第1章 -1-

 週末、俺は馴染みのバーで仲良くなったケイトって娘とデートの約束を取り付けていて、彼女にはだいぶ期待を寄せていたから、こうして訪れた当日に、ニューヨークから何万キロも離れた東欧のド田舎の山の中で、おんぼろジープを走らせているという現状は、まあ控え目に言って悲劇以外の何物でもなかった。

 ケイトを抱いていたはずの腕にあるのは、運転をするのに、死ぬほど邪魔なアタッシュケース。後部座席でうさぎのぬいぐるみ型のリュックサックと並んで座る同伴者は、女は女でも色気という言葉とは程遠い日本人のティーンエイジャー、霧咲レナだった。

 夢ならいいな、と思う。この現状は、俺の脳細胞が創り出した幻で、ふっと目を覚ますと半裸のケイトが耳元でこうささやいてくれる。

「うさちゃんパーンチ」

 いや違うこれはケイトのささやきではなくて、ぬいぐるみで俺の頭を小突いてきたレナの言葉。

「ちょっとジャック。聞いてる? 運転中にボーッとしてちゃだめだよー」

 ――くそ、やはりこれが現実なのか。人生ってつらいもんだ。

「……へいへい。で、なんだっけ?」

「だからさ……小さい頃はずっとヨーロッパに憧れててさ」

 レナが言う。正確には言い続ける。彼女はこの小一時間ほど、ずっと途切れることなく言葉を連ねていた。

「なんでって、つまりディズニー映画が好きだったからなんだ。白雪姫、シンデレラ、アリエルにベル、まあディズニープリンセスよね。女の子だもの。当たり前に好きだった。で、ディズニーの世界ってヨーロッパっぽいじゃない? アメリカって感じじゃないよね? そうでしょ。アメリカの昔話ならきっと、舞台は荒野で出てくるのはガンマン、あとは頭に羽をつけたネイティヴアメリカンとか、きっとそうなるでしょ、知らないけど。まあだからさ、とにかくヨーロッパに憧れてたわけ。でもさ、なんていうか、実際来るとがっかりしたんだ。イタリアに行った時の話ってしたっけ? あのむかつく男ってばさ……ってそうじゃなくて、えーとさ、だからさ、何事も憧れである時が一番輝いてるって思うのあたしは。知らない方がいい現実ってあるよね。この場所だってそう。きっと写真や映像で見ただけなら、わあすごい、なんて素敵な場所だろうってなると思うの。森はどこか神秘的で、所々の残雪は幻想的。まるでディズニー映画の中みたい。でも……」

 レナはそこで一旦言葉を切ると、人差し指を立てた指を頭上でくるくると回した。

 その意味は――よくわからない。

「実際来ちゃダメよね、ここも。だって信じられる? ケータイが圏外なんだよ。これじゃメールも見られないし、ゲームもできない。もうさっきから退屈で退屈で。要するにさ、何が言いたいかって言うと……この任務はってことよ。そう思わない?」

「まったくその通りだなプリンセス」

「ジャック、ぶん殴っていい?」

 俺は半眼になって、深くため息をついた。そのままうんざりした気分で告げる。

「レナ、お前の不満はよおぉぉぉく、わかったよ。俺も同じ気持ちだ。だから少し黙っててくれないか」

 レナはこちらの不機嫌がようやく伝わったのか、ひょいと肩をすくめて見せた。それから、口を閉じたまま息を吐き、唇をぶるぶると震わせる。これはレナのくせで、彼女にとって何かの意思表示らしい。なんの意思表示かはさっぱりわからないが。

「盛り上がってるところ失礼。位置座標を確認したよ、ジャック。もうすぐ目的地につくようだね」

 と、突然に助手席に無造作に放っておいた無線機が会話に割り込んできた。もちろん実際に喋っているのは無線機自体ではなく、何万キロも離れた向こうから交信している人間だ。

「なんのようだ、グレイマン」

 俺がぶっきらぼうに応えると、無線機の向こうのグレイマンは、それこそ機械のごとく、愛想なく言った。

「いや何。あのコレーのことだからね。どうせまたろくな説明もなく君達を放りだしたんじゃないかと思ってね」

「まあ……そうだな」

 俺は少し考えてから言った。まったく何も聞いてないわけではなかったが、明け方に自宅で電話を受けてからその二時間後にはオーストリア行きの飛行機に乗っていたわけだから、確かにまともな説明など受けてはいない。そしてそういう事情は、おそらく相棒のレナも同じだろう。

「だろう? そこで僕がここで一つ君達にブリーフィングを施してあげようかと思ってね」

「そりゃまたありがたいことで」

「君から感謝の言葉をいただけるとは、涙が出るほど嬉しいね。さて、ではまず今回の依頼についておさらいしよう。発端は本件の依頼人たる、さる男爵閣下の仕事と趣味の両方を兼ねてのアメリカ滞在中に起こった。突然に、連邦憲法擁護・テロ対策局の捜査が彼に入ったんだ」

「いったいなんの容疑で?」

「オーストリアはじめ周辺諸国で最近活躍している民族独立系過激派テログループ『バカリア解放戦線』への資金、情報提供の疑いだ。しかし結論から言うと。そんな事実はない。すべてはでっちあげ。しかしこうしている間にも次々と男爵の関与を裏付ける証拠が〝発見〟されている。今や完全に男爵は犯罪者扱いだ。そういうわけだから、現在オーストリアとアメリカの両政府の間では目下男爵の引き渡し交渉の真っ只中ってわけ」

「なに? 政治の話? 退屈。ねえ、終わるまで一眠りしていい?」

「聞いとけ」

 後ろで不満の声をあげるレナに釘をさし、俺は続きを促した。

「それが、男爵の居城からを連れてくるっていう今回の依頼とどう関わってくる?」

「うん、まあつまりだな、男爵の城は現在政府に差し押さえられ管理下に置かれている。男爵は対象をなんとしても傍に置いておきたいわけだが、自ら城に帰ることは叶わない。そこで君達『R.I.P.ERS』の出番というくだりになる」

「突き放した言い方をするな。あんただってその一員だろうが」

「僕はただのコレーの個人的な友人だよ。君達と一緒にしないでくれ」

 俺は小さく舌打ちした。無愛想なインテリ気取りめ。

『R.I.P.ERS』。

二年前記憶を失った状態で目を覚ました俺を拾った、コレーという怪しい女が率いる組織で、今の俺の職場だ。登記簿上は、PMSCs(民間軍事警備会社)になっているが、その実態は、社長コレー・フォックスの私兵団と言っていい。彼女はその筋では有名な人物で、要人警護や、紛争介入、運び屋紛いや誘拐、裏の世界のあらゆるウェットワーク汚れ仕事を引き受けていた。

 要するにはならず者の傭兵集団だ。だが、〝ただの〟傭兵集団ではない。その普通でない部分がコレーという女と『R.I.P.ERS』を、業界で唯一無二の存在にしていた。

「しかし今の話だと、城にいるのは警察と役人か? ってことは力押しは駄目か。さて、どうしたもんかな……」

「残念だが外れだ」

「あ?」

「城を占拠しているのはPMSCsの『ドラハントゥーター』社の傭兵だよ。オーストリア警察じゃない」

「アハハ、きな臭いなー、それ」

「同感」

 笑うレナ。げんなりと顔をしかめる俺。しかしまあ、考えていることは同じで、違うのは表現方法だということだ。

「いったい何がどうなってる? 説明しろ」

「もちろん政府が雇ったからだ」

「なぜ?」

「表向きの理由は人手不足。そこは田舎だからね。元々警官の数が少なく、城に人員を回せば通常業務に支障が出るとかなんとか。また男爵の罪状は『バカリア解放戦線』への協力だから、最悪彼らからの襲撃があるかもしれない。そういう事態を想定した場合、田舎警察では荷が重い仕事になる」

「正規軍を使え」

「そうだね。だが使わなかった。その辺りから、今回の茶番の裏側が透けて見えると思わないかい?」

「もったいぶった言い方をするな。つまり?」

「オーストリア政府ではなく別の筋から探ってみることにした。『ドラハントゥーター』側からだ。するとなかなかおもしろい事実が浮かんできた」

「おもしろい、ねぇ」

 この男の「おもしろい」も俺と同じ価値観で語られたことはない。暗雲漂う、というやつだ。現実の空さえ、雪が降りそうな具合に曇ってきた。

「この『ドラハントゥーター』という会社、ついこの前まではどうも実体の存在しないペーパーカンパニーだったらしい。それが突然半年前から、幽霊が実態を持ち始めて行動を開始した。そうして瞬く間に業績を伸ばしていったんだ。で、今回の一件だ。一国の政府からの直々の依頼だよ」

「話がうますぎる。まるではじめっからこの展開が筋書きされてたみたいだ」

「だろ? そうなると当然誰がシナリオライターなのかというのが気になる。それで金の流れを追うと、愉快な事実が判明した。『ドラハントゥーター』の親会社は、なんとアメリカの誇る大企業『クラウドアームズ』社なんだ」

「『クラウドアームズ』? あの複合的軍事企業の?」

「その通り。未来型PMSCsの体現だのなんだのを標榜してる連中だ。旧世紀から最新の軍事技術が民間に流れて生活のテクノロジーになるというのは常だったが、『クラウドアームズ』というのはその過程をすべて自社傘下の企業にすることで、生み出す利益をすべて自らに還元し発展した企業だ。まあ今ではアメリカ有数の大企業であることは間違いない」

「『クラウドアームズ』ねえ。……で、連中の目的は?」

「君ならどうだ?」

「あ?」

「難しく考えるまでもなく、相手方の狙いはだ。君が『クラウドアームズ』の幹部だったとして、彼女をどう会社の利益にする?」

「そりゃやっぱ……兵器利用か?」

「どうやって? 彼女は確かにうまくやれば大きな戦力になるかもしれないが、所詮一人だ。増殖させられるわけじゃない。どう考えても『クラウドアームズ』に費用対効果で充分利益があるとは思えないんだ。だからここでまた一つ見方を変えてみることにした。つまりここに内在している動機は、会社の利益ではなく個人の利益なのではないか、とね」

「個人というと?」

「『クラウドアームズ』の役員名簿の中に気になる名前を見つけた。ジャネット・ウォルターという女だ」

「知らん」

「僕も調べるまでは知らなかった。だけど彼女の伯父の名前を僕は知っていた。そして多分君も知っている。ヘンリー・ウォルター。次期大統領選への出馬が噂されているアメリカ合衆国の上院議員だ。姪を通じて、会社に多分な影響力を持っているだろう」

「ああ、どんどん楽しい話になってきたな」

「そう言っただろう」

 ヘンリー・ウォルターの名前は知っていた。次期大統領の最有力候補。歯に物を着せぬ言い草で有名で、現大統領のことも痛烈に批判し、反大統領派の大きな指示を得ている男だ。

「ところで今回愛しい人と離れ離れになり途方に暮れていた男爵をコレーに紹介したのが現政権における、大統領の懐刀、ダグラス・エドガー国務長官なんだ。なんでも男爵とは親しい仲らしい。何年か前モナコのF1レース会場で知り合ったとかでね、二人共大の車好きなんだそうだ」

「国務長官……」

 俺は半眼になってうめいた。

デカい仕事よ。開口一番、そう告げてきたコレーの言葉を今さらながら俺は思い返していた。

「彼が困り果てる男爵を君達に紹介した単なる友情か? いや違うね。彼もまた本気で事態を解決させたがっているんだ。自分達の望む結末をもって」

「じゃあなんだ? あんたはウォルターにとって城の彼女を手に入れることが大統領を失脚させることにつながるって言うのか? いったいどういう理屈で?」

「それは現在調査中だ。だが筋書きとしては悪くないんじゃないかな」

「おいおい……」

 俺は半信半疑の気分で鼻白んだ。

いくらなんでもそんなアクロバティックな展開があるだろうか。ともすればこの任務の成否が明日のアメリカ合衆国の行く末を決めると?

確かに話の通りなら彼女は伝説の存在だ。とは言えその事実が、遠く離れた異国の政治に影響を与える事柄になるとはとても思えない。

 そうこうしているうちに、木々が生い茂った道が開けていく。

「そろそろ、目的地に到着のようだね」

「まあな」

 GPSでこちらの動きを監視しているのか、グレイマンが言い、俺は応えた。

 目の前に切り立った崖が現れる。ブレーキを踏んでジープをその手前で停車させた。

 数キロ先の山間の麓に、目指す城はあった。

 中世の城がそのまま現在まで残ったかのような、ゴシック様式風の見た目をもつ〝城〟。

 カルンスタイン城。畏怖と敬意を込めて、俺達の依頼主、カールハイツ・ヴォルデンベルク男爵の住居はそう呼ばれていた。

 これまで散々城と会話の中で口にしてきたが、そこは別に本物の中世から続く城というわけではない。有数の資産家であるヴォルデンベルクが、こだわりを以って近年につくらせた建物だった。だから見た目こそ古風な城だが、邸内は最新の技術を取り入れた暮らしやすい住宅らしい。

まったく金持ちはすることが違う。その金をほんのわずかにでも分けてくれれば、俺は明日にでも今のボロ部屋から脱出すると言うのに。

「やっと到着?」

 車が止まったのを見て、再度レナが身を乗り出してきた。そうして遠方の城に目をとめて、大きく感嘆の声を漏らした。

「わあ……素敵! ディズニーアニメに出てきそう」

「住みたいか?」

「えっ、それはいい。田舎嫌いだし」

「そうかい。まっ、俺もだ。今日はやけに意見が合うな」

 軽口を叩きながら、俺は望遠鏡代わりのズーム機能つきのデジタルカメラを取り出した。そうして城の周りをよく観察する。

 城の入り口や外部の張り出し部分に、建物の雰囲気にまるでそぐわない、アサルトライフルを肩がけした迷彩服の男達の姿が望めた。『ドラハントゥーター』の傭兵達だ。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……っと。確認できるだけで外周に十人か。たかだか一資産家の屋敷を差し押さえるのに大層なことで」

「おそらくに抵抗された際の抗戦を想定しているんだろう。言いかえれば、彼らはまだ彼女を見つけられていないということだ。君、男爵から彼女の居場所と見つけ方については聞いているね?」

「ああ、まあな」

 俺はちらりと助手席のバックパックを見て言った。

「さて、しかしいったいどうやって潜入したもんか」

「正面突破」

「却下」

「なんでよ」

「お前が無事でも俺が死ぬ」

 気がついたのその会話の最中だった。

「なんだ? 誰か来た」

 城下の田舎町を抜けて、一台のランボルギーニが城の手前まで走っていくのが見えた。こんな場所に高級スポーツカー? 当然というべきか、車両は城の数十メートル手前で『ドラハントゥーター』に兵士に止められた。

 少しして、車の中から二人の人間が乗り出してきた。この場所にどこまでも似つかわしくない、黒い背広を着た背の高い男と、それよりさらに大柄な黒人の大男だった。

「こんな場所に背広組だと?」

「何者だい?」

「わからん。だけど奴らの仲間ではなさそうだ」

 兵士と黒スーツの男達は離れたまま何かを言い合っていた。そこで大男の方が上着の内ポケットから何か紙のようなものを取り出し、兵士達に歩み寄る。兵士達は男に銃を向けたまま紙に目を通すと、しぶしぶ納得したようにして二人を城に入るように手招きした。

「なんだか知らんが、入城のお許しを頂いたようだぜ」

「ふむ、ますます気になるね。彼らの写真、撮れるかい?」

「ああ」

 俺はカメラのレンズを二人組に向けてシャッターをきると、そのデータをグレイマンに送った。二人は車両を城に寄せて、中に入っていった。

「データを受け取った。何かわかったら知らせよう」

 それでグレイマンの通信は一方的に切断された。あの男はいつもそうだ。こちらの都合は一切気にしない。

「で、結局どうやって突撃するの?」

「まずその〝突撃〟って考え方をあらためろ。もっとスマートにやるぞ。夜まで待つ」

「こそこそ潜入すんの? つまらん」

「あのな……まあ、とにかく、理由は静かにやりたい、ってだけじゃない。さっきの二人の正体も知りたいし。何より夜なら、ドンパチになった時、助けた彼女を戦力として期待することができるかもしれないからな」

 俺は腕を頭の上で組んで、縮こまっていた筋肉をうんとほぐすように身体を伸ばした。今朝がた早い時間に叩き起こされたせいで寝不足だ。パーティの前にもう一休みしておきたかった。

 そして、不満げなレナにウインクして、俺はのんびりとつぶやいた。

「お前のためにも言ってるんだぜ。夜こそが化け物フリークスの時間だ。そうだろ?」

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