第204話 茶番劇の終幕

 俺の胸中に芽生える、戸惑い。

 自分にあるはずのない――あってはならないはずの、恐れ。生への執着。

 それら全ての淀みが波を立て、渦となり、俺の歩みを妨げていた。


「ハ、ハァ、ハァッ……!」

「ゼエ、ゼエェッ……!」


 そんな俺を射抜くように、足元がおぼつかないままの茂さんは静かにこちらを見据える。今の俺が考えていることの全てを、見透かしているかのように。


(……随分と、人間臭いものだな。怪物だなんだと宣いながら、結局は死ぬのが怖いのか)

(……ぬかせ。あんたこそ、どうなんだ)

(怖い。だからこそ、戦うのだ。目の前にある恐怖を乗り越え、安らぎを掴み取るために)


 臆面もなく、茂さんは己の立ち姿のみでそう語り――サムライダイトの銃身を握り締める。眉間の急所に全力の鉄槌を受けた今、立っているのがやっとのはずだが……その仮面の奥に燻る瞳は、まだ戦いを投げ出してはいない。

 やはり、この男は完膚なきまでに叩きのめす必要があるらしい。生半可な攻めでは、あの身体を支える力を打ち崩すことは叶わないままだ。


 一歩。また一歩と、俺達は互いに踏み込んで行く。呼吸もままならず、手足も震え、視界もぼやけていく中で――ただ一つ残された真実のみが、この身を突き動かしていた。


 まだ、負けたわけではないのだと。


(貴様とて、もう限界に達しておる、はず。ここで、終わりにしてもいいのではないか)

(――残念だが、そういうわけにも行かねぇ。引けないところまで、来ちまったんだから……よッ!?)


 だが――そんな俺の意地さえも、踏みにじるように。

 膝から力を失い、崩れ落ちた俺の足元に――紅い花が咲く。


「先輩ッ!」

「龍太君……!」

「……龍太、様……」


 その瞬間を目の当たりにして、女性陣にも動揺が広がる。さすがに流血沙汰は、キツい……か、はは。


 ――まぁ、わかっていたことだ。

 人工臓器で辛うじて生かされている程度であり、本来なら今も病院で療養を受けているはずのこの身体を引きずれば、いずれはこうなると。

 どうやら、あの強烈な二発の打撃が随分効いたらしい。思っていたよりシャレにならない量の血が、俺の口から溢れ出してくる。


 その流れが止まる頃には……随分とだだっ広い、血の池が出来てしまっていた。

 ヤバい状態。それは誰が見ても明らかであり、俺から見ても、すぐに決闘を中止しなくてはならない頃合いだと思う。


 ――こんな時でさえなければ、だが。


(……いつだって、貴様はそうだ。己の流す血も恐れず、貴様を案ずる周りの苦悩など、気にも留めず。そうして掴んだ勝利に、何の意味がある。誰が心から喜べる。そんな生き方は、他人の不幸を自分一人に掻き集めるだけの、愚かな姿しか生まんのだぞ)

(構わない、さ。そうしなきゃ救われない命だってある。これで死んじまったなら、俺はそこまでだったってことさ)

(そうか――なら、オレが殺してやる。そうすれば、身の程を知るだろう?)

(……上等)


 俺の吐血など、お構いなしに。

 満身創痍のまま、俺達は相対する。


 膝をつき、震えたままの俺を、黄金の鉄人はただ冷ややかに見つめている。その手に、銃身から切り離した電磁警棒を握り締めて。

 四郷姉妹が制止を求める叫び声を上げているようだが……もう、彼女達の声は届かない。


 届くのは――


「終わりだァァァァッ!」


 ――茂さんの、哀れみを孕んだ絶叫のみ。


 その振り下ろされた電磁警棒を前に、俺は自分自身に迫る死を悟る。


 電磁警棒といえど、超人の膂力から放たれる金属棒の一撃には違いなく……この弱り切った身体に直撃すれば、命にも関わる。


 それを知った上で、茂さんはとどめの一撃を振り下ろして来たのだ。俺を、殺すために。


 だが、それは必然。死を賭した戦いの中では避けられない現実。


 俺自身、そんな戦いを乗り越えてきたからこそ、今の姿がある。


 だから――恐れることなど何もない。俺は精一杯、自分に出来る限りを尽くしたのだから。


 恐がることなんて――何も。何も、ないはずなのに。


 ちらつく。


 救芽井。鮎子。鮎美先生。久水先輩。古我知さん。伊葉さん。甲侍郎さん。華稟さん。親父、母さん、兄貴。町のみんな。


 そして――矢村の顔が。


 ちらついて、離れない。そんなものを見せられたら、悔いが残るというのに。


 胸の奥。その最も深い底に封じたはずの、恐れが。噴き出してしまうというのに。


(――死ねない。俺は、まだ!)


 誰かがそう叫んだ時、俺は咄嗟に顔を上げる。そこには……矢村の顔――よりも、よく知っている姿があった。


 ……俺だ。

 救芽井と初めて会って、古我知さんと戦うことになった、あの頃の。


 歪みも何もない、ただ自分の中にある正義感にだけ従い、戦っていた、あの日の俺だったのだ。


 その姿は自身の血に汚れても決して諦めず、目の前の敵に食らいついている。


 ――そうだ。俺は、こういう奴だったはずだ。

 バカで世間知らずで、何が正しくて間違いかなんて、考えもしないで。


 それでも――目の前にある命と幸せを、諦めたりなんか、しない奴だったはずなんだ。


 そうだ……だから。


 俺は……まだ……!


 今は、まだッ……!


「……ま、だだァァァァアアッ!」


 迸る恐れ。生きることへの執着。そして、蘇った自分自身の生き方。

 その全てが糧となり、俺の身体を思うままに動かして行く。


「むうッ!」

「俺にはまだ、守らなくちゃならない人がいる! まだあんたに、この命はくれてやらんッ!」


 振り下ろされた電磁警棒を、左手で掴み取る。刹那、電流が全身に迸り――耐え難い激痛が俺の意識を奪って行く。


「オオ、オ、オオォオォォオオオッ!」


 だが――俺はまだ、止まらない。


 掴んだ勢いのまま、痛みを真正面から受け止めたまま。左手の握力のみで、電磁警棒を破壊する。

 けたたましい破裂音と共に、電磁警棒はバラバラとなり――破片を撒き散らして四散した。


「ぬおっ……!?」

「グアア、ア、ァァァアアアアッ!」


 その反動で仰け反り、茂さんは数歩後ろへ後退する。無論、その隙を逃す手はない。

 全身の体重を預けるように、俺の最後の左拳が、仇敵の三日月へと向かっていく。

 これで、今度こそ――終わりだ。


「ごわアァッ!」

「うぐッ……!?」


 そして、勝敗を決する一撃が決まる瞬間。

 俺の身体に、さらなる痛みが襲い来る。


 こちらの拳が決まる直前、茂さんが最後の力を振り絞って引いた引き金により……テイザーライフルの麻酔針が放たれ、俺の左足を撃ち抜いていたのだ。

 全身の筋肉を痙攣させ、自由を奪う麻酔針。これを受けてしまえば、もはや指一本動かせず完全に打つ手を失う。もう、尽くせる力はここまでだ。


「ぐ、う……!」

「む、おっ……!」


 そして、互いに決定打をぶつけ合った俺達は、その勢いのまま重なるように倒れ込む。

 もうお互い、微動だに出来ないようだ。


(……そうだ。それでいい。己の命を犠牲にして勝利を掴み取ったところで、ダスカリアンの未来が明るくなることはない。この先、あの国には貴様の力が絶対に必要となるのだ……)


 だが、麻酔針を受けて全く動けない俺に対し、茂さんは僅かに意識を保っているようだった。


(……必ず生き延びろ、一煉寺龍太。自分自身も鮎子君も、ダウゥ姫も矢村賀織も、ダスカリアン王国も。纏めて救って見せるのだ。力を証明し、このオレに勝ってしまった貴様には……その、義務、が……)


 そして、久水先輩の方に首を向け――何かを訴えるように見つめた後。その首は、力無く地面に落ちてしまった。


 どうやら、気絶したらしい。普通なら最初の一撃でダウンを奪えるくらいの攻撃だったはずなんだけどな……全く、甲侍郎さんも厄介な兜を作りやがる。

 おかげで、どっちも満身創痍だっての。


「……」


 そんな俺達を静かに見つめながら、久水先輩はゆっくりと歩み寄ってくる。決闘の終焉を、感じ取ったからだろう。

 俺と茂さんを交互に見遣り、先輩は沈黙した。判定が気になるところだが……どうやら、俺も意識が限界らしい。

 やっぱ……手で電磁警棒を掴むなんて無茶、するもんじゃないや……。


「……先に気絶したのが、お兄様である以上――判定は覆りませんわね。この決闘、一煉寺龍太様の勝ちとします」


 そして、その口から告げられたのは――茶番劇の終幕。


 だが、その声を聴き終える前に俺の意識も、深い闇に落ちていた。

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