後編 侍と忍者

 ――この日の夜。

 部活の帰り道の只中で――千歳は、予想だにしないタイミングで「その時」に直面していた。


「あんたっ……!」


 住宅街の通路を阻む取り巻きの男達。その中心に立つ蛭浦は、昼の時のような涼しげな表情とは正反対な、好色の笑みを浮かべていた。

 下卑た表情で口元を釣り上げた彼の貌は、もはや「人」のそれであるとは思えないほど、歪んでいる。


(甘かった……! まさかここまで、強引に出てくるなんて!)


 いくら権力を傘に着た卑劣な人間だとしても、血の通った人間には違いない。それに、権力に見合うだけの「立場」も背負っている。

 帰り道の女子高生を誘拐するなんて、かなりの権力者でも揉み消すのは難しいほどの事件を、そうそう起こせるはずはない。そんな甘い見通しが、この事態を招いていた。

 多少の暴力行為などとは、比にならない犯罪。それを彼らは、躊躇なく実行に移そうとしている。


「……なによ。そこどかないと、大声出すわよ」

「出せばいいよ。僕が一声かければ、誰も僕を捕まえようとはしなくなる。そう、誰も僕を止められない。誰も、僕を捕まえられないのさ」

「……!」


 その危機に直面してなお、千歳は気丈に振る舞い弱みを掴ませないようにしている。だが、彼女の脅しもまるで通じない蛭浦の様子に、ただならぬ薄気味悪さと恐怖も覚えていた。


「……っ!?」


 逃げねばならない。そこに思考が辿り着き、後退りを始めた瞬間――彼女の口に、突然ハンカチが押し当てられた。


(……ぁ……!)


 何かの薬品を染み込ませたその一枚を、背後から忍び寄っていた取り巻きに嗅がされ――千歳の意識が、遠のいて行く。


(……父、さん、母さん……!)


 地に倒れ伏す絶世の美少女。その豊満な肢体を手に入れるための、獰猛な獣が――舌なめずりを繰り返していた。


「僕を拒む女なんていない……いちゃいけないんだ……ひ、いひひ……」


 ◇


「お兄様。蛭浦の愚息が、尻尾を出したようですわ」

「ああ、すでに則宗から報告を受けている。間も無く、現場を押さえて捕縛するそうだ」


 その頃。救芽井エレクトロニクス日本支社のとある絢爛な一室で、久水茂と久水梢の兄妹は茶の席に着いていた。

 紅茶を嗜むスキンヘッドの強面は、ガラス壁から一望できる東京の夜景を、神妙な面持ちで見つめている。


「獅子身中の虫――とは、よく言ったものだな。蛭浦は長く我々に仕えてきた名家だったが、そろそろ幕を下ろす時か……」

「権力を預かる者としての務め――ノブレス・オブリージュを忘れた者を、自力で矯正出来ない蛭浦グループは解体させるより他ありません。他の傘下企業から代わりを選出して、頭を挿げ替えることにしましょう」

「人選はお前に任せる。――それと、あの愚息は警察管轄の着鎧甲冑もいくつか裏で買収していたそうだ。余罪はまだまだ出てくるだろう」

「橘花総監も、気苦労が絶えませんわね。で、則宗と犬の介は制圧に何時間掛かると?」


 久水流を教えた二人の弟子。かの一煉寺龍太を超えるために練り上げた「正義の使者」である彼らを想い、茂は不敵な笑みを浮かべていた。


「あと一時間も掛からない、だそうだ。まぁ、当然だろう。ワガハイが直々に鍛え抜いた、精鋭中の精鋭なのだからな」


 ――だが、その一方。梢は、胸中に一抹の不安を抱えているようだった。


「でも……迂闊なミスで、正体が民間人にバレたりしないでしょうか。あの子達、実力は確かだけど少々詰めが甘いというか……」

「心配いらんだろう。確かに本来の規定においては、テストヒーローの個人情報が民間人に露見した場合は情報漏洩の阻止のため、そのヒーローを任務から降ろさねばならん。……しかし例外はあるし、そもそも民間人自体がほとんどいない空間なのだ。その心配は必要あるまい」


 ◇


 ――蛭浦グループ本社。

 五野高を含む、東京の一部区画を牛耳る大企業グループ。その運営を統括している、八十階建ての超高層ビルだ。


 その正門前に、二台のレーサーバイクが停まる。猛烈な速さでアスファルトを駆け抜けていたその二台は、正門の近くでピタリと停車していた。


「本社で『お楽しみ』ってわけか……こいつァ、大・大・大スキャンダルだなァ」

「……発信機によると、綾田さんの身柄は五十階付近まで移動中。ここに運び込まれたのが二分前だ。まだ『行為』には及んでいないだろう」

「貞操のピンチに颯爽と登場! ……ってか? いいねぇ、そういうベタなの嫌いじゃないぜ」


 銅色のバイクから飛び降りた首里はパキパキと指を鳴らし、黒いライダースジャケットを翻す。銀色のバイクから優雅に降りる真田も、同色のジャケットを羽織っていた。

 真田は手にしたタブレットに映された映像を、神妙な面持ちで凝視している。そこには、蛭浦グループ本社ビルの見取り図が表示されていた。

 ――その中で、幾つもの光点が動き回っている。


「やはりな。買収された『救済の龍勇者』の『G型』がビル内を巡回している。数は五十台」

「なんだよ、金に物言わせたって割りにはシケてんな。しょうがねぇ、一人につき二十五台とするか。警視庁からの恩賞は山分けだ」

「――いや、この光点に反応しているのは『今起動しているG型』だけだ。お前は三十台潰せ、俺は別に恩賞はいらん」

「あっそ。ま、オレは全員任されても構わないんだがな」


 早口で遣り取りを済ませ、二人は真正面からズカズカと本社に進み出る。ロビーに入る手前のところで、黒いスーツに身を包む屈強な男達が立ち塞がるのだが――二人にとっては想定内のことだった。


「ここから先は関係者以外、立ち入り禁止だ。早々に立ち去れ」

「うっへー高圧的。客商売って言葉知ってんの? 二度と来ないとか言われちゃうよ?」

「――久水財閥直属の調査員だ。蛭浦蛮童様に面会を申し出たい」


 煽り立てる首里より一歩前に進み出て、真田は久水財閥直属の証である身分証を提示する。それを目にした男達は揃ってたじろぐと、二人に背を向けてこそこそと誰かと電話で話し始めた。


(予想だにしないタイミングで抜き打ち視察が入って、慌てて対応を上に仰いでる――ってヤツだな。やましいことがあるのバレバレって感じで、むしろ清々しいくらいだぜ)

(……ここまで非常識なことをする連中だ。久水財閥の直属だからといって、丁重に持て成してくれるとは考えにくい。構えろ、首里)

(わぁってるよ。つか、こっちはむしろソレが楽しみなくらいだ)


 そして、電話が終わる瞬間。


 アイコンタクトで会話していた真田と首里に、いきなり拳銃が向けられた。


「――ハッ!」

「トアッ!」


 刹那。その展開を読んでいた二人は男達が引き金を引くよりも速く、銃身を掴んで射線を外し――急所に高速の拳を叩き込む。

 一瞬で意識を刈り取られ、崩れ落ちるように倒れ伏す男達。その巨漢を見下ろす二人の手には、奪った拳銃が握られていた。


「……非殺傷のテイザーガンか。こいつで意識を奪って薬品で記憶を改竄し、事な気を得る――という筋書きだったらしいな」

「いいねー、物分りが悪くて。おかげでこっちも、遠慮なくブチのめせるってもんだ」


 すると、ロビーに入ってきた二人の前に、「G型」の着鎧甲冑に身を固めた男達がぞろぞろと集まってくる。スムーズに事が運ばなかったことに焦った「上役」が、早急に事態を収めようと数にものを言わせたようだ。

 「悪」の手元に売られ、蛭浦の尖兵に成り下がった「救済の龍勇者」。その白いヒーロースーツを見遣り、真田は呆れ返るように目を伏せる。


「……こんな様では、茂先生もさぞ腹立たしいことだろうな」

「……だな。これ以上、着鎧甲冑が穢される前に。オレ達で、ケリを付けようぜ」


 その首里の言葉に、真田が頷いた瞬間。同時にライダースジャケットの前をはだけた二人の胸に、鋼鉄の袈裟ベルトが現れる。

 「第三世代型」の証である、そのデバイスに「救済の龍勇者」達が驚愕する瞬間――二人の手に握られた漆黒のカードキーが、同時にバックルへ装填された。


接触コンタクト!」

接触コンタクトォッ!」


 そして、バックルのカバーが閉じられた瞬間。


『Armour Contact!!』

『Armour Contact!!』


 二つ電子音声が同時にロビーに響き渡り、眩い輝きが彼らの全身を包み込む。

 その光が、やがて消えた時――二人は、己の正義を執行するための姿へと「着鎧」していた。


 真田の全身は、黒いスーツの上に装備された白銀の外骨格で覆い尽くされている。その外骨格は戦国武将の甲冑のような形状であり、和風兜の鉄仮面には紅いバイザーが備えられていた。

 鋼鉄の色を持つ、非殺傷小銃「テイザーライフル」を携えた彼の全身は、例えるなら「白銀の鎧武者」。さらに首に巻かれた漆黒のマフラーが、重々しい彼の全貌をさらに重厚なものとして印象付けている。


 一方。首里の全身に纏われた、黒スーツの上にある銅色の外骨格は――真田のものとは対照的に、非常に薄い装甲となっていた。忍装束を彷彿とさせる薄手の外骨格は、重装備な真田とは正反対の軽やかな印象を与えている。忍者の覆面を模る鉄仮面には、黒のバイザーが伺えた。

 小太刀型の電磁警棒を逆手に構えている彼の姿は、例えるなら「銅色の忍者」。首に巻かれた緑色のマフラーは、流水の如く軽やかに靡いている。


『Awaken!! Samuraiwarrior!!』

『Awaken!! Ninjawarrior!!』


 そして――着鎧完了を告げる電子音声が轟いた時。悪に堕ちた旧式の「G型」達の前に、「第三世代型」の「G型」が降臨する。


 「第三世代型」における「G型」の第一号。及び、第二号。「R型」の第一号である「救済の遮炎龍ドラッヘンインパルサー」の完成から大幅に遅れて、ようやくロールアウトされた最新型。


 それが。


 真田竜流と首里雷士がテストを託された――「救済の龍武士弌號ドラッヘンブシドーいちごう」と、「救済の龍武士弐號ドラッヘンブシドーにごう」なのだ。


「さぁて……そんじゃァ、試運転がてら」

「貴様らの悪行に、幕を下ろすとしようか」


 ◇


 ――蛭浦グループ本社ビル、最上階。その奥にある、蛭浦蛮童の私室。

 そこには今、蛭浦と千歳の二人しかいない。


「くっ……!」

「はぁあ……甘い、いい匂いだぁ……。最高だ、やはり最高だよ君は……!」


 太ももを撫で回していた蛭浦の手が、拘束された千歳の腹部へと這い回り――下腹部へと向かう。十五年間、誰にも許したことのない女の聖域に、人面獣心のケダモノが触れようとしていた。


「あんたッ……!」


 それだけは、絶対に許さない。

 その一心で、彼女が蛭浦の顔面に噛み付こうとした時だった。


『蛮童様! ひ、久水財閥の調査員共が――がぁっ!』

「……なに!?」


 突如、蛭浦のところへ舞い込んできた通信。その僅かな内容から事態を察した彼の表情から、好色の笑みが消え去った。

 ――久水財閥の調査員を始末できなかったばかりか、未だに侵入を許し続けている。このままでは最悪の事態も……。


「くそッ! 何をしてるんだ、役立たず共! グダグダやってないで、さっさと事態を収拾させろ!」

『し、しかし相手は……!』

「相手はどうとか関係ない! 命令だ、速く終わらせろ! 待機させている他の『G型』も全部引っ張り出せ!」

『か、畏まりました!』


 予想しうる最悪の展開を振り切るため、蛭浦は声を荒げて打てる手段を尽くそうとする。そんな彼の背中を、千歳は静かに見つめていた。


(ここまで乗り込んで来てるの……!? 一体、誰が……)


 ◇


「――さらに数が増えたな。今倒した連中を含め、G型が八十台」

「道理でシケてると思ったら、やっぱりケチってやがったな。で、どうするよ。オレは約束通りの三十台だけでいいのか?」

「ノルマ追加だ、四十五台潰せ。報酬は――『ぷすっとおちゅうしゃ☆ミニスカナース』のOVAでどうだ」

「乗った! ……だが通常版はナシだ。限定版のパッケージじゃねぇと承知しねぇぞ」

「任せておけ。保存用・布教用・視聴用で三つは確保してある」

「ただでさえ生産に限りがある限定版を三つも独占してんじゃねぇ! 帰ったら『知り合いが限定版三つ独占してんだけど質問ある?』ってスレ立てるぞゴラァ!」


 ――この戦場の只中には、そぐわない軽口を叩き合いながらも。

 白銀のテイザーライフルによる電磁弾と、小太刀型の電磁警棒。その得物による大規模な「粛清」は、着々と進行していた。


 「救済の龍勇者」の電磁警棒を全く通さない弌號の装甲は、何度殴打されても怯むことなく、重戦車の如く悠々と前進し続けている。何が来ようと問答無用で弾き返し、電磁弾の返礼で地に沈める。そんな横綱相撲を、真田は淡々と繰り返していた。


 また、「救済の龍勇者」が何人掛かりで向かって来ようとも――弐號の素早く緩急のついた動きを捉えることは出来ず、すれ違い様に何人もの白い尖兵が打ち倒されていた。

 小太刀型電磁警棒の一閃は――川の流水の如く虚空を切り裂き、緑のマフラーを靡かせ、次々と標的の意識を刈り取っていく。それはさながら、千歳を気絶させた彼らへの意趣返しのようであった。

 仮面の下では、首里が好戦的な笑みを浮かべている。


「さて……もうすぐ八十階だぜ。どうする大将、オレのノルマは終わっちまったぞ」

「まだ生き残りが下の階で燻ってるだろう。事情聴取を兼ねて、遊んでやれ。――俺は向こうの『大将』に話を聞くとしよう」

「まーた美味しいトコ取りかよ。いいよなー、優等生様はよ」

「……お前も、卑劣な連中への怒りで『溜まってる』んだろう。発散する機会を与えてるんだ、感謝しろ」

「……フン。ま、今日のところはそういうことにしといてやるか。オレは器の広い男だからな」


 そのやり取りを最後に、二人は正反対の方向へと進み出す。弐號は下の階へ、弌號は上の階へ。


 ◇


 そうして、一歩も退かない制圧前進の果てに――弌號こと真田はついに、蛭浦蛮童の私室へと辿り着くのだった。


「……蛭浦蛮童、だな。婦女暴行の現行犯で、貴様を逮捕する。余罪はいくらでもありそうだが――まずはそれだ」

「な、なぁっ……!」


 ドアを蹴破り、土足で上がり込んできた白銀の鎧武者。その見慣れぬ着鎧甲冑を前に、蛭浦は血が滲むほどに唇を噛みしめる。


(……致命傷は避けた、か。だが、こうなる前に対処できなかったのは俺達の落ち度だ。「警察はいつも『起きてから』しか動けないから、いつだって『負け戦』」とはよく聞くが……なるほど、確かにこれは負け戦だな)


 だが、真田の眼は対峙している彼ではなく――あられもない姿で愛撫されていた、千歳に向かっていた。彼女はあり得ないものを見つめる驚愕の表情で、こちらを凝視している。

 その憔悴しきった顔を見つめる、鉄仮面の奥で――真田は独り、己の不徳を悔いる。


 ここに居たのが首里だったなら、感情的になる余り蛭浦を半殺しにしていた。だから、「ある程度」は感情を抑えられる自分がここに来たのだ。


 だが、それでも。真田は耐え切れぬ手前まで、己の感情が昂ぶっていることを感じていた。


「……ぎぃいぃっ! なんでだ……なんでだよ! 何でいいところなのに、邪魔が入るんだよ! だいたい、何なんだお前らは! そんな着鎧甲冑、見たことないぞっ!」

「それはそうだろう。ロールアウトされて間も無い最新型なんだから」

「……!? じゃ、じゃあそれが、パパが言ってた『第三世代型』の……! ……そ、それを寄越せ! いくらだ、いくらで買えるんだそれは!」

「悪いが、まだテスト段階でな。売り物ではないし……売り物だとしても、お前の手に渡ることはない」


 一方。そうして敵にまで心配されていることにも気付かず、蛭浦は唾を飛ばして喚き散らしていた。

 そんな彼の前に、真田はカーペットを踏み締めて重い一歩を踏み出す。


「金だけでは手に入らないものもある。俺が言うのも滑稽な話だが――それに、気付くべきだったな」

「う、うるさいうるさいうるさい! 着鎧甲冑っ!」


 だが、蛭浦は怯む気配を見せず。隠し持っていた「腕輪型着鎧装置」で「救済の龍勇者」を纏い、電磁警棒を振り上げた。

 とうとう純白のヒーロースーツは、このケダモノにまで渡ってしまったらしい。着鎧甲冑の買収、という事態が招く損害の大きさを、真田は肌で感じていた。


「うがあぁああ!」

「――早くそれを脱ぐんだな。次にそれを着る次代のヒーローが、不憫でならん」


 突進してくる蛭浦を前に、真田は悠然とテイザーライフルの銃身を立て――銃口付近に、腰に差されていた電磁警棒を装着した。

 ――師と同じ、着鎧甲冑ならではの武具。「電磁銃剣サムライダイト」が、その手に握られる。


「力づくでも、好きな女を求める。オスとしては正直なお前の姿勢に免じて、久水流銃剣術の洗礼で応えてやる」

「死ねぇぇえぇっ!」


 蛭浦の絶叫と共に、電磁警棒が振り下ろされる――刹那。サムライダイトの切っ先が、蛭浦の手首に衝撃と電撃を浴びせた。


「あぐぅぅぇえぇえ!」


 情けない悲鳴を上げ、蛭浦の手からあっさりと電磁警棒が零れ落ちる。その時の真田は――凍てつくような眼差しで、蛭浦を射抜いていた。


「……『死ね』、か。それは……例え洒落でも。着鎧甲冑を纏う者にとっては、『死んでも』言ってはならない言葉だ」


 この瞬間、真田の感情は「ある程度」の範疇を超え――手加減の向こう側へと、踏み込もうとしていた。怒りは気迫として噴き上がり、漆黒のマフラーをふわりと舞い上げる。


 だが、僅かな理性が唸りを上げて、彼の激情と衝突する。

 そのせめぎ合いの果てで、彼の心は「半殺しに至らない範囲で、恐怖を植え付ける」方針に決まった。


「――シュッ」


 直後。

 真田のサムライダイトから銃剣――に当たる電磁警棒が切り離され、地を這う蛇のような動きと共に……その右手に握られた電磁警棒が、蛭浦の顔面に叩きつけられる。


「ひぎぃいィッ!」


「……久水流銃剣術、蛇流撃じゃりゅうげき


 その一閃が生む激痛に、のたうちまわる蛭浦。そして――サムライダイトの銃口付近を左手で握り締めた真田は、そのまま弧を描くように、水平に銃身を振り抜いた。


「げぼあぁあぁあぁあぁあ!」


「久水流銃剣術――虎流撃こりゅうげき


 結果。遠心力と質量が生むエネルギーを纏う銃床が、蛭浦の頬を完膚なきまでに打ち抜くのだった。衝撃の余波を浴び、黒マフラーが激しく揺れ動く。


 「救済の龍勇者」の仮面が半壊するほどの一撃を浴び、蛭浦の身体は錐揉み回転しながら床の上に墜落した。

 痙攣したまま気絶した彼の、泡を吹いて白目を剥いた無残な顔が、露出した箇所から覗いている。


「……いかん、結局やり過ぎたな。始末書は書き慣れていないというのに……」


 その結末から我に返り、自分が手加減を誤っていたことに気づいた彼は、深く肩を落とす。……始末書常習犯の首里にも手伝わせよう、という邪な考えも抱きながら。


(――さて)


 ともあれ、親玉の蛭浦蛮童は確保した。責任者である彼の父は席を外しているようだが、ここまで証拠が出揃ってしまっては、もう彼が同じ席に座り続けることは出来ないだろう。

 九分九厘、事件は解決したと見ていい。タブレットを覗いてみると、すでに下は首里が完全制圧していることも窺える。


 真田は戦いの終わりを肌で実感しつつ、安堵の息を漏らす千歳を拘束から解放した。彼女は両手が自由になるや否や、自分の豊かな胸を両腕で隠しながらはにかむ。


「……あ、ありがとう……。えへへ、危機一髪だったよ」

「……いいや、俺達は間に合ってはいない。君がこんな目に遭う前から、手を打つべきだった」

「そうかも知れないね。……でも、後からなら何とでも言える。だから私は、ありがとうって言いたいの。現実にこうして、助けてくれたのは――あなたなんだから」


 千歳は屈託無く笑い、真田達の正義を肯定する。そんな彼女の微笑に釣られるように、仮面の下の少年も、フッと口元を緩めるのだった。


「ね、名前教えてくれない? ちゃんと御礼したいし、顔が隠れてちゃ『面と向かって』ありがとうも言えないしさ」

「いや結構。俺達はこれが『仕事』なんだ、君が気負うことはない。それに……」

「それに?」


 すると。真田が纏う弌號の甲冑は、千歳の問いに反応するように拳を震わせる。その挙動に既視感を覚えた彼女は、ある可能性を予感しつつ耳を澄ませた。


「……帰ったら始末書を作成して、撮り溜めしていた『ばっきゅんきゅん☆ミニスカポリス』を徹夜で視聴するという、大事な予定がある。だから君の御礼に付き合うヒマなど……」


「……真田君?」


「ん? どうした綾田さん」


「あ、やっぱり真田君なんだ」


「――あ」


 そして、いとも簡単に。

 「第三世代型」の「G型」を保持するヒーローの個人情報は、民間人に知られてしまうのであった。


 ◇


 ――それから一週間。

 蛭浦蛮童が姿を消したことによって五野高には平和が戻り、首里は再び不良達のまとめ役として、小屋にたむろする生活を送っていた。


「蛭浦も捕まって、不良も大人しくなって……首里君のおかげで、いよいよ五野高も平和になったって感じだよ」

「あいつはそもそも、あれくらいしか取り柄もないからな」


 春風を浴びながら――そんな相方を、真田は屋上から見下ろしている。彼の傍には、千歳の元気な姿もあった。


 ……あの戦いの後。蛭浦蛮童を始めとする彼の部下達は軒並み逮捕され、買収されていた「救済の龍勇者」の「G型」は全て警視庁に回収された。

 約束通り、着鎧甲冑奪還に関わる恩賞は全て首里に渡っており、彼はさっそくアニメグッズに使い込んでいるらしい。


 この件により蛭浦グループは実質解体。グループそのものは健在だが、トップがすげ替えられ組織の上層部が一新されたのだった。

 久水梢の人選により選ばれたのは――久水財閥の直轄で働いていた、千歳の叔父。つまり実質的には、綾田商事の勢力が蛭浦グループのトップに成り代わったに等しい。


 事実上、この近郊を牛耳っていた蛭浦と同じ目線に立つことになった千歳は――彼の轍を踏むまいと、持ち前の親しみやすさを活かして更に人望を集めている。

 告白された回数は、とうに百回を超えたそうだが――彼女に恋人が出来たという情報は何処からも上がっていなかった。


 千歳自身は「他に好きな人がいるから」という決まり文句で断り続けているようだが、その問題の人物が誰であるかという問いには、頑として答えていない。

 ゆえに「彼女が好きな男は誰か」――という謎は、この学園の男子諸兄の関心を集め続けているのである。


「……ねぇ。真田君達がヒーローだったってこと……本当は、知られちゃいけないこと、だったんだよね? だからテストからも降ろされちゃったんでしょ?」

「ん? ああ、まぁそれはそうだが……もう済んだことだ。それに俺も首里も、ヒーローとして為すべきことは果たしている。仮にバレていなくとも、遠からずヒーローは辞めていた。君が気に病むことはない」

「……優しいね、真田君」

「割り切りが早いだけだ、気にするな」


 遠い目で首里を見下ろす真田。その横顔を、隣に立つ千歳は熱を帯びた眼差しで見つめている。彼女はやがて、意を決したように拳を握り締めると、真摯な面持ちで真田を凝視した。


「……真田君!」

「どうしたんだ、綾田さん。急に改まって」

「真田君。私ね、このままじゃフェアじゃないって思うんだ。真田君達は秘密がバレてヒーローをクビにされちゃったのに、私はこうしておとがめなしなんて……やっぱりおかしいって思うの!」

「いや、だからそれは俺の落ち度だから――」

「だから、私も自分の秘密を真田君に伝えたい。そうして、ちゃんと対等になりたい。だから、言うね!」

「お、おう……?」


 まくし立てるような彼女の剣幕に押され、真田はつい頷いてしまった。千歳は真田の了解を得た、と判断すると……深呼吸しつつ、後ろ手に隠していた「何か」を差し出そうとする。


 ――しかし。


「ん? すまん、電話だ」

「えっ……あ、うん」


 突如、真田の携帯にかかって来た電話にタイミングを乱されてしまう。この隙に、彼女は深呼吸をやり直していたのだが……。


「なんだ首里か。どうした急に……ん? なんだと!? 『ぷすっとおちゅうしゃ☆ミニスカナース』のOVAの第二弾発売決定!? しかも限定予約特典は『CHITOSE』の直筆サインカード!?」

「え……」

「しかも予約できる店頭には限りがあるのか……。ここからだと、近いのは秋葉原だな。……よしわかった、俺もすぐに行く。限定品を手中に収める好機だ、逃すわけには行かん!」

「え、ちょ……」


 会話の内容から、この先の展開を予想してしまい――千歳は完全にペースを乱されてしまっていた。

 声を掛けようにも、当の真田は完全に「そっちの方向」へのスイッチが入ってしまっている。


「済まんが急用が出来た。話の続きはまた今度だ!」

「あの、ちょ、待っ……!」

「ぬぁあぁああ! 『CHITOSE』のサインが俺を呼んでいるぅぅぅうッ!」


 千歳の制止を完全に振り切り、真田は屋上から駆け出し秋葉原を目指して爆走していく。

 埃を巻き上げ、一瞬にして走り去った彼の残像に、千歳は暫し呆然としたまま手を伸ばしていた。


 ……やがて、引きとめようがないと判断した彼女は、がっくりと肩を落とす。そんな彼女の手には――自分が持っていた、「CHITOSE」の直筆サインが握られていた。


「……もぉ。『CHITOSE』なら、ここにいるんだぞっ」


 ぷぅっと可愛らしく頬を膨らませる彼女。

 誰にも知られていない究極の秘密を打ち明けようとして、見事にタイミングを外された彼女は……相方と並んで校庭を疾走する想い人を、不満げに見下ろしていた。


 ――だが。その眼差しは、深い恋情にも満たされている。

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