第140話 魂に愛がなければ

「く……あぐッ……!」


 左腕に纏わり付く冷感。それが薄れていくに連れて、あらわになっていく感覚がある。

 ――痛みだ。


 今までは戦いのアドレナリンでごまかせていた「現実」が、「痛覚」として迫ろうとしている。このままモタモタしていたら、全身が激痛に耐え兼ねて動けなくなってしまうだろう。そうなれば、もはや脱出すら叶わない。


 瀧上を倒した安堵により、切れかけていた緊張の糸。その細い一筋の精神は、痛みという現実に晒されて再び引き締められたのだった。


 とにかく、早くここから離脱しなければならない。落石はさらに勢いを増しており、俺の足元の浸水はふくらはぎにまで達している。

 いつ天井が落ちてきても不思議ではない。俺はすぐさま古我知さんの方へ走ろうとして――倒れてしまった。


「うわッ……!」


 ……体力の消耗具合は、俺の予想をさらに超えていたらしい。落盤のプレッシャーに押されながらも、足が一瞬動かなくなる程だったとは。

 身体中を焼かれ、腕もへし折られ、体力も尽きかけている。そんな状況でも、俺の無茶に付き合ってくれていた「救済の超機龍」も、ついに限界だと言うのか?


 ――いや、限界じゃない。こんなことが限界であっては、いけない!


「ふぐっ、う、ぐぅう……!」


 走れないなら、歩けばいい。立てないなら、這えばいい。最後に脱出できさえすれば、それでいいんだ。こんなところで、レスキューヒーローがくたばってたまるか!


 俺は、頭だけ人間の姿になっている瀧上の赤髪に噛み付くと、そのまま首をぶら下げながら歩き始める。無念そうな表情のまま眠る首が、俺の口元でしきりに揺れていた。

 鼻をつく重油の匂いと鉄の味が、仮面の奥に「現実」を伝えているかのようだ。あんなに焼けるような高熱を放っていたスーツは、今はなぜか凍るように冷たい。


 それにしても……マスクの下顎が砕けて、生身の口が露出していたのはラッキーだったな。片腕が使えない以上、こうしなけりゃ瀧上を助けられなかったのだから。


 ……一方で、そんな行為をこの状況で当たり前のように実行している自分自身に、俺は心のどこかで辟易していた。

 きっと、俺はどこか間違っているんだろうな。古我知さんだけならともかく、あれだけ好き放題やってた瀧上まで助けようとするなんて。

 普通のレスキューヒーローなら、こんなことはまずしない。自分自身の生還に勝る勝利なんて、あってはならないからだ。

 助かる見込みがゼロに近いなら、古我知さんも瀧上も見捨てて逃げるのがベター。リスクを侵して助けるとしても、古我知さん一人が限度だろう。


 それに古我知さんの言う通り、俺のやっていることはリスクもリターンも度外視した、人間ならざる「怪物」の所業なのだ。「生き残る」ことを最大の義務とした、レスキューヒーローの本懐すらも揺るがしかねない、最低最悪のエゴイズム。


 仮にここまでやって成功したとしても、瀧上が改心する望みなんてないし、したとしても遅すぎる。おまけに、俺のやったことも「余計なお世話」になり、褒められるどころか責められるかも知れない。

 百害あって、一利なし。俺の行為は、まさにその通りだろう。少なくとも、まともな神経で考えるならば。


 ――そんな世の道理に逆らって粋がる、中二病全開な自分の思考回路には、呆れて言葉も出ない。だが……嫌いには、なりきれなかった。


「ふぅ、ぐッ……うぅゥッ……!」


 見捨ててはいけない。自分の判断で彼まで見捨てたら、いつか救うべき人も見殺しにしてしまう気がする。

 ……そう思ってしまう自分を、間違いだと断じきれなかったからだ。


 生かしちゃいけない人を殺すのは、正しい。確かに、そこに間違いはない。俺も、瀧上を生かしておくわけには行かないと思う。

 じゃあ、その正しさを決めるのは誰だ? そこにいる人間だけで、本当に全て解決してしまっても構わないのか?

 レスキューヒーローが……誰かの命を救うために来ているヒーローが、その酌量を自分で決めて、切り捨てていいのか? ……違う気がするんだ、俺は。


 善悪を決めるのはきっと、もっとたくさんの――そう、色んな考えを持ってる人達なんだ。違う考えを持った人が話し合って、一生懸命悩み抜いて、何が正しいかを決める。

 それが「正義の味方」の仕事なら、それは「怪物」の俺が気にしていいことじゃない。何が正しいかを決めるのは、俺の役目じゃないんだ。


 ――だから俺は、誰でも助ける。魔王でも悪魔でも、死にかけてるなら助ける。善悪の定義も世の道理も、知ったことか。

 それが正しいかどうかは、他のみんなに任せればいい。後で何を言われようと、俺は俺にしかなれない「怪物」になるだけだ。


 ……ごめんな、伊葉さん。期待に、応えられなくて。やっぱりあんたを裏切ったって意味じゃ、俺も瀧上と同類だな。


 そうして、胸中で自分の気持ちに踏ん切りを付けている間に、俺の視界へ白銀の鎧が入り込んで来る。生気を失った青白い素顔と、輝きを失った左胸の球体が、命の危機を訴えているようだった。


「ふぅ、くっ……おおぉッ!」


 起き上がって瀧上の首をくわえて、歩き出してから約一分程度。古我知さんの傍にたどり着くのに掛けた時間は、恐らくその程度だったのだろう。落石や浸水に、さほど変化がないところを見る限りでは。

 ――だが、失った体力は大きい。左腕に滲みつつある激痛に意識を奪われかけている上、気合いを振り絞り、残った右腕で古我知さんの胴体を抱えた瞬間、全身に十倍の重力が掛かるような錯覚に陥ってしまったのだ。


「お、もッ……!? ぐぅ、おッ!」


 瀧上にあっさり砕かれる装甲だったところを見るに、俺とあまり変わらない重量だと思っていたのだが――腕に掛かる負担は、想像を絶する重さとなっていた。


 普段通りなら、こんな胴体一つを脇に抱えるくらい何でもなかったはず。ましてや、今はパワーアップしているというのに。


 ――どうやら、人工筋肉もとうとう過労でブッ倒れたみたいだな。「救済の超機龍」のスーツも、今となってはただの重たいプロテクター、ということか。道理で、スーツが死体のように冷たいわけだ。


 一時はダメージ警告を繰り返していたバイザー映像も、すっかり機能を失ってしまっている。余りに酷使しすぎたせいで、自動で着鎧が解除されるシステムもイカれてしまったようだ。


 ……へっ。どこまでもシビアになって来やがる。口が瀧上で塞がってなけりゃ、今頃は乾いた笑いしか出て来なかっただろうな。


 ここまでしても、待ってるのは罵倒や叱責だろうし……運命の女神様は俺を助けたいのか殺したいのか、どっちなんだよ?


「ふーっ、ふぅッ……う、ぐッ!」


 ――まぁいいか、どっちでも。俺は二人を連れて、いやがおうでも生き延びる。今気にすることはそれだけってことに、しとくかな。


 俺は深呼吸を経て、今一度気合いを入れる。その瞬間、スーツの重みや疲労ごと押し上げて、俺は古我知さんを抱えたまま再び動き始めた。

 目指すは、矢村が一足先へ向かっていた螺旋階段。そこにたどり着けば、あとは登るだけ――


「うおッ……!?」


 ――というところまで来たというのに、ここに来て落石が激化しやがったッ……!

 浸水もさらに勢いを増し、さながら津波のような水流が、グランドホール全体を飲み込もうとしている。濁流に飲み込まれた瓦礫が、次々に轟音と共に流され、無惨に砕け散っていった。


「うっ……く、くそったれめッ……!」


 もう数分も経たないうちに、俺の首まで海水に浸されそうな勢いだ。落石は格納庫まで行ければ避けられるだろうが、浸水はあの勢いなら、どこまでも追って来るだろう。


 無駄な思考の一切を遮断する、濁流と落石の大合唱。戦いの中で目を背けていたその実態が、ここぞとばかりに牙を剥き、襲い掛かっているのだ。

 この戦いを生き残る、最後にして最大の障壁。その壁が今、唸りを上げて俺に迫ろうとしている。


「間に合え……間に合ってくれよ……!」


 死に物狂いで身体を引きずり、螺旋階段を目指す俺。その背では、破壊に次ぐ破壊の交響が神の怒りのように轟き続けていた。

 生きるか死ぬか。脱出か圧死か。


 その答えが決まる瞬間が、目と鼻の先まで、迫っている……。

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