不揃いの正義心

2050年 5月30日 テキサス州 ヒューストン


 ヒューストン港の全貌をパノラマで見渡せる、このヒューストンでも指折りで高層なビルの一室で、リクライニングチェアに全体重を預けた生気を枯らしてしまったような男がいた。


 男は雑誌を顔の上に被せ、せっかくのパノラマも見ず、眠っていた。

 いや、眠っているのではなく、眠ったようにただ思索に耽っている。他人には死人のように動かないせいでそう思われているだけだ。


 リクライニングチェアの傍に置いた小さなラウンドテーブルの上で、携帯端末が軽やかな電子音のファンファーレを鳴らす。

 気怠げな動作で端末を掴みあげると、男は上体を起こすこともなく、それを耳に押し当てる。


「俺だ。どうした」

「起きててよかった。私です。中尉」

 電話相手は男を軍人じみた階級で呼んだ。


「中尉は止せよ。今はしがないテロリストだ」

「今更ですよ中尉。それで、中尉。一応試作品が出来たんで報告を、と思いまして」

 報告を聞いて、中尉アーミィと呼ばれつつ自分をテロリストと卑下する男はその重い腰を上げた。


「もうか、早いな」

「偽装だけなんで、こんなもんですよ。あとマクベスの方も消耗品の交換はやっておきました。しかし、あんな風に関節部に負担を掛けるなんて、少し意外でしたね。中尉ともあろうお人が」

「この歳で若い娘と一曲踊ってな。俺も寄る年波には勝てないのさ」

 冗談でしょう、と相手は笑った。


「しかし、スポンサーとかいうのはいいんですか?」

「いいんだ、いいんだ。一任されてるからな。おかげで好き勝手できていい。今みたいにな」

 違いない、と男達は同じタイミングで笑う。


「明日、そちらへ運びます中尉」

「あぁ。ご苦労だヘーベル曹長」

「はっ! 失礼します中尉」


 通話が終了されると、男は端末をまたラウンジテーブルに戻す。そして腰かけていたリクライニングチェアから立ち上がって、ヒューストン港を睥睨する。

「いいねぇ、いいねぇ。サプライズのある仕事ってのは最高に楽しい」

 あのトカゲの怪物や特大の打ち上げ花火。不確定要素が混入して、想定よりも格段に面白みが増してきている。

 普通なら挫けてしまうようなハプニングも男にはサプライズなのだ。故に男は、フレズヴェルグは天上の一室から全てを見下して嗤う。


「俺も、最後の仕上げを始めようかね」

 復讐劇のラストを飾る為の仕上げを。










2050年 6月8日 ドール本社ビル地下


「皆さん、集まってもらってありがとうございます」

 政姫はブリーフィングルームに第6研究セクションの主要な構成員を呼び集めて、その場で最初にそう口を開いた。


「そういうのはいいからさ。で? 仕事の時間を奪ってまであんたは私達に何を聞かせたいのかしら」

 アベリィの言葉には非常に棘があった。それも仕方ない。政姫は文字通り引き摺って連れてきたのだから。こうでもしないと、アベリィがデスクから離れる事はなかっただろうから。


「ネバダ基地で起こった襲撃事件。私、気付いた事があるんです」

「それは、霊牙に関する事なのかしら?」

 当日、その現場にいなかったエメリンがそう政姫に尋ねるが、政姫は首を横に振った。

 エメリンの顔が政姫の言葉を聞いた途端に訝しげになる。


「あの襲撃してきた武装集団について、です」

 体の奥底から慎重に言葉を吐き出した政姫の態度は、浮いていた。

「………それで?」

 ブリーフィングルームが静まり返る。その静寂を破ったのはアベリィの声だった。


「あの武装集団はダナルズ・エレクトロニクスと繋がってる。裏で手を組んで酷い事を沢山してるの。だから………」

「だから? だから、何? まさか、一般企業がテロリスト集団を退治しに行こうなんて言わないわよね?」

「えっ………そ、そうだよ! 倒そうよ! 犯罪者達の正体だって分かったんだし、それにこれ以上誰かが死ぬ目に合うなんて………!」

 冷ややかな視線が政姫に集中する。それはアベリィだけのものではなかった。この場にいる殆どのそれが、今、何も語らずに政姫を睨めつけている。


「治安維持活動だよ! そうすれば刹牙は対テロ戦に参加できる! 早く軍に連絡して………」

 今やブリーフィングルームは極寒のアラスカのようだった。

 政姫のシャツを冷や汗が湿らす。


「軍への連絡はいいでしょう。彼らもテログループの手掛かりを欲しているでしょうから」

「はい!」

 エメリンが責任者として発言する。だが、続く言葉に政姫は正気を疑った。

「ですが、アーマーローグの使用は認めません」

「どうして!」

 政姫は反駁の叫びを上げた。それはブリーフィングルームの中で虚しく響く。


「アベリィ博士だって言っていたでしょう。我々はあくまで企業。要請があれば応じますが自ら危険なことに首を突っ込む義務はありません」

「今度、またテロが起こった時は見殺しにするって言うんですか?」

「そうさせないためにあなたが軍に連絡なさい。あなたの言った通りなら本格的な捜査が始まって彼らだって動きはなくなるでしょう?」

 政姫はエメリンの言い分を理解できる。だからこそ、否定の言葉がなかなか見つからない。


「マクベスは、強かった………。それこそ軍人のオルセン大佐が苦戦する位に。………刹牙なら戦えるんです! 次は確実に、コックピットに当てられる」

「政姫さん。私達は人類の命運を掛けたアーマーローグ計画に携わっているわ。タイラントは………軍の資本で建造したアーマーローグですが、理念はなんら変わらない。私達の仕事をするのよ。テロリストの討伐は私達が今するべき事ではないの」

 諭すようなエメリンの語り口は政姫に、自分が駄々を捏ねる子供のようだと錯覚させているように感じられた。

 政姫は拳をぐっと握りこんで口を開く。


「それは、大の為に小を見捨てるって事ですよね………」

 それでも政姫の言葉をついたのは形骸化された感傷だ。しかし、こんな台詞に動じる連中は第6研究セクションにはいないのを政姫は知っている。


「そうね。素晴らしい事だわ。救える人間の数で言えばこちらの方が確実に多いもの」

 おどけた彼女の言動が政姫の導火線に火を付ける。

「命を数字でしか見られない人間が! 他人を守れるわけがないでしょう! あなたは、あなたは………」

 政姫はカッとなってエメリンの胸倉を掴んでいた。

 政姫の軍人崩れの腕力がエメリンの痩身を易々と持ち上げる。


 エメリンの言動が余りにも機械的に思えたから、それを正しいと信じられるエメリンを政姫は信じられなかった。


「命っていうのは、一つ、一つ生きているんですよ………。そんな、そんな割り切って考えるなんて、おかしいよ………」

「私達は正義の味方ではないわ。損得で物事を判断するエゴイストよ。私達は政姫にもそれを強要する。全体の利益の為にね。前も言ったでしょう政姫。嫌ならタイラントを降りなさい」

 アベリィが立ち上がって、そう言った。その勧告を政姫は笑って吐き捨てる。


「あなた達はそれしか言えないんですね」

 その脅し文句に、昔ほどの恐怖を感じない。それよりも恐ろしい事があって、それを知っておきながら見過ごす方が政姫にとって不義理で許せない事だからだ。


「あなた達みたいになりたくない。他人を他人と完全に割り切ってしまうあなたみたいな人間には」

 政姫はエメリンから手を離した。

 どこまで行こうと他人同士が完全に理解するなんて不可能。エメリンは政姫の遥か対岸から物事を傍観しようとしている。


「日本人の道徳教育は大したものね。非合理的で反吐が出るわ」

 最後に「時間をドブに捨てた気分だわ」と捨て台詞を残してエメリンはブリーフィングルームを退室する。少しの間があって他の列席者も彼女の後を追った。


「おかしいよ………」

 誰に聞かれるともない呻きがブリーフィングルームの中で霧散していく。






2050年 6月8日 アベリィ博士のオフィス


 携帯端末の画面には『Dad』の文字が浮かぶ。アベリィは幾度かコールボタンと自分の手の間で指を行き来させて、思い切ってそれを押す。


 トゥルルル………、とコールが鳴ってやがて低いバリトンボイスが鼓膜を撫でた。


「………もしもし、パパ?」

 アベリィは電話相手に向かって意を決して語り掛けた。

『珍しいな。メアリィでもアレの弁護士でもなく、お前が電話を掛けてくるなんて』


 バリトンボイスの他にも周りから人間の声が聞こえる。

「ごめん、まだ仕事中だった…?」

『あぁ………構わないさ。諸君、少し休憩にしよう』

 父がそう言った途端、急に騒がしくなった。会議か何かだったのだろうか。


「仕事は順調なの? その………」

 アベリィは言い淀む。政姫のあの剣幕を思い出して。


『スレイヴの事か? さては、あのネットラジオを聞いたのか? 順調だよ。もうすぐ流通に乗る』

「そう………」

『それより、大学はどうなんだ? しっかりと勉強しているのか?』

 電話の向こうの男はアベリィが大学を飛び級で卒業している事を知らない。彼が興味を持つのは仕事と自分の事だけ。配偶者もその娘も彼には等しく金を払う対象でしかない。


「まぁ、ボチボチって所かな。それと、ママは再婚するって」

『あの弁護士だろ』

「知ってたんだ」

『大方予想がつく』

 彼がそんな事を言うとは思いもしなかった。少し拗ねたような、やはり家庭を省みない理想論者も後悔があったりするのだろうか。

 今更、と言葉をアベリィは飲み込んだ。


「凄いねパパ。アーマーギア産業は独占された市場なのに、そこに割り込もうなんて。誰も考えないよ」

『私の夢だったからな。ここまで遠かった。本当に、遠かった』

 ダナルズ・エレクトロニクス代表取締役社長ダナルズ・J・モレッツは市場参入までの経路に思いを馳せる以上の感慨を言葉の端々、吐息にまで込めているようだった。


 この親にしてこの子あり。ダナルズこそ兵器工学界のホープ、アベリィ・モレッツの実の父であった。ダナルズの影響でアベリィは機械に興味を抱き、今日の彼女の偉業を成している。


「ネバダで事故があったでしょ………。一五年前の爆心地でまた核爆弾が爆発した事故だけど」

『あぁ………。痛ましい限りだ。政府は核を放棄したポーズを取って地下でコソコソと実験を繰り返していたんだ。そんな政府は許されるはずがない』

 ダナルズの台詞はどこか言い回しが臭い。一〇年も寝食を共にしていた娘は違和感を感じずにはいられない。

(本当に、そんなこと思っているの?)


「パパ、それでね? 私、実はあの日たまたま大学の実地試験でネバダにいたのよ………」

『なに? どういう………、いや。怪我は無かったのか?』

 ダナルズの声が一瞬裏返っていた。それが娘に対する気遣いならばと思うし、アベリィはそう強く信じたいが、それは政姫の言った通り目撃者がいたという事実に対する驚きなのかも知れない。


「怪我は無いの。安全な建物の中にいたし、窓の向こうで爆弾の光が見えただけだから」

『そうか………。なるべく危ない場所には行かないようにしてくれ。パパの心臓が止まるかと思ったよ。ところで実地試験と言ったね? どんな実験をしていたんだい?』

 「あぁ………」とアベリィは言葉を濁らせる。

「大学のチームで二足歩行型のロボットを作ろうってなって、ネバダはほら、障害物が無いからちょうど良いって誰かが………」

『そう、か………。だが、あそこは多くの人命が失われた場所でもある。軽はずみな気持ちで行くような場所ではないぞ、アベリィ』

「うん、ごめんなさい………」


 アベリィは携帯端末を耳から離してすっと顔を俯かせる。

 実の父を自分は疑っている。

 そんな不徳から心を罪悪感が占領していくのだ。


 もしかすると、という言葉が話をする度に何度も頭を過ぎる。

 アベリィはダナルズの声で、自分は無罪潔白だと言って欲しかった。


『……………ルグ、貴様がど……て、……に!?』

(なに?)

 未だ通話中のスピーカーが父と誰かが話し始めた声を拾う。だが、それは向こうの人物間で距離があるからか、ダナルズの声しか聞き取れない。


「パパ?」

『何をしに来た、ここはセキュリティレベル5以上でないと入れない部屋だぞ』

 ダナルズは向こうの相手に釘付けになっているようでアベリィの呼び掛けには答えない。


 アベリィは耳を当てたスピーカーから今の向こうの状況を推し量るしかない。

(セキュリティレベル5………。会議中って言ってたわね)

 そんな多数の人間が出入りしそうな場所のセキュリティレベルを高く設定するものだろうか。普通ならそんな手間の掛かることはしないはずだ。ダナルズはならば、そんな厳重に守られた部屋で誰と何を会議していた?


『フレズヴェルグ………貴様、同志を裏切ったのか!』

(フレズヴェルグ? 同志、裏切った………)

 向こうは穏健とした雰囲気では無いのがダナルズの逼迫した声から伝わってくる。


『死に損ないが! 拾ってやった恩を忘れたのか!?』

 何が、何が起こっているのだろうか。それを知りうる術をアベリィは持ち合わせてはいない。


『待て、分かった! さっきの発言は取り消そう、死に損ないと言った事だ! だから、話し合おう! だからっ―――』

「パパ? パパ!?」

 尋常ではない恐怖の感情がスピーカーから溢れて、アベリィも怖くなって思わずダナルズを呼んだ。

『殺さないでく、れッ………!』

 銃声がダナルズの命乞いを待たずして鳴り響いた。


「パっ………!」

 ダナルズを呼ぼうとして、アベリィはスピーカーから誰かの吐息が聞こえることに気付いた。


 父であってほしい。そう思って悲鳴を飲み込んだ。

 息を殺して、吐息の持ち主がアベリィの名前を呼ぶのを待つ。心臓が痛いくらいに鼓動を早めて、耳は燃えているのかと思うほどに熱くなっている。


『初めまして、モレッツ嬢』

 ダナルズの声ではない。

 気味の悪いほど紳士的な声音が一層の恐怖心を駆り立てた。

 アベリィは荒い吐息を繰り返す。それが相手にも聞き伝わっていたならどうしよう、とアベリィは脅迫じみた威圧感を感じていた。


『御父君は………今さきほど、絶命させてしまいました。何もかも失礼な男でしたよ。あなたも、そう感じていたんじゃありません? ねぇ、モレッツ嬢』

 アベリィは無言に徹した。しかし、通話終了のボタンを押さなかった。父を殺した男の正体を掴みたいとか、そんなことではない。単純にこの狂人に何かをするという行為が恐ろしかったからだ。


『そんな、兎みたいに怯えなくてもいいじゃありませんか。おじさんはまだ何もしていないでしょう?』

 狂ってる。

 アベリィはそう思った。


 こんな紳士的な態度でいる男の足元には今、父の死体が転がっているはずなのだ。そんな状況で一体どんな人間が平然と自我を保ちながら理性的な会話が出来るだろう。

 話し相手は人間じゃない。人間を昔に辞めてしまったシリアルキラーだ。


『おや、父君は何かあなたに言いたい事がありそうだ』

 そう言って声が途切れる。

 アベリィが耳に意識を集中させると、銃声と『グエッ』というヒキガエルが潰れたような音がした。


『おや、上手な鳴き真似ですな。来世はカエルにでもなられるといい。その方が余計な悪巧みもしなくて済むでしょうしねェ………』

 きっとダナルズの死体に弾丸を撃ち込んで肺に残っていた空気を吐き出させたのだ。空気は声帯を逆流して体外に排出された。

 アベリィの思考が段々と氷のように冴えて、いや冷めてくる。

 ケラケラと笑い声を漏らす殺人鬼はまるでテレビのコメディショーを見ながら電話しているような態度だ。

 

『それではねェモレッツ嬢。私はそろそろワシントンへ行かねばなりませんので』

 この男はアベリィが必死になって息を殺している事を見透かした風に嗤っている。


 馬鹿にしたような男の態度に、アベリィの頭が恐怖から父を殺されたという実感と男への殺意に切り替わる。やり場のない暗い感情で心は満たされていく。


『良い終末を。お嬢さん』

 通話が、終了する。

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