第196話 落涙と決意

 京都へ向かう救芽井エレクトロニクスのヘリは、けたたましいローター音を立てて、病院前の広場へ着陸しようとしている。

 目にも留まらぬ速さで回転するローターは風の波紋を呼び、広場の芝生を波打たせていた。俺と、未だに眠ったままの兄貴を看ている両親以外のほとんどの人が、そのヘリの出迎えに向かっている。


 病室の窓からもよく見えるその光景が、決戦の日の到来を証明している。そう、あの空の方舟で、俺は京都へ行くんだ。

 ……歪んだ正義を、通すために。


「いよいよ、だね。龍太君」

「……だな」


 俺の背後から、透き通るような声が響く。振り返った先に見える救芽井の顔は、いつになく落ち着いているようにも見えた。

 母さんとの決闘を経たからなのか、憑き物が取れたかのような清々しさ。最早、俺が死にかけた時に右往左往していた時のような弱々しさは微塵も見られない。


「大丈夫だよ。梢先輩の言うことだって、正しいと思うし……私達の方が間違ってることだっていうのも、事実だとは思うの」

「救芽井……」

「――でも、正しさだけじゃ助からない命はある。それは、一年前にあなたが教えてくれたことでしょ」

「……一年前、か。思えば、あの頃からいい顔はされてなかったっけな、俺は」

「普通のヒーローであって欲しかった人は、みんなそうだよ。瀧上凱樹と戦うことも、助けることも、本当は望まれなかったんだから。でも、そんな歪なあなただから、鮎子は生き延びることが出来たのよ。あなただから、鮎子だって……命を、預けられるのよ」


 そう言って彼女は、綺麗に畳まれた服を差し出してくる。赤い鉢巻のようなものも見えるが……なんだ、この既視感は。


「これは?」

「景気付けだよ。前のユニフォームはもう、ボロボロになっちゃったし……私がデザインし直したんだ。お父様に倣って、龍太君っぽいのにしたから、かっこよさは保証するね」

「……保証はともかく、気持ちはありがたく受け取っとく」


 救芽井がわざわざ作ってくれたという、新ユニフォーム。確かに、決闘前の景気付けには丁度いいかも知れない。

 ……が、なかなか俺はその服に手を伸ばすことが出来ないでいた。


 今の俺に、「選んだ」俺に、これを着る資格があるのだろうか。


「でも、それで十分なんだ。だって、俺は――」

「――賀織を選んだのだから、受け取れない……って?」

「……!」


 だが。

 その胸中は、既に知れていたようだ。心の先まで見透かすような微笑みと、細まった蒼い眼差しに射抜かれ、俺の体温が高まって行く。


「わかるわよ、あなたのように鈍くはないもの。真っ赤な顔で呆然と夜空を眺めてたあの娘の顔を見れば、何を話してたかなんてわからないわけないじゃない。今日だって、どんな顔して会いに行けばいいかわからないって感じだったし」


 呆れるようにため息をつき、腕を組んでたわわな胸を寄せ上げる。もし歳の近い姉がいたら、こんな具合だったのだろうか……。


「それがあなたなりのケジメなのかも知れないけど、私に言わせればそれは間違いよ、龍太君」

「な、なに?」


 その時、救芽井の瞳に――今まで見たことのないような、強い炎が宿る。

 仇敵を刺し貫く、大槍のように。どこまでも真っ直ぐな眼光が、俺の視界に突き刺さる。


「勘違いしないで。私は、龍太君に振り向いて欲しくて、これを渡しているわけじゃないのよ。何があっても、私達が臨んだ正義を貫いて欲しいから――これを託すの。あなたが誰を選んだとしても、支え続けるって……私は、ずっと決めてたんだから」

「救芽井……」

「鮎子だって、そうよ。あなたが選んだ結果を叶えたいから、戦うことを望んだの」


 さらに彼女は、手にした新ユニフォームを俺の胸に押し付けながら……畳み掛けるように声を張り上げる。


「……あなたが命より大切にしている矜恃を捨てさせてでも生きていて欲しいのなら、私達だって向こう側に居たわ! 私達は、どんな未来が待っていたとしても、あなたがあなたらしく生きることを望んでる! だからあなたに付いた! 二段着鎧に手を染めることも、賀織を選んだことも、そのあなたが決めたことなら、私達が止める理由はないのよ!」

「……」

「バカの癖に! 筆記ギリギリのおバカの癖に! それらしい言葉で取り繕うのはやめて! 本当にケジメを付けたいのなら、あなたらしく行動で示してよ! 好きな娘も、助けたい人も、皆救って見せてよ! そのために尽くせることを、尽くしてよ! 使えるものはとことん使って、ボロボロになるまで使い潰しなさいよ! でなきゃ、あなたを信じてる人も……私達も……みんなみんな、惨めじゃない……ッ! 悲しい、だけじゃない……」


 だが荒れ狂う嵐が、やがて過ぎ去り静けさが戻るように。彼女の叫びも、徐々にその勢いを失いつつあった。

 声にならない悲鳴と涙を、押し殺して。新ユニフォームごと、自分の顔を俺の胸元に擦り付けて。


 ――ここに来て、ようやく気づかされた……ような気がする。自分が、どれ程の罪を背負っているのか。どれ程、彼女を傷つけていたのか。

 正直、償えばどうにかなる次元の過ちではない。彼女の言う通り、どう言葉で取り繕っても意味はないのだろう。

 彼女の涙は、もう――零れてしまったのだから。


「――わかった。ありがとう、救芽井」

「……」

「これ以上グチグチ御託を並べるのは、やめだ。遅過ぎたかも知れない答えだけど、お前が見せた言葉も涙も、無駄遣いにはしない。絶対に勝って、ダウゥ姫を救う。助けたい人を助ける。俺にできるケジメの付け方は、土下座以外にはそれだけだ」

「……よかった。昔の顔だよ、龍太君」

「昔?」


 小首を傾げた俺を見上げる、蒼い瞳は――痛ましく腫れてはいるものの、その辛さを感じさせてはいなかった。痛み以上の喜び。その感情が、眼差しの奥から、滲んでいる。


「初めて会った時の、バカで単細胞で変態だった時の、あなただよ。迷いも悩みもない、真っ直ぐな眼……」

「はは、全力で貶すか褒めるか、どっちかにしてくれよ」


 俺にぶつけたい言葉を、一通り出し尽くしたからか……彼女の表情にも、少しずつだが元気が戻り始めている。もうじき、元通りの落ち着きを取り戻すことだろう。


「じゃあ、私……先に皆のところに行ってるから。……さっきの言葉、忘れないでね!」

「――ああ。絶対だ!」


 そして救芽井は強引に涙を袖で拭うと、踵を返して病室を出て行く。その直前に一度だけ振り返り、満面の笑顔を浮かべて。


「さて……俺も、さっさと着替えて行くとすっか」


 次いで、俺も救芽井がいなくなってすぐに、貰った新ユニフォームを広げて着替えを始める。デザインは最早諦めたも同然だが、そこは救芽井に注入された気合で補って――


「……ぐっ、ひぐ、ぅう、あ、あああぁっ……!」

「……」


 ――そう。補えばいい。彼女の、殺し切れなかった泣き声を、ほんの一瞬でも聞いてしまえば……デザインがどうの、なんて言う気はたちどころに失せてしまう。


 彼女を苦しめたのは、泣かせたのは、他ならない俺自身。だからこそ、俺は俺に出来るやり方で。


「……ありがとう、救芽井樋稟。そして、ごめんな」


 報いなければならないんだ。あの声に。瞳に。涙に。


 そのためにも。


「勝つ。……絶対だ!」


 絞り出した唸り声と共に、俺は赤い鉢巻を握り締めた。

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