第177話 豪雨と異変の中で

 既に廃工場には、ある程度の役者が揃っていた。

 救芽井に久水先輩に四郷。鮎美先生や伊葉さん、そして古我知さん。そして、ダスカリアンの二名。

 彼ら全員が、赤や青に錆び付いた入口の向こうで、一堂に会している。その全ての視線がこちらへ集中される瞬間、俺達三人はおんぼろな廃墟への入口を潜った。


「龍太君、賀織! お兄さんっ! もう、遅いじゃない。皆ずっと待ってたんだから」

「あんたらが早過ぎるんやっ!」

「一時間前集合は社会人の鉄則ざます。賀織さんも龍太様も、少しばかりプロの自覚が足りないのではなくって?」

「……梢。一時間は長すぎ……」

「いやですわ、冗談でしてよ」


 まず俺達を出迎えたのは、着鎧甲冑部の面々。一年前のコンペティションとは違い、今回の彼女達は随分と落ち着いている様子だ。

 丸一年間、俺の無茶苦茶に振り回され続けてきたせいで、すっかり慣れてしまったのだろう。ありがたいと思う反面、申し訳ない気持ちも芽生えてしまった。


「主役は遅れて――ってヤツかしら? 随分と余裕じゃない」

「好きで遅れてきたわけじゃ……って、そもそも遅れてねぇよ。ちょっとはエールの一つくらいくれたっていいんじゃない?」

「それもそうね。じゃあ、あなたが勝ったら先生の下着一式プレゼントしちゃう」

「他の部員にひきちぎられる未来しか見えないからやめれ」


 ……もっとも、鮎美先生のようにフリーダム過ぎるのも考えものではあるのだが。


「龍太君。僕には見ていることしか出来ないが……せめて、ここから君の勝利を祈らせてくれ」

「私も同様だ。一煉寺君、頼んだぞ」


 その落ち着きに反比例するように、ダスカリアンに関わっていた男二人は、深刻な面持ちでこちらに迫っている。自分達で解決出来なかったことを、今でも悔やんでいるようだ。

 着鎧甲冑部の対応に緊張をほぐされつつあった俺は、その姿を目の当たりにして再び気を引き締める。そして、彼らに応えるべく無言のまま強く頷くのだった。


 次いで、俺の肩に兄貴のでかくてゴツゴツした掌が乗る。


「まーまー、そんなに肩肘張ってちゃ動けるモンも動けねぇぞ。お前はアホ面引っ提げて気ままにやりゃいいんだよ」

「りゅ、龍亮さん!」

「あんたも、あんまり難しく考えなさんな。焦りや緊張は判断を鈍らせる。一歩引いた目線で物を見る方が、少しは気楽になれると思うぜ?」


 普段はちゃらんぽらんという言葉そのものを体現しているような兄貴も、この時ばかりは至って真面目なことを言っている。

 特に、「焦りや緊張は判断を鈍らせる」と言い放つ際の声のトーンは、弟の俺ですら聞いたことのないようなドスが効いていた。まるで、そうでなければならない状況を身近に感じているかのように。


「……わ、わかりました。龍太君、とにかく気をつけてくれ。旧型のパワードスーツとは言え、将軍本人の実力は折り紙付きだ」

「ああ、わかってる。梢先輩から聞いたが、ダスカリアン人の平均的身体能力は日本人のそれを遥かに上回ってるんだってな。その中でも頂点に立ってるガッチガチの本職、ってわけだ」


 古我知さんから視線を外し、俺は将軍の方を見遣る。

 既に彼は戦闘準備を万全に整えており、その傍には――どこかいたたまれない表情の、ダウゥ姫が佇んでいた。相も変わらず、男の子のような格好であるが。


 ――しかし、見るからに鈍重そうな格好だ。あれが噂に聞く「銅殻勇鎧」って奴か。


 全身を覆わんと鈍く輝く、銅色の装甲。寸分の隙間もない完璧な鎧に見えなくもないが、その関節の節々には、人工筋肉を支える電線がモロに露出していた。

 頭部には、トサカのような斧まで取り付けられている。西洋の甲冑を彷彿させる無骨な外見ではあるが、どこと無く日本の侍が着る鎧にも近しい雰囲気を漂わせていた。

 ……案外、将軍の祖先が日本人だったりしてな。


 さて、アレは救芽井研究所で着鎧甲冑の開発が本格化する以前から、戦闘用のパワードスーツとしてアメリカで開発が進められていたという話だが――その話を鵜呑みにするなら、十年近く使い古された旧型だと言う古我知さんの言葉にも納得がいく。

 十年間に渡って使い尽くされ、改良も行われていないパワードスーツなど、開発されて一年経つか経たないかというレベルの「救済の超機龍」や「必要悪」と比べれば、骨董品のようなものだ。


 しかし、彼はその性能差を覆し、古我知さんを破ったらしい。

 性能の格差を跳ね退ける、ジェリバン将軍の圧倒的身体能力。考えたくないが、人外レベルの兄貴にも肉迫する次元に達しているのかも知れない。

 もし、生身でも着鎧甲冑と張り合えるような兄貴が、着鎧してさらに強くなったら――という悍ましい妄想を浮かべたのは一度や二度ではない。その「あってはならない」世界に到達したのが彼であるとするならば、古我知さんが敗れるのも納得がいく。


 古我知さんの身体――「必要悪」の電動義肢体は、最新鋭の完全な戦闘用として作られている。あの瀧上凱樹と、真っ向から渡り合える程の性能を持っているのだ。

 その彼が、たったの一撃で敗れ去った。そんな話を聞かされた時の衝撃は、今でも忘れられない。


 一年前の彼は、俺の知る中では間違いなく「最強」の座に君臨していた。周りが非兵器を謳う着鎧甲冑ばかりなのだから、ある意味当然と言えば当然なのだが。

 それでも、瀧上凱樹と正面きって互角に戦えるポテンシャルを持つ彼が、たったの一撃で敗北を喫するなど、普通に考えれば悪い冗談としか思えなかった。だが、事実として敗れた彼は、ダスカリアンを救うための決闘を俺に託している。


 少なくとも、ジェリバン将軍はそれほどの強さを誇っている、ということだ。彼の身体に刻まれた傷痕が、その力を裏付ける歴史を物語っている。


 日の光を浴びていれば黄金の如く輝いていたであろう、銅の甲殻。その全身の至る部分には、銃弾やナイフの傷が痛ましく残されていた。

 どうやら、装甲を磨く程度の手入れはしていても、本格的なメンテや補修を行えるだけの予算はなかったらしい。そんなコンディションで最新鋭の古我知さんを倒したというのだから、ますます驚かされる。


 一年前に戦った瀧上凱樹と比べれば、僅かに小さいようにも見える将軍だが、それでも俺と比べれば大人と子供程の体格差がある。パワーで対抗などという愚かなマネをしようものなら、一瞬でおだぶつだ。

 今の俺が彼に勝るものは、恐らくスピードと性能くらいしかない。それら全てをフル稼動し、なんとしても勝ちを拾わなくては。


 そう意気込んでいるうちに、いつの間にか俺は拳を震わせていたらしい。そっと拳を包む柔らかい温もりを感じた瞬間、俺は自分の手を握る久水先輩の方へと振り向いた。


「それでも、龍太様が取り組まれた特訓の成果を以ってすれば、敵わない相手ではありませんわ。お兄様も、東京の久水財閥本社から応援されてましてよ」

「そっか、茂さんにも伝わってんだな。気持ちだけでも十分ありがたい、って後で連絡してやらなくちゃ」

「ええ。残念ながらこの場に出席することまでは叶わなかったようですが、『もし負けたら鮎美さんのパンティーを盗んで来い』とエールを送っておりましたわ。決闘が終わり次第、ぶちのめしておきます」

「……いや、それは俺がやるよ」


 茂さんのアホな注文のおかげで、肩の力が少しだけ抜けたような気がした。決闘が終わったら、礼代わりに顔面ストレートだな。


 ――そう。戦うのは俺一人だが、背中を押してくれる仲間はこんなにいるのだ。

 クサい言い方になるが……信頼できる仲間が付いているとわかっている今なら、俺は戦える。


 戦ったこともない将軍の強さに、やる前からビビるのは、もう辞めだ。


 俺は、俺の思うようにやる。「怪物」になると決めた日から、俺はそう誓い続けてきたのだから。


「じゃあ……行ってくる」


 そして、決闘開始予定の数分前。

 俺はみんなに向けて静かに微笑み、悠然と歩を進めた。


「うん。龍太君……頑張って」

「フレェー! フレェエー! 龍太ァー!」

「龍太様、御武運を」

「……先輩。みんな、応援してるから……」


 背中に浴びる、着鎧甲冑部のエールが心地好い。何も言わない鮎美先生も、俺が背を向ける瞬間まで優しく笑みを返してくれていた。


「おーし、行ってこい弟よ! 骨は拾ってやるぞーい」

「縁起でもないこと言わないで下さいよっ! と、とにかく頑張って! 龍太君!」

「……健闘を、祈る」


 次いで、大人の男三人衆からも応援の言葉が送られて来る。この期に及んで洒落にならない冗談を飛ばすのも、俺を信頼してのこと――だと、都合よく解釈しておくとしよう。


 一歩踏み出すごとに、眼前にそびえ立つブロンズの巨人が大きくなっていく。その威圧感を前に、俺は突風を浴びているような錯覚に陥ってしまった。

 あまりのプレッシャーで、あるはずのない圧力まで感じてしまっているのだろう。しかし、そこで立ち止まるわけにも行かない。


 俺は唇を噛み締め、ジェリバン将軍の元へと歩き続けていく。将軍も決闘を目前にして、ようやく組んでいた両腕を解き、真っ向からこちらへ進み出た。


 そして、決闘を行う俺達二人が僅か十メートル程度の距離を置いて、ようやく立ち止まった時。


 ふと、俺はこの場に違和感を覚えた。


 辺りを見渡すと――この廃墟の中で積み上げられていたはずの大量の鉄骨が、跡形もなく無くなっている。そのせいか、この周辺はいつになく広々とした場所となっていた。

 ジェリバン将軍や他のみんなが、決闘の邪魔にならないように、外に放り出したのだろうか? いや、この廃墟に入る前にはそれらしい鉄骨の山はなかった。


 それにさっきから聞こえて来る、この錆びた鉄が軋む音。どこから響いているのか、耳を澄まして辿ってみたら……あろうことか、天井に行き着いてしまったのだ。

 確かに今日は天気が思わしくないが、まだ今のところは雨なんて降っていない。それによる音ではないのだろう。

 だったら、あのギシギシという嫌な音は一体なんだ……?


「どうした? まだ戦う覚悟が決まってはいなかったのかな?」

「いや……なんでもない」


 そんな俺の思考を遮断するように、将軍の声が響く。

 ……そうだ、何を余計なことまで考えてるんだ。今は、目の前の将軍に集中するべきだろうに。


 俺は意識を切り替え、兜に素顔を隠した将軍と視線を交わす。その直後、俺の違和感を掻き消すように別の音が一斉に響き始めた。

 どうやら、ようやく本格的に降り始めたらしい。雨が天井に激しく立て続けに当たる音で、さっきまでの不審な音は掻き消されてしまった。

 多少なりとも後ろ髪を引かれる思いはあったが……まぁ、いい。おかげで決闘に集中できる。


「君とは、他人のようには思えない……言葉にはできない何かを感じていた。しかし、こうして戦わねばならなくなった以上、容赦はできん」

「それでいい。俺も、心置きなくぶつかっていける。――着鎧甲冑ッ!」


 決闘開始、一分前。


 その時を迎え、俺は右の腕輪に威勢のいい声で音声を入力する。

 次の瞬間、俺の全身に巻き付く赤い帯が「救済の超機龍」のスーツとなった。


 そんな俺の姿を目の当たりにして、向こうも本格的に戦闘開始の準備を整えるようになる。


 俺達は互いに身構え――開始の瞬間を待った。


 雨の音だけが、この空間を支配している。誰ひとり喋ることなく、この戦いの行く末を見守っているのだろう。


 三十秒前。二十秒前。


 十秒前。


「手加減は期待しないでくれ」


「そいつはありがたい」


 そして、五秒前。俺達は、戦闘開始を前に僅かな軽口を交わし――


「テン、ニーン……」


 ――ダウゥ姫の、消え入りそうな小声を聞いて。


 正午を、迎えた。

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