罪を背負って行く覚悟
2050年 6月8日 深夜
普段ならば、早寝早起きを律儀に守る政姫はとうに寝ているような時間。日本ならば丑三つ時とも呼ばれる深夜の二時。政姫は眠れぬ夜を過ごしていた。
明日の無断欠勤を視野に入れて、政姫が諦めたようにコーヒーにミルクを注いでいると、唐突にチャイムが鳴り響いた。
草木も眠る丑三つ時に、不躾なチャイム音の連打。アメリカンが気にするかは知らないが、純日本人の政姫には耐えられない蛮行。政姫は玄関にすっ飛んだ。
「誰よ! 一体、今何時だと思っているの!」
政姫が怒鳴りながら、ドアのチェーンを外し施錠を解いてドアを押し開けた瞬間、部屋の中に何かが入り込んで来た。
「うわっ!?」
玄関にドタバタドタと前倒しになって転がっているのは三人の女性だ。よくよく厳密に言えば二人と一体、だった。
「いたた………。早く開けなさいよ政姫!」
「いきなりなんですか! こんな夜中にいきなり来ておいて!」
開口一番にいちゃもんを付けてきたのはアベリィ博士。
「いやぁ、私達も急に呼び出されたのよ?」と後頭部を搔きながら苦笑をするカミーユ。
そして、興味あり気に政姫の自宅を見回すミサキ。
珍し過ぎる組み合わせだ。
「ミサキを連れ出せる時間は今しか無かったのよ………」
「連れ出したって、最高機密をそんな逢引き感覚で言われても………」
ミサキはスンスンと部屋の匂いを嗅いで何故かうっとりとしていた。物が無いせいで片付いているとは言え、恥ずかしい。
あんまり嗅がないで、なんてミサキに頼みつつ政姫は何か日中とは違うアベリィ達を部屋の中に上げる。
「それで、こんな時間になんのご用なんですか?」
政姫はダイニングテーブルにマグカップを三つ用意して中にコーヒーを注ぐ。イジンにコーヒーを飲ませていいのかだけは躊躇いを覚えたが、興味あり気にアベリィの手元に注がれた黒い液体を見つめているので、ミサキにもそうしてやった。
「政姫。まずはあなたに謝るわ。ごめんなさい」
アベリィは真っすぐに政姫の瞳を、睨むようにして、そして頭を下げた。
「なぜ?」
アベリィが頭を下げる理由が政姫には分からなかった。
武芸者がジリジリと相手との距離を詰めるような、すり足のやり取りが繰り広げられる。
「あれだけ言っておいて虫の良いことを、今から言うから。そのうえで政姫に協力してほしいの」
政姫は一人、ベッドの上に腰かける。それでもアベリィは政姫から目線を外しはしない。
「協力?」
「えぇ」とアベリィは長く瞼を閉じて、そして見開いた。
「ダナルズ・エレクトロニクス代表取締役ダナルズ・J・モレッツがフレズヴェルグと呼ばれていた男に殺された。そしてそのフレズヴェルグがワシントンに向かうと言っていたの」
「ダナルズ・エレクトロニクスって………!」
スレイヴを使って核弾頭を持ち出していた、そのスレイヴの製造元。
ダナルズ・エレクトロニクスの代表がこの事件に一枚噛んでいる可能性は低くはないが………。
「ワシントンはアメリカ合衆国の、国際政治の中枢と言ったって良いわ。そこを…テログループに関与している可能性のある男が向かう、なんてB級映画のシナリオみたい。私はこのフレズヴェルグをワシントンに辿り着かせてはいけないと思ってる。私は、彼を………」
アベリィは言葉を詰まらせ、そして覚悟を決めた瞳を政姫に向ける。それは強い感情に支配された人間がするような目だ。
政姫は目の前のアベリィが日中の彼女とは別人のようだと思った。アベリィは一度だってこんな感情を剥き出しにした顔をしたことは無かったからだ。
「殺したい」
カミーユは黙ってコーヒーを飲み干し、政姫は頷くことはしなかった。
「ダナルズ・モレッツは私の父だった。父は確かに仕事一筋で最低のろくでなしだったけれど、フレズヴェルグみたいに人でなしじゃなかったのよ………。ビンタしたいほど嫌いだったけれど、殺したいほど憎いわけじゃなかった………」
告白を、四人の内の独白を、訥々とアベリィは、まるで決壊寸前のダムの壁から少しづつ量を増して漏れだすようだった。
「可哀そうな人だなって、そう思うようにして私もママも暮らしてたのに………、本当に可哀そうな目に遭っちゃって………自業自得ってすんなりと受け止められない自分がいて………!」
嗚咽が混じるようになって、アベリィは目元を擦る。彼女の目元はすっかりと赤く腫れてしまった。
「だから、パパの仇討ちを………フレズヴェルグには、この世でまだ誰もしたことないような死に方で、地獄に突き落としたい………!」
泣き腫らした目と声で、才媛と呼ばれた女性が懇願する。
「何を言っているのか、分かっているの?」
親を殺された経験はなくても、人の命を奪った経験なら政姫はある。
事を成した後で、自分の身に余るほどの後悔が来るのだ。
政姫は耐え切れなくなって防衛軍を辞めた。それでも、後悔は薄れはしなかった。
「お願い。手伝って政姫。全てが終わった後で、私をどれだけ罵ってくれたって構わない。あなたを否定しておきながら、あなたを頼るしかなかった私を。対価は必ず支払う、だから。今だけ卑怯者の私に同情してちょうだい」
アベリィの金色の髪が下に流れた。彼女は深く頭を下げていた。
軽はずみに答えては絶対に駄目だ。
政姫はカミーユに、ミサキに視線をやる。
「私はね、政姫の昼間の提案に賛成ってだけなの。復讐も何もね、ワシントンでフレズヴェルグ諸共テロリストを迎え撃てば済む話だわ。合理的、じゃない?」
「なにも、そのフレズヴェルグがテロリストの仲間だって確証はないんだよ」
「それは、まぁ女の勘よ。でもね、悪いことに関しては外れたことないの私」
最初は、アベリィが無茶苦茶を言っていることに腹立たしさを覚えていたが、あまりに感情的な彼女の姿にいつの間にか過去の自分を重ねていた。あの時の自分がそうだったように、政姫は彼女に冷徹な言葉を浴びせるべきなのだ。「そんな事をしたって、誰も浮かばれない」と。
テロリストは確かに危険だが、それは軍隊の仕事だと、彼女が昼に言っていたように言い返してやればいい。「第6研究セクションは、アーマーローグ計画はそんな個人の感傷の為にあるんじゃない」と。
「ミサキは、どうしたらいいって思うの?」
「私は政姫さんの言った通りにします。政姫さんが一人でもテロリストを止めに行くと言ったなら付いて行っていました。無理やりにでも」
そういうことか、と政姫はアベリィを睨みつける。
この女は昼の政姫の話に同調しそうなメンツを連れ立って、この場に臨んでいたのだ。カミーユも、ミサキもきっとこう言ってくれるだろうと計算ずくだったわけだ。
「随分と、用意周到じゃない」
アベリィは未だ頭を下げ続けている。
「軍隊に任せればいいんじゃないんですか? 自分の言ったことを、信念を覆してまで復讐をしなきゃならないんですか? 自分の為に他人を殺そうとすることが、アベリィ・モレッツの為になると、本当に思っているんですか?」
怒る気はすでに消え失せ、ただただ氷のような心でアベリィを問い詰めた。
過去をやり直せるなら、とあの日以来考え続け、そして、きっとこれが最後の踏ん切りだ。
決別か、死ぬまで引き摺り続けるかの分水嶺。
答えは自分で出さなければならない。
日本から遠く離れたアメリカで、もう一度政姫は選択に迫られている。
(中村二尉。きっと私の中のあなたは、そうやってずっと選ばせ続けるんですよね)
日本防衛軍横浜基地、第七機甲師団特殊戦闘車輛集団に配属されることになった新任官達の中にいた井伊政姫三尉を待っていたのは厳しい鬼のような上官だった。
中村悠二尉。政姫とは三歳としの離れた上官は新人を誰一人として例外なく扱いた。
肩に触れるかどうかほどの髪を一つに縛り、その髪の房を風に靡かせ怒声を上げる女性士官は政姫の憧れの存在となるまで、そう時間はかからなかった。
入隊から三ヶ月、新任達が中村悠二尉の下での訓練にもようやく余裕を見せられるようになった頃。
部隊内の意識の弛みを戒める目的で、先任士官と新任とで模擬戦闘訓練が実施される。
負けず嫌いな性格だった政姫は、男が大半を占める防衛軍第七機行師団隷下特殊戦闘車輛集団という環境の中で、男に勝ってやろうと躍起になっていた。
常に自分を律し、誰からもケチを付けられないような人間であろうと、自分はもちろん他人にも厳しい態度を貫いていた。恋愛も青春も必要ないと捨て去った。それは、誰にもプラスになっているだろうと、自分で自分に満足している節も、振り返ってみれば確かにあった。
そして、政姫がそうなっていった一因の一つにとある男性軍人の存在があった。
飄々とした性格で、掴みどころのない、変わった男だった。政姫のような士官コースを歩いてきたわけではなく、高校を卒業と同時に入隊した下士官で、その出自と歳を見ればそこそこ有能な軍人のようだが、政姫にはその態度が気に入らなかった。
年齢が幸か不幸か同じであり、他の同期とも彼は仲が良かった。
政姫には話かけなかった同期が彼と親し気に話している分には、まだよかった。
だが、憧れの存在だった中村悠二尉が、いつも厳しく凛々しかった彼女が彼に話駆ける時だけ、少女漫画のヒロインみたいに微笑んでいたのを見てしまった瞬間、政姫の胸が酷く痛んだ。
政姫が捨ててきた何かを、中村二尉が持ち続けていたと知ってしまった途端、政姫は巨大な大穴に落ちていくような深い孤独と嫉妬を感じてしまった。
部隊内模擬戦闘の政姫の相手は誰が仕組んだやら、中村悠。
政姫と彼女の経験値差は圧倒的で手も足も出はしない。
政姫が削って、削って、そぎ落とした全てを持ったままで自分を中村二尉は見下しているような気がして、井伊政姫は道を踏み外した。
井伊機は中村機に突進、鷲掴みにしたままコンクリートに中村機を叩き付けた。その衝撃で戦陣各部のディーゼルエンジンは破損、爆発してしまう。
搭乗者の井伊政姫、中村悠は擱座の衝撃で気絶。
中村悠二尉は外気温調節の狂ったコックピットの中で、焼死した。
目覚めた医務室のベッドの上で、政姫を待っていたのは中村二尉の訃報と、事故検証委員会の詰問だった。
憧れの存在を、それも自分のせいで死なせたと知らされた政姫は精神衰弱と判断されるも、事故検証に連れ回され、そして軍法会議に掛けられた。
誰一人として部隊内に親しい人間のいなかった政姫を弁護しようとする人間は、横浜基地中を探しても見つかりはしなかった。
軍法会議中、碌な自己弁護も出来ないまま、果ては会議中に発作を起こして気絶。
精神衰弱が進行したことで、中村二尉の殉死は不慮の事故と書類上で片付けられたのだが、政姫は精神衰弱にパラノイアを発症させて、このまま軍務に尽き続けるのは難しいと医師に告げられてしまう。
その後も少しは部隊に馴染もうと努力してはみたものの、すっかり政姫は上官殺しの烙印を押され、誰もが政姫を腫物のように扱った。
政姫の面倒を見ていた医師はこれ以上は政姫の精神が限界に達すると、政姫の両親に連絡をして、実家のある名古屋に連行され、そしてそのまま逃げるように退役してしまった。
政姫は自分の過去を、捨てられない過去を、三人の前で語った。
まだ、この話をすると背筋が凍るようで、背後で自分の中の後悔の塊が中村悠を騙って囁いてくる。
こんなに苦しいことを、他人がこれからやろうとしている。こんな経験しなくてもいいような苦しいだけのことをだ。
政姫は思い止まってほしかった。それは瞼を閉じればふさぎ込んでいたあの頃を昨日のように思い出せるからだ。両親はきっと自分の娘が苦しむ姿なんて見たくなかったはずだ。
政姫は友人が後生苦しみ続ける姿を見たくない。
「アベリィ。仇を撃った瞬間は、きっと憂さは晴れるでしょう。でも、その後には深い虚無感に襲われる。殺人という罪を背負ったまま、忘れることを許されないまま一生。世界はなんの得にもならないイタチごっこで回っているって思いながら」
途切れることの無い殺意の輪廻。正義が正義を飲み込もうと尾を飲み続けるウロボロス。
「それでも、アベリィは復讐がしたいの?」
アベリィは徐に顔を上げると、じっと政姫の瞳を見つめる。
「お願いします。協力してください」
彼女の覚悟は、いや、こんなことは実際に体験しなければ他人が理解できるはずがない。
アベリィは選んだ。背負うという覚悟を。なら、政姫も友人として選ぼう。悔いを残さないための覚悟を。
「分かった………。協力する。でも、一つだけ条件」
「ありがとう政姫。この恩は絶対に、何があっても忘れないわ。それで、条件って………?」
アベリィは同性から見ても可憐な笑みを浮かべた。それはアイリスの花のようだった。
「それはね――――――」
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