第三部 着鎧甲冑ドラッヘンファイヤーSTRONG

前編 重過ぎた鎧

 砂塵が吹き荒れ、爆風が天を衝き、命だった何かが転がって行く。

 それはこの世界では、当たり前の景色。足元に転がる肉の塊が、誰のものであったとしても、そこに生きる人々は眉ひとつ動かさない。

 そんなことより明日の飯が、水が、今の命が大切だからだ。自分さえ生きていれば、明日の世界を見ることができる。

 それは命あるものの本能にして、特権なのだ。死者に、生者の足を引く資格はない。


「立ち止まるな! 龍誠りゅうせい、何してる!」

「あぁ……ごめん、ごめんな……! オレが、オレが弱いからっ……!」


 だが、それを理解できない愚者もいる。紅い仮面に泣き顔を隠すくろがねの男は、盾を着けた腕の中に少女の骸を抱き、戦地の中で啜り泣いていた。

 銃声と怒号が響き渡る、戦場の只中。その渦中で蹲る彼に、仲間が懸命に呼びかけているが……男は、命ですらなくなった肉塊を抱いたまま、そこから動く気配を見せない。


「龍誠、走れッ! その子は、もうダメだ!」

わたる、オレは、オレ達は何のために……!」

「龍誠ッ!」


 このままでは、死者に足を引かれた生者が、その命を地に還される。そうはさせじと動き出した仲間が、危険を顧みず死地に飛び込んできた。

 彼は並外れた膂力で、鉄の男を戦場から引きずり出して行く。そんな中でさえ、男は愚かにも――幼気な少女の骸から、手を離せないでいた。


 異邦人である自分達を、快く迎え入れてくれた、心優しく純真な少女。それが、この肉塊のかつての姿だった。だが今はもう、物言わぬタンパク質の塊に過ぎない。

 そんなものに囚われる愚者を、引きずる仲間は哀しげに見下ろしていた。


 ――やがて少女の骸が、これ以上傷つくことのない場所に隠された後。男は慟哭と共に盾を振るい……再び、戦火の中へと飛び込んで行くのだった。


 愛は地球を救う。そんな世迷言の極地に振り回されてきた、その男にとって……この世界は、残酷過ぎた。


 ◇


 ――二◯五七年七月。東京の下町は夏の日差しに晒され、猛暑の季節を迎えていた。アスファルトの街道が熱気を浴び、道行く人々の視界を揺らめかせている。

 まだ八月でもないというのに、すでに何人かは熱中症で亡くなっているという話だ。


「んじゃあ部長、パトロール行ってきま〜す」

「いてら〜」


 エアコンもない古びた交番では、なおさら辛い。身長も頭髪もない、小太りの警官は団扇で暑さを紛らわしつつ、脂汗に塗れた醜悪な顔を拭っている。部長と呼ばれている彼は、デスクに足を乗せながら気だるげにテレビを眺めていた。


 ――元人気アイドル「フェアリー・ユイユイ」の娘として知られる人気子役、「雲無希魅くもなしのぞみ」。彼女が出演している、今話題の人気ヒーロー「救済の超強龍ドラッヘンファイヤー・ストロング」を取り扱う特集番組が放送されていた。

 その正体として知られている久水財閥の御曹司・久水渉ひさみずわたるが、大勢の女性ファンに手を振っている。


 一方、制服をだらしなく着崩し、胸元の黒いアンダーシャツを晒している若い警官は、アイスを咥えながらふらふらと自転車を漕ぎ出していた。

 艶やかな黒髪を靡かせる、しなやかで筋肉質な体躯を持つ美男子――なのだが、その勤務態度のだらしなさが、全てを帳消しにしている。


 だが、そんな彼は下町の住民にとっては顔馴染みであり、「今更」彼のだらしない姿に文句をつける者はいない。

 曲がり角で出くわした、ラーメン屋の店主もその一人だ。胸元をはだけた若い警官を見るなり、厳つくも愛嬌のある笑顔を浮かべた店主が、パトロール中の彼に声を掛けて来た。


「よぉ龍誠、今日も暑いなぁ」

「なぁりくさん、まだ冷麺やってねぇの? もうオレ溶けそうなんですけどー」

「ウチは毎年八月からって決めてんの。ギリギリまで勿体つけるスタイルだからな」

「ちぇー……これで美味くなかったら食ブロで叩いてやる」

「言ってろ。今に満点書かせてやる」


 へらへらと笑いながら軽口を叩き合う二人の姿は、ここでは日常の一コマに過ぎない。パトロールを中断して市民と談笑する警官を咎める者など、ここには一人もいないのだ。


「そいつぁ楽しみだ。んじゃな」

「おう、寄り道も程々にしとけよ。おっぱい同僚がまだ怒り出すぞ」

「そういうこと言ってると、おたくの奥さんもキレちまうぞ」

「バカ言え、ウチの結花ゆかはそこらの貧乳とは違う、希少価値レベルなんだぜ」

「あっそ、結果ちっぱいじゃねーか」


 やがて警官はケラケラと笑いながら、再び自転車を漕ぎ出して行く。その背中に手を振る、店主の左脚には――鋼鉄の義足が装備されていた。


 ◇


 それから約一時間。まったりとしたペースで近隣のパトロールを終えた警官が、交番に帰って来た。肥満体の部長は相変わらず、机に足を乗せたままだらしなく団扇を扇いでいる。


「ふぃ〜、パトロール終わりましたよっと」

「おかり〜。龍誠、アイス買って来たかぁ?」

「ちゃんとあるっすよ、ホラ」

「おまっ、これコーヒー味じゃねぇか! 俺はチョコ味っつったぞ! なんでちょっと苦いの選んだんだよ、俺の血糖値なんて嫁さんでも気にしねえぞ!」

「チョコ味なら中坊のガキンチョ達が根こそぎ買って行きましたよ。むしろ近い味を探し出して来たオレの機転を褒めて欲しいんですけど?」

「あんのクソガキ共がー! どうせ今頃涼しい部屋でピコピコしてんだろ! こちとらエアコンもねぇ交番で何時間も何時間も何時間も……!」

「あんたいつの時代の人よ……もう二十一世紀も半分終わってるんですけど?」

「何世紀だろうとピコピコはピコピコだ!」

「ハァ……ほら、ハーゲンダタッツやるから機嫌直してくださいよ」

「あん? どしたんだこれ」

「タバコ屋の婆ちゃんが差し入れだってさ」

「いい人だね〜クソガキ共と違ってさぁ」


 警官も自転車を交番前に留めると、机の上に座りながら買って来たアイスに手を伸ばす。どちらも、警察官としての自覚というものがまるで感じられない様子だが……この交番は、普段からこんな調子なのだ。


「あなた達……またそんな格好で……! いい加減にしなさい、警察官として恥ずかしくないのですか!」


 ――だが、当然ながらそうではない警官もいる。この暑い中でありながら、しっかりと制服を着こなした一人の婦警が、仁王立ちの姿で二人の前に現れた。


 茶色がかった黒髪をボブカットに切り揃えた、色白の美女。その薄着の制服を内側から押し上げ、いまにもはち切れそうなGカップの巨峰。すらりと伸びた白くしなやかな脚。

 どれを取っても、こんな下町の交番には勿体無い美人警官が、眉を吊り上げ二人を睨みつけている。実は彼女もパトロールから帰って来たところなのだが……言うまでもなく、アイスを咥えながら自転車を漕ぐ同僚とは正反対のタイプだ。


「あすかちゅわ〜ん! 会いたかったよぉ、お願いだから今日こそおっぱい揉ませ――ぶぎゃあ!」

一煉寺いちれんじ! あなたみたいないい加減な同期がいると、私まで迷惑なのよ! パトロール中くらいボタン締めたらどうなの!」

「やっべ……また始まったよ……」

「聞いてるの!?」


 彼女は飛びついて来た部長を裏拳で沈めた後、アイスを咥えたままの警官に詰め寄ってくる。

 ――彼女の名は沙原さはらあすか。今も胸元をはだけている一煉寺龍誠いちれんじりゅうせいとは警察学校の同期であり、トップクラスの成績で卒業した秀才である。


 それゆえ、当時は警視庁への配属も検討されていたエリートだったのだが……本人たっての希望により、今はこの下町の交番に勤務している。

 ……というのも。警察学校時代から、だらしない劣等生として教官達が頭を抱えていた一煉寺龍誠が、この交番に配属されると聞いたのが原因であった。


 ――あんな問題児をこのまま世に出したら、警察官の沽券にかかわる。主席の自分が何としても監督し、他の同期達の名誉を守らねば。

 そんな義憤に突き動かされた結果、彼女は龍誠を追う形でこの交番に来たのだが……本人ばかりか上司までこのような調子であるため、頭を悩ませる毎日を送っているのだ。


「……おっとぉ! そういやそろそろ次のパトロールの時間だなぁ! いやぁ、市民の生活を守るのも大変だなぁ、うん!」

「ちょ、ちょっと! 話はまだ終わってないわよ! 大体あなた、さっき帰って来たばかりでしょ!」

「平和を守る警察官は忙しいのだ! んじゃ行ってきまーす」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」


 ――そんな彼女の説教が始まれば、それだけで数時間は拘束される。経験則からその事態を危惧した龍誠は、白々しさに溢れた言葉を並べながら、交番を飛び出し自転車に跨った。あすかの説教に比べれば、夏の猛暑の方がマシなのだ。

 やがて彼はあすかの制止を振り切り、先ほどとは桁違いの速さで走り去ってしまう。


「……もぅっ……!」


 そんな彼の背を、あすかは膨れっ面で見送るのだった。


 ◇


 ――沙原あすかは、警察学校時代から美人と評判であり、同期の男子達からの注目を集めていた。いわばアイドルのような存在であり、龍誠も悪友達と一緒に、その美貌を眺めていたことがある。

 だが、二人にこれといった接点はない。「優等生」と「劣等生」という対極の立場である上、男子と女子は基本的に距離を離されているため、直接会う機会もない。

 だから正確には、この交番に配属されてからが初対面であった。――龍誠にとっては。


 だが……あすかは違っていた。彼女は警察学校に入学する以前から、一煉寺龍誠という男を知っていたのである。


 ――着鎧甲冑を纏うレスキューヒーロー。その頂点に立ち、伝説として語られ教科書にも載せられている英雄「救済の超機龍ドラッヘンファイヤー」。

 かつて彼に命を救われたことがある両親は、娘のあすかにもその話をよく聞かせていた。そんな中で育った彼女は、いつしか「救済の超機龍」に憧れ、彼のようになりたいと願うようになったのである。


 それゆえ彼女は、中学時代にヒーローへの道に進むべく「ヒルフェン・アカデミー」の門を叩いたのだが……常軌を逸する倍率の中を勝ち抜けるほどの才覚は、なかった。

 それでも人々の為に戦う道を諦めきれず、彼女は生身でもヒーローになれると信じて警察官を志した。そして、警察学校への入学を果たし――入校初日の朝、一煉寺龍誠と出会ったのである。


 春風が吹き抜ける快晴の朝。晴れやかな思いを胸に家を出た矢先――あすかは、三人組のコンビニ強盗に出くわしたのである。強盗は金を手にしたまま、警察学校とは真逆の方向へ逃走してしまった。


 警察官なら、何としても捕まえるべき。だが、追っていれば入校初日から遅刻してしまう。それにそもそも、学生の身分で、武装した強盗を捕まえられる保証もない。まして自分は……女なのだから。


 そんな葛藤に揺れ、何も出来ず固まっていた――その時だった。


 あすかと同様、現場に居合わせていた一煉寺龍誠が、弾かれたように駆け出していたのである。彼はあすかの傍らを通り過ぎると、入校書類が詰まった鞄を投げ捨て、犯人追跡にのみ尽力していた。

 その後ろ姿を、彼女は驚愕の表情で見送ったのである。


 ――そんな彼の行為により、コンビニ強盗達は早々に逮捕された。だが、龍誠自身は入校式に間に合わず、初日から教官数人に囲まれ説教される羽目になっていた。

 やがて彼は悪名高い「劣等生」として知れ渡り、対してあすかは成績優秀な「優等生」として知られていくのだが――彼女は、そんな評価など気にも留めなかった。


 あの時。震えて動けなかった自分に代わり、全てを解決したのは紛れもなく龍誠だった。彼こそ、真の警察官であり、ヒーローだった。


 ――誰もそれがわからないなら、本人すらもわかっていないなら、私が分からせる。私が彼の振る舞いさえ改めさせれば、皆気づくはず。

 彼ならきっと……私が昔、憧れたヒーローに近づけるはずだから。


 それが。沙原あすかが、一煉寺龍誠にこだわる真の理由であった。だが、当人がそれを知る由はない。

 そして、あすか自身も知らなかった。


 ――だらしない「劣等生」である一煉寺龍誠が、伝説の「救済の超機龍」の息子であることを。

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