第二部 着鎧甲冑ドラッヘンフェザー

第16話 父へ、母へ、妹へ

 ――肉の焼ける嫌な臭いが、鼻につく。人のものか、動物のものか判断がつかないほどにくぐもった呻きが、耳に響く。

 目に映る景色は闇と炎ばかりであり、それを除けば折れた木々や砕かれた無機物の山くらいしかない。……いや、本当はそれだけではないのだろう。単に、見えていないだけだ。


 微かに、助けを求める声も聞こえてくる。断末魔のような絶叫も、稀にだが……聞こえる。だが、いつまでもは続かない。

 いずれはその声も消えてなくなり、静かになる。いつも最後はそうだった。理由など、考えたくもないが。


 ――そんなことばかりが、目の前で絶えず繰り返されている。いい加減飽きた、と言いたいが……これを止める術などありはしない。自分自身も、その一人なのだから。


「……ぅ、ぁ……」


 久しぶりに、声が出た。そんな気がした。

 胸の辺りに、ねちゃりと嫌な感触がした。胸の肉が、抉られていた。痛みはなかった。


 ただ、冷たい。眠い。

 多分、平静な気持ちに戻れば想像を絶する苦痛と絶望を待ち受けることになるだろう。なら、何もかもわからないまま……今のまま、眠ってしまおう。きっと、その方がいい。



(父さんも。母さんも。麗も。寂しがるだろうけど。――きっと、仕方ないんだ)


 ――死屍累々と骸が広がる、この暗闇と火炎が渦巻く地獄の中で。死を待つ少年は、そんな諦観を抉れた胸に抱いたまま、朽ち果てようとしていた。


「救芽井博士! こちらですッ!」

「お、おお……! なんということだ……!」


 その時。

 悲鳴でも呻きでもない二つの声が、少年の耳に届けられた。


 声の主達は、やがて二人の影となり――壮年の男性という正体を現して行く。傷一つないその姿は、生き地獄と化しているこの空間で異彩を放っていた。


「西条君、急いでこの地点に救援を!」

「はい! しかし……この惨状で今から救援を呼んだとして、果たして間に合うか……」

「生きている我々が諦めてどうする! 急ぐんだ!」


 その二人の男性は、すぐさま別々の行動に移っていた。一人は指示された通りに携帯電話を手に現場を通報し、もう一人は周辺を歩き回る。生存者を探しているのだろう。


「く……!」


 男は苦悶の声を漏らしながら、次々と行く先を変えていく。――生存者を見つけられても、手の施しようがない場合しかないのだ。

 無力感に打ちひしがれた表情のまま、彼はそれでも生き残る見込みのある者を探し続けている。


「……! 救芽井博士! こ、子供です! 生きている子供が居ます!」

「なに!? 本当か!」


 通報を終えた男性が少年を見つけたのは、それから数分後のことだった。目の色から生気が失せながら、それでも剥き出しにされた心臓だけが動いている。

 それは、微かでも少年が生きている証だったのだ。


「こ、これはなんという……」

「……やはり、これでは助かる見込みは……」

「いや……ある! あるはずだ! このような幼子の未来を閉ざすなど、あってはならんことだ!」

「しかし……!」

「西条君、動力強化装置、まだ車に残っているな? あれと人工血液のストックを持って来さない、この場で手術する!」

「な、なんですって!? 無謀です博士! 動力強化装置と付属の人工臓器で、破損した内臓を補強しようというのでしょうが……そのサイズは成人男性を想定したものなんですよ!? それに子供の体力で手術に耐え切れるはずがない!」

「この子の体格に合わせて私が自力で改修する! つべこべ言わずに私に従え、一刻を争うのだ!」


 激しい口論の果てに、男達の一人はやむなしと言いたげな表情でその場を走り去って行く。――その間。

 少年は、残されたもう一人の男と視線を交わしていた。言葉を交わせる状況ではないが――これから起きることは、なんとなく理解していた。


(僕、どうなるんだろう……このまま、死――)


「――死なせは、しない。この救芽井甲侍郎の、名にかけて」


 だが、意識はそこで途絶えてしまった。男の力強い宣言が、その耳に届くこともなく。


 ――この日。二○二二年、八月。


 屋久島山中で発生した航空機事故で、乗客乗員合わせた五百名が死亡した。未曾有の大事故の犠牲となった人々の中には、当時五歳だった警視総監の長男、橘花隼人も含まれていた。

 彼の遺体はほとんど残っておらず――破片によって大きく抉り取られた胸の肉片から、身元が特定されたという。

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