人の為の灰被り
2050年 5月10日 サンフランシスコ
リノリウムをヒールが弾くカツカツという音にも慣れてきた。政姫はドール本社ビルから研究・開発棟を目指して歩いていた。
太平洋、メガフロートにてイジンとの初戦闘を終えた霊牙は三ヶ月の間、整備班に預けられたままだった。
帰還時に確認しただけで両腕部、両脚部は使い物にならなくなっており、各部駆動系もガタが来ていた。センサー各種は致命的なエラーを連続させる始末。
初の対イジン水中戦闘経験値の代償としては余りに一方的だったと政姫自身は感じていた。
長い廊下を渡り、政姫は端末にカードキーを押し当てる。
扉が開くと、爪先はその先に向かって進んでいく。しかし、その足取りは目的地に近づくにつれて重くなっていった。重苦しい気配が奥から漂ってきているのだ。それを目ざとく感じられてしまう為に、政姫は気だけは進まなかった。
「あ、政姫さ~ん! こっちです、こっち!」
「裕香子さん、おはよう。今そっちに行くから」
メカニックの榊原裕香子が政姫を見つけて手を振ってくる。大人しい顔をして、その実、ロボットアニメを愛して止まない同郷人だ。政姫も振り返して、早歩きで裕香子の所に向かう。
「遅いじゃない給料泥棒のくせに」
「アベリィ博士…、おはようございますね」
「早いも何も、ロールアウトが近づくのに比例して睡眠時間を切り崩して、こっちに泊まり込みで仕事してるのよ。全くパイロット連中は気楽ね」
いつものツンケン振りに政姫が苦笑いする。確かにアベリィの目元にははっきりとクマが出ていた。中学生ほどの身長で、金髪碧眼のアメリカ人。だが、兵器工学界のホープと畏怖されるほどの天才児…もとい才媛である。
「お気楽な方が良い仕事が出来るのよパイロットって生き物は」
「あ、カミーユ」
アベリィと話している横からカミーユ・ブランシャールが声を挟み込んで来た。スラリと伸びた四肢、引き締まったプロポーションは、日本人の考えた理想の外国人を体現しているような女性だ。しかして、中身は特殊性癖保持者という残念仕様なのである。
「あなたは気楽云々より、その異常性癖をどうにかなさい………。どうしてあんな、鉄の塊に熱をあげていられるのか分からないわね」
「スフールの悪口はやめなさい。あの子はあれでいて繊細な子なのよ!」
「そうね。ジェネレーターはちょっとの振動で爆発するものね」
不毛な会話だなぁ、と政姫は二人から目線を逸らした。ああいった会話は政姫にも覚えがある。一歩も主張を譲らない二人のソレともなれば、放っておくのが吉だ。
「政姫さん。おはよう。時間ぴったりね」
「おはようございますエメリン所長」
最後に現れたのは、政姫が所属する第6研究セクションのトップ。妙齢のイギリス人であるエメリン・ワイズ博士だ。
「向こうは…似た者同士で楽しそうね。それじゃ、今日の本題についての説明を始めましょうか。ついていらっしゃい」
エメリン所長は手招きをする。政姫は頷いて、その誘いを受けるのだった。
「ドール上層部はワイルドハントに関する研究計画の一切を終了した、と判断しました。今日からのあなたの業務は更新されます」
「更新…?」
歩きながら語られたのは驚愕の事実だった。思わず声が喉から漏れてしまう。
エメリンは立ち止まって振り返る。政姫の目を見つめて、どこから話そうかと考えているようだった。
ガラス張りの廊下からはハンガーを一望出来た。
「あれをご覧なさい」
エメリンは目線だけでソレを指し示す。
フレームの所々を露出させた霊牙の姿。ケーブルに繋がれた機体の姿からは、修復されているとは、どう見ても思えなかった。
「霊牙を修理していたんじゃないんですか………? 何ですか、あれ…?」
政姫の視線の先には霊牙と同程度の大きさのアーマーローグがあった。見ただけでなぜアーマーローグと分かったのか。それは霊牙同様の獣竜が如き様相を晒していたからだ。
「GZ-X11-M2。強襲面制圧型アーマーローグ・タイラント。
「実戦型………」
灰色の塗装を施された機体は、静かな獰猛さを秘めているようだった。だが、霊牙のような気高さは感じられなくなっていた。
「ワイルドハントとの違いは各種装備の変更よ。纏帯装甲や全天周囲モニターは設計段階でオミットし、整備性の確保と火力面の充実を図っています。増加装甲、胸部45mmバルカン砲二門。両肩に小型ミサイルを懸架したバインダー・シールド。両腕部にクロー・ミサイル、ショック・ハープーン。脚部にはフォーカス・ミサイル、スパイク・クロー等の装備を取り付けてあります」
「凄い火力量ですね………」
「アメリカ陸軍のアーマーギア三個小隊相当の火力をタイラント一機で保有しています」
過剰と思えるほどの火力量だった。いや、実際にデータを取った政姫としては心強い反面、兵器としての顔をあまりに見せすぎているタイラントには、霊牙と同じように搭乗出来るのか、何かが引っかかっている。
「兵器みたい」
「元々アーマーローグはイジンに対抗する為の兵器よ」
エメリンはそう言った。
「あぁ…その………、イジンにだけじゃないって言うか…色んなものを怖がっているみたいな感じがして………」
「意外に鋭いのね政姫」
タイラントを眺めていた政姫の背中に声が掛けられる。アベリィのものだ。
「今回のスポンサーはなんと、天下の陸軍様が加わっているんだもの。今、アメリカ陸軍が何と戦っているかは、分かるでしょ?」
「アベリィ博士、何を勝手に話しているのかしら………!」
「所長。いずれは軍の要請を受けるかもしれない立場にある政姫に説明をしないのは、それは彼女の知る権利を侵害する事でしょう。理想家のあなたが話せないのなら、私が代わりに話します」
剣呑な空気が流れ始める。しかし、何故なのか事情を知らない政姫にはオロオロと戸惑うことしか出来ない。
「………分かりました。私は下に降りています。政姫さん、話が終わったならタイラントのパイロット登録を行います。いいですね」
「は、はい」
要件を伝えると、エメリンは早足で先に進んでいってしまった。
あぁいった、怒ったような顔をしたエメリンを政姫は初めて見た。
「さて、政姫。話の続きよ」
「所長はいいの………?」
エメリンが進んでいった先を横目に見て、政姫はアベリィに尋ねるがアベリィは「そっとしておきなさい」とだけだった。
「GZ-X11-M2タイラントはその開発資金、技術に軍の存在が大きく加担しているわ。このタイミングを狙っていたとばかりなのが癪だけど、資金の供与に釣られたドールの上層部は予定よりも早く計画を前倒しにしたの。そうでないと資金は得られなかったからね。軍は資金援助の交換条件として、試作機のデータの共有と、軍の作戦に参加、指揮下に入らなければならない、って言い渡してきた」
「それじゃ、タイラントはイジン以外との戦闘にも出ないといけないって事なんですね」
沈鬱な声音が政姫の喉から漏れた。その言葉にアベリィは頷く。
「今、アメリカはどこにいるか分からないテロリストの脅威に晒されている。それは我が社のアーマーギアを強奪して逃走し、未だ捕まえられていない。
グレート・レイクス・パニック以来、ドールの株は下がりっぱなし。軍に媚びを売っておきたいんでしょうね。それにこの話はアーマーギア産業の頂点に立つAOS、それに新規参入を狙っているその他の企業にも伝わっている。ドールからすれば、社運を賭けたなんて言っても冗談じゃないのが本音なの。ほんと、人類の生存を掛けた戦いになるってのに馬鹿ばっか。誰もが事実から目を背けて身内で争い合ってるんだから。
所長は最後まで軍と関係を持つことに反対していた。でも、それは単なる下っ端の喚きとしてしか伝わらなかった。矢木社長も反対してたらしいけど、民主主義の悪い部分が嫌な感じで働いたって感じよね」
そう話すアベリィも途中からは苦虫を噛み潰すような顔をした。全く、政姫も同意見だった。嵐が来る直前で備えを始めても遅いのだ。誰だってそんな事は分かるはずなのに。
「タイラントは兵器、そう兵器よ。戦争をする為のね。でも、政姫はタイラントに乗るのよ。兵器は道具。道具は手段でしかない。あなたの抱く目的を果たす為に上手く使いなさい」
「上手く…使う………?」
「刃物だって、元から危害を加える為にあったんじゃない。アーマーローグ計画は人類をイジンから守る為にあるの。なら、タイラントだってその目的を遂行する為にあって然るべきよ」
アベリィは政姫の手を両手で包み込む。
それは祈りを捧げる敬虔な神の信徒のようだった。
「人を救うのよ政姫。霊牙がそうなれたように、人を救う手段としてタイラントに乗りなさい。あなたには力がある。あなたにしか出来ない事よ。アーマーローグ計画の在り方を知っている政姫にしか出来ない事はきっとある」
ズルい。政姫はそう思った。
上目遣いをして、必死に頼み込んでいるアベリィの気持ちは政姫の手を握る手の力の入れ具合から、それこそ痛いほど伝わってきているのだから。
こうも必死に、純粋になられては、断りようがない。
「私達にしか、出来ないんだよね。みんなが目を背けてしまっても、私達がやらなきゃならないんだよね。分かった。私が乗るよ」
政姫はアベリィの両手に空いていた片手を添える。
「卑怯よね…。でも、私はそれを後悔しないわ。誰かがやらなくちゃいけないことだもの。私が生み出してしまった物に、一切の悔いは無いわ」
「うん。いつもの博士だね。それなら、私も頑張らないと…!」
政姫は笑ってそう言った。
「それじゃあ、エメリン所長のところに行ってくるよ」
小さく、温かな手が政姫の手を離した。それはちょっとだけ名残惜しかったが、アベリィの檄は心の熱となって確かに残っている。
「えぇ。タイラントは任せたわ」
政姫は親指を立てる。アベリィも同じように親指を立てて見せたのだった。
時代は着実に動いている。それが誰の意図するものであるかは、まだ誰も知りえない。
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