第17話 屋久島の夏

「さすがに……暑いな」


 二○三三年、七月下旬。

 世間では夏休みが始まっているこの季節に、ヒルフェン・アカデミー第一期生の伊葉和士は、新たな任務に携わろうとしていた。


 救芽井エレクトロニクス日本支社の現社長、救芽井樋稟きゅうめいひりんから指令が降りたのは二週間前。

 卒業してから約三ヶ月に渡り、日本支社直属の精鋭部隊「レスキューカッツェ」の下で訓練を受けた彼は、とある使命を帯びて真夏の屋久島に足を運んでいた。


 山道や海に近しく、人通りの少ないアスファルトの上を歩む彼の視界は、熱気のせいでゆらゆらと歪んでいる。日の光を遮る帽子のつばに触れた指先からも、汗が滴り落ちていた。

 だが、それほどの熱気に晒されてなお――少年の眼差しは弱まることなく、目的地である山中へと向かっている。


(フェザーシステム……「救済の重殻龍ドラッヘンファイヤー・デュアル」を超える、着鎧甲冑用飛行OSか……)


 ――新たな飛行システムの開発のため、秘密裏にデータ収集を行っている実験小隊が存在する。その話を知らされた当時の彼は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。

 彼が驚いたのは、その事実だけではない。むしろ救芽井樋稟の口から語られた、その実験小隊の実情にこそ、驚愕したのだ。


(エンジントラブル。OS不調に伴う空中での制御不能、墜落。機体耐久力の不備による空中分解。……手探りな上に危険も大き過ぎるがゆえに、殉職者が絶えず……莫大な「危険手当」という金のためなら、死も厭わぬというキワモノばかりが集まるようになり……今では、テストパイロットが一人しかいない状態……か)


 これほどまでに部隊そのものが衰退していながら未だに計画が頓挫していないのは、それだけこの計画に日本支社――否、救芽井エレクトロニクス全体が望みを賭けていることの表れでもあるのだろう。

 事実、着鎧甲冑が自由自在に三次元の活動を可能としたならば、レスキュースーツとしての汎用性は飛躍的に高まる。その理想まで後一歩というところまで来た今、引き返すわけにも行かないのだ。


(今回俺が呼ばれたのは、満を持して開発された全実験機中の最高傑作――すなわち本社に提出する完成形の最終テストを行うためと聞いている。――フェザーシステムに慣れていないものでも扱える代物でなくては、不特定多数のヒーローが着るスーツとして成り立たないから……か)


 ここでの和士の任務は、「外部パイロットの代表」としてフェザーシステムの最終テストに携わり、このシステムが万人に扱えるものであることを証明することにある。

 今まで払われてきた犠牲と試行錯誤の果てに生まれた完成形を、外部の自分が乗り回さなくてはならないことへの後ろめたさ。その引け目を飲み込んだ上で、彼の瞳は実験小隊の秘密基地が眠っているという山中を射抜いていた。


(……このフェザーシステムのために戦ってきた人々のためにも。この力を必要とするであろう人々のためにも。俺は、なんとしてもやり遂げなきゃならない。もう、二の足を踏んで後悔するのはゴメンだ……!)


 そう胸中で嘯く彼は、滴る汗をそのままに拳を握り締める。


(――それにしても……どんな人なんだろうな。実験小隊の、最後の生き残りって……)


 仲間達を失いながらも単身フライトを断行し、完成形の開発に大きく貢献したという――実験小隊最後のテストパイロットに、思いを馳せながら。





 科学技術が著しく発展し、今や人々の生活の大半を機械が支えているこの現代に至ってもなお――この屋久島の森林は長い年月の積み重ねが成せる自然の豊かさを、保ち続けていた。

 鬱蒼と生い茂る林、穏やかな川のせせらぎ。風に揺れる葉の音、日差しを覆い隠す木陰。そのひとつひとつに宿る命の息吹が風となり、道無き道を歩む和士の頬を撫でる。

 ヒルフェン・アカデミーという最新鋭の機械に囲まれた生活の中にいた彼だからこそ――その感覚をより鋭敏に感じているのだろう。かつて経験したことのない空気の匂いに戸惑いながらも……その表情は、どことなく安らいでいるようでもあった。


(いい場所だ……。休暇を貰えたら、いつか麗も誘って――)


 だが、その表情はそこまで思考が回ったところで、再び険しい色に変わってしまう。


(――いや。ここはあの子の兄が、十一年前に亡くなった場所でもあるんだ。残念だが、バカンスに誘える場所じゃないな)


 ほんの一瞬とはいえ、浅はかな考えを抱いてしまったことに罪悪感を覚えつつ、和士は木陰から覗く眩い青空を見上げた。日差しを遮る木の葉が、新緑の光を煌々と放っている。


(それにしても……かつて航空機の墜落事故が起きたこの地で、飛行システムの研究――か。あまりの危険性ゆえにプロジェクト自体も公に出来ず、飛行場も取れないからと言って、なにもこんな場所に……ん?)


 ――ふと、不自然な音が和士の聴覚に響いてきた。大自然に囲まれた、この穏やかな山中だからこそ際立つ、その無機質な音は――凄まじい勢いで、こちらに近づいてきている。

 鋭い刃で、風を切る。そんな言葉を連想させるこの音を身近に感じ取り、和士はハッと顔を上げた。


「――!」


 刹那。少年の視界に広がる青空の景色を、一つの物体が瞬く間に横切って行った。その正体を追い求め、視線で追いかける和士の瞳には――ライトグリーンとレッドで塗装された、一機の飛行機が映されている。


(なんだ、あれは……!? まさか、あの小型飛行機が……ッ!?)


 和士の思考が眼前の状況に追い付くよりも早く――突如現れた飛行機は、大きく舞い上がると……そのハッチを開いてしまった。

 そこから飛び出したパイロットは、体を大の字にしたまま地表目掛けて落下していく。だが――その背には、パラシュートらしきものは見当たらない。


(……!)


 だが、和士が驚愕したのはそこではない。――似ているのだ。そのパイロットの、容姿が。

 「救済の超水龍」の、「基本形態」に。


 それが意味することに和士の理解が、ようやく追い付いた頃には――すでに彼の周囲を、飛行機から投下された増加装甲が囲んでいた。

 ライトグリーンに塗られた増加装甲は、赤いヒーロースーツを纏うパイロットの全身に、引き寄せられるように張り付いて行く。やがて彼の全身は、ウイング状のバックパックを搭載した装甲に固められてしまうのだった。


『Sailingup!! FalconForm!!』


 その状態が完成した時。和士の耳に、聞き覚えのある電子音声が届く。すると――増加装甲を身に付けたパイロットは、自由自在に飛べる自分を見せ付けるかのように、縦横無尽に飛び回り――和士に視線を定めた。


「……ッ!」


 自分の存在に気づいていると察した和士は、思わず息を飲むが――パイロットがウイングのジェットを噴かし、急降下を開始するのはそれよりも速い。


(なっ……んて、加速ッ!?)


 そして――あわや地面に激突か、というところで体勢を反転し、逆噴射で減速した彼は、川を二手に分けている岩の上にふわりと降り立った。

 まさに、減速が間に合うか間に合わないかのギリギリ。そんなところを攻められるほどの確かな技量が、その一瞬で証明されていた。


(ダイバーシステムに、コンセプトは似ている……似ているが……速さが、まるで桁違いだ。しかも……)


 見上げれば、操縦士を失ったはずの飛行機が何処かへと飛び去って行く光景が伺えた。自動操縦機能オートパイロット・システムという「超水龍の方舟」との大きな違いが、現象として表れている。


(バディ体制のダイバーシステムと違い、単独での活動が可能、ということなのか)


 単なる発展型とは言い難いレベルの技術力を目の当たりにして、和士は暑さとは異なる要因による汗を、顎から滴らせた。

 その性能をいきなり見せ付けられた彼が、視線を戻した時――パイロットの顔を覆っていたマスクが、蓋を開けるように解除される。


「……?」


 焦げ茶色の髪に、意思の強そうな瞳。どこかデジャヴを感じさせる顔立ちの彼は――和士と視線を交わすと、穏やかに微笑んで見せた。


(なんだあいつ……ほとんど俺と同い年くらいじゃないのか? いや、それより……あいつ、どこかで見たよう、な……?)


「――新任隊長の伊葉和士さん、ですね。僕は救芽井エレクトロニクス第一実験飛行小隊所属、雲無幾望くもなしきぼう隊員です。お迎えに上がりました」

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