第22話 雷雨が呼ぶ試練

 墜落事故の犠牲者を弔う慰霊碑は、山道を登った先の小さな丘にある。事故から十一年を経た今も、犠牲者の命日には多くの遺族がこの地に足を運んでいた。

 警視総監・伊葉隼司とその一家も、その列を成す一部であった。


「他の遺族の方々……去年より大分、少なくなってるよね……お父さん」

「……ああ。あの事故から、もう十一年になる。失ったものに囚われまいと、彼らなりに前を向こうとしておられるのだろう」

「でもあなた……私達まで来なくなったら、きっと隼人は寂しがるわ」

「わかっている。あの子は辛い時でも優しさを失わない強い子だったが――人一倍の寂しがりやでもあったからな」


 隼司は妻の橘花たちばなうららの言葉から、幼き日の息子の姿を思い返し――儚い苦笑を浮かべる。双子の兄妹に受け継がれたと思しき茶色の長髪と雪のような柔肌、そして四十代という年齢を感じさせない美貌を持つ妻は――そんな夫の横顔を、心配げに見守っていた。

 両親のそんな様子を横目で見遣りながら――慰霊碑に続く山道を歩む麗は、額の汗を拭いつつ、父の言葉を静かに思い返す。


(……失ったものに囚われまいと、前を、向く……)


 それが、自分がすべきことなのだろうか。その自問に、少女の本心は「否」と告げる。


「できるわけ、ないよ……! 幽霊でもいい、会いたいよ、お兄ちゃん……!」

「麗……」


 夏の熱気に浮かされてか。父の言葉に昂るあまりか。麗は慰霊碑の前に辿り着く寸前、汗の中に紛れて涙を頬に伝わせる。

 そんな娘の姿を目の当たりにした隼司は、迂闊なことを口にした、と己の発言を悔いた。十一年を経た今もなお、最愛の兄を失った傷みは少女の胸に突き刺さったままだったのだ。


 このまま長居しては、ますます娘を追い詰めてしまう。妻と顔を見合わせ、そう判断した隼司は足早に慰霊碑に近づこうとする――が。


「……!?」


 慰霊碑に集まる遺族達の中に紛れた人影に既視感を覚え――その足を止める。その既視感の実態に勘付いた瞬間、隼司は思わず目を見開いた。


「和士君……?」

「――どうも」


 遺族に紛れて慰霊碑に手を合わせていた伊葉和士は、特に驚く気配もなく隼司達に会釈する。彼らが来ることなど、わかりきっていた、という顔だ。


「和士! ど、どうしてここに!?」

「ちょっと仕事の都合でな。事故の当日に来る時間が出来たのは、ただの偶然だが」

「まぁ……この方が麗の……。初めまして、娘がお世話になっております」

「こちらこそ初めまして。いえ、世話になっているのは俺の方ですよ」


 麗とうららに対する落ち着いた対応を見つめる隼司は、彼がヒーローとして更なる急成長を遂げていることに勘付いていた。――それだけの経験を積ませるような任務で、この屋久島に来ていることも。


「で、でもどうしてわざわざ……」

「さっきも言っただろ、来る時間が出来たから来ただけだ。……遺族でもない奴が弔いに来るのは、生意気だったか?」

「――そんなことはない。麗の夫となるやも知れぬ君の誠意なのだ。ありがたく頂戴する」

「へ……!?」

「お、お、お父さんなに言ってるの!」


 ――だが、敢えて詮索はしない。先の三二一便事件における彼の対応を見るに、不正や不条理というものを特に嫌う人柄であることは明らかだった。ならば彼の云う「仕事の都合」が不透明であろうと、そこに悪意はないのだろう。

 興味津々な様子で娘の想い人を問い詰めるうらら。それを止めようと真っ赤になる麗。いたたまれなくなり、お参りは終わったからと足早に逃げ去る和士。

 そんな彼らの一連の様子を見送った後、隼司は神妙な表情で青空を仰ぐ。


(空はこんなにも青いというのに……なんだというんだ、この肌にまとわりつくような歪な湿気は)


 そして――息子と同じ違和感を覚えていたことは、知る由もなかったのだった。


 ◇


 一方――その息子自身は。


「……」


 両親、そして妹がいるのであろう慰霊碑の丘を見つめ続けていた。最後のフライトを迎える瞬間が刻一刻と迫っているというのに、その表情はどこか遠くを見ているようだった。


「……帰りたい?」

「夏さん」

「いつまでも自分に嘘をついて、平気でいられるほど――人は強い生き物ではないのよ」

「――大丈夫ですよ、僕なら」


 その後ろから夏に声をかけられた彼は、普段通りの穏やかな微笑を浮かべ、踵を返して自分の乗機に向かう。フライトに向けての念押しのチェックをするために。

 ――否。そうすることで、余計なことを考えないために。


(……本当に帰る気がないわけじゃない。ただ、どうしようもないことだからそういうことにして、自分に折り合いを付けようとしている。ワガママを言わない「いい子」だったからこそ、自分の本心に素直になれないのね。それはあの子自身にとって、許されないことなのだから)


 彼の苦しみと絶望。そこから這い上がらんと足掻く姿。その全てをそばで見守ってきた夏には、小手先の演技など通じない。

 彼女は家族がすぐ近くまで来ている事実から、懸命に目をそらそうとする少年に、再び声を掛ける。


「――あなたの動力強化装置はすでに、度重なる墜落事故のダメージで修復不可なほどに破損してるわ。いつどうなるかわからないカラダだし、着鎧すればあなたの意思とは無関係に装置が作動する以上、着鎧するほどにその確率が跳ね上がるのよ」

「いつものことじゃないですか。全部、覚悟の上ですよ」

「本来、これは六十二号がすでにフェザーシステムとして万全であることを証明するためのフライトよ。六十二号に性能で劣る二十一号パイロットのあなたが、随伴する必要はないはず」

「レスキューヒーローは片方に二次災害が発生した事態を想定して、バディで行動するのが鉄則です。フェザーシステムの模範となる僕達が、大元のセオリーに背くわけには行きません。それに隊長を護るのが、隊員の務め。――それは僕より、元レスキューカッツェのあなたの方がよく知ってるはずでしょう?」

「……決意は、固いのね」


 少年にとっては、もう引き返せないところまで来ているのだろう。自分の死を以てしてでも、フェザーシステムを完成させる。

 それ以外に自分という人間の存在意義などない、というほどに。


 ――だが、その道も今日で終わる。それならば……存在意義が終わるのならば、家族の元で次の「意義」を見つけることはできないか。


 そう、声を掛けようとした時だった。


「……え?」


 周囲が、徐々に暗くなって行く。――飛行場の照明が消えたわけではない。


「……!」


 肌に伝わる湿気。冷ややかになっていく空気。異様な暗さの実態である――上空を覆う闇。

 予期せぬ天候の急変は、瞬く間に夏と雲無の目の色を変えた。矢継ぎ早に降り注ぐ豪雨を目の当たりにした夏は、ようやく終わるはずだった任務に水を差された思いで肩を落とす。


「山の天気は測り難いとは言うけれど、まさか今日に限ってこんな……」

「……そうですね。かなり風も荒れているようですし、最終フライトは日を改めて――」


 だが雲無はそこまで落胆した様子もなく、事務的な口調で予定変更を提案する。最終的にフェザーシステムが完成しさえすればいいのだから、何が起きても最善を尽くすのみ――と言わんばかりに。

 だが――その言葉が出る前に、彼は一つのことに気づき口を閉じた。


「――そうだ。和士さんを迎えに行かないと! 今頃びしょ濡れですよ」

「そうね。雲無君、悪いけど彼と連絡を取って迎えに――」


 その瞬間。


「雲無! 主任! 緊急出動だ!」


 二人が言う通りにずぶ濡れになった和士が、息を切らせて帰って来た。だが、その鬼気迫る表情と発言に、二人はただならぬ事態を感知する。


「どうしたのですか……!? 一体何が!」

「慰霊碑の丘近くの川辺で、女の子が溺れてる! レスキューに連絡はしたが――正直こんな山の中じゃ、間に合う気がしない!」

「なんですって……!?」

「俺と麗が現場に居合わせたんだが、川の流れが強過ぎて手出しが出来なかったんだ! 俺が他のところにも助けを呼んで来るから待ってろとは言ったが……麗のことだ、しびれを切らして無茶なことをやりかねない! 事態が悪化する前に、俺達で手を打たないと……!」

「待ってください! こんな天候でのフライトは危険過ぎます! データが不足している今では――!」


 そして、和士の口から語られる緊急事態を前に――雲無は夏が反対の言葉を言い終えるよりも遥かに速く、乗機に向けて走り出していた。


「和士さん!」

「ああっ!」

「ちょっ――あなた達!」

「現場の要救助者は、僕達以上の危機に晒されています! 今は、それだけの理由で充分です!」

「くっ……!」


 本来ならば、止めるべきだろう。模範的な行動を求められるテストパイロットが、無謀な出動をするべきではない。

 だが――ここで出動を止めさせたとして、要救助者が死亡するようなことになれば本末転倒。加えて、後々正式にフェザーシステムの研究開発を公表した際に当時のことを洗い出され、バッシングを受ける可能性もある。

 危険な賭けではあるが――それでも挑まざるを得ない状況になってしまったのだ。


(あともう少し……もう少しだったのに!)


 あとほんのわずかなフライトで、雲無の半生を潰した苦闘は終わるはずだった。そこまで来たところへのこの事態に、夏は苦虫を噛み潰した表情で天を睨む。


「着鎧甲冑!」

「……着鎧甲冑!」


 素早く操縦席に乗り込んだ雲無と和士は、内部に備え付けられた「腕輪型着鎧装置メイルド・アルムバント」を装着し、腕輪に音声を入力した。刹那、羽根をあしらったデザインの腕輪から、激しい光が迸る。

 その光は粒子化されたスーツとして転送され、二人の体に纏わり付いていく。瞬く間に雲無は赤の、和士は深緑のヒーロースーツを着鎧するのだった。フェザーシステムにおける「基本形態スタンダードフォーム」である。


『雲無』

「どうしました?」

『麗に会ったよ。隼司にも、うららさんにも』

「……そう、ですか」


 出動を目前に控え、二機の「超飛龍の天馬」が滑走路の上に並ぶ。すると、進む道を正面に捉えた雲無に、隣の和士から通信が入ってきた。

 そこから出た言葉に、雲無は微かに声色を震わせながらも――努めて事務的に答える。考えないように意識していることは、火を見るよりも明らかだった。


「さぁ、行きましょう和士さん。今はそんなこと――」

『――幽霊でも会いたい。あの子は、そう言っていた』

「……ッ!」


 諭すように。響かせるように。和士は、厳かにそう告げた。誤魔化しようのない彼の言葉に、雲無は目を伏せ――通信で聞かれまいと、弱音を押し殺す。


(会いたいさ……会いたいよ……僕だって、本当は!)


 その涙を、振り切るように。発進準備を終えた機体のエンジンに、火を付ける。

 誰にも知られていない、知られる訳にはいかない本心を秘めて。雲無は、豪雨と荒風が渦巻く暗雲の空へと漕ぎ出して行った。


「フェザーシステム試験小隊、発進!」

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