心を渡る獣

 政姫は鬱々とした面持ちでパイロットスーツのジッパーを持ち上げた。ただ一人しか利用者のいない部屋にジッパーの擦れた、乾いた音が鳴った。


 カミーユの言葉は的確に政姫の心を抉った。ノイローゼになるくらいのトラウマをこれでもかと突いたのだ。


「はぁ…。なんでこんな事に……」

 溜め息を吐くと、両足が底なし沼に吸い込まれているような感覚になる。心が沈んでいこうとしている。中村二尉の皮を被った後悔に引き寄せられている。


(ともかく、勝負に勝てばいいんでしょ…。こんな無意味な事は、早く終わらせてしまおう)

 政姫はロッカーを締める。勢い余って、音を立ててしまうが、どのみち一人しかいない更衣室だ。構うもんか、と政姫はそっぽを向いた。





2050年 2月6日 メガフロート甲板上


「政姫、逃げずに勝負を受けてくれたことに感謝するわ」

「前口上なんていいでしょカミーユさん。それに勝負は勝負だけど、霊牙の武装の試運転も兼ねてるから。何かあったら機体を捨てて、ベイルアウトして」

 エメリンやアベリィからはテストも兼ねると搭乗前に告げられた。どこまでも合理主義な彼女らだが、政姫にとっては今ばかりは都合が良かった。罪悪感から逃げられる建前が出来たからだ。


「この期に及んでまだそんなことを言っているのね。決闘に於いては言葉を語る必要は無いわ。ただ曲げられない信念を剣に変えて戦うのみ」

「なんでもいいですよ…。行きますっ……!」


 霊牙は姿勢を低くとり、そして獣の俊足が甲板を蹴り上げた。

 霊牙の爆発的な瞬発力はこの世に存在する全てのアーマーギアを圧倒している。それはスフールにとっては致命の速さ。


 霊牙の電磁鋭爪が空を裂いた。ギア・インターフェースが空虚な信号を政姫に伝えてくる。


「直線的過ぎよ!」

 スフールは電磁鋭爪の狙いからずれた、霊牙の左側にステップして回避したのだ。そしてスフールのクロードリルが霊牙に迫る。


(想定内だから…!)

 政姫はクリーブテールを展開させる。尾部円錐状のユニットが二分され、凶悪な近接兵器へと変貌した。

 脚部の纏帯装甲も開放して推進剤を噴射させて、無理やりにでも機体を捩じらせる。


 クリーブテールはスフールの横っ腹に直撃した。確かに対象を抉った感覚が伝わってくる。

 完全に振り切って、270度回転してスフールの正面を向いた。


「背部カノンの動力パイプを噛ませて凌いだ…? しぶといっ…!」

 スフールは、未だ健在であった。二本の脚でしっかりと直立している。政姫は呻いた。

 スフールは動力パイプを断ち切られて使い物にならなくなった背部カノンをパージした。


「おかげさまで随分と軽くなったわね。今度はこっちの番よ!」

 カミーユは吼えると、クロードリルを突き出した。霊牙はしっかりとその挙動を視認している。政姫は機体に回避行動を取らせた。


「遅い! それくらいじゃ、霊牙にかすりもしなっ、ぃ……!?」

 クロードリルのアルファ合金製の纏帯装甲を削り落とそうとする振動がコックピットに直接伝わってきた。


「確かに避けたはずなのにっ!?」

「そら、そらっ、そら!」

 考えている暇は無い。すぐにでも防御の構えをとらせる。だが、スフールの攻撃が届く距離に留まり続けてもダメだ。

 政姫はドリルパンチの間隙を狙い、そして纏帯装甲の前面部を開放した。推進力を得た霊牙はスフールから距離を取ろうとするが、スフールもまた突っ張って来た。キャタピラが甲板上で高速回転を始め、霊牙から放たれる爆風に抗い、そして前進しているのだ。

「そんなっ!?」

 どこまでスフールという機械に信頼を置いているのか。ここで、このタイミングで前進が正しい選択であったとしても、咄嗟の選択に迷わせないほどにカミーユはスフールを信じるというのは尋常じゃない。それはきっと愛とすら呼べるものだ。

(好きだから、なんてそんな半端なものじゃないじゃん!)


「逃がさないわよ!」

 スフールの120mm滑腔砲が空中の霊牙を向いた。撃つつもりなのだ。

 政姫は試製電磁投射ハープーンを甲板に向けて射出した。ワイヤーの先端にはタングステン合金製の杭が取り付けられており、それが甲板に突き刺さると、そのままワイヤーを辿って霊牙が引っ張られた。

 先ほどまで霊牙が漂っていた位置を120mm榴弾が通り過ぎ、霊牙は甲板に着地した。

 政姫はもう一度ハープーンを射出した。スーフルの足下だ。ワイヤーを巻き取って霊牙を突撃させる。


「芸が無いわね政姫! またバンザイアタック?」

 スーフルの120mmがまた霊牙に照準を合わせた。大口径の砲身が自分に狙いを付けているという恐怖感を、不思議だが政姫は感じていなかった。


「無謀と笑った! それが命取りだよカミーユ!」

 纏帯装甲、全面開放。これで霊牙を縛れる何者もなくなった。

 120mm榴弾が放たれた。直線状には霊牙が収められている。目の前に迫る榴弾が確かに見えている。

 機体左側のスラスターが煌き、榴弾を難なく躱すと、ワイヤーの巻き取りを再開させる。

 スフールを中心にぐるりと回転し、スフールの背面を捉えた。


「後ろ!?」

「貰ったっ!」

 身体に掛かるGも遠心力の負荷も忘れて、身体のほてりのままに叫ぶ。血が沸騰するような、久しぶりの気持ち。封印していた感情が今、際限なく溢れてくる。


 霊牙の電磁鋭爪に稲妻が宿った。黄金に輝く鋭爪がスフールの装甲に触れる直前、120mmの砲口が全天周モニターを塗りつぶした。


「スフールで超信地旋回までやっちゃうわけ!? ……ほんと変態だよカミーユ!」

「お褒めいただきましてどうもっ!」

 実際に戦って分かった。カミーユは人生の何もかもをスフールにつぎ込んだのだ。そうでもなければスフールで超信地旋回などという無駄に高等なテクニックを習得しようとは思わないだろう。

 そして、改悪機とまで言われたスフールで霊牙と互角に渡り合うカミーユは、かつて政姫が目指していた姿そのままだ。

 政姫はかくあれと思って、そして諦めた夢の残滓を見せられているからカミーユを許容出来なかったと理解した。

 勝手に自分を重ねて頭ごなしに彼女を否定していたのだ。


 だが、今。この場に於いて、そんな事情などとっくの昔に忘れてしまっていた。気付けば、この戦いを楽しんでしまっている自分がいた。三尉だった時代から何一つ変わっていない。

 政姫は負けず嫌い、いやもっと。勝つのが好きだったのだ。何をやっても勝ちに拘った。それはアーマーギアに乗り始めても。そして事件は起こった。

(でも、今だけは関係ない! 語らいなんて必要ない。礼節も、戦いで示す!)


 スフールの砲身の奥で火花が散った。政姫は纏帯装甲のバーニアを噴射させて、ほんの少しだけ機体の位置を調整して、スフールの射線上からずらした。

 ここまで肉薄したのだ。互いが互いをこのタイミングで倒すと自然に、そして当然に、決めていた。


「「獲ったっ!」」

 必然的に、二人は叫ぶ。


 一瞬の交錯は、政姫にはそれ以上の長さに感じられた。1秒の間隔が何十倍にも広げられた、世界がスローモーションに見えた。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」

 刻々と進む世界に少しの焦れたっさを思いながらも、ペダルに全体重を乗せて押し込んだ。


 120mm榴弾が頬をかすめて過ぎていく。電磁鋭爪がスフールの機体を捉え…ていない。スフールもまた恐ろしいほどの反射でこれを避けていたのだ。だが、反応速度は政姫の方が早かった。纏帯装甲を開放させて、せめて一部は抉り取ろうと足掻いて見せた。


「なかなか、やるじゃないの政姫!」

「まずは一本!」


 霊牙が甲板に着地した。霊牙の左腕にはスフールのドリルクローが握られている。

 それを投げ捨てると霊牙はもう片腕ももぎ取ろうと、スフールの方を向こうとするが―――、


「「あれ…?」」

 霊牙は動かなくなり、全天周囲モニターが暗転してしまう。非常電源に切り替わったオレンジ色のライトに照らされたコックピットの中で、政姫は手辺り次第にボタンやスイッチを押していくが、反応はすっかり無くなってしまった。


 唯一外の状況を映したモニターが一枚だけ残っており、そこには動かなくなったスフールの映像が映されている。機体から炎が上がり、カミーユが大慌てで消化作業をしていた。


「あ~…、政姫さん聞こえますか~?」

「あっ、榊原さん? 霊牙が動かなくなっちゃったんだけど……もしかして壊れて……」

 そうだったらどうしよう。アベリィにミンチ肉にされてあの灰白色の気持ち悪い深海生物のエサにされてしまう。政姫は、先ほどまでの自分が嘘に思えるくらいに冷や汗が止まらなくなり顔色もみるみる青くなっていく。


「はい。通信は聞こえてるようですから、非常電源は無事に稼働していますね。政姫さん、率直に言いますと――――――」





2050年 2月6日 メガフロート 会議室前廊下


「電池切れで強制終了、ですか……?」

「えぇ。だから、ワイルドハントに搭載されているハイブリッド機関も改良の余地がありそうね」

「それ、今から私が説明しなくちゃならないのに…そんなアバウトな原因と対策法は…ちょっと……」

「纏帯装甲のせいで排熱に少し無理があるのかも知れないわね。それで熱暴走を起こしたのかも。でも、今さら再設計なんて、計画にそこまでする予算、まだあるかしら? まぁ直せって、さらに予算をくれるならワイルドハント改でもなんでも設計するけれど」

「社長は確かにアーマーローグに関する全ての計画に金の糸目は付けないと仰られていますが、ワイルドハントはもともとGZ-11のテストベッド用の機体のはずでしたね。つまり実戦配備を想定していない、と。これで行きましょう」

「ケチくさい女ね。剛毅な社長の秘書がこんなので務まるのかしら」

「だから、こうやって未然に予算の増加を抑えているんです。それに性分ですから。それでは、行ってきます」


 政姫はメガフロート内の廊下で居心地悪そうに、話し合う三人・・を見ていた。

 左からエメリン所長、アベリィ博士。そしてドールの社長秘書エミリー・ミズノという日系人。

 エミリーは会議室の扉をノックした。

「失礼至します……」

 そう言って、感情の起伏が見られない社長秘書は会議室の扉を閉めて見えなくなった。


「あの女と話をすると疲れるわ…」

「そういうことは決して口に出さないのが成功するコツですよアベリィ」

 エメリンがアベリィにたしなめるように言った。


「まるで親子のようね、マドモアゼル・アベリィ」

 カミーユがやり取りを見てそう呟くと、アベリィは表情を一転させた。

「親子、ね…。それじゃ、私は電磁鋭爪他、諸々のテスト結果をキサラギの技術者と話し合ってくるわ」

 そう言うと、アベリィは早足で廊下の角を曲がって行ってしまった。


「それじゃあ私もまだまだ仕事があるから行こうかしら。二人とも、今日の戦いは素人目で見てもスゴイと分かるモノでした。今日、明日は機体の整備があるからゆっくり休みなさい」

 そうしてエメリンもアベリィとは反対方向に向かって歩いて行こうとする。


「あ、あの…会議室には今誰がいるんですか?」

 政姫はそれが気になっていた。ドールの社長秘書など、初めて見た。


「あぁ、ちょうど今日の朝、ドールの矢木社長とキサラギのお嬢さんが来られたのよ。スポンサーね。二人とも会ったら失礼のないように。船内には娯楽室なんかもあるから。今日は身体を休めること。特に政姫さんはね」

「え、それってどういう……」

 二つ目の質問を投げかけるが、エメリンは答えないまま歩いていってしまった。

 特に自分は、とはいったいどんな意味を持つのだろうか。その意味を考えようとするが―――、

「政姫、娯楽室行ってみましょ。どうせやることないんだから」

「え、あぁ…うん。行こっかカミーユさん」


 思考は遮られてしまったが、さして気にするようなことではないと政姫もカミーユの横に並んでしまう。


 この時から政姫の中で変わりだした何かを、本人すら自覚していなかった。

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