3 増え続ける女子アナ

「葉月アンナさん、今日の自慢の一品は??」

「ご覧下さい、これが夫の葉月レンさんが選んだ自慢の茶碗です!!」

「流石ですね、この食べっぷり!!」

「いかがでしょう、この味の感想は??」


「……は、ははは……」


 俳優の葉月レンにとって、最愛の妻と共に暮らすようになってからこれほど落ち着かず混乱に満ちた朝食は初めてでした。

 考えようによっては、今の状況は彼にとっては楽園とも言い換える事が出来誰かもしれません。塞ぎ込んで元気が無かった愛する妻に元の笑顔や積極さが戻った上に、テレビカメラやデジタルカメラ、マイクなどを携えながら数十人にも増えて彼や妻自身を取り囲んでいるのですから。

 ですが、そもそも同じ人間が同時に、しかも何十人も存在すると言う事態など、現実で起きるはずはありません。さらに、彼女たちは皆既に引退したはずの女子アナの格好をしていたり、何故かカメラや機材を抱えていたりと、常識を逸脱した荒唐無稽すぎる様相になっていたのです。


「今日も美味しく朝ご飯を作る事が出来ました♪」

「「そうですかー、流石イケメン俳優の奥さんですね♪♪」」


 そんな彼とは対照的に、大量に存在する女子アナの自分自身にインタビューされても全く動じず、にこやかに答えているエプロン姿のアンナを見て、レンは自分の中で結論づけました。やはりこれは現実に限りなく近い夢でしかない、と。そして、その思いを抱いた彼は急に自信のようなものが湧き上がってきました。それが単なるヤケクソになった証だと気づかないまま。


「い、いやー、美味しいですよ?何せぼ、僕の妻ですから!」


 大量の妻やカメラの前で、レンはテレビで見せる爽やかな感じの雰囲気を出そうとしました。ですが、やはり言葉は固く、額には冷や汗が流れていました。幾ら夢でも無茶苦茶過ぎる、と言う思いは拭えなかったのです。

 そして彼は、ごちそうさまの挨拶もたけなわに急いで部屋を抜け出し、今日の職場であるテレビ局へ向かう準備を始めました。スケジュール通りでは、人気俳優・葉月レンの仕事が始まるのは数時間後、もっと家でのんびり出来るはずでしたが、今の彼にそんな余裕はありませんでした。いつまで経っても夢から覚めない以上、この無茶苦茶な空間から早く抜け出さないと身が持ちそうに無い、と考えたのです。

 ですがそれでも女子アナの姿のアンナの容赦ない取材は留まる事を知りませんでした。流石にトイレや更衣室には現れませんでしたが、それ以外の場所には次々にマイクを持った彼女が新たに現れ続け、様々な機材を持ったアンナと共に最愛の旦那にインタビューをしようとしたのです。


「レンさん、今日の服装の意図は!?」

「もう少し家で寛いでも良いと思いますが…??」

「レンさん、今日の靴も格好良いですね!!」


 次々に笑顔で質問攻めにする自分の妻を、ありがとう、そうだね、と苦笑いをしながらレンはやり過ごし続けました。こんなおかしな状況に付き合っていたら大変だ、と考えた結果の行動でした。この場さえ無事にやり過ごせば、外から逃げ出していつでも夢から覚める事が出来る、と。

 そして、家の中が女子アナ姿の葉月アンナに埋め尽くされていく中、革靴を履いたレンは挨拶と共に乱暴にドアを開けました。その瞬間、彼の目に飛び込んだのは大量のカメラのフラッシュと――。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「おはようございます!!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」


――家の中よりも遥かに数を増した、何百人もの女子アナ・葉月アンナが笑顔で待ち構えている光景でした。


「ひ、ひいいいいいっ!」


 悲鳴をあげながら、レンは大慌てで自分の車が待つガレージへと駆け込みました。彼に向けて次々にフラッシュが焚かれ、大量の妻がにこやかにマイクを向け続けても、彼はそれに答える事は出来ませんでした。


「あ、レンさんが車に乗り込みました!!」「今から職場に向かうようです!!」「非常に怯えた様子で私たちを見つめております!!」「あ、レンさんが車を発進させました!!」「レンさん待って下さい!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」「レンさん!!」…



「ま、待てる訳ねぇだろうが…」


 幾ら夢の中でも、あんな面々に巻き込まれてたまるか。必死に自分の所有する自動車を走らせながら、レンは独り言を言いました。幸い、車の中にその独り言を聞いてその真意を追求する女子アナは乗り込んでいませんでした。

 しかし、その車の外の様子は、レンが知る『現実』の光景とは大きく異なっていました。

 この一帯の朝の時間を車で走れば、閑静な住宅街とはいえ道行く人やすれ違う自動車やゴミ収集車と出会います。それに街の中心部に来ると、たくさんの人や車が行き交う賑やかな朝の都会が味わえるはずでした。ところが、いくら車を飛ばしても、先程まで辺りを埋め尽くしていた女子アナ姿の妻の大群も含め、まるでもぬけの殻のように人も車も消え失せていたのです。


「お、おいおい…」


 どこまで言っても広がるのは、風も吹かず人もいない無音の街並みばかり。こんな夢を見るなんて、やっぱり自分は疲れているのか。そう考えた彼は、恐怖から逃れるようにラジオのスイッチを入れました。

 普段はテンションを上げるためにラジオを聴いて車を駆けるレンでしたが、今回は真逆の心理だったようです。ところが、ラジオから流れてきたのは――。


『それでは、渋滞情報をお知らせします♪♪』

「…!!」


――道路の交通情報を担当する職務にはいないはずの、元女子アナにして自分の妻、葉月アンナの声だったのです。

 あまりの驚きに、レンは道のど真ん中で急ブレーキをかけてしまいました。そしてその瞬間、無人だったはずの街の様子が一変しました。


『都市道128号線、凸凹でこぼこ交差点から2000キロの渋滞……』


 ラジオから近くの交差点を指す奇妙な渋滞情報が放送された途端、何も無かった近くの道路が大量の自動車によって埋め尽くされてしまいました。しかも、その車はどれもナンバープレートも塗装も何もかも、レンが運転するスポーツカーと同一だったのです。

 そして、目を見開いて驚く彼の目に飛び込んだのは、車を笑顔で運転し、こちらに手を振る女子アナ姿の葉月アンナの大群でした!


「な、なんじゃこりゃあああ!?」


 レンが驚いた瞬間、彼が道の真ん中に停めていた車の両側から突然眩しい光が飛び込んで来ました。非常に見覚えがある光に感じた嫌な予感は、見事に的中してしまいました。誰もいなかったはずの歩道は、一瞬にして葉月レンを撮影するカメラクルーや記者、彼にインタビューを試みようとする女子アナ、いえ――。


「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」「レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」レンさん♪♪」…


――大量に増えに増えまくった、葉月アンナで埋め尽くされていたのです。


「しゅ、取材拒否だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 大量の女子アナに呑み込まれる街の中、レンは必死にテレビ局へ向けて進み続けました……。

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