第119話 招かれざる客

 急所を狙った攻撃でさえも、完全に防いでいたはずの頭部。


 そんな「通る」はずのない場所に、破れかぶれで放った一撃が「通って」いる。後頭部を抑えて呻く鉄人の姿が、その証だ。

 これが「攻撃が効くようになった」ことを意味するのか、「攻撃が効く場所がある」ことを表しているのかは、まだわからない。いずれにせよ、まだまだ予断を許さない状況だ。


「グゥッ……お、おのれッ……!」


 瀧上さんは僅かに膝を震わせて立ち上がり、鉄兜の奥から肩越しに俺を睨みつける。どんな顔をしているのかまではわからないが……今までにない焦りと怒気を孕んだ声色を聞く限りでは、さっきの一発がよほど効いていたように思える。

 鉄兜に覆われているはずの頭部に、どうして……?


『……ダメねぇ、凱樹。言わんこっちゃないわ』

「――!?」


 その時だった。俺の思考を読んだようなタイミングで、所長さんの声が響いてきたのは。


『私が提言した通りに、頭部パーツの前後に万遍なく装甲を付ければよかったのに。あなたが「鉄兜の装甲は前側に集中してくれ。オレは敵に後ろなど見せない!」なんて言い出すからよ、全く』

「……鮎美。審査官であるはずのお前が、試験中にわざわざ敵に情報を流すとは、どういう了見だ」

『流すも何も、もうバレちゃったんだから隠しようがないじゃない。それに、あなたなら弱点を知られたくらいでどうにかなるものでもないでしょう? あらゆる「悪」と戦い、乗り越えてきたあなたなら――ね』

「――フン。当然だ」


 ……なるほど、な。まさか種明かしを所長さんがしてくれるとは思わなかったが……これでハッキリした。


 振蹴が通用したのは、瀧上さんが自分のポリシーをゴリ押しして、後頭部の装甲を薄くしていたからなんだ。もし所長さんが言っていたようにバランスよく装甲が振り分けられていたなら、ここまで攻撃を加えることは不可能だったかも知れない。


 ――しかし、所長さんもなかなか無茶苦茶なマネをするなぁ。「公正さを欠いたらヤバい」とか言っといて、自分が一番ギリギリな所まで言っちゃってるんだから。

 もしマスクを再装着してなかったら、「え? あそこ弱点だったの?」という表情を見られて、「弱点を把握された」とは思ってくれなかったかも知れない。

 正確な意味では、とっくに「公正さ」なんて失われているこの試合だけど……こんなことまでして、彼女は俺を勝たせたいのだろうか。


『……さぁ、そろそろ試験を再開しなさい』


 審判席からこちらを見守っている、そんな彼女の声色には――なぜか、「焦り」の色が伺える。まるで、この勝負の決着を急かしているかのように。


 ――しかも、こっちには目を向けず、手元のノートパソコンを見ながら再開を促している。

 彼女は、何を焦っているんだ……? まさか、試合前の警報と何か関係が――


「ムゥオォアァアアァッ!」


 ――!? マズいッ!


 所長さんの異変に目を奪われていた、その一瞬を突いて瀧上さんが迫る。くそっ、一発当てられたからって気が緩んじまったのか!?

 あっという間に視界を覆い尽くす、ひび割れた赤い世界。そこから抜け出さんと、俺は床を全力で蹴る。


「ハァッ!」


 彼の頭上より高く跳び上がった俺は、再び狙いを後頭部に定める。……相手の弱点ウィークポイントを攻めるのは、格闘の定石だ。それを抜きにして勝てるほど、この人は甘くない……ッ!


 空間を掻き切るように薙ぎ払われた鉄腕をかわし、宙を弧を描くように舞う。そして……後頭部にまわり込む!


「ヌゥンッ!」

「ぐぅはァアッ……!?」


 ……だけど、同じ手を使わせてくれる程度の甘さすらなかったらしい。後頭部に回った瞬間、「唖門」にもう一度振蹴を浴びせようと、身体を捻った俺の脇腹に、後頭部からのヘッドバットが突き刺さる。

 急所に攻撃が通用するとは言え、そこに当たりさえしなければ、高い硬度を持っている事実は揺るがない。完全に裏をかかれた俺の腹には、弱点であるはずの彼の頭が、スーツごと肉をえぐるように減り込んでいた。


 体重も乗っていない、ただ後ろに頭を振るだけの簡単なお仕事。それでも、彼が放ったその一発は、今の俺を過剰に痛め付けるには余りにも十分過ぎる……!


「あぐッ……!」

「同じ手を何度も喰らうような奴では、ヒーローなど務まらん。……クク、君は一から、その道を学び直さねばなるまい。もっとも、オレに負けた瞬間、その機会は永遠に来なくなるのだがな」


 再び俺は彼の後方に吹っ飛ばされ、床の上を転げ回る。そんな俺を嘲笑う彼の口調に反応するように、バイザーが映す光景に変化が現れた。


「――!」


 この視界全体を覆う赤い点滅は……危険信号!?

 余りにもダメージを喰らいすぎたせいで、「救済の超機龍」のシステムが装着者の俺に警告を発しているんだ。このまま手痛い攻撃を喰らい続けていれば……やがて着鎧が解除され、試合に負ける。

 そうなったら、救芽井エレクトロニクスは……救芽井は……四郷は……俺は……!


「う、ぐおぁあッ……!」


 この勝負に負けられないという意志。こんなところで死にたくないという恐怖。どちらとも言い切れない、様々な感情が渦巻いた時。

 俺は俯せの姿勢から、拳を床に当て、地面を押し込むようにして立ち上がろうとしていた。

 ――ただ恐いのか、皆のために勝ちたいのか、もうよくわからない。ただ間違いないのは……こんなところで寝てる場合じゃない、それだけだ!


「大人しく倒れていれば、これ以上は傷付かずに済んだはずだというのに……君の神経は理解に苦しむ」

「……そりゃあ、そうだろうよ。あんたなんかに理解されるような、お子ちゃま的思考回路は……持ち合わせちゃいないんだからなッ……!」

「――そうか。ならばオレも苦しむ必要はない。君を……排除するだけだ」


 煽りを受けた瀧上さんは、今まで以上にドスの効いた低い声色で、静かに俺の抹殺を宣言する。


 どうやら、お子ちゃま扱いを受けたことについて、何か思うところがあったらしい。自分の子供染みた英雄思想に、図星でも喰らったのだろうか。

 感情を押し殺し、その全てを殺意に変えたような眼光。それが今、鉄兜の奥から覗いている。――本気で殺しに掛かろう、って流れだな、こりゃあ。


 あの凄まじい殺気を一身に浴びてるってのに、俺の心は割と落ち着き払っている。恐怖を通り越して、かえって冷静になっている……のかも知れない。

 ……もう、後頭部を直接狙うのは無理だ。でも、あそこ以外に弱点があるとも思えない。


 ――だったら、「突き蹴り以外の手段」であの後頭部を狙うまでだ!


「……どういうつもりだ」

「どうもこうもねぇ。三十六計、逃げるにしかずってなァ!」


 俺は前傾姿勢になり、彼に飛び掛かる――と思わせて、あさっての方向に走り出した。その行動に、彼は更に怒りを押し殺すような声で唸る。

 もちろん、そんな彼を挑発することも欠かさない。彼の周囲を駆け回りつつ、定期的に立ち止まっては、手招きする仕種を見せ付ける。

 この試合が始まった頃を思わせる構図だが……あの時とは、決定的に違うところがある。

 それは――今の俺には、明確な勝算があるってことだ。


「――ふざけたマネをォオォオオッ!」


 そして、この膠着状態も長くは続かなかった。

 程なくして、瀧上さんはけたたましい叫びと共に、全速力で俺を捕まえようと迫って来る! もちろん俺も大人しくやられるつもりはなく、両脚の筋力を酷使させ、全力でその場から退避した。

 だが、俺自身がバテててきていることや、互いの歩幅が体格の関係で掛け離れていることもあり、俺は次第に追いつかれつつあった。

 徐々に視界に広がっていく、黒く巨大な影。僅かでも減速して振り向けば、瞬く間に赤い亀裂だらけの異世界に飲み込まれてしまうだろう。


 だが、俺に焦りはない。これは、俺が待ち望んでいた状況なのだから。


 この体格差において、俺が唯一持っているアドバンテージ。


 それを活かせる瞬間は――今しかないッ!


「……ヒュッ!」

「ムッ!?」


 俺は両脚の踵をブレーキにして、急激に減速し――瀧上さんの懐に入り込む。

 次の瞬間、俺を捕まえようと伸ばされていた彼の右腕を取り――太刀を振り下ろすように、斜めに向けて豪腕を「誘導」した。


羅漢拳らかんけん――矢筈投やはずなげッ!」

「なに……いッ!?」


 力に逆らわず、むしろその流れに乗り、僅かに「軌道」にのみ干渉する。その理念により導かれた力の濁流は、瀧上さんの巨体を容易に持ち上げた。

 死力を尽くした力技でも、踵を浮かせる程度が限界だったとは思えないくらい、彼の鋼鉄の身体は大きく舞い上がる。


 そして――受け身を取る反射行動すら許さない速さで、彼は頭部から白い床に激突してしまった。アリーナ全体に、鉄人の墜落による轟音が鳴り響く。


「がッ……!?」


 打ち付けた場所は、ヒビだらけのバイザー越しでもハッキリと見える。後頭部の中央部にある急所……「脳戸のうこ」だ。

 鉄兜にある、脳天から延髄にかけてのトサカのような装飾で守られているようにも見えたが――ボロボロと亀裂から破片が飛び散り始めている様子からして、あのトサカが大して役に立っているとも思えない。


 質量の大きい瀧上さんと、小さい俺。

 この違いによって生まれるのは――反動の影響力だ。

 瀧上さんはパワーはデカいし、トップスピードに乗れば足の速さも相当だが、その分だけ動きの切り返しが困難になる。反面、力も速さも見劣りしている俺の方は、小回りの効きだけは確実に勝っている。

 動きを切り返した際に生じる反動は、質量で劣る俺の方が小さい。ならば、こうして急激に方向を転換する動作を見せれば、向こうは目は追いついても身体が付いてこれないはずだ。

 つまり、そこを突いて彼を投げ飛ばし――急所を地面にぶつけるように誘導すれば、間接的にダメージを与えられる!


「ぬ……ぐゥアッ……!」


 なんとか身を起こした瀧上さんは、頭の後ろを片手で覆い、片膝立ちでこちらを睨みつけたまま動かない。

 よく見てみれば、全身の亀裂はさっきの一発の影響で、更に大きなものになっていた。あと僅かでも動けば、装甲全体が剥がれ落ちてしまいそうにも見える。


「やったぁーっ! 行けるでっ! 行ったれ龍太ぁっ!」

「龍太君っ……!」


 形勢が変わったことを客席側も感じ取ったのか、矢村のはしゃぎっぷりにつられるように、救芽井の顔色に「安堵」が現れていた。

 だが、久水兄妹と四郷の表情は固いまま。このままで終わるわけがないと、警戒を促しているかのように。


 ……それは、俺も同じことだ。国まで滅ぼすくらい、さんざっぱら暴れてきたというこの人が、この程度で参るとは思えない。


「――死にたいのか。そうか、死にたいんだな貴様はァアアァアッ!」

「……ッ!」


 両脚に力を込めて雄々しく立ち上がり、ひび割れた赤い装甲を自ら引きはがす様を見れば――そう考えるのが普通、というものだろう。


 衣服を破り捨てるように取り払われた、亀裂だらけの「勲章」。その中から現れたのは――無骨な鋼鉄の色に包まれた、瀧上さんの真の姿だった。

 姿形こそ、今までとは色しか違わない程度だが……あんなにヒビだらけでも「勲章」として後生大事に身につけていた装甲を破り捨てているところを見れば、彼が「本気」になった事実くらいは一目瞭然だろう。


「な、なな、なんやアレっ!? 赤いの引っぺがして、灰色になりよったっ!?」

「装甲が取れた……! 何をするつもりなの……!?」

「龍太様、お気を付けてッ……!」


 瀧上さんの変容を前に、客席もどよめきに包まれる。四郷に至っては、肩を震わせながら両手の指を絡ませていた。まるで、神に祈るかのように。


 そんな彼女の肩を抱いている久水も、注意を促すような視線を送っている。――やっぱり、このままじゃ済まないみたいだな。


「……殺してやろう。容赦はせんぞ、悪魔めが……!」

「くッ……!」


 呪詛のような言葉を並べながら、瀧上さんがジリジリと迫る。俺は亀裂だらけのマスクの中で、焦燥と恐怖を掻き消すように唇を噛み締めた。


 その時。


『――ダメ、来るッ!』


 珍しく狼狽した様子の、所長さんの声が響くと同時に。


「そこまでだ瀧上凱樹ッ! 貴様の逃げ場はどこにもない、おとなしく降伏しろッ!」


 どこか聞き覚えのある声と共に――エレベーターの中から、白い装甲服を思わせるスーツを纏った集団がなだれ込んできた!


 あれは――G型の「救済の龍勇者」!? よく見たら、後方にも何体かのR型が……!


「お父、様……!?」


 そして、あの声の主を救芽井が呟いた瞬間。

 所長さんの焦りの理由。警報の実体。

 その全てに、俺は気づいてしまった。


 約十人ほどの「救済の龍勇者」の集団は、瞬く間に客席を飛び越えてアリーナに降り立ち、この試合に乱入する格好となる。


 四人のR型は俺の両脇を固めるように立ち、六人のG型は電磁警棒を構え、瀧上さんを一瞬で包囲してしまった。


 この間、僅か十秒程度。驚く暇すら与えない程の、計算され尽くした立ち回りだ。


「よくやった……龍太君。後のことは、我々に任せてくれ」


 呆気に取られるしかなかった俺に、G型に混じっているあの人が、背中越しに声を掛けた時。

 俺は、心の奥で叫ぶことしか出来なかった。


 ……なんで、なんでッ! こんな時に来ちまったんだよッ……!


 ――甲侍郎さんッ!

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