後悔とスフールと

2050年 2月6日 エメリン所長所有のメガフロート上


 起床ラッパが備え付けの机の上から鳴り出した。

 その音色はレム、ノンレムなどと構わないで政姫を叩き起こした。


 対して政姫もこの慣習が苦ではない。実に慣れた朝のワンシーンだ。実家暮らしの時もこれだったのだから、きっと一生涯、このままなのだろう。


(朝か……)


 意識は僅かな睡魔の残党を排しつつ、身体は仕込まれた通りに夜のうちに用意しておいた衣服に手を伸ばす。


 手の内に握られているのは花柄のシャツ。アメリカに着いた頃は北半球は冬と呼ぶ時節であったから、冬服ばかりしか手元に無かった。急いで買った半袖のシャツは、ずいぶんとハワイアンな物だった。


 ハワイアンシャツにショートパンツという季節感が狂ってしまいそうな出で立ちで、鏡の前でいつもと変わらぬ身だしなみを整えると政姫は部屋の扉をあけた。


 メガフロートとはありていに言ってしまえば島と呼べるくらいにデカい船だ。違いはその場から動いて港に停まるかどうかだろうか。

 空母でいう甲板が地表面というわけだ。船室から出ると政姫は装飾性に乏しいグレーの廊下を曲がり、甲板へとつながる階段を登った。


 甲板に上がると東から顔を出した太陽が政姫を見つけ照らし出す。

「んんっ~~~!」

 伸びをして筋肉を解すと、政姫は海の見える方向に歩き出した。

 

 島の端には転落防止のフェンスが設けられており、そのフェンスに手を掛けて朝の、静寂に満ちた太平洋を見つめる。

 その静けさから太平洋と言うらしいが、他の大洋や日本海すら見たことない政姫にとっては太平洋が海の全て。大西洋の荒れっぷりなど知らないものだ。


「さて…癖で起きちゃったけど、朝ごはんまで何していようか‥‥」

 日課のランニングは‥‥帰ってこれなくなりそうで怖い。メガフロートには艦橋といった目印になりそうなものが無い。全て船内に格納してしまえるのだ。あるのは散発的に立っている昇降エレベーター管理室ぐらいだ。

 地図とコンパスがあればな、と考えるが、そもそもコンパスが無ければ戻ってこれなくなる乗り物に居るというのが一種の恐怖体験ではないだろうか。


   ガシンッ、ダンッ! ガシンッ、ダンッ! ガシンッ、ダンッ!


 どうやって暇を潰そうかと思案していた政姫の耳に酷く聞きなれた地鳴りが聞こえた。

 ディーゼルの懐かしき駆動音、炸薬の爆裂する音。質量を持ったソレが地面を踏み鳴らし闊歩する振動。


「アーマーギアだよね…? 霊牙以外にもアーマーギアがあったのかな?」

 霊牙にはすでに生体ロックが掛けられてあり、政姫にしか乗れないようになっているのだ。だから、必然的にもう一機、アーマーギアがメガフロートに存在し、誰かがソレを操縦しているというわけだ。


 気になった政姫はその地鳴りがなる方へ向かって歩き出した。政姫の顔には好奇心で探検に出る子供のような無邪気さが丸だしだった。




   ガシンッ、ダンッ! ガシンッ、ダンッ! ガシンッ、ダンッ!



 音は近づくにつれ大きくなってきた。ソレが謎のアーマーギアに近づいているという体感に繋がり政姫はとうとう駆けだした。


 甲板上に無数にある昇降エレベーターの一つ。そこの近くで一機のアーマーギアが走り回っていた。


 そのアーマーギアはTHE塊、であった。鈍重そうなフォルムからは新型の赴きは感じられず、モノアイの様相からは機動兵士バンダムで言うところのザッコというやられ役ロボットのイメージが感じられる。


 そしてこの機体を塊たらしめるのは機体背部から伸びたエネルギーを運搬するパイプの多さとその武装の多さだ。

 このフォルムには政姫にも思い当たりがあった。学生の時に、防衛軍に入ると聞きつけたアーマーギアオタクの友達が一番好きな機体と言っていた機体だ。


「フランス陸軍が採用した、バトルマンを魔改造して作ったアノー社のスーフル! ……だっけ?」

 幾分何年も前に聞いた話なので最後に疑問符を付けてしまうが、確かそうだったと政姫は記憶している。

 実物を見たのはもちろん初めてだ。政姫が見たことのあるアーマーギアなど、実際に乗っていた戦陣とサンフランシスコで見たバトルマン、そして横須賀の米海兵隊のバトルマン・マリンだ。戦陣の改良機は工廠でチラと組み立て前のを覗き見ただけであるから対象外。

(そういえば戦陣の改良機は結局誰が乗るんだろ…)


「スーフルはバトルマンの改悪機じゃないの!」

 急に機体に付いてあるスピーカーから女性の悲痛そうな叫びが聞こえた。だが、機体に巻き付いたパイプのせいでスピーカーの声はくぐもっている。


「正当進化よ! アメリカの技術と祖国の技術が合わさったバトルマンのね!」

 パイロットは政姫に自慢するようにそう言うと、今度は政姫に見せ付けるように、スーフルの演武を舞い始める。

 なるほど。確かに改悪は言い過ぎかもしれないなと政姫は思った。鈍重そうな見た目の割には跳躍後の着地点ズレは起こらないし、関節部の過負荷も見た所は無さそうだ。背中の大砲塔のおかげで一癖も二癖もありそうな重心も心得ているのだろう、姿勢制御も完璧だ。パイロットは完璧と言えそうなほどスーフルを操縦している。


「でも、これって機体ハードの問題をパイロットソフトが補っているだけじゃ………?」

Nonいいえ!NonNonNon!」

 思いっきり否定された。よくマイクで自分の声を拾えるな、と政姫は違うところで関心してしまう。


「貴方、お名前は!?」

井伊政姫マサキ・イイ。日本人ですけど‥‥‥‥」

「そう、政姫さんね? 覚えたわ。私は元フランス陸軍中尉リュトナンのカミーユ・ブランシャール! 歳は今年で24よ! よろしくね政姫さん!」

「はぁ…よろしくブランシャールさん……?」

 えらい人に絡まれたな、と政姫は悟った。このフランス人、異様にテンションが高いぞ、と。

 第6研究セクションの人は、熱意を内に秘めているような人が多かった。一部、勝手に漏れ出ているのがいるが…。だが、このカミーユは初対面の政姫に出さえフルオープン、フルバースト状態である。


「私の事はカミーユと! 父と母に頂いた綺麗な名前だもの。それでね政姫さん。スーフルについてなのだけど、貴方はスーフルについて誤解しているわ! スーフルは改悪機でも欠陥機でも、どうせスクラップになるなら作らない方がお金の有効利用、なんて言われるような機体じゃないのよ!」

「いや、そこまで言ってないんですけど」

「どこかのウェブサイトでは日本のフソウという戦艦と同じ次元で愛好家がいると書いてあったわ! ねぇフソウって政姫さんは知っていて?」

「えっ、そりゃ…まぁ‥‥」

 政姫には言えない。その扶桑フソウという戦艦が日本では違法建築だとか言われて、その手の愛好家の笑いのネタとして愛されているなんて。

 スーフルもその次元の住人だった。


「きっとフソウは美しい船なんだわ…!」

「まぁ…燻し銀的な……?」

 自分でも何言っているんだ感が否めない。

「そうね。スーフルだって、華やかさではゲールには勝てないかもしれない。でも、燻し銀! そうよ燻し銀のような、渋みがスーフルの魅力だわ!」


(どんだけスーフルが好きなんだこの人……?)


 ゲールとはフランスが独自で研究開発した純国産機体という事になってはいるが、日本の戦陣やドイツのカンプフといった成功例を頼りに設計した、いいとこどりした機体だったはずだ。部品の一部はドイツ製と日本製が混ざっている、なんて噂もあった。


「そこで見ていなさいな政姫さん、スーフルの燻しきった大人の魅力をご覧に入れるわ!」

 カミーユはそう息巻いて、スーフルが盛大に煙を噴いた。そして動きが止まった。


「またエンストを起こしたのね! 全く繊細なんだから!」

 喜々とした様子でそう叫ぶとカミーユはコックピットから飛び出てきた。

 朝の潮風は興奮した様子の今の彼女にはさぞ冷ややかなものだろうが、それを苦にもせずカミーユは慣れた手付きでエンジンを覆い隠す装甲を外して整備を始めてしまった。

 黄金の長い髪に碧く澄んだ瞳。日本人が考えるさいきょうのフランス美人がそこにいたのだが………、

「あっ…この人もか」


 もはや何も言うまい。



「カミーユさん。私も手伝いましょうか? 普通のアーマーギアの整備なら多少は経験がありますから」

「ありがとう政姫さん! じゃあ、そこのエレベーター管理室から工具を取ってもらえるかしら。ずっとここでスーフルと戯れていたから、工具箱は借りたまま置きっぱなしなのよ」


 工具箱を渡して、政姫もレンチを握ると、カミーユの気持ちがスーフルを経由して伝わってくるのか、政姫も楽しくなっていた。


「駆動系の整備は手慣れているのね」

「まぁ…。そうですね」


 裕香子が朝食の時間を知らせに甲板上を彷徨っていたのを保護するまで、二人の整備は続いたのだった。




「あら、二人とももう会っていたのね。紹介する手間が省けたわ」

 優雅な手付きでティーカップを持ったエメリンが政姫と連れ立ったカミーユを見てそんな感想を漏らした。実にビジネスライクな感想だ。


「今日からは実戦形式のテストになりますから、彼女…カミーユ・ブランシャールさんがスパーリング相手になります」

「あら、貴方がワイルドハントの専任パイロットでしたのね。てっきりメカニックの方かと」


「実戦って…相手はスフールなんですか!? カタログスペックだけ見れば戦陣にも追い付かないのに……?」

 カミーユがグハっ!とか言って仰け反った。エメリンも意外そうな顔で政姫の顔を見つめる。


「政姫さん、カミーユさんと一緒にいたということは彼女の腕前を見たのでしょ? 如何に性能の差があれど扱う人間の技量次第、とパイロットの方はよく口にするのだけど、あなたは違うのかしら」

「そんなのは旧態依然とした人間が言う事です。一騎当千の兵なんていまどき流行らない。軍は規律と統制を追求し重んずる組織です。絶対的な強者なんて……精緻な歯車に石ころを噛ませるみたいなものです……ひとつ抜きんでたパーツは全体のかみ合わせを狂わせる」

「意外だわ。あなたの腕前も相当なモノだと思っていたのだけど。防衛軍でもなかなかの腕前だったのではなくて? それが日本人の美徳とされる謙虚の精神なのかしら」

「違います。絶対に」




 政姫のアロハが防衛軍のパイロットスーツに変わったのを幻視する。生白い手が虚空より這い出で、政姫の首筋にその土気色の手を添えた。

 ぎゅうっと空気を絞り出すように手に力が込められて、政姫はその手を剥がそうともがくが、手に触れようとするたびにその手は掴めず、力は余計に強さを増していった。

(井伊さん…なんで……? なんでなの…井伊さん……)

 違う、違うんです。あれは私じゃない。私はただ、横浜基地で一番になりたかっただけで、正々堂々とやるつもりだったんです……。駆動系モーターに細工なんて、私は知らなかったの!

 喉を抑え込まれて声が出ない。政姫の物ではない声は恨めしそうに囁きかけるだけだ。

(信じていたのに…酷いよ……)

 この怨嗟は耳の裏で響いてきて、耳を塞ごうが何をしようが政姫に囁き続ける。

 ごめんなさい…ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。いくらでも謝るから、もう許してください…中村二尉……。私の前にもう現れないでよ!

(わたしはあなたの罪悪の結晶…忘れるなんて許されない。あなたが犯した罪だもの…あなたに誰より刻まれている)

 そんなことっ……――――、




「さきさん? 政姫さん?」

「分かってるわよ! …………あっ」

 勢いをつけた言葉が飛び出した。メンバーの殆どが集まっている食堂がシンと静まり返ってしまう。注視が肌に刺さって顔がカッと熱くなった。

 元通りのハワイアンシャツにショートパンツ。迷彩の服など政姫は着ていない。


「政姫さん、あなた何に怯えているの…?」

「お、怯えてなんてないですよ。いやだなー……あはは、いやホント。怯えてなんてないですから…」

 政姫は必死で繕う。他人の視線が怖くなったのはいつからだろうか。最悪な人生だ

、と政姫は思う。

「こんなんじゃ、なかったのになぁ……」

 政姫が小さく零す。


「何でもいいですが―――政姫さん。貴方の発言、少し気に入らない点があったわ。そう、スーフルが戦陣に劣っているという発言の事ね! スーフルはちょっとだけ繊細で、たまに言うことを聞かなくなって、熱暴走をたくさん起こして、最後に動かなくなるだけですから!」

「「ソレをポンコツって言うんですけどね…」」

 裕香子らメカニックチームはカミーユから目線を逸らしてそう零した。


「勝負よ政姫さん。貴方が否定したスーフルと私の力が合わさった戦い方を見せてあげる」

「勝負なんて…、勝ち負けに拘るのはめたんです。そういうことには私は関わりたくない」

 自分の生き方を否定してから、生きているのか死んでいるのか分からなくなり始めている。

 新しい生き甲斐を見つける為に政姫は渡米したはずだった。


「駄目よ。過去に何があったかなんて知ったことではないわ。貴方が私の生き方を否定するなら、私も貴方の不戦主義を否定する。だって、貴方を認めては私と私を認めてくれた人々に対する冒涜だもの。勝負を受けなさい。私は貴方にそう言わなくてはならないの。私は伊達でこんな生き方をしているのではないわ」

 カミーユの碧い澄んだ瞳が政姫の土気色の顔を映す。ジッと目線を外さず政姫を射貫く。


「もう一度言うわ勝負を受けなさい政姫。貴方が私のスーフルに勝てるなら、謝罪をしましょう。ドゲザだってしていいわ。貴方の不戦主義を受け入れるし、二度と他人に私の嗜好を押し付けるのも止めましょう」

「分かっているなら、どうして……!」

 自分の考えが、他人の理解から逸脱し、受け入れられないものと分かっていながらどうしてカミーユは前を向いていられるのか。どうして臆面も無く、あけすけに自分を通せるのか。

 カミーユは女の自分ですら、思わず見惚れる、乙女の顔を浮かべて最後にこう言った。


「だって、好きなんだもの。それ以上でも以下でもないわ」



「そんなこと……!」

 分かっていた。分かっていたはずで、目を逸らして立ち向かわなかった事実が太平洋の人工物の上でようやく政姫の肩をぐいと引っ張った。

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