異人はただ時を待つ

 穿たれた傷口に、強引にその鋭爪を刺し込む。電磁鋭爪より浸透する電流は白鯨の表皮を焼き払い、筋組織を痙攣させ、体を構成する堅骨にうっすらと焦げ目を付けた。

 白鯨は苦痛にその身を捩らせるが、深く喰い込んだハープーンは白鯨の骨にかぎ針が引っ掛かり、体を振るばかりではなかなか突き刺さった異物を取り除けないようだった。


「頭部を潰せば!」

 霊牙は皮を裂き、肉を抉り、骨を砕く。

 立ちどころに回復されてしまうのならば、その速度を越えてしまえばいいのだ。政姫は躊躇いなくギアインターフェースの使用者保護のリミッターを外す。パイロット側から機体に送れる情報量はリミッター解除前とは段違いだ。一段階分、機械に歩み寄った政姫には掌を打ち付ける感触までありありと感じ取れる。


「ゴアアアアアアアアアァァァッッ!」

 ガキン、と電磁鋭爪が硬い感触に行き当たった。

 気持ちの悪い色の体液を海水が洗い流すと、灰白色の皮膚よりも明度が高い白、白鯨の頭蓋骨の一部が露出したのだ。

「脳組織を破壊すれば、鬱陶しい自己修復も無くなる!」

 霊牙は拳を握ると白鯨の剥き出しの頭蓋に叩き付ける。硬質な物質ほど振動を伝えやすい。霊牙のコックピットにいる政姫にも精神的なものだけでなく肉体的な衝撃がこれでもかと伝わってくる。


「ゴアアアアアアアアァァァッッ!!?」

 脳を揺らされた白鯨は苦しみながら頭部を振った。

「ちょっ…!?」

 白鯨にとってはそれだけの動作でも、相対する霊牙と政姫は、白鯨からすれば蟻のようなもの。その大振りは咄嗟の防御では防ぎきれるものでは無かった。


「きゃあっ!?」

 突き刺さったままのハープーンがあったせいで、振り落とされた霊牙の機体はワイヤーのしなりに従って、白鯨の腹部に叩きつけられてしまう。

「カハッ…!」

 ギアインターフェースの保護を切ったせいで、背中を痛覚が無秩序に走り回った。

 激しい衝撃で政姫の胃の中身がシェイクされてしまう。コックピットの中には酸っぱい匂いが充満してしまう。


 白鯨の腹部から新しく触手が生える。霊牙を捕えようとして無数の触手が迫るが、纏帯装甲を帯電させて、機体に取り付かせない。

 だが制動が上手く出来ず、運悪く機体に触れ、黒く焦げてしまった触手は力無く海中を遊弋する。その姿を見て、政姫はある事に気付く。


「触手が回復してない?」

 もしかして、と霊牙は近くを漂っていた、政姫の仮説通りなら死んでしまった触手の出来るだけ根元を掴むと、腹部を足蹴にして触手を引き抜いてしまう。するとあの気持ちの悪い色をした体液が漏れ出てくるが、それだけだ。再生しない。再生しようともしない。

 その傷を広げるように鋭爪で少しだけ肉を抉ると、そこはしっかりと再生を開始する。


「電流で細胞が焼死してるんだ………。これって何かに使えないかな」

 おそらく、イジンの再生力はその細胞の新陳代謝の高さに由来しているのだ。だが、細胞が死んでしまえばそれは関係がない。触手が死んで、その周囲だけが回復しているのはそういった理由があるからなのだろう。


「再生の理由と対策は分かったとして、頭蓋骨の頑丈さは如何したものかな……」

 もともと、ああ言った衝撃力、打撃力はアーマーローグ計画に於ける霊牙の一つ前の機体の専売特許。霊牙とそれ以降の計画に於いてはそもそも武装運用のコンセプトが違う。それに今の霊牙は整備が間に合わなかったおかげで頭蓋骨を破壊してその先を潰すには出力が足らな過ぎる。


「殴っても割れないし、そもそも爪は刺さらない………」

 傷すら付かないのに再生を封じたも何も無い。事態は進展したようで、牛歩の如き遅さでの進展だ。


「出力が足らないから、パンチにパワーは無い………。せめて、陸上ならもうちょっと威力もあるんだろうけど、水中じゃ………」

 地上なら考えなくてもいいような問題も水中だと実感として鬱陶しく思えてくる。水の抵抗によって足らない出力は更にマイナスだ。


「水中だと………。ん? 水中?」

 この時、政姫の頭の中で一つのピースが浮かび上がった。それはこのイジン『白鯨』を倒すのに必要な最後のピースだ。


「そうだよ! ここは水中だよ!」

 どうして忘れていたのだろう。人間の脳みそとはどうも、危機に瀕しては視野が狭くなってしまうらしい。身を以て知れたのは良かったことだが、それは戦闘の前から閃いてほしかった、と政姫は自分で自分を責める。


 水中なら、という限定的な条件下に於いて霊牙、纏帯装甲には秘策、切り札と呼べる打開策を確かに持っていた。これならば上手くいけば、白鯨の頭蓋も打ち砕けるかもしれない。だが、もし白鯨の頭蓋骨が政姫の想定よりも分厚ければ機体はミンチよりも酷い状態になって海底に沈むことだろう。


「やる前から弱気になるな、私。きっと出来る。私の霊牙なら…人類を救う牙がこんなところで折れてたまるか」

 政姫は繋がったままだったハープーンのワイヤーを切断してしまう。こちらも引っ掛かったままでは邪魔なだけだ。霊牙の五指を畳んで手刀に見立てると縦に小さく振るった。


「あとは………」

 手枷を外すと、霊牙は白鯨から一度距離を取るべくバーニアを噴射させる。

 機体の背部を触手が付き回るが、電流で学んだのか、躊躇するように機体には触れようとして来ない。白鯨の心中、そもそも心まであるかは、知ったことではないが、好都合だ。


 白鯨の巨体を一目で見渡しきれる程の距離で反転する。海中で2つの白が互いに睨み合う。どちらかがこの海に沈み、どちらかが暫くの安寧を得るのだ。そこには人間も怪物も無い。単純な生存競争だけが存在していた。


「ゴアアアアアアァァァ!!」

 灰白色、赤い瞳を怒りに震わせ、白鯨は霊牙に向かって突進してきた。

 政姫も最後の決心を込めて、コイツに打ち勝ってメガフロートに帰る、と目に生物的勝利への欲望を滾らせて、操縦桿を今一度握り締めた。


「纏帯装甲、高速航行モードに移行。キャビテーションジェル充填完了。………移行完了」

 纏帯装甲の下半身にあるマルチバーニアを保護する装甲板が脚部にスライドして組み合わさって特異なシルエットを作る。この変形した装甲の形状が霊牙に水中での高速移動を可能にさせるのだ。


「行くよ霊牙!」

 纏帯装甲のマルチバーニアからは電流でも推進剤でも無く、海水に触れた瞬間に気化する特殊なジェルが噴射される。それが海水に触れ、一瞬で気化する事によって霊牙の周囲には気泡が発生する。そうすることで水による出力の減衰はほぼ無くなってしまう。


 全天周囲モニターには白鯨の怒りの形相が真正面に映し出されている。しかし、怯えてはいけない。怯んではいけない。違う種族の一つの個体として、両者は相対しているのだから。気が少しでも折れた方が敗者としてこの世から滅び去るのだから。


「霊牙ぁぁぁああああっ!!!」


「ゴアアアアアアアッッッ!!!!!」


(負けたくない、死にたくない。勝ちたい、生きたい。暖かな地上に戻るんだから。約束してるんだからっ!)


「貫けぇぇぇぇっっっ!!!」


 霊牙は拳を突き出す。しかし、それは200ノット、時速370kmの加速分を含んだ鉄拳。それが白鯨の頭部に叩き付けられた。

 その衝撃に霊牙の拳を繰り出した右腕関節部がイカれてしまった。しかし、白鯨も拳が直撃した箇所周囲の表皮が吹き飛び、分厚い頭蓋骨を再び塩水に晒している。

 だが、どちらも突進を止めない。政姫は意地を張り通すと決めている。政姫は更に加速させようとマルチバーニアの位置を調節する。猪突猛進、一点突破しか有り得ない。


「行けっ! 行けッ! ぶち抜けぇぇッ!」

 政姫の思いに呼応するように、霊牙の拳が前に進んだ………否! 白鯨もまた前に前にと巨体を動かしている。それは何故か。簡単な事だ。


 霊牙の鉄拳が白鯨の頭蓋を打ち砕いた、それだけの事!


 遂に砕けた白鯨の頭蓋。霊牙は加速を押さえ込んでいた壁を貫き、一直線に白鯨の体内を掻き混ぜて駆け抜けた。


 爪が触れた臓物は裂け、四方に体液をぶちまける。肉も骨も筋肉も、霊牙が通った後は全部ミキサーに掛けたかのように見事にミンチに変わり果てた。


 霊牙が白鯨の体を貫通し、白鯨は声無き断末魔を響かせると、ゆっくりと暗い海底に沈んでいく。

 それを政姫は胸いっぱいの達成感と共に見つめる。

「勝った! 人類の天敵に勝ってやった! 私が! 世界で初めて!」


 だから政姫は勝利に酔いしれる。だからこそ、白鯨の本質を見抜けなかった。

 子供のようにはしゃぐ政姫は白鯨に、その通り腹芸で負けていたのだ。


 白鯨から吹き出た臓物もまた、主を追うように深海に沈んでいく。その中で、一つだけ小刻みに揺れる肉片が一つ。指の腹でつまんでも潰してしまいそうな小さなソレは幸運かそれとも不運なのか、海流に煽られて冷たい白の装甲板に貼り付いた。


「メガフロート、エメリン所長? アベリィ博士? 誰でもいいや。聞こえてますか? 状況は終了。井伊政姫、今からメガフロートに帰還します!」


 政姫は衝撃で動かなくなったバーニアやスラスターに使われる予定だったエネルギーを生きてるバーニアにまわすよう設定すると操縦桿を優しく傾けた。

 機体の損傷は見るに堪えないほどだ。白鯨を殴り付けた右腕はその在り様を以て戦いの苛烈さを物語るようにだらん、と力無く垂れている。

 政姫にとっては言う事なし。万事解決、ハッピーエンドなのだった。









 散り行くソレらを小さなソレは意識の無いまま認識していた。母体は崩れ、そして一足早く深い底に落ちた。最後に拡散されたソレらもまた、どれほどが母体ほど成長出来るだろうか。しかし、自意識を持たないソレは案ずることも諦めることもしない。ただ眠るのだ。ここは寒い。エネルギーが足りない。意識を持たない生存本能はそう判断する。しかし、ここには求めていた物があった。ソレはソレらの中では最も恵まれている。

 時を待つだけだ。自意識を持たない本能はちゃんと理解していた。


 ソレは変容のたねしゅの根源に立ち返ったおぞましい怪物。


 宿り木に寄生するようにソレは根を下ろす。ゆっくりと深く同化させる。誰にも見つからないまま。あとは目覚めるまで時を待つだけだ。

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