第117話 瀧上凱樹の猛威

『……これが、最後よ。試験開始ッ!』


 ――いよいよ、最終試験が始まる。

 所長さんの合図を幕開けに、このコンペティションの結末を決める一戦が、ついに開始されたのだ。


 そして、救芽井達が固唾を呑んでこちらを見守っている中、俺は即興の変身ポーズと共に着鎧の体勢に移ろうとしていた。


「さて――いっちょやってみるかな!」


 紅く輝く帯が全身に巻き付き、「救済の超機龍」への着鎧が完了する感覚。それをコスチューム越しに肌で感じ取った瞬間、俺は白い床を蹴って一気に瀧上さんとの距離を詰める。


「いきなり突っ込んで来るとは……よほど早く『終わらせて』欲しいようだな」


 そんな俺に対し、彼は腕を組んだまま悠然と佇んだまま。どうやら、防ぐつもりも避けるつもりもないらしい。

 ――なるほど。俺の攻撃なんて蚊ほども効かないだろう、って余裕か。いいぜ、そんなに自分の強さをアピールしたいってんなら、好きにしなさいなッ!


 俺は赤黒い巨体に真正面から突っ込む……と見せ掛け、突進の軌道を横にずらした。そして、そのまま彼とすれ違うかのように駆け抜ける――


「ワチャアッ!」


 ――寸前、亀裂だらけの図太い脚にローキックをお見舞いした。紅い脚同士が激しく激突する金属音が、アリーナ全体に響き渡る。


「……なんだそれは?」


 だが、そんな轟音に反して、当の瀧上さんの反応はほぼ皆無。亀裂が僅かに広がった程度であり、ダメージを受けている様子は全く見られなかった。蚊が刺された程度にも感じていない、といったところだろう。

 ――なんともえげつない話だなオイ。一応本気で蹴ったってのに! ……まぁいい、今のは「効けばラッキー」な程度でしかない。むしろこれだけ圧倒的な体格差があって、ローキックごときで怯んでたら見かけ倒しもいいとこだ。


「せいぜい蚊が刺した程度にしか感じてません……ってか? 余裕なのは大変結構だがな、あんまり刺されすぎると痒みが大変なんだぜ!」


 当然、この程度で諦めるつもりなんてない。まだ試合は始まったばかりだ!


 俺はそれからも、彼の巨体を周回しながら、何度もローキックを小刻みに繰り返していく。例えどれだけびくともしない状況が続いても、そのスタンスを崩しはしない。

 まだ瀧上さんが動きを見せる気配はない――が、相対的に小さい分、こちらの方が小回りが利くはず。


 ――我ながらセコい戦い方をしている気がしてならないが、この際やむを得ないだろう。こんなデカブツ相手に、力勝負などまっぴらごめんだ。

 だから本来なら、相手の出方を伺い、今まで通りにカウンターに徹した戦法を取るべきだったのだろうが……向こうの体躯から想定されるスタミナを考えれば、今回は長期戦にも成りうる。それに「救済の超機龍」のバッテリーが耐えられるとは、限らないのだ。

 力同士でぶつかる勝負は無理。カウンター戦法に徹しようにも、待ってばかりじゃいずれバッテリーが尽きる。――ならば、向こうの「反撃」を誘うような軽い「先制攻撃」を敢えて行い、その「反撃」を「想定」した更なるカウンターで迎撃する。それが、俺が彼に勝てる可能性であり、希望だ。


「一応の敬意として、一通り君の技を受けてやろうと思っていたが――こんな下らない蹴りばかりしか仕掛けて来ないようなら、品切れと解釈しても良さそうだな?」

「だったらさっさと終わらせてみな。口先だけじゃあ、俺は殺せないぜッ!」


「……そうか。なら、君の望むままに――終わりにしてやろうッ!」


 そして――ついに、瀧上さんが動き出す。腕組みを外し……その瞬間に伸びて来る、巨大な掌。その迫力は、「ヒーロー」というよりは「大魔王」の方が遥かに相応しい。

 血と闇が滲んでいるかのような、赤黒く禍々しい右腕。全てを飲み込まんとするかのように迫るその鋼鉄の手に捕まれば、間違いなくただでは済まない。茂さんに仕掛けた時はお遊び程度でしかなかったのかも知れないが、本来の姿となっている今では、それくらい感覚でも十分に脅威だ。

 ましてや、これは俺達だけの間で取り決められたデスマッチ。捕まったが最後、仮面ごと頭を握り潰されて一瞬でおだぶつ、となる。


 だが――ピンチはチャンスとも言う。「軽い先制攻撃」に触発されて出てきた「反撃」。これこそ、俺が狙い目にしていた好機なのだ。


「――ハッ!」


 迫る巨大な掌が、俺の頭蓋骨を砕こうと、視界全体に覆いかぶさる直前。俺は体重を思い切り後ろに乗せ、後退の姿勢に入る。

 そこから更に、身体の軸をずらして掌が直進する方向から逃れ――その巨大な手首を両腕で掴む!


一本背投いっぽんせなげ……ッ!?」


 そして、背負い投げの要領で懐に入るべく、その鋼鉄の腕を手首から捩り上げ――ようとした。


 ――だが、現実は違った。


 手首を捩ろうと力を入れる瞬間。こちらの勢いを受け流されたかのような感覚に襲われ、気づいた頃には弾かれていたのだ。

 デカい相手をブン投げる、そのことを意識し過ぎていたせいか必要以上に力が入ってしまっていたらしく、肩透かしを食らって生じたふらつきも大きいものだった。


「……なっ……!?」

「ふむ。なかなかの踏み込みだな。少しは腕に覚えがあるらしい」


 倒れる程ではないにしろ、隙だらけになっていたのは確かだ。もし瀧上さんがこの瞬間に踏み込んで来ていたなら、恐らく避けることは出来なかっただろう。


 ……いつでも殺せる、ってことかよ、畜生……!


 だけど、向こうは一体どうやって俺の技を外したんだ……? 力任せに弾かれるような感覚はしなかったはずなのに。まさか、ああ見えてテクニック面でもやり手なのか!?


「だが、オレの腕を捩ろうとしたのは……失敗だったな。人間と身体の造りが違うオレに、その手の技は通用しない。もっとも、あの無駄な力の入りようでは、こちらが生身の状態でも投げられなかっただろうがな」


 ――しかし、当の本人が見せた種明かしは、あまりにも呆気ないものだった。

 俺の眼前で、キリキリと擦れる音を立てて回転する手首。まるで作業用の機械のような、その無機質な動きを目の当たりにして、俺は改めて瀧上さんが「人間ではない」ことを認識させられた。

 向こうは、俺が投げの体勢に入ろうと捩る力を込めた瞬間、手首をドリルのように回転させ、俺の勢いを外部にそのまま受け流していたのだ。


 ……こんな人間の関節を無視した芸当、機械の身体でもなきゃ到底真似できない。そんなのアリかよと、叫びたくなりそうだ。


 ――だが、こんな手段も「アリ」だと認めるしかないのだろう。これは、もはや普通の試合ではなく、文字通り命を懸けた戦いなのだから。


「……セコい避け方しやがって、だったらこれはどうだッ!」


 かといって、このまま大人しく終わるつもりもない。正真正銘の命懸けの戦いなら、なおさらだ!

 俺はさっきまでとは反対の方向を周回するように、再び瀧上さんの傍らを駆ける。次の瞬間、もう一度ローキックをお見舞いした。


「ムゥッ!?」

「取ったァッ!」


 そして、猛烈に風を切る彼の裏拳を屈んでかわし――今度はその巨大な左腕に両腕で組み付いた。

 間髪入れず、その鉄腕を外側に捻る。次いで、そうすることで出て来た肘関節の近くにある急所「天秤てんびん」に腰を当て、そこを軸に身体を右回転させた。

 ――この技は相手の腕を折りかねない、危険な一発だ。さぁ、ちゃんと吹っ飛ばなきゃ、腕が折れちまうぜ瀧上さんッ! さっきみたいに弾かれまいと、出来るだけ手首から離れた場所を掴んで、やや強引に捩りはしたが……「救済の超機龍」のパワーならこの程度の誤差、なんてこと――


「……フゥンッ!」

「おわぁっ!?」


 ――あった!?


 両腕を駆使して繰り出した「龍華拳・外巻天秤そとまきてんびん」。手首を捻って体勢を崩さなかったせいもあるだろうけど――何も悟らせないうちにとフルスピードで仕掛けたってのに、力任せに外しやがった!

 それどころか、彼が思い切り肘を曲げて技を外した勢いで、俺の赤い身体は宙を舞い――白い地面にたたき付けられてしまうッ!


「がっ! ……ぐっ……!」

「りゅ、龍太ぁっ!」


 ……余りにも予想外で、受け身を取る暇もなかった。ゆえに背中から思い切り落ちてしまい、思わず苦悶の声が漏れてしまう。

 そんな俺が見ていられなくなったのか、試合が始まってからは唇を結んで見守っているだけだった矢村が、初めて悲鳴を上げる。


「も、もうええやろッ! このまま続けとったら、龍太、龍太死んでまうっ!」

「おっ……落ち着いて矢村さん! これはあくまでコンペティションなんだから、そんなの……そんな、こと……」


 あるわけがない。救芽井は、そう言い切らなかった。


 何となく、救芽井達も感づきつつあるのだろう。言葉では隠していても、戦い方による「気迫」のようなものでも出ているのかも知れない。


「……お互い、コンペティションの勝敗以上の何かを懸けている。そのように見えてならないのは――ワガハイだけではあるまい」

「そうざますね、お兄様。――そう、例えるなら……『命』を懸けているかのような……」

「……一煉寺、さん……」


 久水兄妹や四郷も、どこか疑わしげな視線をこちらに向けている。一切のごまかしを許さない、その真摯な眼差しは、確実にこの戦いの真実を捉えようとしていた。


「圧倒的に不利でありながらよそ見とは余裕だな。さらなる奇策でもあるのか?」

「くっ……!」


 瀧上さんの言葉に、俺は仮面の中で歯を食いしばる。

 手首を捻る技は、手首自体が回転するから通用しない。かといって、僅かでもその動作を避けたら、力任せに外される。……腕を攻める技は、封じられたと言っていい。


 しかも、通常攻撃――最初のローキックでも、彼は涼しい顔をしていた。確かに戦略的には小手調べでしかなかった攻撃だが、一応力は本気だし、下肢の急所である「風市ふうし」は確実に捉えていたはず。


 ――急所を本気で攻めて、揺るがなかった。その事実には、例えあれ自体が「効けばラッキー」という攻撃に過ぎないのだとしても、来るものがある。


 そして、ここまでの太刀合わせから浮かんで来る、一つの可能性。「『新人類の身体』と戦う」事態が想定された時から、俺がずっと懸念していた、最悪の可能性。

 それが現実であると証明される瞬間が、黒い波となって押し寄せて来る――そんな感覚が、俺の意識を飲み込もうとしていた。


「ぐっ――ワチャアアァッ!」


 その可能性を全てを振り払う。その一心で、俺は叫び――地を蹴って彼の顔面に飛び掛かる。

 「あそこ」が「新人類の身体」の唯一の弱点かも知れない。そんな、儚い希望のために。


「とうとう頭がおかしくなったか!?」


 それに対し、巨大な鉄拳によるストレートが飛び出して来た。標的だけでなく、その周囲の物全てを吹き飛ばしてしまいそうなこの迫力――真正面から突っ込んで来る貨物列車、という表現がピッタリだ。


「トワァーッ!」


 もちろん、そんなオーバーキルパンチをまともに食らうつもりはない。俺は迎撃の拳を跳び箱を跳ぶようにかわし――彼の顔面に蹴りを浴びせる。


「『日月にちげつ』! 『三日月みかづき』! 『人中じんちゅう』! 『三角さんかく』! ……『承漿しょうしょう』ォッ!」


 ただがむしゃらに蹴るわけではない。顎から下、及び脳天に近い部分と、「両眼りょうがん」を除く顔面の急所。その全てに一撃一撃を突き刺すように、回し蹴りや前足底の飛び蹴りを連続で叩き込んだ。


「ハッ……ハァッ、ハッ……!」


 そして、全ての攻撃を終えて彼の眼前に降り立つ。「救済の超機龍」で超人的な身体能力を得ていなければ、空中五連撃など到底不可能だっただろう。実現にこぎつけた今でも、息切れしてしまうくらいなのだから。


「――なるほど、経脈秘孔けいみゃくひこうを狙う護身拳法か。オレが『人間』だったなら、今ので随分と堪えたかも知れんな」

「……そんなっ……!?」


 ……しかし、それを浴びせた相手の反応は無情な程に冷淡で――機械的だった。思わず顔を上げる俺だが……仮面を被っていて、よかったと思う。


 こんな絶望気味な顔を、誰にも見られずに済んで。


「だが、オレの身体の大部分は機械化され、経脈秘孔はもちろん、人体の関節を利用した技も封じることができる。さっき君がしくじったように、な」

「ぐッ……!」

「それでも君が睨んだ通り、唯一のオリジナルである頭部の脳髄。ここを覆う場所だけは、脳自体を正常に機能させるために、普通の人間とさして変わらん造りになっている。経脈秘孔が共通している可能性も、なくはないだろうな」


 そこで一旦言葉を切り、瀧上さんは鉄兜の上から、あの凍るような眼光を俺に浴びせて来た。目元が見えないというのに、視線で突き刺される感覚に襲われている――こんな矛盾、あってたまるかよ……!


 ……ダメだ、動けない……! 古我知さんと戦う時だって、こんなに震えてはいなかったのに……あの時とは違うはずなのにッ……!


「しかし、そうだとしても君の技がオレに通じることは有り得ない。顎から額にかけての顔面全てを防護している、この鉄兜を装着したオレには、な」


 自分の顎――正確には鉄兜の口元を護っている部分を撫でながら、彼は悠然と語る。

 口調そのものは静かだが……この状況、声色、体格のせいで、全てが威圧的であり――絶望的だ。

 パワーも装甲も圧倒的。関節を攻める技も効かない。唯一の弱点である頭部も、鉄兜に護られている。……八方塞がり、じゃないのか……!?


 そんな考えから、再び浮かんで来る最悪の可能性。この状況になるまで追い詰められてしまった今では、もはや疑う余地がないッ……!


「――何が言いたいか、わかるな? 君の技は全て、オレには通用しない。そういうことだ」


 ……そして、あまりにも非情で、冷徹な本人の一言が――俺の希望にとどめを刺したのだった。

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