第180話 予期せぬ流血

 目まぐるしく周回を繰り返す俺を追い、将軍のガトリングが唸りを上げる。火を噴く銃口は休むことなく弾丸を放ち、俺の背後の土をえぐり続けていた。

 端から見れば、俺が将軍から逃げ回っているようにしか映らない光景だろう。それに、銃撃を避けるのに必死なのは事実だ。


 しかし、この状況が示しているのはそれだけではない。俺は、この体勢に入ってからまだ一発も弾には当たっていないのである。

 つまり、向こうも俺を捉え切れてはいない、ということだ。この状態が長く続けば弾切れを起こし、下手な鉄砲も撃てなくなる。

 だが、このまま逃げ回っていては弾切れより先に俺のバッテリーが切れてしまうだろう。相手の武器を封じる代わりに着鎧が解けるなんて、本末転倒もいいところだ。


 だからあのガトリングを攻略するには、早期決戦しかない。だが、迂闊に近づけば蜂の巣になる末路は必至。

 これ以上のバッテリーの浪費を抑え、かつ攻勢に移れるようにするには――やはり、向こうが俺の周回に付いていけていない、今の状況を利用するしかないだろう。


 俺は彼の周りを走り続けながら、少しずつコースの幅を狭めていく。銃声がじわじわと迫り、焦燥感を掻き立てた。三年前の痛みと苦しみが、津波のように襲い来る。

 仮面の奥で唇を噛み締め、その恐怖心を押さえ込みながら、俺はさらに将軍との距離を縮めて行った。唇の痛みと血の味が、俺の焦りと恐れを塗り潰していく。


 そして――ついに、将軍との間合いは四メートルを切る。銃声が常に怒号のように響き渡り、俺の心を揺さぶらんとしていた。

 しかし、俺は呑まれない。このリスクに見合うリターンを、背中に感じているからだ。


 俺の後ろで常に聞こえていた、銃弾が地面に突き刺さる音。その悍ましい衝撃音との間隔は、ガトリングそのものとの距離と反比例するかのように、離れつつあったのだ。


 それもそのはず。周回のコースが狭くなれば、その分だけ一周ごとの距離は縮まり、回るペースも速くなる。

 そして速くなればなるほど、将軍は俺のスピードに付いて来れなくなっていくのだ。


 もちろん、ガトリングそのものに近づいていることも事実なので、下手をすれば自分から撃たれに行くような事態にも繋がりかねない行為でもある。それを知った上での、勝負だった。


 その狙い通り、俺を狙う銃弾の照準は徐々に離れつつある。それに比例し、俺から見える将軍の姿が、少しずつ背を向けるようになって来ていた。

 俺の周回に、将軍が追い付けなくなっている証拠だ。


 そして、このリスキーなかけっこが始まってから一分が過ぎ――将軍は、完全に俺に背を向ける格好になってしまった。

 余りのスピードに、とうとう相手を見失ってしまっているようだ。……とにかく、攻めるなら今しかない。


 俺は深く息を吸い込み――勢いよく地を蹴る。こちらが見えていない将軍の背後、すなわち後頭部の急所「脳戸」を狙って。


「……ホワチャアァアアァーッ!」


 経脈秘孔を突くべく、打ち出された全力の突き。その赤い拳は、無防備な将軍の後頭部へ矢の如く迫り――


「フンッ!」


 ――将軍の肘鉄で、跳ね返されてしまった。


「がっ……!?」


 何が起きたのか、その瞬間にはわからなかった。


 こちらが見えていない将軍が、背を向けた状態で左から肘鉄を振るい、マスクを貫通する程の衝撃を俺の鼻頭にブチ当てた。

 その結末を悟る頃には、俺は仮面の中で鼻血を撒き散らしながら、激しく吹っ飛び――後頭部を強打していたのだった。目に映る天井が明滅し、俺の意識を混濁させていく。


 絶対に行ける。そう確信していた攻撃を破られたショックと、不測の事態に対応仕切れなかった応用力のなさ。その二つに正常な判断力を奪われていた俺は、受け身すら取れずに墜落してしまったようだ。


「りゅっ……龍太君ッ!」

「龍太ぁあっ! いい、いけん、こんなんいけんてっ!」

「二人とも、落ち着きなさいな! まだ……終わってはいなくってよ」

「……今の一撃、軽くはなかった。先輩のダメージも……」


 そんな無様な俺の姿に、救芽井と矢村が悲鳴を上げる。久水先輩と四郷は年長なだけあって、冷静に彼女達を宥めていたが――劣勢であることは否定していなかった。


「や、やった! ……の、かな」


 一方、将軍の反撃に歓喜しているはずのダウゥ姫は、どことなく戸惑いの表情を浮かべ、視線を泳がせている。さすがに、今の光景は痛々し過ぎたのだろうか。


「りゅ、龍亮さん! これは……!」

「……なーる。あの将軍さん、龍太がどこから来るかをあらかじめ予想してたんだな。それでアイツが地面を蹴る音を頼りに肘鉄をキメた、と。……しかし、あの天井の足音は……?」


 翻って日本側のギャラリーの中では、兄貴が古我知さんの動揺を尻目に、呑気に解説を垂れていた。

 音を頼りに、だって……? じゃあ、将軍は目で追わずに俺を捉えたってことなのかよ。


 なんて無茶苦茶な技量だ……。伊達に軍人やってるわけじゃないみたいだな。

 ――だけど種さえわかりゃ、やりようはあるはず。視覚で撹乱してもついて来るなら……聴覚も惑わすまでだ!


 俺はこちらを見下ろす将軍を睨み上げながら、勢いよく飛び起き――もう一度周回を始める。バッテリー残量を考えれば、この作戦が使えるのは今回で最後だ。


 一度破られたからと言って、諦めてはいられない。次の一発こそ、通用させて見せる。


「既に見切られた技で再度挑む、か。いかに優れた資質と装備を持っていようと、所詮はまだ若僧だったということかな」


 将軍はさっきまでとは違い、ガトリングを使うこともなく棒立ちのままで俺を一瞥した。一度作戦を見抜いた以上、ガトリングをむやみに使うこともない、と踏んでいるのだろう。

 無理に俺を追うこともなく、ただ静かに周りを走らせている。どこから来てもさっきのように跳ね返せる、という自信がそうさせているのかも知れない。

 向こうは、俺が策に窮して自棄を起こしていると見做している。ならば、そこには付け入る隙があるはずだ。


 俺は繰り返し駆け回りながら、その瞬間を探る。この勝負を、意地でも頂くために。


「右か、左か。意表を突くべく、敢えての正面か。それとも、また背後からか。……どこからでも来るがいい、結果は同じだ」


 そんな俺と視線を合わせることなく、将軍は静かに何かを呟いていた。聞き取ることこそできなかったが、だいたい何を言っていたのかは想像がつく。大方、俺の出方の予測を並べているのだろう。

 今度こそ……その賢いオツムを出し抜いてやる。


 周回を始めて、四十秒。普通の人間なら、緊張している状態を続け過ぎて精神が摩耗し始める頃だ。

 もちろん、将軍はそれに当てはまるようなヤワな存在ではあるまい。だが、バッテリー残量を考えれば、撹乱を続けられるのはそろそろ限界だ。


 一方で、今の将軍は棒立ち――いや、自然体のままで俺を待ち構えている。どこから来ても、何が来ても通用しない自信が、その佇まいから溢れていた。


 だが――そんな余裕ぶっこいたマネしてられるのも、ここまでだ!


「フゥッ……チャアァアアッ!」


 息を吸い、地を蹴り。怪鳥音を放ち。

 将軍の真後ろで、俺は叫ぶ。


「――ヌゥアッ!」


 そして、周回している時とは明らかに違う「音」に反応し、将軍はぐるりと回転する。次いで、待ち構えていたかのような正拳突きが罠の如く飛び出してきた。


「……ッ!?」


 ――だが、その拳は空を裂く。俺を砕くまでには至らない。


 将軍が正拳突きに入るモーションには一切の無駄がなく、彼の動きを見てから避けるのは至難の技。――だが、何が来るかをある程度予測できていれば、その限りではない。

 俺は将軍が振り返るために、素早く足を動かす……よりも速く、地を蹴った足に急ブレーキを掛け、正拳突きが飛ぶ頃にはその射線を外していたのだ。


 もちろん、予測から避ける幅が足りなければそのままパンチを貰っておしまいだし、広すぎればこちらの反撃が届かない。そもそも、何が来るかを読み違えたら、まともに喰らって賭けすら成立しない。


 そんな綱渡りの状態で臨んだ時間差攻撃が――どうやら、功を奏したらしい。頬を掠めるように飛ぶ正拳突きの余波に煽られながら、俺は突き進む。決着を付けるために。


「ホォゥアァアアッ!」

「ムッ……オォッ!」


 狙うは顔面の経脈秘孔。だが、意表を突いたからと言って、やすやすと攻めさせてくれる彼ではなかった。

 流れるように振り上げられた赤い脚は、将軍の頭部――ではなく、咄嗟にかわした弾みで彼の左肩に命中したのだ。片方しかない銅殻勇鎧の肩当てが、轟音と共に持ち主の身体から切り離され、吹き飛んでいく。


「ク……!」


 そして、ほんの僅かだが……将軍の声に、焦りの色が滲む。畳み掛けるなら、今――!


 俺は懐に入り込んだ状態のまま、ガトリングを持つ右腕を狙う――が、そこで何かの違和感を覚え、立ち止まってしまった。


「わ、わあッ!?」


「え……あれ、何……!?」


 矢村の、信じられないものを見たような声。さっきまでとは違う、ギャラリー全体に広がるどよめき。そして――ダウゥ姫の悲鳴。


 何があったのか。咄嗟に得体の知れない悪寒を感じた俺は、瞬時に真横に視線を移し――僅かに、固まる。


 今まで決闘に集中し過ぎて、全く気づかなかった異物の陰。その実態が牙を剥き、俺達の前に現れた――とでも云うのだろうか。

 将軍と共に、ダウゥ姫の方向を見詰める俺は……正体不明の「異物」に、戦慄する。


 ダウゥ姫の周囲を――謎の赤い光の線が、円を描くように天井から差し込んでいるのだ。しかも、鉄製の天井を紙切れのように焼き切り、砂利だらけの地面に無惨な切り傷を刻みながら。


「あれは……レーザー!?」

「姫様! そこから速くお逃げ下さ――!」


 そして、将軍が言い終えるよりも速く。円形に切り取られた直径十メートル相当の天井が、真下のダウゥ姫へ覆いかぶさるように――焼き切られたが故の運命を辿る。


「うっ……うわぁああーっ!」

「ひ、姫様ァッ! ……ぐッ!」


 突如、真上から迫る円形の天井。予測不可能なその脅威に、ダウゥ姫が更に悲鳴を上げる。そんな彼女を守るべく、将軍が咄嗟に動き出す――が、さっきの一発で肩を痛めたらしく、一瞬だけ左肩を抑えて足を止めてしまっていた。


「ななな、なんなんやアレッ!」

「レーザー!? なんであんなモノがッ!?」

「いかんッ! 一煉寺君ッ!」


 救芽井と矢村が、周囲を代弁するような驚愕の声を上げ、伊葉さんが俺を促すように叫ぶ。

 もちろん、俺はそれを聞くよりも速く動き出していた。将軍の鈍重な身体じゃ厳しいってことはとっくに分かりきっていたことだしな。


 俺は意識を決闘から眼前の危機へと一瞬で切り替え、ダウゥ姫の傍に即座に駆け付ける。そして、両手を突き上げるように上へ翳し――切り取られた天井を、受け止めた。その衝撃の轟音が、周囲に響き渡る。


「あ……」

「ふうっ……全く、決闘の最中にいきなりなんだってんだよなぁ?」


 呆気に取られているダウゥ姫に向けて、俺は仮面越しに苦笑いを浮かべる。あのレーザーの実態が何なのかはわからないが、ひとまず彼女を守れてよかった。

 だが、外部からの妨害があった以上、ここで安心している場合じゃない。速くみんなを連れてここから離脱――


「龍太君、逃げてぇえっ!」


 ――しようとした時。


 救芽井が、今までにないくらい、悲痛な声で叫び。


「……え」


 俺の身体は、天井を支えたまま動かなくなった。


 何が起きたのか。なぜ、俺はこの格好のまま動けないのか。


 得体の知れない恐怖に顔を引き攣らせ、震えているダウゥ姫の視線を追い――ようやく、俺はその理由を知ることができた。


「ぐ、ぶ……!」


 ――できることなら、もうちょっと早く知りたかったけどな。


 俺の胸に、上から落ちてきた鉄骨が、天井越しに突き刺さったってことくらい。

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