第118話 鉄兜の盲点

 ありとあらゆる攻撃を尽くし、それでも彼は――とうとう揺らぐことはなかった。

 関節への攻め、急所攻撃、そのいずれも、瀧上さんには届かなかった。……あと、何ができる? 俺にはあと、何が残って――


「……さて。ではそろそろ、お望み通りに終わりに――してやろうッ!」

「ぐゥッ……!?」


 ――だが、それを考えている猶予すら、俺にはなかったようだ。


 瀧上さんが言い放ったその一言に反応するよりも早く、俺の視界は赤黒い掌に飲まれ――目の前が真っ暗になっていた。

 自分はもう、彼の巨大な手に捕まっている。足が床に触れている感覚がなくなり、その事実を認識せざるを得なくなった瞬間、俺の顔からは血の気が一気に失われた。


 ――このまま握り潰される。

 今まさに迫ろうとしているその展開に、俺はかつての惨状を思い起こしていた。

 彼に捕まった人間は、為す術もなくミンチにされ、あの巨大な拳から血が流れ出ていた。

 自分も……今からああなるのか……ッ!?


「ンッ、クッ……ムグッ……!」

「往生際の悪い少年だ。まさか、まだおとなしく死ぬ気がなかったとはな」


 自分を捕まえている鉄腕に、懸命に打撃を加える。俺に出来ることは、もうこれしか残されてはいなかったのだ。

 だが、これが大して通用するとは思えない。――当たり前か。こうして顔面を掴まれて宙に浮かされているような状態じゃ、急所は狙えないし腰の入った突き蹴りもできない。


 こうして、相手を絶望させながらジワジワ殺していこう……ってのかよ! 仮にもヒーローを自称してる人のすることじゃないぜ!


「だが、この状況でなおも抵抗してきた人間は君が初めてだ。その勇気に免じて、数秒だけ命を延ばしてやろう。――これに耐えられればな!」


 その時。反撃も許されないまま、握り潰されて終わる……それだけで終わるかと思っていたこの戦いに、予想外の展開が訪れる。

 頭を掴まれ、宙に浮いている。この状態に変わりはないが――突然右半身に猛烈な突風が襲い掛かったのだ!


「……ン、グゥウゥッ!?」


 これはまさか……振り回されてるのかッ!?

 頭を掴んだ状態のまま、着鎧によって少しは体重も増しているはずの男一人を片手で振り回すって――どこまでムチャクチャなんだこの人ッ!

 い、いかんッ……! 勢いが強すぎて、身体が動かない! なんつースピードで回されてんだよ俺の身体ッ!


「ぬぅおああァァアァッ!」

「うわあぁあッ!?」


 そして、次に視界が解放された時には――俺の身体は豪快に投げ飛ばされ、壁に向かって猛烈な勢いで突進していた。

 投げ飛ばす瞬間の瀧上さんのけたたましい叫びで、アリーナの空気が怯えるように震えている。


 壁に向かって吹き飛ぶスピードは尋常ではない。このまま頭から突っ込んだら、いくら「救済の超機龍」だって……!


「――く、おォオッ……!」


 なんとか頭からの激突だけは避けなくては……! その決死の思いにスーツも応えてくれたのか――風を切る勢いに抗い、かろうじて頭が真下になるくらいにまで体勢を変えることが出来た。

 だが、それでダメージがなくなるわけでもない。ただ即死を免れた、という程度に過ぎないのだ。


 頭が真下ということは、逆立ちしているような姿勢のまま、壁にぶつかることを意味している。


「――ぅがあぁッ!」」


 俺の背中が壁に勢いよく衝突し、その周辺が衝撃に歪み、ひしゃげていく。俺も背中の感覚がなく、もしかしたら同じ要領で骨でも砕けているのかも知れない。

 格闘中のアドレナリンってものがなければ、今頃はのたうちまわってるか……痛みでショック死してたのかもな。

 ……瀧上さんは、あの状況で抵抗したのは俺が初めてだと言っていた。あの人に殺された人はみんな、わかってたってことなのかな。――下手に抵抗すりゃ、こうなるってことが。


 壁から剥がれ落ちるように、俺の身体が床にベタリと落下する。……ハハ、まるでたたき落とされたハエだぜ。

 情けない話だけど……もう、指一本、動かせないかも、な……。


「りゅ、龍太あぁぁっ! ちょ、ちょっともうやめさせてや! もうええやろ、十分やろっ!」

「龍太君っ……! あ、あぁあ……!」

「あ……あなた達静かにおしッ! うろたえるんじゃありませんわッ! 殿方の……龍太様の勝利を信じることが出来ぬ弱者に、伴侶の資格などありえないざます!」


 そんな俺の不様な姿に、女性陣も耐え切れなくなってきているらしい。救芽井と矢村を宥めている久水も、どこか声が震えているように聞こえる。


「しかし、何と言うパワーだ……! ワガハイに仕掛けた時は、ほんのお遊びでしかなかったというのか……!?」

「……いいよ……! もう、いいからっ……!」


 そして、四郷も……そよ風で消し飛んでしまいそうな小声で、そんなことを呟くようになっていた。


「――ッ!」


 もういい、か。


 ……不思議だよな。そんなこと言われたら、なんかお情けでも掛けられてるみたいで、たまらなくなるんだよ。


 ――全く、ヒーローってのは損な役回りですなぁ。瀧上さんがストレスでああなっちまったってのも、なんか頷けてきたよ。

 ……どんなに身体が痛くても。どこかが折れてたとしても。あんな悲痛な声が出るくらい不安にさせちまってるって……俺のふがいなさのせいでああなってるってわかったら。

 俺の身体が、諦めさせて――くれなくなるッ!


「……終わったな。――鮎美! 試合は終わりだ、この死体を運び出すぞ!」

『あら、それにはまだ当分早いんじゃないかしら』

「なに? ――ムッ!」


 ようやく、向こうも俺の存命っぷりに気がついたらしいな。壁に寄り掛かりながら、見苦しくも立ち上がろうとしている俺のアホな格好に、さすがの瀧上さんもビックリの様子。


「……ハッハハハ! ここまで活きのいい子供がいたとはな。シアターTロッソで握手でもしてやりたくなるガッツだ」

「あいにくだが……主賓があんたじゃ客は来ねぇだろうよ。あんたと二人きりのテレビ出演なんぞ御免被る」


 だが、驚いている時間はごく僅か。すぐに殺りがいのある獲物を見つけた、と言わんばかりの好戦的なテンションに早変わりだ。俺がしっかりと両の足で立つのも待たないうちに、ジリジリと歩み寄り始める。


「実に結構。オレのやり方に異を唱える悪党共には制裁を加えるのみだ。それは今までも、これからも変わらん」

「……あんたが、それで何の正義を守ってるつもりでいるのかは知らない。だけど、そのためにあんたが守ろうとしてる家族が苦しんでる時もあるって、考えてみたことはないのかよッ……!」


 背中をひしゃげた壁に押し付け、両足で自分の身体を押し上げるような要領で、俺はようやく立ち上がった。

 あまりにも必死な俺。あまりにも平静な瀧上さん。この違いを見れば、勝負は付いたも同然であると、誰もが信じて疑わないだろう。

 そうだとしても。俺はまだ、倒れていい身分ではない。

 ……一矢も報いないままくたばって、何がアイツのヒーローだ!


「家族はみなオレに追従する。家族は必ずオレを賞賛する。――考えるべきことなど、ない!」


 刹那、瀧上さんの歩くペースがみるみる加速し――全力疾走となって突っ込んできた! ……あんなに鈍重そうなナリの癖して、なんて足の速さだッ!


「ッ……!」


 左右に振られている巨大な腕は、さながら周りのもの全てを薙ぎ払おうとしているかのようだった。もはや貨物列車ではない。その速さを身につけた――戦車だ!


「ぬぅおらァアァアアッ!」

「くおッ……!」


 そして、俺の目に映る世界の全ては、瞬く間に亀裂だらけの赤い景色に飲み込まれてしまう。

 世界そのものを衝撃音で打ち砕くかのような、凄まじい雄叫びと共に、俺の顔面に振り下ろされる鉄拳。


 あとほんの一秒でも立ち上がるのが遅れていれば、俺は今頃、あの隕石のような一撃にバラバラにされていた。

 だが、俺は辛うじて、彼の肩の上を飛び越え、攻撃を回避――


「ヌゥン!」

「がッ……!?」


 ――したつもりで、いたのだが。

 振り下ろした腕を瞬時に曲げ、肩越しに逃げようとした俺の背中に、肘鉄が突き刺さり。


「ぐゥアッ! ……う、あ……!」


 気がつけば、俺の身体は彼から遠く離れた場所に墜落し、仰向けに倒れていた。俺の清々しいほどのやられっぷりに、女性陣からさらに悲痛な叫び声が上がる。


 ――あの勢いで振り下ろした拳を瞬時に引き抜いて、その後ろに避けた野郎に肘打ちかよ……! どんだけバケモ――いや、バカげたパワーとスピードなんだッ!

 ……つか、危ない危ない。心の中だけとは言え、危うくバケモン呼ばわりするところだったわ。いや、確かにバケモンには違いないかも知れないが……あんまり言い過ぎると、同じ技術で身体を造られてる四郷とかどうなるんだよ。


「――しかし、参ったなこりゃ……ハハ……。向こうよりもっと速く動いて対応しなきゃ、なんないってのに……まるで身体、動かねぇんだわ……」


 身体を俯せに倒し、両手足の筋力を駆使して立ち上がる。「救済の超機龍」の運動性に頼ってなお、立ち上がるのがこんなにしんどくなるとはな……笑える弱さだよ、俺は。


『さすがにダメージが強いようね。どうする? 降りる?』

「……いや。せっかくだから、続けるよ。救芽井にも、申し訳が立たなくなるしな」


 だとしても、ここで所長さんの有り難いお情けを頂戴するわけにも行かない。……さっき言っちゃったばっかりだからな。一矢も報いないままじゃ、くたばれないって。


「何が君をそこまで『悪の道』へと駆り立てているのかは知らないが――コレも正義を為すため。……悪く思うなッ!」


 だが、現実ってのは呆れるほど容赦がない。前屈みでフラフラのまま立ち上がる俺は、正面に顔を上げる前に、再び彼に背後から捕まってしまった。

 しかし、今度は掌で顔面を掴まれているわけではない。頭の周りを巨大な何かで圧迫されている、この感覚は――ヘッドロック!?


「う、ぐ、あッ……!」

「君は小悪党にしてはよく頑張った方だな。しかし、正義のヒーローたるオレに刃向かう自分の行為に疑いを持たない以上、この結末から逃れることはできんのだ。君を信じた少女達も、悪に騙されてしまって可哀相に」


 いつにも増して高尚なヒーロー講座を垂れる瀧上さん。そのあんまりな言い草には、さすがに俺もプチンとイキたくなってくる――かな。


 悪に騙される? 可哀相? あの娘達がか?

 ……ふざけんなよ。笑えないギャグとか、寒いだけなんだよ。

 何が悪だとか。何がどう可哀相だとか。そんなの――


「――あんたの決めることじゃないだろッ!」


 ……おや、つい口に出てしまったな。まぁ、だからといって撤回するつもりなんてさらさらないけど。


 救芽井も、矢村も、久水も四郷もついでに茂さんも。

 みんな、俺を信じてこの場に送り出してくれた。それは哀れなんかじゃない。俺も……騙してなんか、いない。


 だって――勝つって、決めたんだから!


「ん、ぐ……おおおォッ!」

「負け惜しみを抜かし出したかと思えば……今度は力ずくか。あれほどのパワーの差を見せ付けられておいて、まだ抵抗できると思っているのか?」


 自分の頭に巻き付いている瀧上さんの腕に、俺は自分の両手の平を押し当て、全力で押す。……下から上へ、突き上げるように。


「無駄なことを。そんなことをしたところで何の――なにッ!?」


 ……ヘヘ……見たかい。これが世に言う火事場のバカ力って奴さ。多分。


 俺はヘッドロックを決められた体勢のまま、両腕と足腰の力に全てを賭ける勢いで――瀧上さんを持ち上げていたのだ。


 ヘッドロックで顔面を覆われてるせいで何も見えないから、どこまで持ち上がっているかはわからないが……恐らく、踵が浮いて爪先立ちになっている程度だろう。

 既に全身の筋肉が悲鳴を上げている状態だが――なんのその。このままひっくり返して一矢報いてやるまでは、意地でも――


「……バカめッ!」

「うぐッ……!」


 ――と、意気込んでいたはずなのに。


 全ての力を懸ける勢いで臨んだ、勝負だったのに。


 前方向に体重を掛けた瀧上さんの勢いには敵わず、ふりだしに戻されてしまった。

 持てる力を全力で尽くしたってのに――理不尽過ぎんだろ……こんなの……。


「驚いたな。まさかこんな小さな身体に、ここまでの力が残っていたとは……。やはり、デスマッチを提案しておいて正解だった。このような危険な悪の芽は、早々に積んでおかねば……なッ!」


 決死の覚悟で放った力技さえ、それ以上の力技で完封されてしまう。その現実に失意せざるをえなかった俺に、瀧上さんはラストスパートを掛けようと、ヘッドロックにさらに力を込めてきた。


 バイザー越しの世界に亀裂が入り、潰されかけているマスクの破片が、こめかみに刺さる。頬を伝う冷たい感触に、俺は「死」が近づいていることを認識させられつつあった。


 ……あれだけ手を尽くして、これなんだ。


 やっぱり俺には、初めから叶わなかったのかも知れない。瀧上さんの……言う通りじゃないか。


 そう諦めるしかなく。死を受け入れるしかなく。

 残す家族、町のみんな、救芽井達の顔が浮かびかけた――その時だった。


「――聞けェェッ! 一煉寺龍太ァァアッ!」


 茂さんの叫びが、轟いたのは。


「……!?」

「いいか! 確かに力任せでは奴は倒せん! パワーもスピードも奴が上回り、貴様の拳法も奴の構造上通じんかも知れんッ!」

「お、お兄様!?」

「だがッ! 少なくともそこから脱出する手段は必ずあるはずだッ! 瀧上凱樹に『新人類の身体』ならではの『持ち味』があるように……貴様にも、『救済の超機龍』にも、生身の人間が身につけた力であるが故の『持ち味』があるはずッ! かつてワガハイが欲してやまなかったその力で敗れることなど、例え樋稟が許そうと……このワガハイが許さぬぞオォッ!」


 ……生身の人間ならではの、「持ち味」……!?


『――それ以上は試験妨害よ、茂君』


「……わかっております。これ以上、ワガハイに言うことはありません。失礼致しました」


 所長さんの諌言に従い、彼が身を引いた瞬間。俺は……気づかされた。


 ――そうか。そういうことかッ!


 恩に着るぜ茂さん、さっきはついで呼ばわりして悪かった!


 俺はメリメリと悲鳴を上げ、ひしゃげていくマスクの奥で、僅かに口元を緩める。まだ――終わりじゃない。


 力を出し尽くし、疲弊しきっていた腕の筋肉を酷使して、俺は自分の喉元に指先を伸ばす。そこから、徐々にヘッドロックを決められている頭の部分に向けて、人差し指を這わせていく。

 確か、この辺りに……あったッ!


 ――顎の裏にひっそりと存在している、小さなボタン。まさかこんなちっぽけな機能が、最後の希望になるなんて――なッ!


「これで終わ――んぬッ!?」


 マスクごと俺の脳みそがブチまけられる勢いで、ヘッドロックの力が強まった瞬間。

 トドメの一撃からすっぽ抜けるように――俺の頭とマスクが「分離」したのだ。


 そう、これが茂さんの云う「生身の人間であるが故の持ち味」。人体で最も大事な頭を守るためなら、こんな芸当もできるってわけだ!


 マスクを外すボタンを押した次の瞬間、ヘッドロックから抜けた角付きマスクが、白い床にカランと落ちる。それと時を同じくして、素顔を晒した状態になった俺は瀧上さんの背後に立つ格好になった。


 もちろん、この機を逃しはしない。俺は即座に跳びあがり、


「アホが見る――ブタのケツゥウゥッ!」


 彼の首の近くにある、後頭部の急所……「唖門あもん」目掛けて、空中から落下する勢いと、全体重を掛けた振蹴ふりげりをブチ込んだ。外側から覆い被せるように放つ、空手の蹴りに近しいこの一撃。俺が出せる打撃技の中じゃ、これが一番の威力だ。


 ――これでも大して効ききやしないのかも知れない。そう思うところもあったけど。頭ではわかっているつもりでいたけれど。試さずには、いられなかった。


 「まだ勝負を捨てきれない」。そんな胸中が露呈したかのような、一発だったのだ。


 蹴りを終えて着地した後も、なぜか微動だにしない瀧上さん。次に彼が動きを見せたのは、俺がサッとボロボロのマスクを拾って、再装着した時だった。


 だが、それは――


「……ぬゥッ、グ、オォォッ……!」


 ――俺が予想していたものとは、明らかに掛け離れていた。


 後頭部を両手で抑えて片膝を着くその姿は、さっきまでどんな攻撃もものともせず、暴威を振るいつづけてきた鉄人とは、似ても似つかない。

 これじゃあ、まるで……!?


「攻撃が――通った……!?」

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