第20話 雲無幾望の名を借りて

 ――かつて、着鎧甲冑は今より遥かに高性能なスーツとして開発される予定だった。長年に渡る研究の末に生み出されたそのスーツは、人々の希望となるはずだった。

 だが。初めてこの世に生まれた、そのスーツは世に出ることを許されなかった。致命的欠陥ゆえに、実用化に至らなかったのだ。


 装着者が発揮する身体能力は、スーツの出力に比例して高まって行く。出力が高ければ高いほど、超人に近づいていけるのだ。

 だが、出力が高いことはエネルギーの消耗が激しいことを意味する。内蔵しているバッテリーで長く維持出来ないほどの出力では、その身体能力も長くは持たない。


 その問題点ゆえ、最初期の着鎧甲冑は二分と活動出来ないほどの「大食い」だった。活動時間が短過ぎては、救出活動が終わる前にエネルギーが切れてしまう。

 この問題をクリアするため当初、二通りの対処法が検討された。


 一つは、スーツに外付けの大型バッテリーパックを装着してエネルギーを維持する方法。そしてもう一つは――大型バッテリーパックに当たる「動力強化装置」を体内に埋め込む、という方法だった。

 前者の場合、バッテリーパックのせいで他の救命具等の装備が難しくなる、という欠点があった。後者はバッテリーパック自体を装着者の体内に組み込み「改造電池人間」とすることで、その問題をクリアしているのだが――人道的見地から、実用化には至らなかった。


 結局、外付けバッテリーパックも体内バッテリーパックも使わずに実用化させるべく、スーツの内蔵バッテリーのみで活動できるギリギリまで、スーツ自体の出力を落とすことに決まった。


 そうして、実用性を損なわない程度に性能を抑えて作られ、ようやく完成したのが――着鎧甲冑第一号として世に知られている「救済の先駆者ヒルフェマン」なのだ。


 ――無論、御蔵入りとなった二通りの案は破棄されることとなり。

 当時、アメリカのラボで着鎧甲冑の研究を進めていた、後の救芽井エレクトロニクス創始者・救芽井甲侍郎きゅうめいこうじろうは、平和利用のために動力強化装置のテクノロジーを預かりたいと申し出てきた日本の科学者・西条博士とコンタクトを取るべく、彼の研究室がある日本の屋久島へと足を運んでいた。


 そこで――十一年前の墜落事故現場に遭遇したのである。


 血と肉片と絶叫、炎が渦巻く地獄絵図。その中で甲侍郎は、ある瀕死の少年を見つけた。そして胸の肉を破片で抉られていた彼を救うべく、アメリカから持ってきた動力強化装置を用いた改造手術を決行。

 少年自身の常軌を逸した生命力と、人工血液と急造の小型動力強化装置を駆使した甲侍郎の技術が奇跡を呼び、失われたはずの命は再び息を吹き返すのだった。


 ――だが、問題は大きかった。


 改造電池人間となった少年は辛うじて一命は取り留めた。だが、それは幼くして生身の人間としての尊厳を失ったことを意味していた。

 手術から一年を経て、ようやく回復の兆しを見せた彼は己の状況を子供心に悟り、絶望に沈んだ。この身体で、家族のもとに帰れるはずがない、と。


 この時すでに少年の身元が警視総監の長男・橘花隼人であることは判明していた。だが彼が家族との再会を絶望視している以上、安易に橘花家に帰すことは憚られた。

 さらに警視総監の子息に延命のためとはいえ、改造手術を施したという事実も無視できるものではなかった。この件が公になれば警察の介入を受け、着鎧甲冑の開発どころではなくなってしまう。


 そして――甲侍郎と西条博士は最終的に、橘花隼人が家族との再会を望む日が来るまで、その身柄を内密に保護するという決断を下した。そして、西条家の養子として生きることになった彼には、それまでの仮初めの名前が与えられたのだった。

 ――雲無幾望、という名を。


 こうして橘花隼人という少年は、雲無幾望と名を変え、救芽井家と西条家の保護下でひっそりと生きていくこととなった。この保身とも取れる甲侍郎の決断が、研究員・古我知剣一こがちけんいちの不信を煽り、徐々に後の「技術の解放を望む者達リベレイション」事件へと発展していくのだが……それは別の話である。


 ともあれ、改造電池人間という人ならざる者という身の上に苦心しつつも、屋久島の西条家で西条博士やその娘の西条夏と、それなりに平和な日々を送っていた雲無だったが――その胸に迸る電光と痛みは、常に彼に警告していた。

 この命は、長くは続かない――と。


 ゆえに彼は、迫る死に怯える日々の中で、一つの決意を固めたのだ。

 この命が尽きる前に、一つでも多くの命を救うことで――自分という人間が、確かにこの世にいた証を刻むのだと。


 そして、父親代わりだった西条博士が病死したのち――彼は救芽井エレクトロニクスの門を叩き、その社員となっていた姉代わりの夏と再会した。

 その夏の口から、救芽井エレクトロニクス最大のスキャンダルである自分では、いくら活躍してもその功績が名声に結びつくことはない、と告げられる。


 夏自身としては、雲無にヒーローを諦めさせるための方便だったのだが――雲無が、それで立ち止まることはなかった。

 彼は己に自身の価値を証明するためにこそ、ヒーローを志したのである。自分だけの名誉を、自分だけに誇るために。


 数年の時を経て再会した彼の、そんな愚直とも言える姿勢を目の当たりにした甲侍郎は――せめて、彼の願いを一つでも叶えさせるべく。ある一つの可能性を示した。


 それが――フェザーシステムの実験小隊。


 かくして甲侍郎推薦のもと、最年少テストパイロットとなった雲無は、そこで思わぬ特性を発揮することとなる。

 それは突出した操縦技術でも頭脳でもなく――尋常ならざるタフネスであった。


 元々、雲無の「改造電池人間」のボディはお蔵入りになった最初期型着鎧甲冑を想定して開発されたものだった。

 その身体のまま、最初期型から出力を大幅に削った「救済の先駆者」をベースにした現代の着鎧甲冑を纏えば――彼自身が持つ過剰電力により、着鎧甲冑の人工筋肉が肥大化してしまう。

 その現象はスーツ内に過熱を齎し雲無に苦痛を与えることになるのだが――その肥大化した人工筋肉は、期せずしてクッションの役割を果たすようになっていた。


 多くのテストパイロット達が墜落事故で命を落として行く中。彼だけは、肥大化した己のスーツに守られ、何度墜落しても一命を取り留め続けたのである。

 一度堕ちれば、次などない。そんな摂理さえ無視する彼は、幾度となく墜落事故に巻き込まれながらもその都度生き残り、文字通りの「体当たり」で試行錯誤を繰り返した。


 そして遂に――フェザーシステムの完成形、六十二号こと「至高の超飛龍」のOS開発に辿り着いたのである。


「そんな、ことが……」

「――こうならざるを、得なかったのです。元々は動力強化装置を体内に仕込んでいるだけで、後は生身の人間だったあの子ですが……度重なる墜落事故で欠損した肉体を補うための改造手術を経た今では、もう生身の部分は四割も残っていない……」

「……あって、いいのかよ。そんなこと……!」

「いいも悪いも、ありません。あの子には、そうする以外に道はなかったのです。……もう、あの子が家族の元に帰ることはないでしょう。ならば――少しでも生きている限りの願いをと、この道に誘うことになりましたが……それすらも結局は、あの子を利用するだけの結果にしかなり得なかったのかも知れません」

「……」


 一通り語り尽くした夏は、操縦席に腰掛ける和士を見上げ、ふっ……と微笑む。


「けれど、それもようやく終わる。この計画が完了すれば、あの子には再び西条家での平穏な暮らしが待っている。――だから、引き受けてくださったあなたには、本当に感謝しているのですよ。傷つくだけのあの子の運命を、終わらせてくださるのですから」

「……俺は、やりたいようにやってるだけさ」

「そうですね。でも、望んでこの道に来たあなたの背は、ここに来るしかなかったあの子には輝いて見えたことでしょう」

「妬ましいとは思わないのか? 俺はあんた達が積み上げてきた功績を、いいとこ取りしてかっ攫おうってんだぞ」

「確かにそうかも知れません。でも、あの子は初めからそんなものは望んではいなかった。この仕事を引き受けてくれる人がいたことの方が、大事なのですよ」

「……そういうものかな」


 機体に背を預け、和士は滑走路の向こうに広がる大自然を見つめる。この先で祈りを捧げているあの少年は、どんな気持ちでこの景色を見ていたのだろうと――わかるはずもないことに思いを馳せて。


(やっとの思いで生き延びたのに……会おうと思えば会えるのに……残り少ない命を、このためだけに使い果たすなんて……。いいのかよ、それで……!)


 ◇


 ――その頃。


「じゃあ……また、来ます」


 少年――雲無は、数多の霊の名を刻む石碑を見上げた後、踵を返す。名残を惜しむように横目で見遣る眼差しは、微かな憂いを帯びていた。

 蝉の鳴き声。葉を撫でる風の音。鳥の囀り。自然の奏でる音楽だけが、その少年の帰路を彩っている。


 だが、この屋久島の全てが大自然に包まれているわけではない。山道を降りた先には――この島で暮らす人々のためのアスファルトが敷かれていた。

 日射しを受けたその周辺は噴き上がるような熱気に包まれており、視界が熱を帯びて歪んでいくのがわかる。


 そのアスファルトを隔てた先にある、道無き道。そこから続いて行く秘密飛行場への道のりを目指して、彼がその人工の大地に足を踏み入れた時。


(……!)


 微かなエンジン音が、雲無の聴覚に響き渡る。――もしこんなひと気のない場所を、独りで歩いているところを見られたら、怪しまれる可能性がある。

 飛行場が外部に見つかる可能性は万に一つもあってはならない、と判断した雲無は咄嗟に木陰に身を潜めた。


 やがて、彼の眼前を……一台のワゴンカーが通り過ぎて行く。その車はエンジンを噴かし、屋久島のアスファルトを走り抜けて行った。


(……!?)


 一見、何の変哲もない普通の車なのだが――その後ろ姿を見送る雲無は思わず立ち上がり、暫し茫然と車が走り去る様を見つめていた。


 車に不審なものを感じたわけではない。彼が注目していたのは――車内にいた人物。

 後方の席から風景を眺めていた、一人の少女だった。


 自分が至近距離で見知らぬ少年に見られていたことなど、知る由もない彼女は――自分を乗せた車が山を抜け、海が一望できる道に出た瞬間。ぱあっと明るい表情を見せた。


「わぁーっ! すっごい綺麗! まさに大自然って感じ!」

「ユイちゃん、あんまりはしゃぐと疲れちゃうよ。このあとドラマの撮影もあるし、夜には監督との打ち合わせもあるんだから!」

「えぇー……あたしあの監督やだなぁ、なんか目つきがイヤらしいもん。ねぇプロデューサーさん、夏休み中ずっとここにいようよぉ〜。どうせ二十日にはまたここでグラビア撮影でしょ?」

「ダメダメ、これも大切な仕事なんだから! ちょっとはトップアイドルとしての自覚を持たなきゃ!」

「ちぇ〜……」


 だが、その表情はすぐに翳りを見せる。車を運転している眼鏡の男性の言葉に、少女は深く溜息をつくと――青空を仰いだ。

 彼女の脳裏には、姉を救った勇敢な青年の武勇伝が過っている。


(……あたしにも、来てくれないかな……。持て囃すだけで中身のない男じゃない。本当に大切な時に助けてくれるような、白馬の王子様……)


 半ば諦めにも近い、その願望を少女が胸に抱いていた頃。そんな事情は露も知らない少年は、一瞬にして深く記憶に刻まれるほどの彼女の美貌に――基地へ帰ることも忘れ、暫し立ち尽くすのだった。


「……あんな綺麗な子……この辺にいた、かな……?」

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