第2話 ヒルフェン・アカデミー主席、海原凪

 ――着鎧甲冑ちゃくがいかっちゅう

 それは、レスキュー現場での運用を主な目的とした、最新鋭パワードスーツである。粒子化して腕輪状のデバイスで携行しつつ、有事の際には特撮ヒーロー然としたその独特のビジュアルに「着鎧」することから、それを纏うことを許された資格者達は、レスキューヒーローと称されることが多い。


 そのスーツの開発と生産を一手に請け負う救芽井エレクトロニクスが台頭して、四年。二◯三二年現在では、着鎧甲冑の総生産数は五百台に及んでいた。

 警察、消防、FBI。軍事関係を除く、あらゆる組織で人命救助のツールとして使われている、そのスーツは――今や、「ヒーロー」という存在の象徴となっているのだ。


 だが、その力には相応の責任が伴う。着鎧甲冑の使用資格を得るための試験は、容易なものではない。毎年、世界中で数百万人が受験しているが――合格者は多くても百人程度。「ヒーロー」に求められる責任の重さが、試験の難易度に直結しているのだ。


 そんな試験に立ち向かわなくてはならない、未来のレスキューヒーロー達のために――着鎧甲冑が初めて登場した国、日本では。彼らを指導するための教育機関が設けられていた。

 救芽井エレクトロニクスのスポンサーである、久水財閥の会長・久水茂が理事長を務めるレスキューヒーロー養成機関「ヒルフェン・アカデミー」である。


 東京湾に浮かぶ人工島に新設された、その学び舎は――本島と繋がる橋を通じて、新世代のレスキューヒーローを招いていた。

 今日は、今年からそこへ入学することになる第一期生を発表する日である。


「……あった! 受かった、受かったぞぉお! なれるんだ……俺、ヒーローになれるんだ!」

「ちくしょぉおッ! なんで! なんでだよ! なんで、この僕がぁあぁあ!」

「やった……受かってる! あたし受かってるっ! お母さんに電話しなきゃっ!」


 合格発表の日を迎えたアカデミーの校舎には、数多の受験者が群れとなってひしめいていた。ある者は喜び、ある者は悲しみ。合否により人生を変えられた少年少女達が、歓声と慟哭を空へ響かせている。


「……やれやれ、うるさい連中だな。――さて。合格資料だけ貰って、今日のところはさっさと帰るか」


 ――その中に、一人。阿鼻叫喚の渦中にいながら、涼しげな表情を浮かべる少年がいた。短く切り揃えられた黒髪を、潮風に撫でられているその少年は――強い意志を感じさせる黒い瞳を、高く聳え立つ校舎に向けている。


 少年は合格発表者を張り出した巨大掲示板には目もくれず、自分の受験番号を記したカードを手に、校舎へと足を向けた。

 だが。そこは本来、合格者でなければくぐれない門である。合格者のカードがなければ、自動ドアが反応しないためだ。


 ――しかし。資格なき者を拒むその扉は、当然のことのように少年を招き入れた。少年の方もまた、当然のことのように校舎内へと踏み入れて行く。


 彼は、掲示板を見る前から確信していたのた。自分は、この難関をくぐり抜けた合格者なのだと。


(全く……ああいう思い上がったバカが集まると、レスキューヒーローの価値が下がっちまう。入学式を終えたら、もっと試験を厳しくしてもらうよう具申するかな)


 軽蔑の眼差しで、合否に一喜一憂する同期達を一瞥する少年は――冷酷な面持ちのまま、エレベーターで資料を受け取る会場へと登って行く。

 彼を乗せているエレベーターは、ガラス張りにされたその構造により、学舎の景観や東京湾、その向こうにある首都のビル群まで一望できる。その絶景を見遣る彼は、ふと視線を落とし――受験者の群れの中にいる、一人の同期に注目した。


(……ん? な、なんだあいつ……)


 うなじが隠れるほどの黒の長髪に、小麦色に焼けた肌。少年より頭一つ分ほど高い長身に、整った目鼻立ち。口元から微かに覗いた八重歯。

 そこだけ見れば、「ちょっと髪が長いスポーツ系のイケメン」で終わる存在だが……その同期は、周りの受験者から激しく浮き出るほどの異彩を放っていた。


 藍色の擦り切れた着物に、麦わら帽子。ボロボロに使い古された草履。そんな、遥か昔の村人のような格好だったのだから。


(見るからに凄まじい田舎者だが……よくあんなのが受験しに来たものだな。門前払いにならなかったのが不思議なレベルだ)


 その異様な容姿の同期は、受験カードらしきものを手に、人混みの中で右往左往している。見るからに、道に迷っているようだった。


(落ちたとわかって帰ろうとしたら、帰り道がわからない――ってとこか? やれやれ、あんなのが栄えある一期生になろうとしてた、なんて世間に知れたらロクなことにならないな)


 そんな彼を見下ろす少年は、呆れ果てたようにため息をつくと、踵を返してエレベーターから出て行く。もう、二度と見かけることもないだろう、と思いながら。


 ――その後。


「これで入学手続きは完了です。では、こちらの資料をどうぞ」

「ああ」


 合格者が向かう事務室に招かれた少年は、整然としたオフィスで目的の資料を手に取ると――感慨に浸る間もなく、その場を立ち去って行く。喜びに打ち震えていた周りの合格者達は、そんな彼の姿に注目していた。


「見ろよ、あいつ……! 伊葉和士いばかずしだぜ!」

「うそっ……! あの、オックスフォード大学を飛び級で卒業したっていう天才児……!?」


 少年――伊葉和士は、自分の噂話をヒソヒソと囁き合う、有象無象の少年少女を一瞥する。取るに足らない存在を見るような眼で。


(ふん……俺ほどの人間でなくば、そもそも着鎧甲冑の資格など、望むことすら許されないだろうに。自分の力量を勘違いしてる蛙共には、ほとほと呆れたものだ)


 尊大ながらも、そうなるに値する実力を持つ彼には――ある一つの確信があった。それは、自分が今期の首席合格者であるということ。

 そして――首席合格者にのみテストを任される、と噂されている最新型着鎧甲冑に触れられる人間であるということだ。


 ――しかし。


「でも、すげぇよな。あんな超人でも次席なんだぜ」

「ああ。俺、よく入学できたなぁ……ま、補欠合格だけどさ」


「……なに?」


 和士の耳に、聞き捨てならない情報が入り込んできた。その話をしていた同期達に、彼は眉を吊り上げて迫る。


「そこのお前達。妬ましいのかどうか知らないが、よくそんなふざけた冗談を抜かせたな。この俺が、次席だと?」

「え、ええ? 伊葉、お前掲示板見てないの……?」

「俺達、掲示板見たけど……お前、次席になってたぜ?」

「掲示板だと……!?」


 返ってきた言葉に、和士は信じられない、という表情になり――みるみるうちに、険しい顔色になっていく。気がつけば、彼は弾かれたように走り出していた。

 首席合格していて当然だと、見向きもしなかった掲示板を見るために。


(バカな……そんな、バカな……! 首席は俺だ! 俺でなければならないのに……!)


 校舎を飛び出し、人混みを掻き分け――巨大な掲示板を見上げた彼の目には。


 次席、と書かれた自分の名前が映されていた。


(バカ、な……)


 信じ難い光景に、目眩を起こし――ふらつきながらも、和士は辛うじて正気を保つ。まだ、明らかになっていないからだ。

 この自分を差し置いて、首席の座を勝ち取った者の名を。


 和士はその名を知るべく、視線を自分の名の上へと向ける。あるはずのない、自分以上の順位――首席の場所には、見覚えのない名前が書かれていた。


海原凪うなばらなぐ……? なんだ、こいつは……?)


 和士以外にも、名の知れた首席候補者は何人もいる。そういう少年少女達は皆、特殊部隊の訓練を受けていたり、若くして有名大学を卒業していたりするようなエリートばかりであるが――彼らは全員、和士より下の順位であった。

 そう、自分だけではない。以前から首席候補者と噂されていた猛者達を何人も出し抜き、この海原凪という無名の男は首席の座を掴んだというのだ。


(この男は、一体……?)


 その実態を思案し、和士は眉を顰める。――その時だった。


「あのぉ。合格資料が貰える事務室って、どこですかぁ?」


 背後から、間の抜けた少年の声が聞こえてきたのは。

 振り返ってみれば――その声の主が、あの田舎者の少年だったことがわかる。


「なんだ……お前」

「いやぁ。おら、試験さ受けて合格したんはいいんだども、合格資料ってのがどこにあんのかわかんねぇんだべ。周りに聞いても、答えてくんねえし。おめさん、合格資料持ってるべ? どこで貰えるか、教えてくんろ!」

「は、はぁ? 合格? お前がか!?」


 鬱陶しげに対応していた和士は、自分を見下ろす少年から出てきた言葉に目を剥き――再びよろけてしまう。これ以上ショックなことが起きれば、倒れてしまいそうだ。


(こんな奴が合格者だって!? 冗談じゃないぞ、こんなカッペが俺の同期だなんて!)

「な、なぁおねげぇだ。おらぁ、一生懸命勉強して、やっとここさ来ただ。手ぶらじゃ帰れねぇべよ」


 長身の少年は、その体格に見合わない態度で頼み込んでくる。そんな彼の様子を見遣り、和士は混乱しながらもなんとか思考を巡らせた。


(……と、とにかくこいつが合格者だというなら、さっさと資料を持たせて帰らせるしかない。こんな奴が栄えある一期生だなんて周りに知れ渡る前に、手を打たねば!)


 放っておけば、この少年は同じことを他の誰かに聞くために、アカデミー中をうろつくことになる。そうなれば、今日集まった受験者全員が知ることになるだろう。

 ――こんな田舎者が、自分達を蹴落としてヒーロー候補になった一期生なのだと。


 そんなことになれば、アカデミーの最初の生徒となる自分達一期生の威厳が完全に失われる。まだ全員には知れ渡ってはいないであろう今なら、対処は可能。


「……来い!」

「うわっ!?」


 短い時間でそう考えついた和士は、口で道案内する暇も惜しむように少年の手を引き、来た道を引き返していく。首席を飾った海原凪という男のことを、一時後回しにして。


 人混みを掻き分けながら、強引に少年を手を引っ張る和士は、人目を憚るように少年を校舎前に連れ込んで行く。天を衝くように聳え立つ校舎を見上げ、少年は嘆息した。


「はぇー……すげぇんだなぁ。こったら高いとこに、事務室さあるだか?」

「ここの四十五階だ。……エレベーターの使い方くらいは知ってるよな?」

「へへへ、おら、それならわかるべ。ボタンをピッて押したら、ぐい〜んってあがるんだべな。おらぁ、こう見えてなかなか都会慣れしてっからな」

「都会慣れとかじゃなくて常識だからなコレ! ……はぁ、なんでこんな奴が俺の同期に……。頼むから、変な騒ぎは起こさないでくれよ?」

「んだ! 任せてけろ!」


 人懐っこい笑顔で、小麦色の少年はそう宣言してみせたが――和士は全く当てにならない、と深くため息をつくのだった。


「いやぁ、持つべきものは同期だべ! おかげで、村のみんなにいい土産話を持って帰れるだよ! 本当にあんがとな!」

「いいよそんなの。わかったから、とっとと行け。そして二度と関わるな」

「いんや、こんだけ助けてもらって、お礼もしないまま別れるわけにはいかねぇだ。入学式には漁れたてで新鮮な魚、持ってきてやるべ! だから、名前教えてくんろ!」

「いらねぇよ、そんなもん!」


 これ以上、付き合ってはいられない。あまり長いこと一緒にいると、自分まで同類と思われる。そう危惧した和士は、馴れ馴れしく話しかけてくる彼から逃げるように、早足で歩き出す。


 その時。


「あ! いたいた! もう、何してるんですか海原凪さん! いつまで経っても資料を取りに来られないですし……」

(……なに? 海原凪!?)


 入り口から駆け寄ってきた、若い女性職員――和士に合格資料を渡していた職員が、慌ただしい様子で少年に話しかけてきた。


 さらに。その口から出てきた名前に――和士の表情が驚愕の色に染まる。


「あ、職員の人だでな? いんやぁ、申し訳ねぇべ。おらぁ、事務室がここにあるたぁ知らねぇで、あちこちウロウロしてたんだべ。こっちの親切な兄ちゃんが案内してくんなかったら、今も迷子だっただな」

「はぁ……。もういいですから、早く資料を取りに来てくださいね。入学手続きも、あの資料を使うんですから」

「今度から気をつけるべ。あんがとな、姉ちゃん」


 そして――少年と、職員のやり取りを聞き。彼は、真実を知ってしまうのだった。


「お、お前、が……? お前が、一期生の首席合格者、の……?」

「んだ。おらぁ、海原凪ってもんだべ。いやぁ、一番だなんて嬉しいべ」


 だらしなく頬を緩め、にへらと笑う田舎者。そんな首席合格者の姿を目撃した和士は――崩れ落ちるように膝をつく。

 そして――虚ろな瞳に青空を映し、乾いた笑い声を上げるのだった。


「は、は、はは……こいつが? このカッペが、俺達の中で誰よりも優れた……首席? このカッペが……最新鋭機のテストパイロット? はは、ははは……」

「ど、どしたんだべ? どっか、痛むだか?」


 ――これが、共に数多の命を救う相棒との出会いであることなど、知る由もなく。

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