第149話 いつも通りと違う昼

「ほい、今日も一日お疲れさん。んじゃ、さっさと部室行けよ。ナニしたって構いやしねぇが、避妊はしっかりヤッとくんだぞ」


 雲一つなく晴れ渡る、昼下がりの青空。そんな澄み渡る空気が染み込んだ教室の中で、龍太は独り机に顔を伏せ、うなだれる。

 補習を進めていた担任教師は無精髭を擦り、呆れるような口調で授業の終わりを宣言すると、力尽きている龍太を放置して教室を立ち去って行った。


 龍太が落胆しているのは、教師らしからぬ猥褻な発言に辟易したためではない。それもなくはないが、それ以上に堪え難い現実を突き付けられたのである。

 時折行われる、補習中の抜き打ちテスト。それに失敗したため、補習期間満了を早める好機を逃してしまったのだ。


「はぁ〜……」


 現在予定されている、着鎧甲冑の資格試験は来年の五月。その間、龍太はこの補習を含む学業をこなしながら、試験対策にも励まなければならないのである。

 その目標に対して、この現状の要領の悪さ。先を憂いてため息をついてしまうのは、人間として避けられない感情なのかも知れない。


 そして、そんな彼には他にも悩みがある。自身がレスキューヒーロー「救済の超機龍」である実態を隠さねばならない、というものだ。


 ヒーローとしてこの町を中心に活動する以上、正体が露見してしまう可能性は常に付き纏う。

 迂闊に中身が明らかになれば、噂の婚約者ではないかと指摘され、久水茂の一件のような、無益ないさかいに発展するかも知れない。そのためにも、極力周りにも正体を隠すようにしよう――


 ――というのが、本人の意図なのである。しかし現実はある意味で、彼が思う以上に遥かに残酷なものであった。


 なぜなら、そんな事実はとっくに明るみに出ているのだから。


 しかし、それも当然だろう。

 救芽井樋稟は転校草々、クラスメートの目前で彼の頬にキス。それから程なくして「救済の超機龍」が登場し、新ヒーローとして電撃デビュー。二学期からは「着鎧甲冑部」が創設され、彼はその中における、唯一の男子部員となっていた。

 これだけの状況証拠が揃っていながら、未だに本気で隠せていると思っている。それが、一煉寺龍太なのだ。彼が異様に鈍いのは、女心に対してのみではない。

 クラスメートや住民が隠せているつもりでいる彼に気を遣い、なるべく本人の前では着鎧甲冑関係の話題を出さないようにしている、という事実に対しても、遺憾無く発揮されているのだ。


 町の大人は瀧上の面影を重ね、純粋に応援し。同級生達は何となく空気を読み、深く追及するそぶりは見せない。

 それを根拠に、「自分は正体を知られていない」と信じ込んでいるわけである。知らない方が幸せであることの、好例と言えよう。


 それに、龍太の正体が町中に知れ渡っているのは、決して悪いことではない。

 初めは「救済の超機龍」を信じ切れていなかった一部の住民も、その正体がこの町で生まれ育った少年と知るや否や、あっさりと掌を返したのである。加えて、元々龍太をやっかんでいた松霧高校の男子生徒達の中にも、「救済の超機龍」の活躍を知り、彼を認める者が少しずつ出るようになっていた。


 そこまで周知の事実となっていながら、龍太本人が真実を把握出来ていないのは、彼自身の鈍感さ以外にも理由がある。

 町の外――つまりは救芽井エレクトロニクスの本社があるアメリカや、支社が設立されつつある東京など、外側の世界から「救済の超機龍」を探りに来た人間に対し、人々が黙秘を貫いているからなのだ。

 自分の町の住民、それもヒーローとして奮闘している少年を売るわけには行かない、という大人達の矜持。この町で自分達と一緒に暮らしているヒーローを、他所に掻っ攫われたくない、という子供達の意地。その両方が絡み合い、龍太を守る障壁となっているのである。

 それでも外部の人間には簡単に調べられ、見抜かれることの方が多いのだが、そうした情報はネットで拡散される前に、救芽井エレクトロニクスの監視体制によってブロックされている。龍太が正式な資格者でないことに配慮した、救芽井甲侍郎による采配であった。


 そうした人々の支えにより、松霧町を拠点にする龍太の活動は今も変わらず続いているのだが――当の本人はそんなことは露も知らぬまま、町で起きる事件や事故の解決に奔走する日々を送っているのだった。

 ゆえに松霧高校にて発足した、女子生徒中心の「『救済の超機龍』ファンクラブ」が、自分自身へのファンクラブとして作られたことにも気づいていない。龍太自身はそのクラブについては、「ヒーローに幻想を抱き、自分みたいなイモが正体とは知らずに応援している連中」と解釈しているのである。

 それだけに、彼女達の理想を壊さないためにも正体隠しは徹底せねば。……と意気込む龍太に、どれほどの生徒がため息をついたことだろう。


「……仕方ねぇ。部室、行くか」


 気だるげに身を起こし、椅子から立ち上がる龍太は、部室棟を目指してゆっくりと歩き出す。


「一煉寺君、これから部活? 頑張ってね!」

「なによ、フラフラじゃない。そんなんじゃヒーローしっか――じゃなくてっ! ウチの野球部の栄養ドリンク余ってるからあげるね!」

「えっ? ど、ども」


 そして教室を出て廊下を歩く途中、彼は接点がないはずの女子生徒達に声を掛けられ、思わずのけ反ってしまった。美人と評判の野球部マネージャーからドリンクを押し付けられた龍太は、ぽかんとしながら会釈だけを行い、そそくさとその場を立ち去る。


 そんな彼を微笑ましく見守る少女達を背に、彼は「俺何かしたっけ?」と自問自答するのであった。


「……確かあの娘、最近例のファンクラブにも入ったんだっけ? 『救済の超機龍』に渡したいってんならわからなくもないけど、俺に渡しちゃいかんだろ……?」


 だが、自分の正体がバレているケースなど微塵も考えていない彼が、自力で正解にたどり着くことはないのかも知れない。


 龍太にとっての不思議な現象は、これだけでは終わらない。校舎と部室棟を繋ぐ道を渡る彼は、偶然一人の男子生徒と巡り会うのだった。


「――よう。一煉寺」

「ゲッ……よ、よぉ」


 その人物は、中学時代に龍太をいじめていたグループの一人。二年前の救芽井樋稟に絡んだことが災いして、拳法を磨いた龍太に撃退されて以来だった。

 矢村賀織の一件で転校を余儀なくされていた彼は、二年前の冬にこの町に戻り、こうして松霧高校に通っているのである。不良として有名なためか、周囲から避けられがちな彼は、クラスが離れていることもあり、今の今まで龍太とは一度も顔を合わせていなかった。


 龍太にとって、これほど気まずい相手はなかなかいないだろう。

 今なら殴り掛かられても負けはしないだろうが、プロのヒーローを目指す人間として下手な喧嘩はできない。かといって、因縁を付けられたら、泥沼の対立関係が卒業まで付き纏うかも知れない。

 そうして、どうするべきかの答えが見出だせず、龍太は混乱するように視線を泳がせていた。そんな様子の彼を、男子生徒本人は冷めた雰囲気で見つめている。


「お前、これから部活?」

「ま、まぁ、一応」

「ふーん……」


 やがて、彼は早いペースで歩き出し、咄嗟に身構えた彼の肩にぶつか――るギリギリですり抜け、そのまま通り過ぎて行った。


「えっ……!?」


 何が起きたかわからず、龍太は目を丸くして後ろを振り返る。その瞳には、一切の殺気を滲ませない少年の背中が映されていた。


「……邪魔、したな」


 そして、その不満げな呟きは龍太に聞こえない程度に、この場に響き渡るのだった。繊細に浜辺を撫でる、さざ波のように。


 ――教室を出てから、部室棟にある部室にたどり着くまでの距離は、ほんの僅か。その短い道程の中で、龍太はただならぬ違和感を覚えていた。


 今まで何の接点も関心もなかったはずの生徒達が、いきなりかいがいしく声を掛けるようになり。自分を散々いじめて、こき下ろしていたはずの不良が、憎まれ口の一つも叩かずに静かに立ち去ったり。


 何が原因かは(本人だけ)不明であるものの、夏休み前とは明らかに「違う日常」になっていたのだ。得体の知れない環境の変化に、龍太は「着鎧甲冑部」の入口に近づきながら眉をひそめる。


「――ま、いっか」


 だが、すぐにその表情は穏やかなものになった。理由は何であれ、そうした周囲の変化に温もりを感じていたためである。

 彼の腕に抱かれたドリンクも、不良が纏っていた雰囲気も、悪意を感じさせるものではなかった。その事実だけは、ありがたく受け取るべき。それが、彼なりの結論であった。


 仮にこの異変が何かの前触れだったとしても、この先の空間で、自分を待っている仲間達がいれば大丈夫。そんな期待も込めて、龍太は白い扉に飾られた「着鎧甲冑部」というプレートを一瞥する。


 そして、僅かにその口元を緩め――その扉を叩くのだった。

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