第21話 フェアリー・ユイユイの苦悩

 ――それから、僅かな日々の中での「最終試験」が始まった。


 「超飛龍の天馬」の操縦、自動操縦機能への切り替えに、空中での二段着鎧。そして縦横無尽な挙動と、安全な着地。

 ファーストコンタクトの際に雲無がやって見せた技の再現を目指し、和士は訓練を重ねていく。より多くのヒーローが事故なくこのシステムを乗りこなすには、和士のフライトが齎すデータが不可欠となる。

 ゆえに和士は、気を失いかねないほどに張り詰めた想いで、日々空を舞い続けていた。


 ――その余りにも愚直な姿勢が、功を奏したのか。得られたデータの量は、当初の期待を上回るものとなっていた。

 このデータを基にすれば、「至高の超飛龍」をさらにしのぐフェザーシステムを完成させられる。夏と雲無がそう確信するほどの境地を、和士の献身が齎したのだ。


 これなら――最終フライトも、間違いなく成功する。その期待を胸に抱き、たった三人でクライマックスを戦い抜いた試験小隊は――運命の八月二十日を迎えるのだった。


「……」

「あれ……和士さん、散歩ですか?」


 その日の朝。

 朝早くに調整を終えた和士は、私服に身を包んで飛行場の外へと踏み出そうとしていた。その姿を見かけた雲無に向け、和士はふっと微笑んで見せる。


「フライトは午後から、だろ? 誰かさんに代わって、お参りに行こうと思ってな」

「……!」

「お前の妹には、いろいろ世話になっててな。縁が切れてるなら恩返しもクソもないが、そうでないなら……」

「……知っていたのですね。あなたは、麗の……彼氏さんなのですか?」

「ぶ! い、いやまだそんなんじゃ……あ、いやその……」

「――そうですか。ふふ、あの麗にちゃんと『彼女』が務まるのか兄としては心配だったのですが……そうでしたか。なら、心配ありませんね」

「お、おい! 何勝手に解釈して完結してやがる!」

「恥じることなどありませんよ。不束な妹ですが、よろしくお願い致します」


 妹とは似ても似つかぬ礼儀正しさを前に、和士はたじろぎながら目を逸らしてしまう。だが、彼は雲無の微笑に隠れた憂いを見逃さなかった。

 ――家族に会う気がないなんて、嘘だ。本当は、会いたくてたまらないはずなんだ。直感が、そう訴えている。妹のことで、それを誤魔化しているということも。


「……お前はさ。悔しくはないのかよ。このフライトが成功したら――お前の功績は記録から抹消されて、俺の評価になるんだぞ」

「初めから、そんなものは求めていません。社会的な地位や名声がなくても――自分だけに誇れる『名誉』があるなら、それでいいんです」

「……」


 そんな和士の胸中など知る由もない雲無は、にこにこと愛想笑いを浮かべて和士を見送っている。どこか痛ましさすら覚えるその姿を一瞥した和士は、駆けるように山を降りて行った。


(そんな結末……認めるかよ。認めさせるかよ……!)


 ある一つの決意を、人知れず胸に秘めて。


「……」


 そんな和士の胸中を、知ってか知らずか。雲無は暫し、その背を神妙に見つめていた。


『なんでだよ……どうしてだ! なんだって皆、僕を独りにするんだよ!』


『嫌だ、嫌だ! こんな体も、空も! どうして僕なんだ! 帰りたい、帰りたいよぉ!』


『死にたい……もう、死なせてよ……。頼むよ、連れてってくれよ! あの雲の、ずっと向こうまで! いつまで僕は、僕らは! こんなことを続けなくちゃいけないんだよ! 大人って、そんなに偉いのかよ!』


『死にたくない、死にたくない! 落ちるのも嫌だ、空を飛ぶのもごめんだ! 熱いんだよ! 痛いんだよぉ!』


(……ちっ)


 逞しいようで、どこか初々しい背中。かつての自分を思い出せる和士の後ろ姿を見遣る、雲無の脳裏には――かつての自分が、恥も外聞もなく撒き散らした醜態が過っていた。

 今更になってそんなものを思い出すのは、心が弱い証。そう決め付け、雲無は自分の弱さに舌打ちする。


(……麗。君は今、どうしている? ちゃんと、平穏無事に暮らしているか? ――いや、ダメだな。こんなことを考えてるのは、未練がある証だ)


 そうして、麗と親しいという和士に、妹が今どうしているかを問えなかった雲無は――自分の本心にすら、背を向けていた。


 そして、「人」から外れた証となる胸の傷に手を当て、独り空を仰ぐ。


(……?)


 その時。

 肌に触れる空気の湿度に、雲無は不審なものを感じていた。

 予報では、今日は晴れると聞いている。だからこそ以前から決まっていた最終テストフライトの日取りを変えずにいたのだが――自然の暮らしを経て培われた彼の第六感が、ただならぬ警鐘を鳴らしていた……。


 ◇


 ――その頃。

 真夏の日差しを照り返し、透明な煌きを放つ川に――独りの少女の姿があった。

 際どいピンクのビキニを身に付けた彼女は、黒のショートボブと豊かな胸を揺らし、水飛沫を上げてはしゃいでいる。白い肌は陽の光を浴びて、眩い輝きに包まれていた。


 だが、彼女は遊んでいるわけではない。一見、川で水遊びに興じているようにしか見えない彼女の行動は、あくまで「撮影」の一環でしかないのだ。


「はいオッケー! ちょっと休憩入ろうか!」

「はーい!」


 プロデューサーを務める眼鏡を掛けた痩せ気味の男性が、川で戯れていた彼女に声を掛ける。その呼び掛けに元気よく応えた彼女は、タオルで体を拭きながらスタッフが用意した椅子に腰掛けた。


「いやー、いいねいいね! なんかいつにもまして魅力的だよユイちゃん!」

「まーね。やっとあのスケベ監督から解放されたんだもん。……当然のような顔してホテルに連れ込もうとした時には、思いっきりキンタマ蹴り上げてやったし」

「……恐ろしいことをさも当たり前のようにやっちゃう君も大概だよ……」


 自分の下腹部にキュッとした幻痛を感じたプロデューサーは、冷や汗をかきながら担当アイドルの勝気な姿勢に慄いていた。

 そんな彼を尻目に、少女――もとい国民的アイドル「フェアリー・ユイユイ」は、水辺に浮かぶ自分の姿をぼんやりと眺めている。


(……ホントは、芸能界なんて向いてなかったのかなぁ、あたし)


 その胸中には、幼き日に抱いた想いが渦巻いていた。


 ――東京最大の医療機関、天坂総合病院の院長を父に持つ天坂結衣が、アイドルを志したのは四歳の頃。


 幼い少女なら誰もが夢見る、白馬の王子様との結婚。普通なら歳を重ねるに連れて薄れて行く、儚いものであるはずのその夢は――幼少期から美少女としての自覚を持っていた彼女にとっては現実の目標だった。


 自らの愛らしい容姿に自信を持っていた彼女は、謙虚な姉や引っ込み思案の妹とは違い――男勝りと言って差し支えないほどに自己主張の強い人間に成長しつつあったのだ。

 彼女が小学生の頃、三姉妹をアイドルとして迎えたいという有名事務所からのスカウトにただ一人応じた彼女は、瞬く間にトップアイドルへの道を駆け上がり――「フェアリー・ユイユイ」の名声を欲しいままにしてしまう。


 それも全ては「白馬の王子様との出会い」という、幼すぎるほどに純粋な願いゆえの行動だった。誰もが羨むお姫様になれば、きっと王子様が現れる。

 そんな浅はかな理由でも、彼女を突き動かすには十分な原動力だったのだ。


 だが――現実の全てが、彼女のためにあるわけではない。


 素敵な出会い、というものを夢見てトップアイドルへと上り詰めた彼女を待っていたのは、金と権力に塗れた有力者がひしめく、華やかな世界の裏を象徴する「闇」。

 アイドルとして、女としての彼女に触手を伸ばす下衆な男達ばかりが、濁流のように彼女に群がるようになっていた。

 この世界には、王子様も姫を守る騎士もいない。幼いまま肢体だけが豊満になった彼女がそれに気付いたのは、トップアイドルに辿り着いた頃だった。


 ――自分が求めていたものは。本当に自分を大切にしてくれる、守ってくれるような人は、この世界にはいない。大切にしたくなるような人にも、出会えなかった。

 むしろこの世界こそ、自分が求めていたものから最も遠いものだったのではないか。学園のアイドルに留まっていた姉が、普段妹達にも見せないような貌をするほどの「出会い」を果たしていたことが、その疑念を強めていた。


(結友姉はいつもあたし達やクラスメートに頼られる存在だった。だから、自分が寄り掛かれるような、甘えられるようなタイプに落とされちゃったんだろうな……)


 いつも長女としての余裕ある振る舞いを見せている姉が、時折浮かべる恍惚の表情。それは、姉を落とせるような男などそうそういないと思い続けてきた結衣には衝撃的な光景だった。

 姉の心を奪った、その広い背中の温もりとは――どんなものだったのだろう。もしも、そんなもので満たされたら……自分は、どうなってしまうのだろう。


 その感情は恐れでもあり、期待でもあった。だが、その姉が知った「温もり」と今の自分がいる世界の間には、凄まじい隔たりがある。

 姉を落とした未知の感覚に想いを馳せるほどに、結衣の心はもどかしさに苛まれて行った。


(……あたし、やっぱりワガママだね。……それでもやっぱり……欲しいなぁ、出会い)


 姉や妹が知っていて、自分だけが知らず――自分こそが誰よりも追い求めていた「心を焦がすほどの恋」。雲を掴むような想いを抱える彼女は、膝を抱えている自分の姿を、水面の鏡で見つめていた。


(――誰か、あたしの心を落としてよ……)

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