時は足を止めず

2050年 1月27日 ドール 第6研究セクション 実験棟 第2実験場


「井伊、所長が色々とシステムを弄って姿勢制御にはアシストが入っているわ。それでも自分で操縦の感覚を掴みなさい。ワイルドハントはもうあなたにしか乗れないの。責任は重大よ」

「わ、分かり、ました!」

 政姫はたどたどしいながらも英語でアベリィに言葉を返した。昨日、テストを消化した後は、アベリィのスパルタ語学補修を徹夜で受けたのだ。おかげで簡単な英会話は出来る様に、させられた。


「霊牙起動します!」

 霊牙に火が入る。全天周囲モニターが周囲の状況を捉え、映像に出した。

 強化ガラスの向こうにはエメリン、アベリィ、裕香子達が鬼の形相でディスプレイを睨んでいるのが見える。


「歩行、走行、急停止の三つの連続した動作のテストを始めなさい井伊」

 新システムのデータ収拾をするエメリンに変わって研究主任のアベリィが指揮を執っている。

 インカムからアベリィのテスト開始の合図が聞こえた。


「霊牙、行きます…!」

 機体を支えていたハンガーが解除され、霊牙が重力に従って実験場の床に足を着けた。

 ここで、霊牙は政姫の意思から離れて自動で動いた。昨日話していた基本的な立ち姿を取ったのだ。これがシステムのアシストなのだろう。


「本当は有機的思考による機体制御OSの研究・開発も計画のうちなんだけどね‥‥。まぁ、手段の為に目的の達成を妨げるのは愚かな行為だわ。政姫さん、新OSの完成の為に、あなたの脳波は常にモニターされデータを採取されています。その事を覚えておいてね」

「は、はい!」

 ギアインターフェースのデータの他にも操縦中の思考パターンから姿勢制御に割いている分の脳波を分析しそれに沿うOSを開発する、とテスト前にもエメリンから説明を受けた政姫だが、ほとんど頭に入ってこなかった。


 色々頭に情報が詰め込められているが、政姫は落ち着く為に深呼吸をする。ヒンヤリとした空気が、政姫の思考を明確化させる。


 政姫は右脚を前に出す。左脚、そして右脚。それを繰り返す。全天周囲モニターに映し出された風景が政姫の後ろに流れていく。


「いいわ井伊。歩けてる。徐々にスピードを上げなさい」

「はいっ…!」

 昨日の感覚は残っている。政姫は機体の姿勢を前に傾けた。上半身は重い。それを地に着けないように歩いていた時よりも早いテンポで脚を前に出す。

 脚が地面を蹴る。機体が速度を増して進んでいる、風を切る感覚を政姫は感じていた。


「速度上昇、20…30…40…50マイル突破しました!」

「やっぱり凄い加速度ね…、戦車の巡航速度とほぼ変わらないじゃない」

「地上最速の兵器はワイルドハントで決まりですね!」

(霊牙だっての……)

 インカムからはモニターしている研究員達の歓声が聞こえる。彼女らは霊牙をコールサインで呼ぶことに慣れてしまっていまいち霊牙とは呼んでくれない。研究員達のドンであるアベリィがワイルドハントと呼ぶのもあるかもしれない、と政姫は考える。


「井伊! 速度落ちてる! 集中しなさい!」

「あっ、す、すみません!」

 アベリィに注意されてもう一度意識を集中させる。

(昨日より速度出てるのに、昨日よりも安定感がある…。一晩で私の違和感を解消させるここの人達ってほんと‥‥)


『機械が好き?いや、愛してる…? もっとよね。機械に魂を売っている! 分かる気がしちゃう私も相当よね‥‥!』

「井伊、無駄口は慎みなさい! 次! 急停止よ!」

 アベリィの怒声が鼓膜を叩く。それを後ろに流して、政姫は操縦桿のグリップのスイッチを押した。


「纏帯装甲前面部展開! 推進剤噴射!」

 霊牙の全身を包む纏帯装甲から強烈な勢いでロケットやアーマーギアに使われる推進剤が噴射される。これを霊牙の進行方向とは逆向きに噴射させる事で50マイル、時速80kmの速さで走る霊牙を減速させる。


「クッ‥‥! この…ッ!」

 コックピットの中の政姫はリニアシートに身体を叩き付けた。全身の筋肉を力ませないと意識が吹き飛びそうになる。


 しかし、まだ止まらない。

 政姫は霊牙の右脚を前に突き出して、左脚をその直下の床に叩き付ける。

「止まれぇぇぇぇえええええ!」

 政姫は全身を締め付ける痛みを忘れる為に叫ぶ。脳内でアドレナリンが炸裂した気がした。

 霊牙にもそれが伝わったらしい。政姫が叫び終わるのとほぼ同時に静止した。


「はぁ…はぁ‥‥!」

 政姫が肩で息をする中、研究員達は揃って歓声を上げていた。狂ったような雄叫びがうるさかった。


「制動距離は規定値以内です。ワイルドハントは軍用機の要求スペックを全て満たしている事が証明されましたねモレッツ博士」

「そうね。でも、ワイルドハントは戦争の為にあるんじゃない。生存の為にあるのよ。軍用ならAOSが作ればいい。ウチが作っているのは人の為の機械なんだから。‥‥‥‥井伊、ハンガーに機体を戻して上がってきなさい。コーヒー奢ってあげる」

「は、はいぃ‥‥」

 半狂乱の叫びを上げる部下達を諌めるようにアベリィは言ったが、言葉の末尾には喜びの感情を隠しきれていなかった。

 だが、それを実感するには幾分か体力を消耗し過ぎた政姫であった。




「井伊、ほら」

 アベリィが小さな白い手に紙コップを持って政姫に向かって差し出してきた。それを恐る恐る受けとる政姫。


「あ、ありがとうございます…」

 昨日は殺すと言われ、今日はコーヒーを奢って貰っている。サンフランシスコに来てからは考えられない事の連続だ。


「アベリィ博士は他の人みたいに何か作業しなくていいんですか?」

「私の本業はこれからの方なの。時間外業務もいいとこよ」

 現在、第6研究セクションを上げてのデータ分析を行っているのだ。エメリンを含めほとんどの研究員がその作業に追われていた。だが、彼女らの顔は熱意に満ち満ちていた。

 メカニックの裕香子達も霊牙の整備を開始している。人型の定めか関節部は常に酷使される。オーバーホール作業で今日は帰れませんよ、と笑いながら裕香子は言っていたのを覚えている。


「これから…って何をするんですか?」

 コーヒーの黒い水面に政姫の顔が映る。疲れた顔してるなぁ、と笑顔を貼り付けると首を持ち上げてアベリィに尋ねた。


「ワイルドハントの武装のテストね。試製電磁鋭爪とクリーブテール、纏帯装甲の様々な環境下での稼働実験もするわ」

「課題は山積みって事ですねぇ…」

 政姫はコーヒーを呷る。薄い苦みが口に広がる。

(ほんとにアメリカンコーヒーはマズいんだなぁ……)

 エメリンの部屋で飲んだコーヒーは相当良い豆を使っていた事に気付いた。


「次はこんな地中じゃなくて太陽の下で実際に起こりうる環境を再現しての実験を予定してるわ。太平洋にあるメガフロートでね」

「あ、それって確かドールの新型が販売のプロモーションで作ったっていうあのメガフロートですか!?」

「えぇ。興味ある? なら、運が良かったわね井伊。後のテストはここの設備でやるには狭いからずっと向こうでやるのよ。外部の人間は来ないから色々出来るしね」


 ドールのメガフロートと言えば日本でもかなりの話題になったのだ。新型の水上滑走型の工業用アーマーギア『ストライダー』の性能を全世界に知らしめる、とかいって大規模な販促で作ったのがドールのメガフロートだ。

 政姫も金持ちって何を考えているのか分からないな、と思ったものだ。

 建造が終了した後は、誰かが買い取ったと聞いていたが‥‥。


「エメリン所長ってばお金持ちよね。個人であんなの買えちゃうんだから。さすが雑誌に一行コメントを載せるだけで謝礼が入ってくる売れっ子コメンテーターなだけはあるわ」

「えっ!? あれってエメリン所長の所有物なんですか!?」

(一体、いくらするんだろう‥‥)

「第6研究セクションに寄付ってわけよ」

「寄付‥‥‥‥」

 なんだかスケールが大きくなりすぎて今の疲れきった政姫の頭では理解が追いつかなくなってきた。

 だが、まさか自分がそんな場所に行けるようになるなんて、本当に人生とは分からないものだ、としみじみ政姫は思う。


「仕事で行くけどまぁ…ほぼバカンスよ、バカンス。ノートPCを持っていけば私達の仕事は済むんだもの。こっちにいるより気楽でいいわね」

「そっかぁ…バカンスかぁ…!」











2050年 2月5日 太平洋洋上 C-5M内


 軍用輸送機の中でも一際大きい部類に分類されるC-5M『スーパーギャラクシー』。軍払い下げのこの輸送機をアーマーローグでも載せられるように魔改造をし、霊牙を載せたのが4日の事だ。

 そして今。高度にして6000m。防衛大学で習った自由降下の最大高度をスーパーギャラクシー改は飛んでいる。

 政姫には嫌な予感しかしていない。


「纏帯装甲の推進剤とキャビテーションジェルの確認急ぎなさい! 井伊! そっちで内蔵ジェネレーターの確認しなさい……井伊、聞いてるの? 返事なさい! 降下まで時間無いのよ!」

「アベリィ博士…? 降下って一体……?」

 冷や汗が止まらない。暑苦しいパイロットスーツの下は汗で気持ちが悪い。


「降下実験によるワイルドハントのショック耐性の実証と纏帯装甲による滑空実験よ。話聞いてなかったの? フライトシュミレータもやったんでしょ? 防衛軍でもヘリボーンは経験してるって言ったわよね?」

「あぁ〜……うん」

(アレってそういう事だったの……? てっきりもっと低い所からだと思ってたし、一回メガフロートに降りてからだとばっかり…)

「ま、どっちでもイイわ。内蔵ジェネレーターの出力を早く確認して」

「博士ー! 推進剤、キャビテーションジェル共にタンクいっぱいに入ってまーす! 纏帯装甲各バーニア、スラスターも異常ありません!」

 祐香子の声が問題が見つからなかった事を告げた。これではもう降りないわけにいかない。


「纏帯装甲のジェネレーター問題無し……」

「良し。所長、全点検作業終了しました。各員、固定位置に付きなさい。…………井伊、一足先に南国の風景を楽しんでね」

 政姫の意志とは別に万事が順調に進んでいく。

 アベリィは緊張する政姫に他人事みたいにそう言い残すと機内の安全な位置に待避してしまった。

「政姫さん、準備はいいかしら…って、その顔からするとそうでもない感じねぇ……。でも、予定位置に着いたから霊牙を降ろします。シュミレーション通りにやってくれれば問題ない筈だから、しっかりね。私のメガフロートはここから南西に1000mの位置にあります。降下ポイントに目印を用意してあるそうだから、極力そこに降りるようにね。洋上に落ちた場合はすぐに救難信号を出す事。よろしい?」

(こうなったらやるしかないって分かってるじゃないのよ。……行くぞ井伊政姫)

 一拍溜めて、政姫は返事をする。深く吸い込む呼吸が心を落ち着かせた。


「降ろして下さい。行きます」

「ハッチ開け。ワイヤー、パージ。良い仕事にしましょう」

 スーパーギャラクシーの機体が少し傾いた。霊牙を固定していたワイヤーが外れた事で、霊牙はその自重によってスーパーギャラクシーの機内を地上に向かって滑って行く。


「はいっ! 良い仕事を!」

 霊牙が空中に投げ出された。

 全天周囲モニターには一面の青に包まれた。空の青、海の青。そしてその間を白の機獣が流れ落ちていく。


「纏帯装甲展開っ! 飛べぇぇぇえ!!」

 纏帯装甲背部から勢い良く推進剤が噴射される。

 10mの機獣が空中を駆けている。鋭利なフォルムが風を切り、霊牙の周囲に発生した特殊な気流が政姫をメガフロートに導く。


「姿勢制御4番8番バーニア、体勢を立て直して! 1番2番、全力噴射! 翔んで霊牙!」

 政姫は心のままに叫ぶ。それは悲しいからでも辛いからでも無い。

 眼下に広がる絶対的な自然が、自分もこの地球上に生きている動物だということを知らしめる。

 一人の人間には余りある自然を感受しているからこその止められない衝動。今、この絶景を見ているのは自分だけなのだ。そしてこれからも。霊牙から見れるこの光景は未来永劫、政姫だけに与えられたものなのだ。


「凄い! 凄いよ! ここには私と霊牙しかいない! こんな経験、日本じゃ絶対に出来なかった! 霊牙に出会えて本当に良かったよ!」

 風切り音が一際強く鳴った。それはまるで霊牙が政姫の為に鳴らしているようでもあった。


「霊牙は人の為の機械だよ。みんなを幸せにする為に作られたんだよ…!」

 戦陣に乗っていたら見れなかった。経験出来なかった。機械は人の為にあるなんて思いもしなかった。日本にいた頃は機械に乗らされていた。

 人に寄り添い、人を守る為の霊牙は、ある意味で機械のようでは無く、そして何よりも機械らしい、優しい機械だ。


「メガフロートを視認しました。降下します」

 楽しいフライトも終わりが近付いてきた。霊牙は政姫の意識から離れ、システムに従って降下姿勢を取る。


 メガフロート。その名が示す通り、巨大な人工島。それを近付く度に実感する。これ程の物を作れるまでに人類の技術は進んだのだと、政姫は思い知らされた気分だ。


「アレが降下ポイント……」

 大きな白い枠で囲まれたサークルが見えた。先発組の人達が霊牙に向かって手を振っていた。


「着陸します」

 徐々に機体の姿勢を持ち上げる。バーニアは忙しなく各方向に推進剤をばら撒いた。

 減速時のGが政姫の身体を揺さぶった。

 胃を握り潰された気がして、胃液が喉を這い上がってくる。


「クッ……!」

 だが、パイロットスーツのお陰で耐えられない程ではない。

 洋上なのに地面がすぐ下にある。そう思うと不思議な気分になる。そして、重力は白の機獣を捉えた。

 霊牙はその細い脚をメガフロートに記した。


 政姫の心の中にあったはちきれんばかりの興奮は一入の達成感にその姿を変えていた。

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