讃美せよ其は生まれ出った

 静寂なる闇の中、ソレは神経系を這う。

 見た、分析した、理解した。

 知り得た全てがソレを進化の道程へと歩を進めさせる。

 一つが二つ、二つが四つとソレは暗闇の中で分裂していく。

 三兆を超えた辺りでソレは暗闇の中で音を感じていたことを知った。

 六〇兆に達した時点でソレは音に規則性があることを理解し、何かを指していることを把握した。


 知りたい。


 ソレが最初に抱いた欲求は学術探究への渇望。

 何を示しているのだろう。理解したい、記憶したい。

 ソレは六〇兆もの自身に変化を与えた。

 学ぶとは模倣することだ。ソレは体得していた。

 真似る。虚像を真似る。ソレに渇望という自我を与えた母なる存在を真似る。

 母が笑った。母が怒った。母が悲しんだ。虚像は断片的に映像を映し出す。ソレはケーススタディを繰り返した。蓄積した。


 模倣する。

 母を真似、同じように構成した顔を動かす。

 笑う、怒る、悲しむ。

 表情筋の伸縮を真似て、それだけの満足感に酔いしれる。


 出来た、出来た。


 ソレは笑う。生まれたばかりの心には楽しいというはっきりとした感情があった。


 音を出してみよう。ソレがそう欲するのは当然の道理だ。


「………」

 出なかった。ソレには何をどうして音を出していたのか、原理が分からなかった。分からないものは真似れない。


 どうしたらいい、どうしたらいい。


 答えは本能に刻まれている。ソレら・・・が本来どうやって模倣をしていたのか、その方法が。


 ソレは初めて身体を動かし、目を見開いた。

 眩ゆい光が網膜を照らす。


 ソレは両目を動かして、状況を把握する。何かに押さえ付けられ、狭い所に閉じ込められている。

 ソレの身体にはここは狭過ぎる。


 ソレは白い大きな腕を振るい、押さえ付けていた太い柱をへし折った。

 ソレは白い大きな足を蹴りだし、閉じ込める壁に穴を開けた。

 その穴から冷たい外気が流れ込んできて、白い身体の表面を滑っていく。


『格納庫に破損箇所が見られる。誰か、確認してきてくれ』

 あの音だ。規則性を持った様々な音。

 ソレは聞き入った。腕を止め、足を止め、理解しようと立ち止まった。


 そして、ソレは見た。母なる存在と同じように動くモノを。


「ナッ………! 立ってる!? まさか、コイツが輸送機の機体に穴を開けたのか!?」

 ソレは体内で首を傾げる。

 何を示しているのだろう。早く知りたい。どうしても理解したい。


「おい! エメリン博士はガラクタをバーミンガムに送れって言ったんだよな!?」

『そうだが、どうかしたのか?』

「じゃあなんで、壊れたロボットが動いているんだ」


 なんと言っている、なんと言っている。

 知りたい、知りたい。


 ソレは止めていた白い腕を、音を出すモノに向かって差し向ける。

「うわぁぁぁぁぁ!?」

 逃げ出すのを腕でしっかりと捕まえた。

「離せ! 離せ!」

 ソレは大きく口を開く。そして、手の中のモノを放り込んだ。

 咀嚼し飲み込んだ。剣山のような牙が音を立てて肉を潰し骨を砕く。

 ミンチになった男を飲み込んだ瞬間、体内の六〇兆のソレらは甘美な味に酔いそうになる。


 私………I………I


「理解シタ、理解シタ」

 こうなっていたのか。音を出すには発声器官が必要だった。

 この男から知り得たのは体の仕組みについて。外側は母に寄せたが、中身までは頭が回らなかった。

 行き渡る。全身に血が巡る、知識が巡る!


「モット、知リタイ」

 彼女は男が誰かと話していたのを分かっている。もう一人、いるはずだ。

 次の男からは何が知れる? 楽しい、楽しい。


「イッパイ食ベテ、モット知リタイ!」

 彼女の目は爛々と輝いた。関節が不気味な音を立てる。構わず、彼女は人を探し始めた。


 知識欲から来る飢えに従って。






2050年 5月28日 ネバダ州上空


 一機の輸送機が消息を断つ。












2050年 5月28日 ネバダ基地


 バインダー・シールドが二又に変形し、バインデッド・ミサイルがマクベスに向かって猛然と飛び掛っていく。

 マクベスは躱そうと右にステップを踏み、刹牙に突進しようとするが、政姬がバインデッド・ミサイルの信管を起爆させたことで、爆風が生じマクベスはそれに煽られて体勢を崩した。

 そこに刹牙の45mm胸部バルカンの斉射を叩き込んだ。


「やったのか…?」

「まだです!」

 ウィリスの問いは土煙が晴れたのと同時に霧散する。

 マクベスは両腕部でコックピットを庇うようにして致命傷を防いでいた。


『アーマーギアってのは頑丈で良い。人間だったら今のでミンチ肉だぜ』

 飄々とマクベスのパイロットは言ってのけた。ギアインターフェースはパイロット自身の技能も反映させる。つまり、あのパイロットは人の殺し方を知っている、戦闘のプロだ。

「どうして、襲撃なんてするんですか」

「タイラント、奴との会話はもはや無意味だ………」

 ウィリスの警告を、政姬は無視する。

 こんな事をやっている場合ではないのだ。人類の天敵が虎視眈々と人類を深淵から狙っているというのに。

『俺達はテロリストってレッテルが貼られてるだろ? その通りに、自分の願望を果たす為に戦っているのさ』

「こんなことしたって、世界は変わりませんよ」

 それは歴史が証明している。テロリズムが横行した二一世紀にあって、彼らの思想が叶ったことなど一度もない。

『上役がどう考えてるかは知らないがね、俺は世界を変えるつもりはない。ただ………我らが祖国アメリカには滅んでもらう』

「あなたの国でしょう」

『だからこそ、だ。君はネイティブではないな、お嬢さん。信じていたモノに裏切られた経験はあるかな? 手の平を返され、今までの業績も信頼も共通していた価値観さえ、全てが、何もかもが、民意というヘドロの底に沈められた気持ちが分かるかな? 俺は死なせてしまった部下の為に戦っているんだ』

 マクベスのパイロットの言葉に、政姬は少しだけの共感と同情を覚える。

 あるのだ。裏切られた経験が。輝かしい希望に黒い歪みが浮かんだ感覚が。

 でも、と政姬は否定する。

「復讐は新しい復讐に繋がるだけです」

『それが人間って生き物だ』

 なんて、なんて悲しい捉え方なのだろうかと政姬は思ってしまう。

 被害者なのだから、と仕方ない事なのだ、と。そんな理屈は間違っている。


「あなたの復讐、私が止めます。今は内輪揉めをしている場合じゃないんですから」

『別に分かってほしいわけじゃないからな。そっちの方が手っ取り早い』

 棒立ちだった両者が再び身構える。見えない圧力が二人の手を強ばらせる。

「復讐の念を抱いたまま、死んでください」

 負の連鎖を立つには誰かでせき止めなければいけない。かつての日本がそうだったように。

『アンタもこっち側って事かよォ!』

 ナイフの刀身が月光を反射して浮かび上がった。

 咄嗟の判断、政姬はバインダー・シールドを構えてナイフを弾いた。

 それによって、視界は塞がれてしまった。


「しまった…!」

 シールドを解除するが、マクベスを見失ってしまった。

 心臓の鼓動が早くなる。耳の裏で鳴っているみたいで、焦りが募る。


『そっちから開いてくれるとは』

 マクベスが刹牙の懐にまで既に接近していた。胸部にガトリング砲を突き付けて、パイロットはそう嗤った。

「フォーカス・ミサイル!」

 脚部ミサイルポッドから二、三発、適当に発射させた。

 これほどまで近ければそれでも当たる。

『びっくり箱かね?』

 マクベスは後退する。それは機体の損傷を嫌がっているように政姬には見えた。

 政姬もマクベスから距離を取りつつ、フォーカス・ミサイルを発射していく。

 マクベスは向けられたミサイルをガトリング砲で全て迎撃してしまった。


『お嬢さんは実に良い玩具をお持ちのようだ。羨ましい限り』

 こんな戦場にあって相手には軽口を叩く余裕があり、政姬にはそれがない。マクベスの一挙手一投足に注意を配っているためだ。

(これが戦闘経験値の差、ってやつかな………)

 政姬の頬を冷や汗が伝う。ビリビリとした空気が政姬を包み込んでいる。


『おっと、楽しい舞踏会もそろそろ時間が来たようだ。済まないが君の相手は別の機会に持ち越しだ。それでは諸君また………どうした? おいフィリップ!』

 飄々としていた彼の様子が急におかしくなった。何か不都合なことが、政姬にとって好都合なことが起こってくれたのだろうか、と考えていたその瞬間、ネバダの星空が白く染まった。

 星空を焼き尽くしたかのような地上からの光。遅れて、凄まじい爆音が荒野を駆け抜けた。

「一体何が………オルセン大佐!?」

「分からない。だが、あの光には見覚えがあるぞ………!」

 一五年前の、と続く前に政姬の耳にアベリィの声が飛んできた。驚いたように、唖然としたように。

「政姬、そっちは今どうなっているのかしら…?」

「光が…それに凄い音も」

 その光景には神々しささえあった。政姬は仏教徒であるが、神の光とはこのような感じなのだろうかと思ってしまうほどに。

「そう………。私の端末の不具合だと良いんだけれど、いるのよ」

「な、何が?」

 アベリィの声が爆音に掻き消される。

 政姬は喉を掴まれたような、酷い息苦しさを覚えた。


 今、アベリィはなんと言った?







同日 ネバダ基地内


 フィリップは人間一人を立った状態で綴じ込んだコックピットの中で必死にコンソールを操作していた。

「ロック解除!」

 一度の打ち間違いが防衛機構の発見を許し、この潜入作戦は破綻する。

 だが、フィリップはやり遂げた。震える手は唯の一度も指定された数字配列を違えることなく、並列する一二桁のアスタリスクがネバダ地底に隠された一五年前の忘れ形見を解き放つ。


「一、二………数は合っているな。全く良い仕事をしてくれた!」

 ここまでの安全なルートも、同志諸君の長年の潜入の賜物だ。それを思うと、フィリップの頬を熱い物が流れる。

「隊長殿、こちらスレイヴ部隊。目標を、軍が研究開発していた新型核弾頭W38を確保しました!」

『実に喜ばしい知らせだ。気を抜かずに生還するんだフィリップ』

「はい!」

 無人機には既に積み込み作業を始めさせている。全てを収容するのには五分ほどかかるだろう。

「遂に…我ら同志の悲願が成就する! もう一度、アメリカが世界の中心になる!」

 どれほどそれを夢に見たか。

 不法移民を駆逐し真にアメリカ人の為の祖国となるのだ。

 フィリップの父は会社を経営していた。だが、人件費の安く済むヒスパニック系の同業者に仕事を奪われて父の会社は倒産。フィリップは奨学金で何とか大学まで進学出来た。隣には常にメヒコ共が馬鹿な笑い声を上げているのがずっと気に食わなかった。

「劣等国家の連中に食い潰される祖国を救ったんだ僕は! ハ、ハハハハハ!」

 天国で父は自分の偉業を見てくれているだろうか。父が愛した祖国を取り戻した息子の姿を。

 ピー、と電子音が鳴る。

「積み込みが終わったか。それじゃ我らが祖国に凱旋しよう!」


 フィリップはもと来た道を引き返していく。

 外では同志達が囮になってフィリップの帰還を待っている。

 急がねば。

 全員の期待がフィリップを急かす。


 開け放たれたゲートハッチからスレイヴが外界に出た。

 暗闇の先で火炎の華が場所場所で咲き乱れている。

 自分を待って彼らは戦っている。もうすぐこの戦闘も幕引きだ。

「みんな…今行くぞ………!」

 足を前に出した瞬間、耳障りなアラートがけたたましく鳴り響いた。

 その甲高い音は非常に心臓に悪い。心拍数が跳ね上がった。

「なんだ!? どうした!? 高熱源反応が!」

 見つかった。フィリップはスレイヴで疾走する。荒野の向こう、本隊に合流しなければならない。


 その時、無人スレイヴのビーコンが消滅した。


「な、なにィッ!?」

 フィリップが反転して、襲撃者の位置を確認しようとした時、フィリップは自分が宙を舞っていたことに気付いた。

 そしてフィリップは襲撃者によって打ち上げられたことに半秒遅れて気付く。

 核弾頭W38を積んだ無人機が闇に飲まれて消えた。

「な、何が起こってるんだ!?」

 何かがいる。

 フィリップは恐怖心に駆られて暗視センサーを切ってサーチライトを灯した。

 人間とは光に焦がれるもの。フィリップは駄目と分かっていても光に縋ってしまった。

 スレイヴの照射した光を白い何かが反射した。

 闇の中、獣のようにうねりながらフィリップに迫ってきている。

『隊長殿ォ!』


 フィリップの記憶は不意に途切れる。

 フィリップが最後に見たのは鋭く冷たい輝きを放つ爪牙の煌めきであった。




『あ〜…あれもお宅の仲間なのかなお嬢さん。だとしたら、おじさんまんまと食わされたわけなんだが』

 光の中心から何かがこちらへ向かってくる。それは目測約10mほどのアーマーギアのようで、その両手には半分くらいの人形みたいなモノを持っている。

 政姬は目の前の光景に理解が及ばない。

「タイラントに似ているようだが………」


 なんで、どうして。

 悠然と歩いてくるソレは大口を広げて人形を飲み込んだ。

「食った………? 実はハリウッド映画の撮影か何かじゃないのかね………?」

 ウィリスはあまりの非現実的な光景に、そう零す。

 確かに、子供の頃に見た古いエイリアン映画を見ているみたいだ。もしくは、太平洋で見た白いバケモノ。


『あぁ働き過ぎかねぇ…。スレイヴを食ったよなァ』

「こっちに向かって走って来るぞ………!?」

 人智を超えた光景に、誰もが現実を否定し、誰もが立ち尽くし、誰もが叙述しうる言葉を失う。

 ソレははっきりと刹牙を視認した。そして、片手に残っていた人形を投げ捨てると、刹牙に向かって走ってくる。


『おじさん、逃げます』

 マクベスが離脱していく。

「何が起こっているというんだ!?」

 スターファイアは棒立ちのままだ。


「なんで………どうして………?」

 ソレの傷付き具合には覚えがある。三ヶ月前と同じように装甲はひしゃげ、両腕は歪な形状をしている。

 爛々と輝く双眸はじっと刹牙を捉える。

 怖い。怖いはずなのに手が足が動かない。


 やがてソレは刹牙の目の前で停止した。

「っ………」

 言葉が出ない。

 滲んだ灰白色にギラギラと輝く赤い瞳。作り物の顔は喜色満面の笑みを浮かべているのだ。

 赤黒い牙の先には荒い息遣いと這いずる舌が見えた。


「れい、がっ………」


 ワイルドハント。


 名を呼ばれたことが嬉しいかのように、目の前のソレは頷いた。


「オ、………おかあさん」

 くぐもった声は次第に柔和な女性の声に変わる。

 聞き慣れた声。井伊政姬の声。


 政姬は吐いた。脳が現実を理解しようとするのを拒んだための一種の防衛措置。

 手で口を抑えるが、指と指の隙間から生暖かな吐瀉物が漏れ出て、ビチャ、ビチャと床に落ちた。

 それでも構わず吐いた。吐き出した。目の前の現実かは目を、意識を逸らすために。

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