第3話「回避行動」
それは突然だった。
高校1年生の終わりの頃、何気ないプレゼンテーションの発表中、声が思うように出せなかった。
その時は、自分でもあまり意識せず「あれ?珍しく緊張でもしてるのかな?」位に思っていた。
特に気にもとめず「まぁ、そんな日もあるのかな。」位の認識。
だが、不思議なことに、本読みの授業や自己紹介の場面でも声が上手く出せない。いきなり震えたり、力んだようになったり、声を楽に自然に発することが難しいのだ。
「あれー?いつも通り声が出せないな。」
と違和感を感じてはいたのだが、この時もあまり深く考えてはいなかった。
決定的に「おかしい」という認識が芽生えたのは、それから2ヶ月位経過した頃のことだ。
初めて声の不調を感じた日から、現在に至る全ての発表の場面で、声が上手く出せないことに気付いたのだ。
(なんでだろう?声をうまくコントロールできない)
この頃から、授業中の本読み、発表など、人前で声を出すことに対し、徐々に緊張するようになっていった。
その感覚はおさまるばかりか、どんどん自分の中で大きくなり、人前での言動、時には、人前にただ居ることにさえも、強い恐怖と緊張、苦痛を感じるようになっていったのだ。
(恥をかくのではないか?また声が出ないのではないか?)
人前で発表している場面を想像しただけで、冷や汗が出て、夜もロクに眠れない。
(どうしようどうしよう)
(今日はどうやって避けようか)
(どうやれば、上手くごまかすことができるのだろうか)
次第に、そんなことを考えるようになった。
そこから自分の生活が一変した。
まずはじめに、心が一時も安まらなくなった。
毎日感じる強い不安感。
授業中も、放課後も、自宅にいる時もずっと声の事を考えていた。
友人たちが日常会話で盛り上がっている時も、進学や就職の事で悩んでいる時も、私は声の事を考えていた。
この頃になると、あらかじめ予定される「日直」や「発表」、「本読み」がある授業、「歌のテスト」など、少しでも自分に注目が集まるような場面を、過剰に避けるようになった。
回避行動による「欠席」「早退」「保健室での時間」が多くなり、いつ指されるか分からない恐怖心から、全く授業に集中できなくなった。
常に先生の一挙一動に怯えながら授業を受けていた。
恐怖感や不安感が常に自分の心を乱し、激しい動悸が繰り返されるのだ。
1日が終わっても、また明日から始まってしまう。
翌日のことを考えれば考えるほど、眠ることができずに、一睡もせずに学校へ行くことも度々あった。
当然、成績もどんどん下がって行った。
声の事ばかり考えてるもんだから、当然ながら他の事がおろそかになっていき、周りからはきっとやる気がない、中途半端なヤツと思われていたのではないだろうか。
表向きはずっと普通にしていたが、内面では毎日そんな不安に振り回されていた。
私は誰にも本気で相談しなかったし、出来なかった。
それまでの自分のイメージとあまりにもかけ離れた悩みを、人に知られるのが、怖くてたまらなかったのだ。
情けなくて、みじめで、たまらなく恥ずかしかった。
皆が当たり前にできることが、私にはこんなにも難しい。
このようなことで悩んでいるなんて、とてもじゃないが、恥ずかしくて言えなかった。
しかし、学生時代にあって、人前を避け続けることは不可能である。
そんな時は、声を出すという過剰な意識を軽減させようと、ありとあらゆる行動をとった。
授業中当てられてもふざけながら発言したり、
わざと不眠状態で授業を受けたり、
父のビールを隠し飲んで緊張をほぐそうとしたり、
コンタクトをつけずにいったり、
…
まあこんなくだらないことでも真剣に、過剰に意識化した不安を軽減させようと努力してた訳だ。
「普通の人間」を演じたくて、必死でもがいていた。
しかし、恐怖感を誤魔化すための様々な手段も、疲労感と虚しさだけが募った。
「普通の人が当たり前にできることが、どうしてできないのか?」
自分のことを毎日否定し、毎日責めていた。
考えないように意識していても、声を出す生活から逃れられない以上、自分の不安感が消えることはなかった。
私の精神は常にギリギリの状態。
演技と知恵をフル活用して、その状況を悟られないことばかりに神経をすり減らしていたのだから当然だ。
その場しのぎの連続で、何とか周囲にもバレずに今までやってきたが、無意識下では「このままではやばいな」と感じていたと思う。
「生きづらい人生になってしまったのかも…なんでどうしてこんなことに…」とよく思っていた。
私は勇気を出して、心療内科を受診することにした。
「いかに周囲に悟られないか」「その場面を避けるか」が、人生の最重要課題になってしまった状況を、何とかして良い方向へもっていきたかった。
本来なら、将来への希望に胸をときめかせる時期に、なぜこんなにも神経をすり減らし生きていかなければならないのか。
どんどん溜まる疲労感。守りの姿勢、逃げの姿勢、避ける姿勢の自分に、常に嫌悪感を感じながら、この先も生きていくなんて絶対に嫌だった。
先生は優しくカウンセリングしてくれたが、本当の意味で心が晴れることはなかった。
だが、処方された「向精神薬」の存在がどれだけ心強く、有難かったか。
目立った効果はなかったので、意味がないといえばそれまでだが、薬があるという状況だけで、気持ちが少し落ち着くのを感じた。
抜け道のない暗いトンネルの中で、唯一の救い。味方。そんな風に感じていたように思う。
そんな私の心を知らず、母は私が向精神薬を服用することを嫌がっていた。
「あなたは精神病なんかじゃないんだから。思い込みがすぎるだけ」
「薬に依存したらダメだよ。元気になったしもう病院は良いんじゃない?」
今だったら母の心配する気持ちを素直に理解することができるのだが、当時の私は、自分に対する無理解をつきつけられた気がしてならなくて、孤独感が一気に押し寄せてきた。
「じゃあ誰がこの苦しさから私を救ってくれるの?」
「薬を飲むことでギリギリの精神を保って日常を送っているのに唯一の救いを取り上げるのが本当に私のためなの?」
「周りの人への体裁のためじゃないの?」
「心療内科に自分の娘が通っているという事実を認めたくないだけじゃないの?」
「私だって、こんな薬飲みたくない」
様々な思いが入り乱れ、とても大切な友達、とても大切な家族にすら気持ちを分かってもらえない辛さ…。無性にやりきれない思いでいっぱいだった。
学校では相変わらず、悩みなんかない様な素振りを続けていた。
時には友達の相談にのり、励ましたりもしていたが、(そんなのいいじゃないか。私なんて…)と心の中は汚い感情でいっぱいだった。
そんな自分がどんどん嫌いになった。
今思うと、あの頃の自分は、きっと周りの人に気づいて欲しくてたまらなかったのだろうと思う。
気づいて欲しいから、気づく。助けて欲しいから、助ける。悩みをきいて欲しいから、人一番真剣に相談にのっていた。
でも、私の孤独に本当の意味で気づいてくれる人はいなかった。
「絶対に知られたくない!」という思いとは裏腹に、心では誰かにすがりつきたくて仕方がなかったのだ。
いつからか心療内科へも行かなくなった。
「理解して貰うことはこんなに大変なことなんだ」という事実が、思いの外わたしの心に突き刺さり、もう何もしたくなくなったのだ。
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