第12話 伊葉和士の戦い

「理事長! 地下ドックの『超水龍の方舟』が無断発進しております!」

「――そうか」


 夜の闇に包まれた、アカデミーにて。

 理事長室に駆け込んできた年配の教官は、夏季休暇前に起きた事件以上の大不祥事に、滝のような汗をかいていた。一方で、実質的な最高責任者である久水茂は、涼しい表情でこともなげに答えている。


「これはアカデミーの信頼に関わる大事件です! 直ちに引き返すようにご命令ください! 万一のことがあれば、アメリカ本社からも何らかの制裁が……!」

「君が言って聞かなかったのであれば、ワガハイが言ったところで変わるまい。放っておけ」

「し、しかし!」


 声を荒げる教官を一瞥する久水茂は、部屋の灯りを浴びるスキンヘッドを輝かせ、静かに窓からドックが隠された体育館を見下ろしていた。そこではなく、それよりも遠いどこかを見ているような彼の眼差しは――微かな憂いの色を帯びている。


「……罪であろうと助けることを選ぶか。よからぬところまで奴に似おって」

「理事長……!?」

「テストパイロット達には、ワガハイから然るべき処分を下す。君は何も心配するな」


 彼はそれ以上何かを語ることなく――「下がれ」と言わんばかりに手を振った。それを受けた教官は、腑に落ちないといった表情で理事長を後にして行った。

 やがて独りになった茂は、足音が消えたことを確かめると――深くため息をつく。その脳裏には、自分の信ずる正義のみに邁進した盟友の姿が過っていた。


「……どうもああいう手合いには……この『役職ヒーロー』は、長続きせんらしい……」


 そうして、彼が独りごちた時。

 アカデミーを擁する人工島から、遥か彼方に離れた大海原の下を――


『和士くん、前方に岩礁多数! このままじゃぶつかるべ!』

「回り道してる暇はない! このまま突っ切る、捕まってろよ!」

『わかっただ!』


 ――蒼い潜水艇が、魚雷の如き速さで猛進していた。前方に聳える岩礁の数々を、恐れることなく。

 親友の決断と勇気に身を委ねる凪に対し、和士はモニター越しに強く頷いて見せると……意を決したように操縦桿を正面に倒す。

 パイロットの判断に忠実に従うマシンは、その操縦に応じるようにさらに加速していく。和士の目に映る海中の景色が、岩礁の暗闇に染まりかけた瞬間――彼らの「戦い」が幕を開けた。


「……ぉぉおおぉお!」


 恐れに屈しまいと叫ぶ和士は、操縦桿を一気に捻り「超水龍の方舟」の軌道を変える。水を切り裂くスクリュージェットが唸りをあげ――掠める寸前のところで、船体の向きを微かに変えた。

 僅かでも、船体が岩礁に触れるか。触れないか。その僅差の中で、和士はあくまで「最速」で機体を探し出すことに専念していた。並み居る岩石の山々を、最小限の機動でかわしながら――潜水艇は蒼き水龍が如く、海中の闇を縫うように突き進む。


 その巧みな操縦技術により、岩礁地帯を切り抜けたのは……最初の回避行動に入ってから、僅か三十秒後のことだった。


『やったべ和士くん!』

「……ヌカ喜びしてる暇はないぞ、海原。三二一便が連絡を絶ったポイントにはもう着いてるってのに――機体の影も形もない!」


 すでにコクピットに搭載された電子マップには、三二一便の予定航路がインプットされている。和士はそのルートを辿りながら、音波探知レーダーで異物――すなわち機体を捜索していた。


(やはり連絡が付かなくなってから、すぐに墜落したわけじゃないみたいだ。不味いぞ……あまりにも予定航路から離れ過ぎたところにまで行かれていたら、探しようがない!)


 広大な太平洋の中からジャンボ機一つを探し出すなど、本来なら砂漠から砂金一粒を見付け出すようなもの。本来その機体が通過するはずだった予定航路という手掛かりが使い物にならなければ、そもそも捜索自体が不可能になる。

 仮に見つかったとしても、その頃には……。


(……挫けるな。泣くな。諦めるな! まだ俺達は、何も守れちゃいないんだぞ!)


 思考を断ち切らんと、和士は強く左右に頭を振る。操縦桿を握る手がわなわなと震えても――動揺に、瞳が揺れても。心の最後の一線は、戦い続けている。


 ほんのわずかな兆候も見逃すまいと、彼はレーダーを凝視する。瞬きする間も惜しみ、滴る汗を拭うこともなく、ただ真っ直ぐに。


 その戦いが――二十分に渡り続いた時。


「……!?」


 ――和士の目が、違和感を捉えた。


 レーダーに映る、微弱な波。その蠢きは、何もない海中を進み続けてきた「超水龍の方舟」に確かな「兆候」を見せている。

 この静寂を打ち破る、「兆候」を。


(これは……!)


 明らかに不自然な反応を示す、そのレーダーに和士の目線が釘付けにされる。電子地図によれば、その方向は数十キロに渡って何もない水平線が広がるのみであり、レーダーに反応するような異物は一つもないはずなのだ。

 あるはずのない場所に、ないはずの反応がある。例えそれが、微弱なものであっても――賭ける理由としては十分であった。


「海原! 十時の方向に反応があるぞ! 機体が不時着した跡かも知れん!」

『ほんとだか!? すぐ向かってくんろ!』

「ああ!」


 墜落という可能性は、敢えて考えず。不時着と言い切り、和士は操縦桿を左に切る。大きく唸りを上げる流線型の船体は、その意思に沿うように水を切り、進路を変えていく。


 ――そして。微かな希望を託し、三二一便の航路から大きく離れた地点へと。

 二人は、迷うことなく突き進んでいく。


「……! あ、あぁ……!」


 それから、僅か数分。

 彼らの眼前に――小さく。


 真っ黒な異物の影が現れた。


『和士くん、間違いねぇだ! 三二一便だべ!』

「やった……見つけた! 見つけたぞ海原! 俺達やったんだ!」


 視認しにくくはある――が、そのシルエットは紛れもなく飛行機。そして、影の大きさはまさしく――ジャンボ機のそれであった。

 賭けに勝ったことを確信し、和士達は歓喜の声を上げた。機体は水上に漂っている状態である上、原型もしっかり保たれている。

 奇跡的に着水に成功したのだろう。コクピットに積まれた生体反応レーダーでは、無数の点が機体の位置で光を放っていた。


『和士くん!』

「ああっ!」


 和士はすかさずこの情報を救芽井エレクトロニクス日本支社と、アメリカ本社へと送信。次いで、現在出動している捜索隊にもシェアした。

 ――情報は回った。この場に救助が駆けつけてくるのも、時間の問題だ。


(よかった……麗、本当に……!)


 そこまでの処置を終えたところで。和士は緊張の糸がほどけたように肩を落とし――その頬を、安堵の涙で濡らす。

 そんな親友の様子を、息遣いで察した凪は、何も言わずモニターの電源を切る。男の涙など、人に見せるものではないからだ。


(……ま、これで一件落着だべな。あとは、おら一人で罰さ被れるように、うまく理事長先生に説明しねと……)


 自分の出番がないままに終わりそうなことに胸を撫で下ろしつつ。凪は頭の後ろに手を組み、海上を漂う機体を静かに見守っていた――が。


(……ん?)


 その目が。機体の最後方――尾翼付近に留まる。彼の目には――機体が、そこから徐々に傾き始めているように見えていたのだ。


(――波で機体を揺らされて、機体の自重が掛かる場所が一箇所に集まってるだか!?)


 今現在、三二一便の機体は水平に海上に乗ることで自重を分散させ、浮力により今の体勢を維持している。

 もし、何らかのはずみ――例えば波で――この体勢が崩れ。大勢の乗員乗客を乗せたジャンボ機の重みが、機体のどこかに集中するようなことがあれば……。


『まずいだ和士くん! このままじゃ……!』

「えっ――!」


 それに勘付いた凪が、声を荒げ。聞きなれない親友の声色に、和士か思わず顔を上げた瞬間。状況が――動いた。


 それまで水平に漂った状態を維持していたはずの機体は――まるで、引き摺り込まれるかのように。

 機体後方から、海中に沈み始めたのだ。


 刹那――離れていても伝わるほどの悲鳴と絶叫の嵐が、水の波紋を通じて「超水龍の方舟」まで響いてくる。


「そ、そんなッ!?」


 凄惨な叫びに突き動かされるように、和士は目を剥き眼前の光景に驚愕する。ゆらゆらと水面を漂っていたはずの機体のシルエットが、海底という永遠の闇に飲まれようとしていた。


『和士くん、おらを出して! 助けが来るまで、「救済の超水龍」のジェット推力で機体さ押し上げるだ!』

「なんだって!? 無茶だ! いくら『救済の超水龍』のパワーが凄いったって、限度がある! いくら浮力もあるからって、あんな大きなモノ……!」

『やるしかねぇんだ! 和士くんッ!』


 この押し問答が続いている間にも、機体は下へ下へと引き摺り込まれている。このままではやがて、水圧で機体がひしゃげ、そこから浸水し……。


「――すまん、海原ッ!」


 断腸の思い。その苦みを噛み締めながら。和士は赤塗りのレバーに手を掛ける。


『……任せてけろ、和士くん』


 だが、凪はそんな彼の冷静さを欠いた行為を、咎めることなく。シールドで防護されたマスクの位置を手で直し――眼前に広がる夜の海に視線を移す。

 一瞬で視界を埋め尽くす闇。その暗黒に包まれながらも彼は――恐れることなく水を蹴り、前方に直進して行った。


「増加装甲、発射ァァ!」


 その様を見届けた和士の手で、青い二本目のレバーが引かれる。打ち出されたメタリックブルーのプロテクターが、次々と「救済の超水龍」の青いヒーロースーツに張り付いて行った。


『Setup!! DolphinForm!!』


 彼の全身に纏わり付いていく鎧。それが完成形へと達した瞬間、電子音声が二段着鎧の完了を宣言した。

 その感覚を確かめるように両腕を振るった後――凪は水流ジェットの勢いを得て、さらに三二一便に猛接近していく。


 彼の勇姿は――窓から海中の闇を目の当たりにし、絶望していた人々の眼にも焼き付いていた。


「おい、あれ見ろ! もしかして着鎧甲冑じゃないか!?」

「助けに来てくれたの!?」

「おぉぉおい! ここだぁあぁあ!」


 窓一枚に隔てられ、命を繋いでいる人々は暗闇の中で目を光らせる「救済の超水龍」の姿を目撃し、口々に叫ぶ。

 このスーツが民衆の目に触れたのはこれが初めてだったのだが――誰一人、そんなことを気にしている気配はない。皆、助かることだけに必死なのだ。


(あ、あれ、は……!)


 絶望だけに支配されかけていた闇の中に、差し込まれた一筋の光明。その輝きが照らし出す「潜行形態ドルフィンフォーム」のシルエットに――橘花麗は目を奪われる。

 そして――兄と同じ運命を辿ろうとしていたこの一瞬を、変えようとするその姿に――あの少年の面影を重ねていた。


(来て、くれたの……!? 和士!)

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