第176話 暗雲の朝

 甲侍郎さんの父――つまりは救芽井の祖父に当たる救芽井稟吾郎丸きゅうめいりんごろうまる、通称ゴロマルさんが現れたのは、決闘当日の朝だった。

 真っ白な頭髪や髭、厳つい顔と相反する小柄な体格。どれをとっても、一年前と変わらないままだ。


 休日でありながら、心安まる瞬間など片時もないこの日に、そんな彼が我が家を訪れる。それが意味するものは、一つだ。


「その様子じゃ、何もかも聞き及んでるらしいな。ゴロマルさん」

「うむ。今回も、大変なことになってしまったようじゃの」

「まー、なっちまったもんはしょうがねぇさ。ウチの龍太なら、きっと大丈夫だと思うぜ?」

「……そう、だな。ともあれ、遠路遥々ご苦労様でした。稟吾郎丸さん」


 アメリカで穏やかな隠居生活を送っていたはずの彼が、わざわざこの町までやって来ている以上、甲侍郎さんがこの件に感づいたことは自明の理。大方、彼に代わってこの決闘を見届けに来たのだろう。

 親父も兄貴も、彼の登場にさほど驚いてはいなかった。救芽井エレクトロニクスにこの件を隠し通すことなど、不可能に近いからだ。


 居間の食卓で、矢村特製の目玉焼きを頬張りながら耳を傾ける俺に対し、ゴロマルさんはいつになく真剣な眼差しを向けている。尤も、国の存亡が懸かっていることを考えれば、そうなっているのも当たり前なのだが。


「甲侍郎や茂君は、今も海外との商談に追われて顔を出せん状況らしい。暇を持て余しているワシぐらいしか見届けることが出来んことについては、申し訳ないと思っておる」

「ムグ、ング……いいさ、ゴロマルさんが付いてくれるなら心強い。甲侍郎さんは何か言ってたか?」

「あいつとしては、やはりお前さんには是非とも勝ってもらいたいらしい。レスキューヒーローとして、健闘を祈る……と言っておった。日本政府からすれば、たいそう気に食わん話じゃろうがの」

「日本政府……? なんで日本の役人さんが困るんや?」


 そこで、台所で洗い物をしていた矢村が口を挟んできた。自分達の国の偉いさんが反対意見を持っていると聞き、何故なのかと首を傾げている。……あのフリル付きのエプロン……悪くないな……。


 ……さて。確かに、人の命を救うことに反対する道理など、現代日本の倫理感ではありえない。ましてや国民を率いる「国」が率先して難色を示すようなことが、許されていいはずがないだろう。彼女の疑問は尤もだ。


 しかし、俺の脳裏に同じ考えが浮かぶことはなかった。その答えを、すでに見つけてしまっているのだから。


「ダスカリアンと日本の関係を考えてみればわかることじゃよ、矢村ちゃん。人道的な意味において、この国はダスカリアンに対して多大な負い目がある。あの国を下手に存続させれば、それだけ痛いところを突かれる機会が増えかねん、ということなんじゃよ」

「あっ……!」

「ましてや、この件で既にダスカリアンの国民の一部には、十一年前の惨劇が『噂』として出回ってるって話だ。いっそ王女も将軍も国も纏めて滅んでくれた方が、日本としては手っ取り早くて都合もいい。『死人に口なし』って言葉もあるだろ?」


 ――そう。事なかれ主義を重んじる現代日本の政府にとって、「臭いものには蓋を」は必須技能なのだ。かつて、瀧上凱樹の一件を隠蔽したように。

 そんな彼らにとっては、ダスカリアン王国の生き残りなど邪魔者以外の何者でもない。手を汚す必要もなく、自分から死にに行ってくれるなら、まさに万々歳といったところなのだろう。


 今回の件は小国が対象とは言え、立派な国家レベルの問題だ。救芽井エレクトロニクスに知れる過程で、日本政府がこの件の情報を掴んでいても不思議じゃない。

 まさか決闘の邪魔立てまではしない……と思いたいが、少なくとも俺への応援は期待できそうにない。死んでくれた方が都合がいい人間を助けようってんだから、当たり前なのだろうが。


 ――しかし、彼らの考えも全くわからないわけじゃない。不利益しかないとわかっていて助けに行くなんて、確かに頭のいい話じゃないからな。

 それでも勝たざるを得ないのは、それが「仕事」だからだ。相手がどこの誰だろうと、着鎧甲冑を預かる身である限り俺はレスキューヒーローとして動き続ける。

 その判断が間違いであったとしても、結局のところは「職業柄」なのだから仕方ないのだ。この思いが怪物の境地に達しているのというのなら、俺はそれで構わない。


「そんなん……あんまりや。確かにアイツはええ奴って感じやないけど……やけど、そんなん……!」

「あぁ、あんまりさ。だからこそ、俺が戦うんだろ。死んだ方がマシな奴だっているのかも知れないが、そんなことは俺の管轄外だ」

「龍太君……」

「だから、正しくなくたっていい。それを決めるのは俺じゃなくて周りのみんなだから。俺は、俺がやらなきゃいけないと思うことをやる。今考えることは、それだけだ」


 政府にどう思われようと、俺は俺のやらなくちゃいけない仕事をやる。咀嚼した目玉焼きを飲み込みながら、俺はゴロマルさんに向かい、その旨を伝えるのだった。

 それを受けて、彼がどのように感じたのかはわからないが――沈痛な表情を浮かべて「ありがとう」と頭を下げる姿には、哀れみに近い感情が漂っていた。正しさを主張できない中でも戦わなくちゃならないことに、ある種の申し訳なさを感じているのかも知れない。


「……そういえば、剣一を見んのう。よく一緒に特訓しておったと聞いたのじゃが」

「あいつなら、一足先に廃工場に行っちまったぜ。居ても立ってもいられない、って顔してたなぁ」

「そうか……。一年間だけとは言え、あやつもダスカリアンで暮らした身。あの心配性の塊のことじゃ、情が染み込んでダスカリアン王国二名の行く末を想わずにはいられなくなったのじゃろう」

「杞憂で終わらせて見せるさ、絶対に」


 俺はゴロマルさんや古我知さんへの気遣いと自分自身への鼓舞を兼ねて、威勢のいい啖呵を切る。そして、無言のまま話を聞いていた親父と視線を交わし、同時に頷いて見せた。


「龍太。そろそろ、準備した方がええんやない? 十時回っとるで」

「……だな。ちょっと早いけど、着替えて来る。御馳走様、美味かったよ」

「えへへ、お粗末様」


 決闘開始は正午。その瞬間は近い。

 俺は乗せるものがなくなった食器を矢村に渡し、その小さな頭を優しく撫でる。セミロングの黒髪がふわりと揺れ、女の子ならではの香りが嗅覚をくすぐった。

 彼女自身も自分の髪を揺らすように小さく跳ね、満面の笑みを浮かべている。失礼に当たるだろうが、しっぽを振る小犬のような姿だ。


 ――これはあくまで決闘であり、殺し合いなどではない。だから彼女のこの笑顔が、見納めになるはずはない。

 しかし、なぜか俺は彼女の顔からなかなか目が離せずにいた。死地へ赴くわけでもないというのに、この小麦色の肌を視線から外すことに、臆病になっている自分がいるのだ。


 何を恐れてるんだ、俺は。


 心当たりのない恐怖心に困惑し、俺はその根拠を求めて思考を巡らせる。しかし、自分自身への問いに容易に答えられるほど、人間は便利な生き物ではない。

 敢えて理屈を立てず、あてずっぽうで答えを出すならば――直感。


 この戦いで自分が死ぬかも知れない、という第六感の警鐘だ。

 なぜそんなものを感じているのかは見当もつかない――が、それだけ油断できない相手だということは確かだ。

 今は、この恐怖を肝に命じつつ、戦うことだけを考えるようにしよう。それがいい。


「……」

「え、や、何なん? ア、アタシ、なんか変なもん、つつ、付いとる……?」

「おーおー、朝っぱらから見つめ合っちゃって。いってらっしゃいのキスでも期待してんのか?」

「ほっほっほ、見せ付けてくれるのぅ。樋稟がこの場に居たら、さぞかし賑やかになってたじゃろうな」

「――ゴホン。龍太、決闘前で不安になる気持ちはわかるが、いついかなる場合であっても節度を忘れてはならんぞ」


 ……そんな俺の思案も知らずに茶化すんじゃないよ、全く。


「ちょ、なんだよもう! と、とにかく着替えて来るっ!」


 俺は矢村との関係に突っ込まれたことで思わず動転してしまい、慌てて居間を飛び出してしまう。自室に上がって寝間着を脱ぎ捨ててからも動悸は続き、落ち着く頃には着替えはほとんど完了していた。


 その時の窓から見える景色は思わしいものではなく、曇り空が町を覆わんと広がっていた。天気予報によれば、昼からは雷まで落ちるそうだ。

 あまり景気のいい眺めではないが、そんなことはいちいち気にしてはいられない。


「……行くか」


 一年前から「救済の超機龍」の所有者として纏い続けてきた赤いユニフォーム。その上着を黒いTシャツの上に羽織ると、俺は階段を降りて居間へと引き返して行った。


 そんな俺を出迎える矢村は、既にエプロンを脱いで出発の準備を整えている。と言っても、普段の制服姿に加えて「必勝!」と書かれたハチマキを巻いているくらいなのだが。


「龍太、さっき梢先輩から電話があったで。もうみんな、廃工場に出発しとるみたい!」

「そうか……よし、俺達もそろそろ行くか」

「ワシはここで結果が出る待つとしよう。あまり大人数で押しかけてもプレッシャーにしかなるまいて」

「俺も同意見だ。お前の勝利を信じ、ここで待つ」


 一方、俺と一緒に廃工場まで行く気満々の矢村と違い、親父とゴロマルさんはここで待機するつもりでいるらしい。だが、兄貴は違うようだ。


「お二人さん、釣れないねぇ。俺は行くぜ、かわいい弟の勇姿って奴をこの目に刻むまでは、安心して不眠不休でシコれねぇからな!」

「寝ろよ!」

「寝ろや!」


 すっかり昔のようなノリになっていた兄貴に、俺と矢村は同時にツッコむ。おかげで、少し気持ちが解れたような気がした。

 そして、この感覚を忘れないまま決闘に臨むべく、俺と矢村は「行ってきます」と言い残し、足早に玄関へ向かう。


「……わかっておろうな、龍亮君。例え何が起ころうとも、君は着鎧してはならんぞ」

「へっ……わかってら」


 その俺達に続こうとしていた兄貴が、ゴロマルさんと何か話していたが……まぁ、「ちゃんと見守れよ」とか、そういう軽い挨拶だったのだろう。

 俺はゴロマルさんの言葉を受けた兄貴の背中を、一緒だけ見つめ――矢村と共に家を出る。


「さ、行くで龍太!」

「おうっ!」

「お〜い、お兄ちゃんを置いてくんじゃねぇぞ〜っ!」


 そして三年前、救芽井を救うべく廃工場へ走った時と同じように。日に焼けた少女と二人で、俺はあの場所へと駆け出していた。不吉な暗雲もものともせず、おまけに兄貴も連れながら。


 ……だが。


「――救うだけでは、全ては救えない。壊すことを知らないあなたに、守れるものは何もない」


 我が家の屋上で組まれた、二本のしなやかな黒い脚。その存在に、俺達が気づくことはなかった。

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