R.I.P.ERS -ブレイクロード-
浄化
プロローグ
…………BOO――――――MMM――――――MMB………………。
目を覚ました瞬間、最初に聞こえてきた音はそんな木霊のように響いていくる間伸びした音だった。
次いで浮かんだ言葉は、「ああくそ、目覚めが悪い」というありきたりなつまらない悪態だ。
おおかた自宅で飲み過ぎてぶっ倒れたか、クラブで女と遊んで飲み過ぎてぶっ倒れたか、そうでなければ飲み過ぎた夜の帰り道にぶっ倒れたかしたのだろう。なんにしろ結論は同じだ。昨晩の記憶がないことだっていつものことだ。二日酔いの朝はいつだって記憶が飛んでいる。
だから、疑念が浮かんできたのは数秒後だった。
記憶がない。そう、記憶がないのだ。昨晩がどうとかそういう話ではない。
俺はいったい何者なんだ?
根本的な、そういう記憶がないことに気がついた。
焦燥が駆け巡る。カッと目を見開いて俺は上半身を跳び起きさせた。
すると視界に飛び込んできたのはまったく見覚えのない巨大な工場のような空間だった。
恐ろしく天井が高く、そこにはベルトコンベアーや圧搾機のような物体、クレーンにその他用途が想像もつかないような機械があちこちに展開されていた。俺はそんな場所の一角、これもまた用途不明な台形の機械の上に寝っ転がっていたらしい。
ここはどこだ? 当然答えは出ない。俺は自分のそれが一時的な前後不覚であることを願った。しかし化け物じみた機械群を見上げながら、何秒、何分待っても、少しも自分が誰で何故ここにいるかの答えは頭の中に戻ってこなかった。
俺は混乱を払拭したくて頭をかきむしろうと両手を挙げ――たところで更なる異変に気づく。
右腕が妙に重い。反射的に見やると、そこにまた意味不明な状況があった。
腕がない。
いや、正確にはある。つまり――腕はあったが、それは普通の状態ではなかった。
肘から手首にかけての中程から先が、生身の腕ではなく、機械の義手になっていたのだ。
それだけではない。義手には、手首の辺りから一本の鎖が伸びている。
繋がれた先にあるのは――銀色のアタッシュケースだった。
まったく意味がわからない。なぜこんなものが? 俺はしばらく座り込んだまま自分の置かれた状況の意味を考えた。
今さら意識し始めたことだが、俺は上半身裸で、全身に細かい裂傷や擦り傷を負っていた。身体を動かそうとすると、あちこちの筋肉が悲鳴を上げた。満身創痍だった。
わけがわからないながらも、置かれた状況を推測しようとする。
どうやら俺にとって、真横にあるアタッシュケースは非常に大切なものであるらしい。たぶん、人間にとって重要である(重要なはずだ)右手を取っ払ってまで、義手と一体化させているくらいだからよほどなのだろう。
そして何より、具体的な記憶はなくとも脳裏にささやく言葉があった。
『このケースを手放してはいけない』
失われた記憶の向こうの誰かが、そう警告する。
他にはこの全身の傷。俺は攻撃を受けている。あるいは受けていた。記憶を失ったのは、目覚めた状況から判断すると、おそらく頭上に見える機械群のどこかから落下でもして、頭を打ったのか――。
今思いつくのはそれくらいか。これ以上はもっと情報が必要だ。それに先の推測が正しければ、俺を攻撃した何物かはまだ付近にいるかもしれない。移動しなければ。
にわかに活動しはじめた生存本能に従って、アタッシュケースを手に立ち上がりかけた瞬間だった。
またあの音が聞こえた。
BOO――MMB、と。
俺はピタリと動きを止めた。
なんだこの音は? そういえば俺はこの音で目覚めたのだ。気のせいかさっきよりも音は近くから聞こえている?
いや待て。
俺はこの音を知っている。わかるぞ。そうだ、この音は――
爆発音だ。
BOMB!!
同時、背後で起きた爆発に吹き飛ばされて宙を舞っていた。
別の機械に背中から激突する。肺から息が漏れて悲鳴も出ない。
くそったれ。くそったれ。くそったれ。俺はどこまでもわけがわからないまま死後の世界に片足を突っ込んで、地獄の橋渡し(カロン)の顔面を蹴っ飛ばして現世に帰ってくる。
咳き込みながら、ふらふらと立ち上がると、一瞬にして赤々と燃える業火の世界に変貌を遂げた工場が視界に広がった。火勢は強く、いくら広いと言ってもこの調子ではすぐに建物内部は火の海になりそうだ。
同時に今度は別の音が耳に飛び込んできた。
『WARNING WARNING 緊急避難プログラムが実行されました――』
電子音声だ。大音量で建物内部に音は響いている。
『――本施設はただ今より三分後に自爆します。施設内の職員は、直ちに避難してください――』
……なんだって?
俺は耳を疑って呆然と立ちつくした。
『WARNING WARNING 緊急避難プログラムが実行されました。本施設はただ今より三分後に自爆します。施設内の職員は、直ちに避難してください』
繰り返される放送に、
「――なんだってぇ!?」
俺は遂に絶叫した。
自爆だと!? そんなメチャクチャあってたまるか。いきなり記憶喪失で目覚めたと思ったら休む間もなく肉体喪失の危機か。不幸を通り越して笑えてくる。
なんて冗談言ってる場合じゃない。
とにかく脱出しなければ! 俺は出口を探して痛む身体を鞭打ち走り出した。
すると、その瞬間だった。一瞬ちらりと見た燃え盛る火炎の中で人影が揺らめいていた。誰かいる? そう思ったが、同時にこの炎ではもう助からないだろうと分析する自分がいる。
が、すぐに分析は外れていることを俺は知った。ゆらりと人影は炎を苦にする様子もなく前進してきた。
そしてそいつは、俺の視界の向こうに出現した。ああくそ。また内心で悪態をつく。
今日の運勢を占うのならば、きっと答えは最悪だ。
火炎をぬって現れたその怪物。
それは炎の照りかえしで全身を赤く光らせた、二メートル強の人型マシンだった。そいつがガシャガシャと足音を立てながら、何かを捜すようにして、首を廻らせていた。顔面はドクロのような形状をしていて、まるで映画『ターミネーター』のそれのようだった。
ターミネーター野郎が、俺の存在に気がつく。するとそいつはぐるりと全身の向きをかえて、それから一歩一歩着実に俺に向かって近付いてきた。
その歩みは段々に速さを増していく。機械と機械の間の数メートルの隙間などひとっ飛びでそいつは跳び越える。
そいつが敵か味方か。
考えるまでもない。
あの顔は敵だろ。どう見ても。
俺は、相手に背を向けて全力疾走を開始した。
向こうも走り出すのがわかる。やはり間違いなく俺を狙っている。その間にもまた爆発。震える建物。けたたましく警告を続ける魂なき電子音声。俺を追うターミネーター野郎。
すると俺はカイル・リースか。サラ・コナーはどこにいる?
――いや、残念ながら多分違う。カイル・リースはこんな邪魔なアタッシュケースは持ってない。
「くそっ!」
背後に機械野郎が迫る。俺は咄嗟にデカブツの追っ手が通れないような低いパイプの下をスライディングでくぐった。止まれ! 願うが、パイプに衝突したデカブツは、
雄叫びを上げてパイプを破壊し直進してきた!
ああくそ、そうなると思ってたよ。
『自爆まであと一分三十秒』
無慈悲な声に、振りかぶられる死神の腕。俺は咄嗟にアタッシュケースを盾にして身を守ろうとしていた。瞬間、
衝撃!
全身の骨が砕け散るような、金玉を思いっきり蹴りあげられるような、息の詰まる波動が身体中を駆け巡っていた。浮遊感。死んだと思った。天使が俺の腕を捕まえて、天国まで連れていってくれるのだ。
しかし無能な天使共は俺の腕を掴み損ねたらしい。
俺はまた地面に背中から落下する。胃液が込み上げ、思わず少し吐く。
生きてやがる。残念で、ちょっとだけ感動。
右腕を持ちあげると。一撃を受けたはずのアタッシュケースには傷の一つもついていなかった。なんだか知らないが無駄に丈夫な作りらしい。助かったね。
『爆発まであと一分』
いや、助かってねーや。
どうする? 焦りを感じながら立ち上がる。奴さんは相変わらず俺に敵意むき出しで、じりじりと近寄ってくる。
ふとその時気づいた。
ターミネーター野郎の後方の壁。そこに青空の見える四角い穴がある。
窓だ。
脱出口。
だけどそれは殺人マシーンの遥か彼方。
どうする?
決まってる。
やるしかねーだろ。
俺は右手のアタッシュケースを掲げた。こいつは武器になる。こいつだけが武器になる。
ならば、腹をくくれ。
『爆発まであと三十秒』
俺は駆けだす。
敵も呼応する。
右腕を振り上げるマシーン。俺は全身を捻ってケースを振りかぶる。
振り降ろした右腕と、薙ぎ払ったケースが、衝突する!
振動が腕から全身に這いずりまわってもう頭の中まで震えてくる。
だけどぶっ壊れたのは、
俺ではなく、相手の右腕の方だった。
悲鳴かなんなのか、耳障りな金属音。
今度はそのまま逆方向にケースを薙いだ。狙うのは、奴の脚だ。
吹っ飛べ! 胸中で叫びながら思いっきり振り抜く。無敵のアタッシュケースは相手の左足を破壊して転倒させる。
「よっしゃ!」
崩れ落ちるターミネーター野郎を跳び越えて俺は出口に猛進した。だが不意に片足から自由が奪われ、俺はそのまますっ転んだ。
ぞっとして後方を仰ぐ。片手と片腕を失った機械野郎が、ドクロよろしく不死身であるのか、俺の片足を掴んで地獄まで道連れにしようとしていた。
恐ろしい握力。ミシミシと、骨が軋む音が内耳に響いてくる。
『爆発まであと十秒』
「うああああああああああああああっ!」
ケースを頭部に叩きつける。全力で、全身全霊で。
『九、八』
二度、三度。すると火花が散って、機械野郎の腕から力が抜けた。
『七、六』
その一瞬を逃さず、俺は思いっきり、奴の頭を蹴っ飛ばして、拘束から逃れた。
『五』
走れ! 痛みも何もかも忘れて、無我夢中で突き進め!
『四』
あと少し。訂正だ。今日の運勢は最悪なんてもんじゃない。
『三』
超最悪だ。
『二』
窓まで来た。飛べ、俺! 鳥になれ!
『一』
ガラスを突き破った先に広がっていたのは、
『ゼロ』
どこまでも広がる青い水平線だった。
大爆発。
俺は爆風で、青い青い海の彼方まで放り飛ばされた。
脱出した先が大海原のど真ん中とは。
超最悪よりの下の運勢って、あるか?
※ ※ ※
その爆発を、彼女は旋回するヘリコプターの席から眺めていた。
彼女が辿りついた時、既に施設は自爆プログラムを実行していた。阻止するには手遅れだった。だからできることは、大きな花火を見届けた後、速やかに施設跡地を確保し、研究成果の一部でも残っていないかを期待することだけだった。
爆発がひと段落して、施設が崩壊しても、海上にはまだ轟々と火炎が立ち上っていた。だが自然鎮火をのんびり待つほど、彼女は気長ではなかった。
「消防ヘリは手配できる?」
彼女は操縦士に聞いた。直ちに、と彼は簡潔に応えてすぐに無線を手に取った。
「応援もできるだけ多く呼んで。そしてそれらが到着するまでは私達だけでこの海域を死守するのよ」
「死守……? 何からですか?」
「私達以外の、すべてからよ」
彼女は背もたれに体重を預けると、腕を組んで再び崩れ落ちた施設に視線をやった。
この場所で何が起きたのか、何が行われていたのか。知る者はそう多くない。幸い彼女はそれを「知る者」だった。故に、今この場に自分が、自分だけがいることの幸運を心得ていた。
その時だった。彼女が海面を動く何かに気づいたのは。
それは――人だった。男だ。アタッシュケースのようなものにしがみついて、必死にヘリに手を振る男。
何者だ? 施設の関係者? しかしどうにもそういう風には見えない。だとしたら他にどんな可能性があるだろう。施設に連れてこられた実験対象? もしくは本当に偶然にこの場に現れた遭難者。わからない。だがそれだけに、おもしろい。
彼女は無意識に微笑んでいた。
「どうします、コレー社長?」
操縦士も気がついたようで、顔半分で振り向いて、彼女に判断を求めてきた。
「救助しましょう」
彼女は――コレーは即答で応えた。
本来の予定ならば、コレーは問題なく海上にそびえる施設を制圧して、すべてを手に入れていたはずだった。だがそうはならなかった。
予想外の展開。予想外の登場人物。だからおもしろい。
これだから人間世界はおもしろい。
「……
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