悲想

 虫籠に飼っていたカブトムシが死んだ。それが、僕が覚えている一番最初の泣いた記憶。

 それからは、家族で海に行って溺れかけた時や、友達と喧嘩して負けた時だったり、いろんなことで僕は泣いた。


 泣いてばかりいるな。いつの頃だったか、誰かにそう怒られた。前に進めと、そう急かされた。

 スイミングスクールに通って、水泳を身につけた。喧嘩をするたびに、痛みには慣れた。そうして、次第に泣くことはなくなった。


 最後に泣いたのはいつだったろう。

 確か彼女と別れた時だ。婚約までしていて、だけどお互い傷つけ合うことが増えて……そうだ、心の痛みに僕は泣いた。彼女がいなくなった、その喪失に僕は泣いた。


 それからは、夜が来るのが恐い日々だった。眠るのが苦しい日々だった。

 また太陽が昇ってくるから。

 つらい明日がやってくるから。

 くるまった布団の中で、静寂が僕を責めたてた。


 それでも、泣くことはなかった。涙は出なかった。

 枯れてしまって。冷めてしまって。

 だから、それからの僕は……。


 遠いところで、無差別殺人事件があった。遺族の泣いている姿がテレビに映った。

 悲しいことなのに、涙は出なかった。仕事に行かなければならなかったから。べつに珍しくない、よくあることだって。


 道端でたくさんの足に踏みつけられた花が、千切れた花弁を開かせてそれでも咲いている。

 蜘蛛の巣に捕まった蝶々が、その翅を食べられながらそれでも抗っている。


 強くなければ、生きていけない。

 強くならざるをえない、この世界が嫌いだ。

 弱いことは悪いことじゃない。泣くことは悪いことじゃないはずだ。

 僕は叫ぶ。


 前に進むことが、必ずしも正しいとは思えない。


 僕は、この世界が嫌いだ。

 だからこそ抗いたい。


 あなたが消えたら、悲しむ人間でありたい。ちゃんと立ち止まって、悲しむ人間でありたい。

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