灰の機獣

2050年 6月9日 ノーフォーク


 青の海を砲煙が霞ませる。漂う硝煙は人々を攫ってしまったようで、機械の無法者が闊歩する戦場と化したノーフォークには悲鳴に代わって銃声と爆音が轟く。


 ノーフォークの制空圏はテロリストの先制打撃によって失陥した。


「ミサキ! そっちに戦闘機が向かった!」

 一機の戦闘機が政姫が駆る刹牙の射程圏から飛び出した。

『捕、捉して、います………!』

 霊牙が頭上に両腕の電磁投射パイルバンカーを差し向ける。そして射出された鋼の杭は寸分違わず戦闘機の可変翼を貫いた。途端、戦闘機はバランスを崩して墜落していく。

 政姫は落ちていく姿を確認するとすぐに視線を前面に戻す。


「テロリストがどうして空母に乗って襲ってくるの!」

 政姫は二一世紀初頭に欧米を震撼させたイスラム過激派のようなゲリラ戦闘をぼんやりと想定していたのだが、眼前の連中は程度の差こそあれ練度は高い水準にあり、そして組織だった攻勢を繰り返している。


 攻撃ヘリで政姫の刹牙とミサキの霊牙を分断し戦闘機の対地ミサイルが執拗にアーマーローグを突け狙う。彼らは確かに各個撃破を狙って来るし、電子戦に於いては完全に敗北をきしている。こちらのミサイルは妨害電波の煽りを受けて直進もしてはくれない。

 まるで、まるで、そう―――、

「軍隊と戦ってるみたい………!」

 愚痴のような苦々しい呻きを零しつつ、また新しく攻撃ヘリを地面に叩き付ける。

 しかし、叩いては沸いてくる攻撃ヘリの粘着的な攻撃は終わらない。また現れた攻撃ヘリをショック・ハープーンで突き刺すと刹牙はぐるんぐるんと振り回した。

 ワイヤーで繋がってしまった攻撃ヘリは刹牙の強引な振り回しによって、他の攻撃ヘリを巻き込んで爆発した。


「電波妨害をしてる電子戦機を潰さないと、アベリィ達に通信が出来ない………!」

 同じ理由で援軍だって来られない。

「ミサキ! 電子戦機は見つけられた!?」

『駄目です。私達が空母を直接叩けばいいのでは?』

「そうしたいのはやまやまだけどね、こうも弾幕が厚いとそうも言ってられないよ。刹牙は全身に爆弾を背負ってるようなものだしね」

 航空機の母艦を直撃すれば、状況は好転してくれるのだろうが、この弾幕を突っ切って効果的な打撃を与えられるかは勝算の薄い賭けではないか、と政姫は考えてしまう。


「ミサキ、後退…」

 その時、政姫の視界の端に何かが飛び込もうとしているのが見えた。

「っ!!」

 胸部バルカン砲の斉射を浴びせられて、飛来物が弾け散る。

「これって………ッ!」

 政姫の指先を直感が不意に動かした。刹牙が左部バインダー・シールドを展開する。

『政姫さん!』

 ミサキの焦ったような悲鳴が聞こえた。

「だ、大丈夫………」

 刹牙がバインダー・シールドを収納する。

 唐突の事で、高鳴った心臓を抑えるのに三呼吸掛かった。


 左肩に付いたバインダー・シールドは隕石が作るクレーターのような傷が無数に浮かび上がっていた。

 政姫は機体ステータスをアップデートして、損害情報を確認して、冷や汗を流す。血の気が引くようだった。バインダー・シールドの装甲があと数mm薄ければ貫通して政姫は死んでいた。


「集束拡散針弾、こんな物を平然と使ってくるなんて………」

 通常は敵基地を無力化する際に使われる兵器、無差別殺戮兵器だ。

 普通のミサイル弾頭の中にブースターを搭載した小さな杭を複数収納するコンテナが収めてあって、弾頭に衝撃が加えると中の杭が拡散して辺り一帯を串刺しにするのだ。


 政姫は戦慄した。もし、もしもこれが政姫達が後退した先の市街地で使われていたら、と。

 一体、何人の人が死ぬだろう。かの串刺し公とて青ざめる地獄絵図が簡単に出来上がることは想像に難くなかった。

 地下シェルターすら貫通し得る集束拡散針弾を事も無げに投入してくるテロリストに、政姫は強い憤りを覚える。

 引いていた血潮が煮えくり返って噴き出しそうな程、強い怒りが政姫を包み込む。


「他人を殺してまで叶えたい願望ってなんなのよ………そんなのあって良いわけないでしょ!」

 激昴が刹牙の内部に循環する。

 突き動かされるように政姫は眼前の邪悪を睨む。

 メインセンサーの紫紅が瞬いた時、刹牙の保有火力のセーフティが外れた。


「そんな物を………こんな事をしようとするからァッ!」

 政姫の叫びは機獣の咆哮となり、脚部がアスファルトを蹴り上げる。

 抉れた黒灰色の残骸を巻き上げて、刹牙は飛び上がると、一面を睥睨し、そしてもう一度怒りの咆哮を轟かせた。


 刹牙の全身からマズルフラッシュが煌いた。

 刹牙の全力爆撃が攻撃ヘリも戦闘機も、政姫の目に留まった先から光の徒花となって墜ちていく。

 刺し違えようと無数の集束拡散針弾が刹牙に殺到する。濃密な弾幕に吶喊するそれらは破裂し、より小さな弾丸と化して刹牙を目指す。


「あああああああアァッ!」

 刹牙は誘導装置を切った四発のバインデッド・ミサイルを前面に打ち出した。

 針に触れたミサイルは爆発し、他のミサイルも誘爆して一際大きな焔光が立ち昇った。

 爆風に煽られて、針は四方に力無く霧散していく。


 集束拡散針弾を投下した爆撃機が反転し、離脱するのを政姫は見逃さない。

「逃がさないッ!」

 刹牙の足元に転がる航空機の残骸をショック・ハープーンで手繰り寄せて、爆撃機に向かって投擲する。

 放物線を描く投射物は的確に爆撃機の機翼をへし折った。爆撃機は螺旋を辿る中、ベイルアウトしたパイロットの人影が落下傘を開いて空中を漂う。


「逃がさないって………言ってるでしょうがァッ!」

 ショック・ハープーンの投擲がもう一度振るわれる。

 放られた攻撃ヘリの機体が寸分違わずに、パイロットが居た位置を、抉った。


 どこか、彼らにだって良心の欠片が存在しているのだろうと期待していた。

 間違いだったと思いたくはない。思いたくはないが、信仰だけで争いが無くならないことはこれまでの人類の歴史が雄弁に物語る。

 人類は長らく天敵と呼べるような存在を持たなかったツケなのかもしれないな、と政姫は感じた。

 今はまだ海底に身を潜める人類の天敵は、その片鱗を随所に見せつつあるのだ。


「こんなこと、してる場合じゃないの………」

 悲痛を込めたその呻きと共に、政姫は操縦桿を握る両手に力が入っていく。

 瞼を落として、次に開かれた目には理性と使命に依って立つ覚悟が燻る。


「間引かなきゃいけないのよ………もっと相応しい人達だけが生き残るためには………!」

 刹牙は重々しく、だが雄々しくその重脚の跡をアスファルトに刻み付ける。

「ミサキ。空母を沈める。何がなんでも絶対に」

 霊牙は静かに刹牙の背を追う。







同日 チェサピーク湾 空母ユナイテッド・ステーツ


「残弾三割を消費!」


「右舷艦首に着弾!」

「ダメージコントロール! 詳細を送れ!」


「ブリッジ! こちら戦闘指揮所だが―――!」


「そんな暇は無い! ユナイテッド・ステーツはチェサピーク湾に残り陸上部隊を支援しなければならない!」





 ユナイテッド・ステーツ甲板上、航空機が忙しなく離着陸を繰り返す。途切れることのないエンジン音と、ライトクルーザー級の砲声で人間の声などとても聞き取れる状況にはない。

 だが、艦橋もまた男達の喧噪に包まれていた。怒号が行き交い、一瞬の暇も許されない緊迫感は男達の正気を奪っていた。


「同志フレズヴェルグ。これを見てください」

 艦橋で海軍人の狂騒を傍から見ていたフレズヴェルグに部下の一人が画像データを差し出した。

 そこに映っているのは灰色の装甲を纏った異形のアーマーギア。フレズヴェルグはこの異形に見覚えがあった。


「こいつがいるのか?」

 フレズヴェルグの確認に部下は頷く。

 ネバダで一戦交えた灰色のアーマーギア。性能は軍用を遥かに凌いでいた。対峙した瞬間、彼の本能的な恐怖が呼び起こされていた。蛇に睨まれた蛙のような、それはフレズヴェルグにとって久しぶりの感覚であった。

「それにもう一機。色が違いますが、同型の物かと思われます」

 白いアーマーギア。これにも見覚えがあった。ネバダで、フィリップを殺したアーマーギアだ。あの光景は悪魔が地に産み落とされたかのようだった。


「同志フィリップの仇を取らせてください隊長」

「目的は海軍、空軍基地の殲滅だ。それにほぼ達成されている。後は目の前のライトクルーザー級を撒くだけだ。仇討ちなんて無駄だ無駄」

 フレズヴェルグは彼の具申を一蹴した。

 フィリップは一応はフレズヴェルグの望みの品を手に入れてくれた。フレズヴェルグにとっては仇とも何とも思っていない。

「同志フィリップは理想に殉じて散っていきました! 私はその彼の義に報いたいのであります! 同志フレズヴェルグ!」

 正気か、と素で聞き返したくなった。目的を彼は完全に見失っているとしかフレズヴェルグには思えなかった。自分の手足となって動く駒として時間を掛けて躾けていたと思っていたのだが、部下は頑なにフィリップの仇討ちを叫んでやめない。

(時間が無かったのは認めるが、こいつらは犬以下の学習能力しか持っていないのか………?)


「君、それは同志全員の望みなのかね?」

「勿論であります!」

 ホワイトハウスの襲撃、現大統領の殺害こそユナイテッド・ステーツの共通目的だ。しかして、そこに至るまでの経路が彼と自分とで決定的に異なっていることをフレズヴェルグは今更知る事になる。


 決死隊の覚悟で母国に逆らった軍人と、大義と理想のためにこの場にいるテロリスト。なるほど、とフレズヴェルグは心の中で頷く。彼らにとっての目的などは常に曖昧な霧中の灯光のようなものなのだ。だから、近場のものに目を奪われる。目的の為に組織として抗った経験が彼らには最後まで足らなかったのだ。


 「あぁ」とフレズヴェルグは声を零す。彼らは何も為さぬまま死ぬと思うと踏み潰した蟻程度の憐憫ぐらいは思い浮かぶ。

 彼らは何も為せない。ならば、どこで死のうと変わらない。無駄に苦い肝を舐めるような思いをさせるくらいなら、せめて肉の盾として使ってやろう。


「いいだろう。行くといい。だが、俺にはまだやることがある。分かるな? 勇敢なる同志、勇猛なる同志よ。行くがいいさ」

 勝手に動き回る駒など邪魔でしかない。フレズヴェルグにとっての真の同胞は同じ苦渋を舐め続けてきた人間だけだった。

(コイツらとも手切れだな)

 お友達ごっこの終わりを無けなしのオブラートで包んだように、フレズヴェルグは彼らの望む言葉を掛けてやる。

 生きている世界が違えば残酷なほどの隔たりが両者間にあった。それを埋める気も歩み寄る気も彼には微塵も無い。


「ありがとうございます、同志! 怪物の首を見事討ち取り、同志フィリップの墓前に飾ってご覧にいれましょう!」

「あぁ、そう」




「七時の方向! なんっ、敵アーマーギアが………本艦甲板上に!」

 通信手の驚愕を隠さない報告と同時に、ユナイテッド・ステーツが激しく揺れた。男達は呻き声を漏らしつつも体を固定させて咄嗟の衝撃に耐える。


「コレは………トカゲか?」

 突如目の前に現れた、化け物を模したかのようなアーマーギア。灰色の装甲はところどころが煤で黒ずんでいる。爛々と光るメインセンサーは爬虫類の目のようだ。

 灰の機獣、その異様は水兵の誰もに本能的な畏怖を刻み込んだ。


 艦長は乗員達の率直な疑問を言葉に出した。そしてすぐさま危険な敵なのだと排除の命令を下した。


「右舷バラスト排水! 船体を大きく傾けろ! 奴を海に落とす!」

「艦長!? 水上部隊の目の前で足を止めてしまってはっ!」

「ならば奴に潰されて挽き肉になるか!? 総員、体をどこかに固定させろ!」

 オーウェンが怒鳴るように吐き捨てると、船体が右側に大きく傾き始める。


「ぬぅっ………!」

 甲板上にあった固定されていない物から順に海に落ちていくのが艦橋から見えた。だが、灰の化け物は身じろぎの一つもしてはいなかった。


「死神か。祖国に仇なす我々を殺しに来たか………!」

 オーウェンは強く灰色のアーマーギアを睨みつけた。

 戦場の灰はどこまでも、どこまでも自分達帰還兵を追いかけてくる。

 オーウェンは黙って目を閉じる。悪運ここに尽きたか。


『投降してください。今すぐ武装を解除して、降艦してください。これは命令です』

 若い娘の、少し訛った言葉が降伏を勧告してきた。

 これ以上の生き恥を晒すつもりはなかった。諦めるのも口惜しいが、せめてここで、このユナイテッド・ステーツの上で。そう思っていると、男の笑い声が聞こえた。

 オーウェンはゾッとして振り向いた。


「おいおい、おいオイお嬢ちゃん。そりゃ笑えない冗談だぜ。投降? 馬鹿いっちゃいけない」

「中尉………?」


 オーウェンはこの場に至って嗤っている狂人の姿を見た。

 決死の覚悟に水を差された怒りでも恐怖に狂ったでも無い。アレは愉悦、だろうか。とうに頭のイカれた男の姿にオーウェンは戦慄を覚えてしまう。

 アレが行き着いてしまった結果なのだ。


「後は全部殺して、壊して死ぬだけなんだからさァ。邪魔しないでくれるかな」

『あなたがフレズヴェルグですね。ネバダで基地を襲い、ダナルズ・ジャック・モレッツを殺害した張本人』

「覚えてくれててオジサン嬉しいぜ。この前の続きでも踊ろうか? 異国のお嬢さん」

『ふざけるなッ!』

「ふざけているものか。あぁ、でも。少しだけ気分が良い。分かるかな、目障りだった小バエを殺虫剤で一網打尽にしてる気分に近い」

『罪も無い市民を小バエ呼ばわりか!』

「罪が無い、ねェ………。殺人ってのはさ、俺らみたいに直接じゃなくてもいいんだぜ? 言葉を使って紳士的に殺す方法がある。しかも集団的に組織的に。なんとこの方法だと罪悪感に囚われることもない。良い殺し方じゃないか。みんなで、みんなで。この国にはそういった輩が多すぎてねェ………」

 フレズヴェルグは語り掛ける。不出来な生徒によく教え込む教師のようだった。


「殺さなきゃいけない人間がいる。だから殺して回る。それだけだファッキントカゲ野郎」

『………同感だわ。殺してやるッ!』

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