標を求めた探求者
テロリストの空母に取り付いた。ワイヤー代わりのショック・ハープーンを深く食い込ませ、スパイク・クローが甲板を強く踏み付けて、灰の機脚を大樹の如く空母に根付かせる。
「殺してやる」
お前は駄目だ。もう人の範疇を越えた狂気をその身から滲ませるお前は。
「ここで間引かなきゃ」
和解の余地はどこにもありはしない。
『やって見ろよヒーロー………いや、モンスター』
狂気性を隠さないフレズヴェルグの声をゴングの代わりに、刹牙は丸太の様な剛腕を艦橋に―――、
「チッ!」
舌打ちが跳ねた。刹牙の後方から数機のアーマーギアが飛び掛ってきた。
『同志の仇ッ!』
「同志? 邪魔よッ!」
政姫は一蹴する。
刹牙の尾が、クリーブ・テールが飛び掛ってくるアーマーギア達を薙いだ。二倍の数だけジャンクパーツが海面に白波を立てて沈んでいく。
「何が同志よ。テロリストの分際で!」
怒りだ。怒りが政姫の思考を浸食していく。日頃、押さえ込んでいた破壊衝動が決壊するダムの如く、現実に放流されていく。
『貴様ァッ! 我々を愚弄するのかッ! 我々はアメリカの為に蜂起したのだッ!』
「愚弄とか、蜂起とか。こんな馬鹿な事する前にもっとやるべき事があったでしょ!」
甲板に足を付けているため、接触回線から敵の通信が矢継ぎ早に怒鳴られる。政姫も怒鳴り返していた。
昇降機からはまた新たなアーマーギア達が上がってくる。傾斜になんとか耐えて刹牙を睨んでいる。確かな敵意が肌を痺れさせる感覚として伝わってくる。
「馬鹿は死んでも治らない。なら、他人を殺す前にアンタが先に死ねばいいッ!」
刹牙が腕部マニュピレーターを差し向ける。クロー・ミサイルを上がってきたアーマーギアに照準を合わせて発射した。
傾斜に耐えるだけで精一杯の彼らはろくに回避行動を取ることも出来ず、次々に着弾しては海面に落ちていく。
「世の中、誰もが生きやすいわけじゃない。それは当然だけど、だからこそ、優しさを持たなきゃいけなかったんだ………他人を、他人事だと思わない心を………私もアンタらも!」
空母の傾斜が段々と平らになっていく。左舷側のバラストが排水されているのだ。
「どっちが先に攻撃して、どっちは正当防衛だとか、そんな事じゃないのよ………。理解しようと誰もが思わないといけないの。簡単な事じゃないでしょうけど………大事な、大切な、諦めちゃいけなかったこと!」
日本で生まれ育った政姫が語るのは日本の風土と歴史が育んだ異質な道徳観。愚かと言われようと、政姫は愚直でも良いと、この心の在り方を信じる。
言葉で、心で救われると信じなければこの地球から人間同士の争いなど無くならない。
『ク、ククク………カハハハハッ!』
手を叩く音、そして歪んだ歓声。
平静としていた甲板に昇降機の上がってくる振動がした。
『そうだ、そうだ。こんなご時世に平和ボケしていた間抜けな島国があったなァ………なるほど。ククク………!』
どこまでも人を嘲笑している笑い声。どうやっても救えず救われなかった男が政姫の眼前に立つ。
ドールのマクベス。否、もう全く別の物だ。
外見から推測すれば、ネバダで交戦した時よりも大型化している。装甲も厚くなっているだろう。何かしらのスポンサードを受けているのは明白だが、もはや関係ない。
「………お前はここで殺す」
『さっきと言っていることが違くないかなサムライ・ガール。理解、だっけ。オジサンも理解してくれないのかい』
「私はもう、純真な陽の世界には戻れない。血濡れは血濡れのまま」
復讐の輪環は一度入れば出られなくなってしまう。でも、そこからだって正しい道を探そうとする事は出来る。例えば血迷った亡者を食い止める事とか。
「憧れて、手折って、そうしてもう一度。大きな使命を全う出来る。お前が最後の一人だ。フレズヴェルグ」
政姫は大きく息を吸って操縦桿を握り締める。
『分からんな。どうしてだ? まぁ、答えなんて聞きたくもないんが』
「人殺しって意味で私とお前は確かに同類。けれど、それを誰かのせいにしない。私は私が未熟だったから道を間違えた。赤の他人を逆恨みして八つ当たりなんてしない」
『他人の為に命をすり潰した連中に同じ事を言って納得させられるのかよ。血には血をだ。人間って動物は大層な文明を創ったってそこで行き詰まったままなんだよッ!』
フレズヴェルグが、マクベスがソードライフルを構えて突撃してくる。刹牙もクロー・ミサイルの照準を合わせようとするがマクベスの蛇行機動に自動照準が追い付かない。
「人殺しのくせに甘えてんじゃないわよ! それに、諦めなきゃ進むべき道はあるッ!」
政姫は照準を自動から手動に切り替えて、クロー・ミサイルを即時発射させた。
右手から放たれたそれらをマクベスは左側に、政姫から見て右側に回避行動を取った。
フィギュアスケートのような回転をしつつ気付けばソードライフルの銃身を振りかぶっていた。白刃が日に照り輝く。
『これが道さ! 俺の道だ! 塞いでるのはアンタだ! そこを退け、さっさと死ね! 今から地獄行きのハイウェイ建設しなきゃだからよォッ!』
迫るマクベスのソードライフルを回避しようとすると、マクベス脚部のミサイルポッドからスプレー・ミサイルが出鱈目に発射された。普通なら避けるのは造作も無いが、意識の大半はソードライフルに向いている。そして無誘導に放たれたミサイルは何処に向かっているのか分からない。
「クッ………! こンのォッ!」
スプレー・ミサイルがバインダー・シールドに着弾した。軽さが売りのスプレー・ミサイルでも刹牙の重心を揺さぶる程度は出来る。崩れた刹牙の姿勢を、政姫は強引に甲板を踏み付けて刹牙の機体を押し出すことによってマクベスの間合いにわざと入った。右側のシールドにソードライフルの剣先ではなくて銃身が叩き付けられる。
強く打ち付けたことでマクベスも後ろに大きく仰け反った。フレズヴェルグの思考は姿勢制御の為に釘付けになる。
今ならば、という確信を持って政姫は頼れるアーマーローグチームのもう一人のメンバーに一撃を託す。
「ミサキ!」
『ターゲット・インサイト』
痛烈なる光条が刹牙の脇を通り抜ける。衝撃波が巨大な空母を激しく揺らした。多大な熱量は海水を水蒸気へと巻き上げ、空母の甲板の端を溶解させる。
試作プラズマキャノン。秘匿呼称XLB-1。パイポッド型固定具を付けても射出後は試験場のコンクリートを抉る超反動高威力の必殺兵器。
『電力の確保が大変でした。近隣の都市の電力を吸い上げて、ようやくの一発です』
「電力会社の管理システムを総ハッキングなんてミサキにしか出来ないわよ! 上手くハマった。ありがとう!」
政姫は元からこの為だけに作戦を立案していた。囮の刹牙と本命の霊牙。XLB-1の狙撃をミサキに任せたのはイジンの人間を超えた身体能力なら一瞬の隙でも撃ち抜けると信じていたからだ。
人を超えた知性、技術、才能。どれだっていい。超越した存在とだって分かり合えたから放てた一撃だった。
「空母内に残っているテロリストに通告します。我が方の光学兵器はご覧の通り、この空母を射程に収めています。それにアメリカ海軍艦艇も周囲に待機しているのが見えているでしょう。即時投降を! まだやり直せるかもしれない。恨み続けるより、探し続ける方を選んでください!」
政姫の降伏勧告の背後で、水蒸気の白煙から立ち上がる影が一つ。
『今のは焦った。大分暑苦しかったし、だが見晴らしは良くなった』
「嘘………っ?」
『お友達はそこかい? そらお返しだ』
唸るような、息苦しそうで、だが身を焦がすほどの熱狂を含む声がした。
『多数の熱源を確認。狙撃位置を把握された………?』
初めて聞いたミサキの困惑。疑問でも質問でもない。理解したいではなく理解出来ないという惑い。
XLB-1はその性質上からして、狙撃地点の割り出しは容易だろう。だが、フレズヴェルグは、確かに背面から照射を受けて、ものの数瞬で反撃に応じたのだ。
「ミサキ………! 集束拡散針弾が!」
マクベスが保持している武装の一つ、多連装ロケット砲から放たれるのは大量虐殺兵器。貫く事に特化した巨大な弾丸がミサキの霊牙に向かっていく。
撃墜させようと胸部バルカン砲を展開しようとするが、当然目の前の男がそれを許すはずがなかった。そして、これが致命的なミスとなる。
半壊したマクベス。人間に当たる所の右腕部、肘から下、脇に掛けての装甲はバターに熱したナイフを押し当てたかのように溶解し、固まっていた。胸部の損傷も酷い。コックピットハッチは無いに等しい。部分的に内部が覗けてしまうほどだ。
そんな死に体のマクベスが刹牙目掛けて体当たりしてきたのだ。霊牙に気を取られていた刹牙はそれを正面から受けて、体勢を崩して尻餅を着いた。
『いやァ、驚いた。文字通りの秘密兵器ってわけだ。うゥ、涼しいな』
マクベスがマウントを取っている。刹牙は抑え込まられていた。
奴はこんな状況ですら笑って、そして命を刈り取る最適の行動を取っている。政姫は戦闘マシーンめ、と小さく嫌味を吐いた。
『政姫さんっ!』
霊牙がこちらに向かって走り出した。霊牙の足元には何かの残骸が転がっていた。どうやらXLB-1を盾にして針の筵を防いだらしかった。しかして、霊牙は間に合わない。黒光りする砲身を見た時、政姫の心臓は一際強い鼓動を打ち鳴らした。
『殺意ってのはさ、波だ。放てば四方八方に広がって、それなら逆に発信源を探ることだってできる。経験の差が出たなァサムライガール』
政姫の目の前にはあの多連装ロケット砲が差し向けられている。 それの駆動音すら耳で聞き取れてしまう位置に砲身が近い。
「クソッ!」
目の前の死の宣告に、咄嗟に口を付いたのはf○ckという異国の言葉。すっかり馴染んでいたなと感慨深く思い出に耽っている暇は政姫には無かった。
『サヨナラだ。サムライガール』
勝ったと確信した安堵の感情。奴の見せた油断。政姫の乾坤一擲の賭けの隙。
政姫は刹牙に大きく口を開かせた。頭部、口の辺りにはGZ-11モデル特有のギミックが搭載されている。
間に合うか、助かるかは天運の傾き次第。
「排熱シャフト、全開!」
政姫が叫んだのと同時に刹牙の口から大量の水蒸気が発生した。立ち上る白煙はまるでドラゴンの吐息だ。ついでにと、政姫は
狙うは剥き出しのコックピットへ。
少し遅れてミサイルの発射音が轟いた。
『目眩しか………!』
「生きてる!? 生きてるッ!」
賭けに勝った。
フレズヴェルグの悔しそうに吐き捨てた一言は天が政姫に味方をしている証拠だった。
ミサイルは刹牙の頭部を潰し、背面の甲板を貫いたのだ。政姫の咄嗟の目眩しはフレズヴェルグの手元を狂わせた。
政姫は刹牙のコックピットハッチを開かせた。
波の飛沫が混ざった外気が政姫の熱くなった頬を撫でる。生きている実感を政姫に強く感じさせた。
政姫は刹牙から飛び降りると、マクベスの右脚に飛び付いた。そして、装甲の突起やパーツとパーツを噛み合せるラックを足場にスルスルと登っていく。
足場を見つけ、飛び移り、腰部から左腕部へ。マクベスの首の付け根を渡って、そして開け放たれたコックピットハッチから政姫のその姿をフレズヴェルグに晒す。
「お前の負けだ、フレズヴェルグ」
政姫の手には黒のグリップ。先程までと比べると余りにもスケールダウンしてしまった、P240という護身用拳銃を突きつける。だが、黒の切っ先から放たれる弾丸は人一人殺すのに訳は無い。
「確かに、俺の負けなんだろうな」
政姫は引き金に掛けた指に力を込めた。
バン、という乾いた炸裂音が大西洋に静かに溶けていく。
テロリストの乗り込んだ空母には多数のアメリカ海軍の巡洋艦が張り付くように八角形状に配置されていた。
最初の空爆に耐えた艦艇がようやく空母をその結界内に封じ込めたのだ。
そして、空母甲板上。黒のアーマーギアと灰色のアーマーローグが重なり合って静止していた。
黒のアーマーギアの上。一つの人影が凛々しく立つ。ミサキにとって上位者足る政姫の立ち姿。その姿を見た時、ミサキは安堵という感情を理解した。さっきまでの息苦しさは何処かに消えて心地よい静寂がミサキの中に広がる。
「良かった………」
なぜ良かったと思うのだろう。不思議だ。自分の境遇も、まるで誰かに仕組まれたかのような巡り合わせの理由も。
だから、尋ねようと思った。政姫に。アベリィやカミーユにも、
彼女達は答えをきっと持っていないだろう。だが、いいのだ。答えではなく、彼女達の言葉が聞きたかった。感情とは温かくて痛い。心という目に見えない何かを理解するにはそれが最善なのだとなぜか分かっていた。
「帰りましょう。政姫さん。貴方ともっとお話した、い………ッ!?」
同時に、心を持ったその瞬間に、安堵を理解したその数瞬後に。ミサキは下腹部に氷を入れられたかのような不快感に襲われる。急に足場を失った浮遊感のような。耐え難いストレスを感じた。
それは甲板上から。黒いアーマーギアを中心にして波のように伝播してミサキの白い体表に鳥肌を立たせる。
駆け出した。あそこには。あそこには何とも引き換えに出来ない大切な存在がいるのだから。
「直接人を殺すのは初めてかいサムライガール」
「ッ………!」
弾丸はフレズヴェルグの左肩を掠めただけだった。
奴の傷口から染み出す血が奴の制服を伝って赤く染めていく。
「名前は? アンタの名前さ。俺はアンタに負けた。もうホワイトハウスを滅茶苦茶にするには、手札が無いからな。冥土の土産って奴さ」
「………マサキ・イイ」
ここに来て、死の間際に立ってこんなにも穏やかそうに居られるこの男の異常性を直接感じて、政姫は今にも腰から下の力が抜けてしまいそうになる。それを無理矢理にでも覆い繕って立っていた。
「やはり日本人だったな。景品とか無いかい? それでもイイがね」
そう言って、フレズヴェルグは政姫の手の中にある物を指差す。今さっき外したP240を。
「ッ!」
「負けた。あぁ、負けた。見ろ。ユナイテッド・ステーツには海兵隊が突入してる。直に船員、艦長、血気盛んな間抜け共は拘束される」
足元には確かに海兵隊員が待っている。フレズヴェルグの身柄を引き渡せと言っているのも聞こえている。だが、まだだ。この男を政姫はまだ殺していない。
「土産の礼に二、三。忠告だ。意味無いかも知れんがね。まず一つ。同志と互いを呼び合うカルト共はまだ、そうだなここでは便宜上本隊と呼ぼうか。本隊はまだ動いていない。頭は俺が刈り取ってしまったが、今日イイ・マサキが潰したのは末端の末端だ」
頭、と聞いてアベリィの父の事だと悟った。
奴の言う本隊は無傷と言うとそもそもフレズヴェルグはクーデターを画策していた将校一派のスパイ的な役割を担っていたという事だろうか。
「それと二つめ、これは必要ないと思うんだが狙うなら頭を狙え。一度胸を撃たれた事があるが、ありゃスゲェ痛い。死ぬかと思ったぐらいだからな」
茶化したように言ったこの男の目は、まだ何かを待っているような、諦めていない瞳をしていた事に政姫は気付いた。底知れない恐怖だけが先行して思考をジワジワと浸食していく。
「機体を降りて俺にトドメを刺そうとしたのは悪くない判断だったと思うぜ。刺せてたら言う事無しだった。それじゃ、最後の通告だな」
通告と言った。まだ諦めていない男がそう言った。
政姫は急にフレズヴェルグに手を掴まれてグッと奴に引きずり下ろされた。
目の前の顔は嘲笑を浮かべて、
「俺の負けだが、アンタの勝ちじゃない」
そう言うと政姫の手からP240を剥ぎ取って逆に政姫に撃ち込んだ。
「あアァッ!?」
弾丸は右の太股に突き刺さった。身体中の血液が沸騰して、太股に空いた穴から流れ出ていく。
「コイツは、最後に花火として打ち上げる予定だったんだ。アンタももしかしたら覚えてんじゃないかね? W38って爆弾の名前に」
W38。フレズヴェルグが持ち出そうとしたネバダ基地にて秘密裏に研究されていた核弾頭の名称。聞いた途端、政姫は全身の毛が逆立った。
「あぁ、あああああああァッ!」
喉から血が出るんじゃないかと思うほど叫んだ気がした。
「イイ反応するじゃないの。そう、これで俺は手の内を全部切らされた。目標は達成出来ないから俺の負け。でも、アンタらはどうかな?」
フレズヴェルグはタネを明かしたマジシャンのような、清々しい表情を浮かべていた。
「全部がドン!」
握り拳を開いて見せる。
「空母ユナイテッド・ステーツに接近していた艦隊は潰滅。艦内に突入していた海兵隊は逮捕者諸共蒸発。アンタもここであの世まで吹っ飛ぶって筋書きなわけだ」
「忠告したぜ? 逃げ出して見せろ。アンタの勝ちの為にな」と。
「そうだな。起爆まで、あと二分ってところか。ネバダは周りに何も無かったが、ここはそうはいかないぜ? 何人が俺と死んでくれるかねェ………あぁ、楽しみだ」
独説を言い終えると満足したフレズヴェルグはシートに座り込んで鼻歌を歌い始める。その足下では政姫が動かない右足を引きずって外に出ようとするが、思うようにいかない。
「ふッ、ぬァッ………」
感情の行き詰まった先では、言葉は呻き声になり、理性がその効力を失う。
逃げなきゃ。脳が最後に出した命令はそうだが身体はエラーを連発していた。
それでも、どうにかコックピットの
「あと三〇秒だ。間に合うかねェ?」
振り切れない。この声が。
もう無理だ、と誰かが言った気がした。それはフレズヴェルグだったのかもしれないし他の誰かかも分からない。
「ああああアアアアアアッッッ!!!」
後ろに立っていた奴のベルトを掴んで、無理矢理に引っ張った。
「諦めろよ」
それは簡単に飛び出した。
フレズヴェルグはコックピットの外へ。一〇メートル以上の高さから転落した。転落したのだ。
女の細腕で可能な事ではないだろう。ないはずだ。火事場の馬鹿力だろうか、それともフレズヴェルグ自ら進んで引っ張られたのか。それはもう判断のしようも無いし、判断する気も政姫には無かった。
「あはは、アベリィ仇取れちゃったよ………。あぁでも、なんか帰れそうには無いや………」
血が足りない。気付けばコックピットの床は政姫の血でいっぱいだった。手の平にはベッタリと血が付着していてヌメヌメしている。
思考が急に弛緩して、激しい痛みが遠のいていく。すると、ふわふわするような、言い様のない感覚になってくるのである。
「怒るかな………怒るよね。約束は………ふふふ………」
浮かんでくる思いを精査する前に口から出ていく。
「刹牙ぁ………。ちゃんと
刹牙と名付けたのは人類を勝利へ導く指標になって欲しいと思ったからだった。仰々しいが、こう名付けることで向かうべき方向を見失わないようしていたのだった。アーマーローグ計画が、政姫自身が。
「これで良かったのかなぁ………前がよく見えなくなってきたよ………」
迷う。戸惑う。立ち惑う。
霞む視界の中で、果たされた復讐の先で、もう道は途切れているのではないかという不安が後悔を巻き込んで雪達磨のように膨らんでいく。
為すべき事は成した。では、ここで自分は終わるのが当然じゃないか。
仕方ない。もう先が無いんだから。
「しぬ、か………。もっといたくてくるしいとおもってたんだけどなぁ………あのひともこんなかんじに………」
意識が果てようとしていた―――その時だった。
唐突に、微睡みを吹き飛ばすように。
硬質な物同士がぶつかり合う音がした。すると、急にマクベスは浮かび上がる。グングンと雲が、空が近くなる。
そして凄まじい衝撃が政姫を振り落とす。何かがそのままマクベスを持ち去った。
白い獣が一匹。
「えっ………」
政姫は手を伸ばしていた。空はもう茜色をしていた。
夕陽が空中に漂う政姫を照らす。肌を切りそうな風は満身創痍の体には冷た過ぎた。
太陽とは別に、空中に瞬く物があった。
青い光。よく知っている。完全燃焼される推進剤の火。白い背中は段々と遠ざかっていく。肩からはみ出た黒い巨人はただただ虚空を見つめていた。
「ミ、サキ………?」
片割れの名を呼ぶ。出会いは最悪だった、でも、確かに通じ合った
「まって………まっ、てよ………」
彼方に消えようとした白い飛翔体は、黒い巨人の膨張に伴って大きく膨らんだ。それは白い風船のようだった。
大西洋に浮かんだ二つ目の太陽は眩しく光り輝いて、そして、見えなくなった。
「霊、牙っ………」
視界はやがて黒く暗く閉ざされていく。
政姫の身体は限界を迎えていた。
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