第3話 入学の時

 それから、約二週間。

 暗雲が空を覆う天候の中で――伊葉和士は、入学式の日を迎えていた。


「……すまない、母さん。必ず首席になって、最新鋭機のテストパイロットになると約束したのに……」

「いいのよ、そんなこと。次席でも十分立派じゃない。お父さんも、聞いたらきっと喜ぶわ」

「母さん……」


 住宅街の中にある、とある一軒家。そのリビングで朝食を摂る和士は、母の穏やかな微笑みを前に、物鬱げな表情を浮かべる。

 母が視線を向けている、棚の上に飾られた写真立て。そこには、家族三人が最後に揃った一枚があった。


「……母さん。俺は、必ず誉れ高いヒーローになるよ。そして、父さんの名誉を取り返して見せる」

「和士……」

「大丈夫さ。確かに、スタートダッシュではあいつに一歩譲ることになったかも知れないが……すぐに追い抜いて、俺がテストパイロットに相応しいって、上に認めさせてやる」


 その写真に強い眼差しを送ったのち――少年は勢いよく立ち上がり、入寮のための荷物を手に取る。アカデミーの生徒である証の白い制服を纏い、青いネクタイを締めた彼は、悠然とした足取りで玄関から表へ向かった。

 神妙な面持ちで足を運ぶ彼の後ろでは、テレビで話題のトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」の特集が組まれていたが――この日の空は、流行りのラブソングが似合わない暗雲を漂わせていた。


 新世代ヒーローの門出としては幸先の悪い天候だったが、彼にはそんなことは関係ないらしく――淀みのない瞳が、アカデミーへ続く道を映していた。


「――行ってらっしゃい。気をつけてね?」

「ああ、行ってくる。待っててくれ、母さん」


 心配げに見送る母に、和士は勇ましい表情で手を振ると、迷うことなくアカデミーを目指して歩み出して行く。

 ――そんな彼の背には、父の名誉という重荷がかかっていた。


(二年前。あの伝説のレスキューヒーロー「救済の超機龍ドラッヘンファイヤー」の協力者だった父さん――元総理大臣・伊葉和雅いばかずまさは、人命救助を優先し無断出動した彼の行いを庇ったことで、投獄された。……分け隔てなく、一人でも多くの人々を救うために走り続けていた父さんは……犯罪者の汚名を着せられ、牢に囚われている)


 通学路を行く少年の脳裏には、厳しくも優しい父との思い出が渦巻いていた。人情と義心に溢れた、尊敬すべき父。その名誉が穢されていることへの怒り。

 それを胸の内に封じ込めるように、彼は拳を強く握り締めた。


(……これが、日本政府の選択だというのなら。この国にとっての、正しい答えだというのなら。それが覆るほどの絶対的な名誉を、俺が勝ち取ってやる。父さんの汚名を、俺が灌ぐ!)


 そして、父の名誉を挽回することへ決意を新たにする瞬間。


「んあ! こないだの兄ちゃんじゃねぇだか!」


 曲がり角から現れた、一人の少年。その間の抜けた声を聞いた途端――和士の表情は、空よりも曇る。


「お前……」

「いやぁ、こったらとこで会えるなんてついてるべ! 東京って、広いようで狭いんだなぁ」

「……また迷ったのか」

「うへへ、面目ねぇべ。あ、そうそう! これ、村のお土産だべ!」

「いらんわ!」


 顔を合わせるなり、馴れ馴れしく話しかけてくる首席、海原凪。和士と同じ制服に身を包んだその姿は、元々持ち合わせている長身やスタイルの良さもあいまって、整然とした美男子という印象を与えている――が、垢抜けない言葉遣いは相変わらずであった。

 さらに、その背には薪で作られた木箱を背負っている。箱の中では、文字通り捕れたての魚達が、ピチピチとのたうちまわっていた。


(まさかこいつと出くわすなんて……! 最悪だ!)


 まさしく変人。一期生の恥。二度目の出会いを経て、和士はさらにその認識を強めてしまう。


「な、な! そういや、まだ名前聞いてなかっただな。兄ちゃん、何て言うべ?」

「お前みたいなカッペに名乗る名前なんてない! ついてくんな、俺が恥かくだろうが!」

「そ、そんなぁ。おら、ここまで来てアカデミーさ行けなかったら、村のみんなに合わせる顔がねぇべ! おねげぇだ、助けてくんろ〜!」

「だああああ! わかった! わかったよ! 連れてきゃいいんだろ! 抱きつくな顔を擦るな鼻水付けるなぁぁぁァァ!」


 足に縋りつき、涙目になりながら道案内を懇願する――ヒルフェン・アカデミーの首席。そんな新世代ヒーローとしてのあるまじき姿に、和士は泣きそうな表情で悲鳴を上げていた。

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