向けてくると言う常識を逸脱した出来事を解釈するには、レンが今、夢の世界に留まっていると言う考えしかあり得ません。ところが、この楽園なのか悪夢なのか分からない世界から、彼はいつまで経っても目覚める事が無かったのです。


 そしてこの時も、彼の周りの駐車場は一面、レンとアンナの夫婦が所有する車と全く同じ車で埋め尽くされ、テレビ局の周りの道も、隙間がないほどにずらりとアンナの大群がぎっしり詰まっていました。数百、いえ数千もの笑顔が、レンを待ち伏せしているかのように並んでいたのです。

 車から降りることすら躊躇しそうな光景でしたが、それでも何とか普通に仕事をこなせば夢から覚めるのではないか、と何とか解決策を思いついたレンは勇気を振り絞り、大量にフラッシュが焚かれ次々と自分の妻のはきはきとした声が響く中を走り、テレビ局の中へと駆け込みました。



「あ、レンさんが今テレビ局の中に入りました!!」

「カメラさんそこです!!ご覧下さい、葉月レンさん、疾走しています!!」

「一体これからどこへ向かうのでしょうか!!」「私たちも追跡してみようと思います!!」「レンさん待ってください!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」「レンさーん!!」…


「ひ、ひいいいいい!!!」


 喧嘩も何もしていないのに自分の妻の大群に追い回されると言う異常事態の中、テレビ局の廊下を延々と走り回った末、レンの目にテレビ局のホールに隣接した楽屋のドアが見えてきました。そしてその中に彼は自分の名前が記された部屋を見つけました。明らかにとんでもない事が起こりそうな予感がする場所ですが、あの大量の熱気溢れすぎる女子アナの集団に呑み込まれてしまっては夢の中でも体が持つなど考えられません。一か八か、レンは楽屋の扉を開け――。


「「「「「「「「「あ、おはようございます♪♪」」」」」」」」」


「お、お、おはよう……」


 ――スタイリストやアシスタントなど、全てのスタッフと入れ替わったかのように、笑顔で彼を待ち構えていた何人もの葉月アンナの姿を目撃したのでした。勿論、服装はあのどこか自分のスタイルの良さをアピールするかのような女子アナ姿で。

 そして彼は抵抗するのを諦め、彼女たちのメイク作業に従う事にしました。夢の中と言う事もあるかもしれませんが、普段からレンの身だしなみに気を配る機会が多いだけに、彼女たちのプロ顔負けの技術に先程までの緊張もほぐれ、この妙な状況にも僅かながら慣れはじめていきました。このまま大量の自分の美しい妻に囲まれて美しい日々を過ごす夢も面白いんじゃないか、と。

 ですが、彼の傍にやってきた女子アナ姿の妻の一言でその朗らかな気持ちは一変してしまいました。


「…き、記者会見……?」


 ちょっと待て、今日の予定にそんな事態は無かったはずだ、と素の口調で答えてしまった彼ですが、アンナたちはお構い無しに言いました。


「あら、今日は記者会見の予定ですよ??」

「あそこにあるホールの前で発表するんですよ??」

「忘れたんですか、レンさん??」


 確かに夢の中だとこういった唐突な展開はありえるでしょう。ですがいつまで経ってもその夢から覚めず、しかもどんな記者会見かも頭に都合よく浮かばない状況と合っては、そのままぶっつけ本番で会見に臨む他ありません。完璧なヘアスタイルや衣装とは裏腹に、レンの心は凄まじい緊張感に満ち溢れていました。

 早く覚めろ、夢から覚めろ、と心の中で何度も呟きながら、いつの間にかマネージャーのように彼の傍についてくる何人もの自分の妻から目を反らしつつ、レンは廊下を歩き続けました。

 そして、記者会見場という立て札がかけられたホールの舞台裏に到着した彼は、ステージのライトが点灯し、『司会』と名乗るアンナの声が響く中で本番の舞台に上がりました。その瞬間、彼が見たものは――。


「……!??!??!??!」


 ――何百何千、何万何億、いえあまりにも多すぎて、ホールの端がどこにあるのかすら分からないほどに増えに増えて埋め尽くした女子アナ、葉月アンナの大群だったのです!


「レンさん、おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」おはようございます!!」…


 そして、カメラを背負った彼女たちは次々にそのレンズを俳優・葉月レンに向け、一斉に大量のフラッシュが焚かれるのと同時にマイクを持った彼女が凄まじい勢いでステージの近くに寄り集まり、彼に対して次々に質問を投げかけ始めました。

 事態が理解できず、無言のまま立ちすくむ彼などお構い無し、大量の妻は女子アナ時代そのままに容赦なく、真実を語ってもらうべく押しかけてきたのです。


「レンさん、今日のご予定は!!」「今日のお昼ご飯はどこで食べるつもりですか!!」「奥さんの悩みの一件は!!」「つぶアンパン派ですかこしアンパン派ですか??」「レンさん、生麦生米生卵って10回言えますか!!」「レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」レンさん!!」…


「……うわあああああああ!!!!」


 とうとう彼の心は限界を迎えてしまいました。まるでゾンビ映画のゾンビの如く、ステージにまでよじ登り始めた無数の彼女たちを押しのけ、レンはテレビ局から逃げ出そうと駆け出したのです。

 いい加減早く覚めろ、とにかく夢から覚めろ、そう必死に呟き、体中から冷や汗をにじませながら、彼は必死に逃げ続けました。あちこちから次々に自分を呼ぶ声が響き、テレビ局のあちこちにあるスピーカーからもホールに戻るようにと言うアンナの声が何度も何度もエコーのように聞こえました。しかし彼にはもうそれに従う意志はありませんでした。これは悪夢だ、妻を心配するあまり現れてしまった恐ろしい世界だ、だから早く逃げ出さなければいけない――いくつもの階段を潜り抜け、長い廊下を走りぬけた末、とうとう彼はテレビ局から外へ抜け出すことが出来る扉に辿り着きました。

 大きなガラスにひびが入ることも恐れず、レンは乱暴に扉を開きました。そして、そのまま固まりました。


「……ははははは……」


 彼の目の前に広がっていたのは、全てが同一の存在によって埋め尽くされた世界の様子でした。


「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」…


 そこにはビルも道路も道も無く、あらゆる場所が笑顔の葉月アンナ――レンの妻にして元女子アナがぎっしりと埋め尽くしていました。テレビカメラやデジタルカメラ、そして大量のマイクが一斉に彼のほうに向かれ、もはやこの世界は自分たちに支配されたも同然だと言わんばかりに、レンの逃げ場を完全に塞いでいたのです。

 そして、上の方から聞こえた声に目を向けた彼は、アンナに支配されたのは地上だけではない、と言う事を思い知らされました。雲ひとつ無い上天気の空は、ミニスカートの女子アナの姿のまま空中に浮かぶ、何万何億何兆、いえそれ以上の数に膨れ上がったであろう葉月アンナが、遥か彼方まで空を覆いつくしながら笑顔を見せる空間に変貌していたのです。


「うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」うふふ♪♪」…



 360度、上下左右前後、あらゆる場所から無限に響き渡る最愛の妻・葉月アンナの微笑みの声に包まれながら、レンはこの『悪夢』からようやく逃げる術を見つけたかのように、静かに意識を失っていきました……。

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