第197話 言葉よりもシンプルに

 救芽井に渡された新ユニフォームは、以前のダサかっこいい赤一色のものとはカラーリングが異っていた。

 上下共に、燃え上がるような炎柄と黒を基調にしており、「救済の超機龍」のイメージをより強調した色遣いになっている。……親父の趣味に染まった救芽井が仕立てたんだ、そらこうなるわな。


 それでも、黒い皮グローブを嵌めて赤い鉢巻を締めてみると、案外イケてるようにも思えてくる。染まってるのは俺も同じらしい。

 とにかく、着替えは完了した。俺は右手首の腕輪を確かめると、病室を後にする。


 そして、ヘリが待機している病院外へ向かう道中。

 兄貴が眠る病室に、通りがかった。


「……」


 この扉の向こうでは、兄貴は親父と母さんに見守られながら静かに眠っている。きっと扉を開けば、親父達は暖かい言葉を与えてくれるに違いない。それは間違いなく、俺の背を押す力となるだらう。


 ――だが、今の俺にそれを求める資格はない。一途に想ってくれていた彼女も、敵対してでも俺の命を救おうとしているあの先輩も、みんな切り捨てて戦いの中へ飛び込もうとしている、今の俺には。


「……ごめん。勝手ばかりで」


 だけど。

 そんな正しいとは言い難い道でも。俺が、自分で選んだ道だから。

 引き返すわけには行かないから。


 これ以上、家族の優しさに身を委ねはしない。俺は一度だけ、家族のいる部屋に視線を映し――踵を返す。


 ――もう、俺は子供じゃないから。守られるほど、弱くはならないから。


 ――だから、見ていてくれ。俺を、ヒーローとしての俺自身を。


 ――ここからは、俺の正念場だ。


 階段を下り、廊下を渡り、ロビーを抜けて。病院の外へ歩み出た俺を、仲間達が出迎える。


「来たね、龍太君。準備はいい?」

「……ああ。見た目通りバッチリだ」

「らしいね。……ここまで来たら、もう僕が何かを言うのは野暮だろう。あとは、君の好きにするといい」

「心配いらねぇよ。俺は絶対、タダでは死なねぇから」


 最初に声を掛けてきたのは、古我知さんだった。俺達はすれ違い様に、互いの裏拳をぶつけ合う。

 相容れないところはあるだろうが――俺達はきっと、それだけじゃないはずだ。


「一煉寺君。ダスカリアンの未来と王女様の

命、君に預けたぞ」

「わかってる。お膳立ては十分してもらってんだ、ここで負けたら格好つかねぇ」

「うむ。存分に君の力を振るいなさい。後始末は、我々に任せてもらう」


 次いで、グローブを外して伊葉さんと握手を交わす。長い償いの人生を生きたシワだらけの手の感触が、俺に託された願いの重さを物語っているようだった。


「『超機龍の鉄馬』のプログラミングは八割方完了したわ。ここまでさせといて負けました、なんてことになったらただじゃおかないわよ」

「百も承知だそんなこと。キッチリ勝って、あんたの妹もあのやんちゃ姫も、全員守り抜く。これは決定事項だ」

「ふふ……その強引さ、ますます凱樹にそっくりね。いいわ、ひとまずあなたに賭けてあげる。あと、なかなか悪くないわね、その服」

「あんたのセンスも大概だな」


 鮎美先生は妖しく笑うと、研究機材を載せたヘリに乗り込む。決闘に勝った場合、すぐに俺のデータを取って最終調整に臨まなければならないため、彼女と四郷も同行することになっていた。


 そんな姉の後ろ姿を、四郷は憂いを帯びた眼差しで見つめている。


「……先輩」

「そんな不安そうな顔すんなって。……俺は絶対、負けやしないから――」

「……そんなの、わかりきってる。……先輩が、一番大切にしてる人も」

「――ッ!」


 だが、その紅い瞳が俺に向かう時。既に彼女の眼は強い決意の色を湛えていた。

 白い頬を、僅かに染めて。四郷のつぶらな瞳が、真っ直ぐに俺を見上げている。


「お姉ちゃんだって、苦しかったはずなのに。梢だって、本当は辛いのに。それでも、ボク達のことを想ってくれている。だからボク達も、それに応えるべきだと思うの」

「四郷……」

「だから、あなたの一番じゃなくてもいい。端っこでも構わない。先輩にとっての、大切な仲間の一人でさえいられるなら……ボクは、きっとこの痛みだって乗り越えていける。そうして初めて、先輩と一緒に戦う資格を持てるんだって、今はそう信じてる」


「……」

「……年上のお姉さんに、ここまで言わせたんだから。先輩だって、絶対に勝たなきゃダメ。いい?」

「――ああ、了解だ」


 その紅い瞳からは――とめどなく彼女の想いが、溢れ出ていた。両手を胸にあて、その雫を隠そうと俯く彼女は今、救芽井と同じ「痛み」と戦っている。

 それを「資格」などと言われてしまっては、いよいよ負けられなくなっちまうな。


 溢れ続ける感情の渦を拭い、姉に続いてヘリに乗り込んでいくその姿を見送り、俺は踵を返す。

 この町を出る前に、言うべきことは言わなきゃ――な。


 振り返った先には、瞳を腫らした翡翠の少女と……俺が想うと決めた、褐色の少女がいた。


「……」

「……」


 俺はまず、このユニフォームをくれた翡翠の少女――救芽井樋稟に視線を移すが、彼女は黙してなにも語らない。

 しかし温もりを滲ませるその微笑みは、言葉以上に強い想いを俺に伝えている。どんな言葉よりも、暖かく、力強く。


 ――行ってらっしゃい。負けないでね、私のヒーロー。


 ――任せとけよ、俺の憧れ。


 伝わる。声にならない意思が、声以上に。

 二人の間に言葉はいらない、とは、こういうことを言うのだろうか。


 それでも、やはり矢村に対して思うところはあったのか――ほんの一瞬だけ、ためらうようにこちらを見つめてから、彼女は他の皆と一緒にヘリから離れていく。

 ローターが巻き起こす風に、僅かな雫を乗せて。


 ――ありがとう、救芽井。


 そして、最後に。


 俺の眼差しは褐色の少女――矢村賀織へ向かう。

 俺と彼女の瞳が交わる瞬間、矢村のくりっとした眼は見開かれ、その顔は真っ赤に染まっていた。かつて口付けを交わした唇はキュッと縮こまり、緊張している様子を伺わせている。


 いつからなのだろう。このちんちくりんな昔馴染みを、愛おしいと思ったのは。


 思えば、初めて会って間もない頃から、俺は彼女との時間を楽しんでいた。

 それに彼女の近くにいたいと思わなければ、彼女を巡った喧嘩などしなかったはずだ。あの頃の俺は、拳法のけの字にも触れていなかったのだから。


 俺が救芽井と出会い、レスキューヒーローとしての活動を初めて、彼女と二人で居る時間がなくなってきて初めて、それを実感出来た、ということなのだろう。我ながら、贅沢なことをしていたものだ。


 だが、気づいてしまえば。想いが繋がっているのなら。もう、やることは一つ。


 惚れた女なら、落とすまで。

 他の誰にも、渡しはしない。


「――矢村」

「あ、りゅ、龍太! あ、あんな、アタシも、龍太のこと、応援しとるから! ずっと、待っとるけん! や、やけん、この決闘が終わって、ダスカリアンが平和んなったら、あ、アタシと――」


 あらかじめ用意していたと思しき言葉を、噛みながらまくし立てる矢村。俺はそんな彼女の前に立つと、その小さな顎をクイッと持ち上げる。


 語彙のない俺には、上流階級お得意の美辞麗句など無理だ。それよりもっと、俺らしいシンプルなやり方がある。

 ……一年前の、お返しだ。


「んっ……!? ん、う……うぅんッ……」


 熱く、深く。俺は、矢村の唇を奪う。この少女の胸中を、塗り潰すように。自分からキスするのは初めてだが――効果は、あるにはあったようだ。


 初めこそ矢村は強く俺の両腕を掴んで抵抗していたが、程なくしてその勢いも失速し……最後は自分から求めるように、俺の背を抱き締めていた。


 二度目の口付けとなるこの瞬間から、約三十秒。俺達の唇は、糸を引いて名残惜しむように離れる。

 既に矢村の表情は、かつてない程に桃色に染まり、蕩け切っている。


 ……あとは、シンプルに要件を伝えるだけだ。


「――結婚してくれ」


「……は、い……」


 その瞬間。

 俺は、彼女に誓う。


 この妻に相応しい、全てを救える怪物的ヒーローになる、と。


 ……さて。


 そのためにも、あの姫騎士を納得させられるだけの強さを見せなくちゃな。


 ――悪いが、勝ちは貰ってくぜ。茂さん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る